1-1知識とは
日常的な生活の中で物知り自慢のような態度がしばしば起こり、言葉ばかりが表出して実態的な利益や効用が現れない面に現代社会の病理が起こる。知識が豊富で物事に詳しいという判断に及ぶ場合と出鱈目な詐欺という性質の嘘や誤魔化しによる生産性という場合へ対して、実態的な効用への測定をもって知的サービス化の適正を問う観点が起こされる。
そもそも知識とは、一次的に体験して生まれる情報と書物等から伝聞的に吸収する情報と言った相違が現れ、後者からの知識をそのまま引用し、知ったような態度を見せて人々への関心を集め富を得る現象がしばしば生まれる。頭脳で読み込んで体の検証が乏しく媒介的に情報を横流しする二次情報の伝達という知識の性格が抑えられ、一次的知識とは異なった性格にある事が確認される。或いは、対象から窺い知る感性や観点の持ち方によって、無限的な性格にある対象から限定的に物事を起こし現象化してそれを伝達するという根源的な側面への吟味を経て、知識という事への適正な扱いや構えが形成される。更に、究極的には対象は動に本質があり動を人間の都合などから静にして動いている状態を把握する作業にある。社会的に共通の合意に及んだ知識や見解を尊重し、それに基づいた知識の形成や表現の在り方への適正な作法を重んじる態度であるか、純粋な創造性に寄る態度や支配的願望過多による執着など多様なケースが発生する。新規的な改良や更新という動的活動性は止まらず、更新されないまま古い知識に固執するような事も管理的欲求の過剰性などから生まれる。しばしば、物事を断定的に、「○○である」という言い方で表現される人々が発生する。上述のような知識観に基づくと相当偏った性格の表現者と解され、利己的欲求過多の性質とも見做されかねない。私なりには、「こう思う。こう見える。こう考える。」等という言い方に謙虚さと誠実な表現者の性格が起こり健全な平等思想を体内に宿す感性が伺える。どこか奢った性質が深まって表現の粗雑性が現れ根源的な視点を欠いてお粗末な態度へ陥る事への不快感が発生する。動的フローの規則性が弱まり過去のストックへ過剰に執着して新設的な生産性の弱まりに嵌ることなどに健全な精神を欠いた実感が起こる。以上のような「知識」ということへの適度な見解を備えながら、フローとストックの適正を見出す態度に健全な生産性や人間性が起こり肥満な性質へ嵌ることなく健康な社会性を意図して利益を作る意識の持続に及んで、自己満足的な知識自慢という姿に陥る事への適度感が起こり、誠実な感性や態度を表す事に持続的生存と繁栄の軌道が生まれる。科学原理の蓋然性等の認識が弱いと安易な断定表現や詐欺まがいの生産へ走りフローの活動性が停滞して人間性を下落させる。
1-2生産性と根源性のビジョン
「知る」という言葉も単純な解釈では留まらず、「深さと幅」が生まれ一様にはない。社会現象と自然現象という対象の区分が取られ人々の活動や自然の成り立ちについて言葉で記述され、それを読み込んで知るという次元と読み込んだ観念を基に例えばある歴史の発生した現場に訪れ記録や痕跡を目視して書いてある事柄との検証をもって知るという次元と、これらの歴史からの教訓を引き出し自己の未来形成的な場面で応用に活用して知るという次元が起こる。つまり、読解的な吸収、検証的吸収、応用的活用の吸収というように、「知る」次元の深さへ違いが発生する。知る事柄の幅と言った場合は知る事柄についての深さよりも種類の多さを主に表す。例えば、リンゴという果物について、名称と実態との整合で知る事は検証的に吸収する事を指し名前を知る事を意味する。リンゴという果物の動的仕組みへの解明を意図して生物という観点をもって生成の過程を知る事や更には実際的に種を植え樹木を育て実になる過程を経験し作り上げる事をもって知るという次元が生まれる。更にはリンゴというカテゴリーから品種の分化へ及び、既成の品種にはない新たな品種を作り上げるなどの過程へ及ぶ。このように深さを追求すると幅への意識は弱まり、ある限定的な生産の立場を持ち対象との深い関わりを作れば他の対象を知る為のエネルギーは回らない。「知る→実証的に知る→活用する→生産的に再現をする→新たな知を得る」という段階的な次元の違いを生む。こうした構造の下に多様な欲望が起こり多様な人々の生産を分かち合い分業によって多彩な欲望と充足の協働関係が作られる。ある特定の専門家や実務者という性格が生まれ、深みのある知見を備える生産者と幅広く浅く知識を備え体験的な知見とは違った知識を有する生産者という姿が生まれる。一定の対象を限定し作り出す工程を経験すると物事の生産に共通する原理への認識が起こり何を作るにも共通的な要素と原理を知る事へ及ぶ。こうして、一定の共通的皮膚感覚が備えられ自己の一方向的な要望などに寄らない外界の認識の上に適当な相互性を見出す態度へ及び、常識感覚の基礎をもって健全人間関係が作られる。基礎的皮膚感が異なると違和感の強い要望や対価への適正なエネルギーが起こらず不快事象と現れる。何でも与えられ自己の身を投じて作る体験の程度の相違が基礎的な感性の下地に反映される。体験的な異なりから起こる常識感覚の違いが盗みや詐欺という悪性事象への解釈の差などへと及び感性の違いが発生する。「頭の次元で知る」という生産性と実際に「ゼロベースから物事を作り知る」という生産性の相違等からも常識や皮膚感覚の事なりに及び、エネルギー循環の不調和が生じる。以上は、概ね常識的な水準の「知識」という抽象概念の中身の問いと見解に思われます。更に事実や価値という概念などへの探求が図られ根源性を問う哲学的な観点が加えられて人間の基本動作の認識が作られる。詐欺という性質の強い人間はごく自然な生産性を備える人々からは明瞭に識別される。特異な規則性や業界などが生まれ歪な性質が鮮明に映し出される。識者というある特定の知見を備える人々の意見をもって物事の判断や方向付けを図る作業が生まれる。主催者の意図するビジョンによってどんな性格の識者を集めて欲望を遂げるかという作為が生まれる。明瞭な尺度を提示できる主催者かの程度により作られる物事に反映される。人間像や社会像、自然観、時代認識などを根にして特定の生産性とビジョンが起こり有効な方法が生み出される。