1)個人と集団の適正
人間心理の適正面に平等思想があげられる。欲求や要望を一方向的に表すことなく外界への効用が伴い自他との適当な相互性が生まれる。外界を評価して方法という要素が含まれて、有用な提案と実際へ及べば相互性が生み出され平等思想の反映された態度と実感される。表現者自体へのクレームがしばしば起こされるようでは外界への表現に適正が弱く自己改良のエネルギーが進んで内外の適正な相互性が生まれる。組織の一員として外界への良好な提案を示す活動が生まれる一方で身近な自己組織へのクレームへ耳を傾け改善意欲を投じて健全な相互性が生み出される。利害の遠い外界への評価や提案を行う容易性からそちらへばかりエネルギーを注いで身近な不快事象との対峙を避けるようでは感受性自体に疑問符が起こり生産者の適正への疑問や人間性に疑念が及ぶ。身近な人間関係の良好性を果たし外界への適当なエネルギーを生み内外の調和を見出す感性に健全性が実感される。個人志向が過度に進み集団の一員という意識が弱まり個人的利益へ重心が取られて組織への評価を気にかけないのではどこか社会性の在り方に適正を欠き、感受性や欲求の起こり方という根本性へ疑念が及ぶ。身近な面との真摯な対峙へ及ばず、利害の遠い所へ意識が注がれて一過的な良好性の提起をもって糧を得る態度に、どこか体や心の希薄化した頭脳的な作業の性格が映りバランスを欠いた人間性と映る。
感受性の適正を喪失した商売先行型の行為は長く続かず健全な精神性を基盤に適当な内外関係を図る態度に持続的なエネルギー循環が発生する。専門職化や分業の過度な進行は根本性を脆弱にし感性面より機能性へよった生産の傾向と現れる。自己の側を含めずに外界へばかり視線を注いで一方向性の評価感覚を強め外界から違和感が示される。外界からの評価へ対して反応が起こらず、外界へばかり評価する態度に相互性を欠いた平等思想の適当な運用と乖離する。これが酷くなると根本理念が形骸化し精神性の歪んだ偽善的な行為で糧を得る詐欺の心象が強まる。このような性質が寡占的需給構造から生じ、改良のないまま温存されると各種の負を生み悪性の影響が広がる。集団への関与が弱まる個人化が進行し同一看板を背負う同一意識が下がり、図体ばかりがやけに大きく中身の統制されない主体性にあっては個々人の暴走へ及び、制御能力の満たない集団が作られ健全な主体性を外した状態を齎せる。集団の適当な自己紹介を示し責任範囲を明瞭に謳い定期的な検証と改善の規則性が内蔵されて質実の良い主体性が持続する。ラインとなって組織に芯を作る組織管理力の適正から良好な生存と共存へ及ぶ調和が見出される。寡占や法に依存した事業活動に及ぶほどに外界との適当な対峙から外れて歪な精神性が作られる。責任意識の劣る恣意的な個々人による生産や表現が高まり各種問題事象が発生する。専門分化と統合の適正感覚を作るエネルギーが起こり、個人と集団の適正規模を求める事へ及び欲望と力と責任の均衡を基準尺度として集団や個人の健全な主体性像を作る事へ及ぶ。
2)個別と共通と根本の価値構成
このように個人と集団の関係を適当に整理して集団の性格を内外へ表す観念体系等が作り出される。或いは最低下限的な共通性の形成という発想から管理者への適当な管理の範囲を限定して制約を課す態度が生まれ能動的集団形成と消極的集団形成という志向性で大別される。言い換えると統合と分化という動的変容過程の周期性が起こり時々の諸条件的な変化への最良性を作り上げると共に変わらず生まれる根本的な原理の構造で適正が制御される。哲学的には動静原理ともいう抽象表現に及び、社会システムの大局からは経済と政治と文化という領域観が生まれ各領域の割合や相関の抱き方へ及んで思想の特徴が現れる。
専門分化と統合性が図られて、それに適する観念を適用して領域という集約で掴みだされる。外へ提供するエネルギーと対象との相関で主体性が掴みだされ、供給論理と需要の心象で適正感が起こる。領域概念と個別質感が繋がらないと顔の見えない主体性へ及んで権利と義務の相関に適正感が及ばず、意思疎通が乖離して調和が崩れる。適当な感覚的質感と領域を表す抽象概念との適当な相関へ及ばせて規模や質の適正を見出し分化と統合の適正を図り専門職と総合職、固有技術と管理技術の良好性へ連ねて有機体の健全な感受性と体と頭の繋がりが生まれる。看板ばかりがやけに大きく一貫した領域の感受性と機能の相関が弱まるとてんでバラバラな個々人による利益を求め統制の弱い無秩序化した行為が現れ外界を掻き乱し負の影響を強められる。健全な管理能力を超えた組織体が物理性への依存による粗雑な制御へ走る。目先の金を掴む意識が偏り理念もビジョンも喪失して、酷くなると犯罪へ着手し制御不能な病理的主体性に及ぶ。このような規模の拡大と専門分化による重層的な組織階層の多段性によって感性と機能の適当な制御への視点が注がれて個別と共通の適正へ及ばす根源性の原理が作られて変わらず残る健康や健全な性質を保つ事へ及ぶ。立案と実施と検証の持続的サイクルによって主体性の適正が制御される。立案の部分がやけに大きく、或いは立案作用が形骸化しお飾りの政治などへ及ぶと中身を作らない不要な存在が妙な精神性を宿して利己性の強い管理や支配欲ばかりを先行した態度を表す。実施への責任意識の劣る形式上の立案作用から各種の弊害が発生し、需要者への利益よりも供給者の存続を優先した局所的利益に傾き、広く大きな利益を作るエネルギーを喪失して利益を生まずに利益を奪う性格が強まる。知識自慢のような醜態へ及んで実質性の果実を生まない不健全な生産性と現れる。こうした悪性の流れを掴み、適度な管理力をもって個人と集団の適正を図る活動が求められる。流通機構の肥大化や悪性作用が進む事への修正が起こり社会システムという大局からの改善へ進む。マスコミや政治行政、教育分野、大手企業の病理性へ対して適当な感度をもって不要な生産性の拡大を抑制し筋肉質な感度や緊張の適正をもって、社会の良好な秩序を図る視点が強められる。健康な心理に根差して不動的な良質性への欲求が生き続けて、物理依存への制御が起こり適当な改善意欲が投じられ自己を律する健全な性質の存続が図られる。自覚症状の弱い長期周期で積み重なる慢性的な肥満が生じて根本性の劣化へ至る根の深い病理性を適正化する作用が生まれて持続的安定と成長の軌道が確保される。
3)憲法の実際的な捉え方
観念体系の一つに、人々の共通的な価値を表し国の性格を規定する「憲法」がある。私なりの感覚では、憲法という枠組みも自己制御する理念体系という要素と対外的な自己紹介という意味と実際的効力という面に照らして、複合的な側面を内蔵する事柄と捉えられる。自国の性格としてこうありたいという理念の要素と実際的な質感を得て実態が掴みだされる観念と感覚による実証の枠組みをもって位置付けられる。ただ言葉で謳うばかりでは事象の実感に及ばない。自己の主体性を観念的に示すと同時に実際的に作る工程が視野に入って理念と実現の軌道が生まれる。実際性という面から周辺諸国等の外部環境の実情が抑えられ、理念を遂げる上での感覚的質感に視野が及んで実効性への利益が算定される。実質的な利益に及ばない観念だけでは片手落ちとなり、理念のみならず現況と方法の性格を含めて憲法が生きた性格を持つ。自身の解釈のみでは独り善がりの自己主張に留まり外界から自国への態度がどのようにあるかを考慮の上に実際上の相関が現れる。「頭と体で実態」という公式が置かれ観念と感覚を繋げて適正化される。主体性は自己のみならず外界にある要素との相関で作られ人と人で人間が現れる。単独して自国が存在する事はなく他国からの認識や相関を含んで主体性像が作られる。どこか頭のみの解釈や理念のみを表す解釈や単独的主体性像に留まり憲法を捉えられているように感じる事が少なくない。自己の欲求を表す行為と実際的充足に及ぶ効用の面を含んで且つ表現行為自体の有効性を捉えて真相真価が測定される。つまり「観念と感覚を繋げて実感や実態」という根本原理の下に、1.表現行為自体への意味や効用を問い2.主体性という概念の適当な認識を問い3.1.2を抑え内容構成への問いを起こす面へ思慮が及んで健全な解釈や実態が生まれる。
4)本書の生産性
以上のような中長期的に見る社会現象の周期性の実感が起こり、これらの適正を作り上げるのに根本性や全体観への問いが生まれ文化や哲学という観点がクローズアップされる。変わらず持ち続けたい人間性や人間と自然と道具への問いと答えを探し、個人と集団や経済と政治の適正を作る原理と作用する。人間の基本動作への深みある考察を経て体と頭と心の適正な相関を鑑み、健康な人間性をもって各種創造性に連ねる良好な根源性を探し内外関係の適当な調和を見出し、自立と協働、生存と共存の持続的な安定と繁栄の生態系が形成される。以上のような焦点が本書の主要な関心と現れこれへの探求と提起を試みます。