原理と適用という枠組みをもって、直観的な動物性の反応に及ばない理性的な考えが示される。利己的動物反応は、皮膚感覚的な利害について、訴求する反応と現れ、余りに酷い理屈の見えない損害への怒りが生まれ、その反応が示される。考えるまでもない直観性の態度を指し、これは極めてまれな事態と思われます。生産的な反応は、長年作り上げられた生活の中から次第に構成される適正な因果の体系と現れ、原理原則という抽象概念になって構成される。これに基づき個別事象への評価感覚を起こして、一定の見解を申し述べる態度に、定見を備える成熟した理性が現れる。
抽象原理を示し個別事象の認識をとって、それへの局所的な評価や構造的広がりを思い浮かべさらには、人間の根源的性質面へと視野を及ばせて、大局観を持った感性へと連なる。このように、直観的な快不快反応と理性的枠組みを備えた分析が生まれ、生産性へ及ばせる態度が生まれる。
盗みや暴行、詐欺という単純生理的不快事象は直観的な理屈のない不快感が発生し、人間の根源的な性質に見る欠陥への自然反応と起こる。理屈ではなく皮膚感を指し、この違いへの調整は極めて難しい体質上や生理的な部分となる。慢性化された規則性や永年の時をかけ作られる性格に相当し、極めて特異な領域と万人的な常識との違いと現れる。ボンボンの特殊性や寡占構造における一方向的なエネルギー関係等から生まれる体質とも思われる。
多くの場合は、原理と適用の生産的な枠組みをもって、理性的な表現へ及ぶのが、人々の関係を指し、各人の歩みから良く考えに及ばせた枠組みを作り、それと個別事象の適用において実践的な応用的創造性へと連なる。この感性的交換に、様々な見方の違いや発見が示され、建設的な意味の相互的な学びを形成する事に知恵の交換が生まれる。前者の皮膚感覚的な違いは話ならず、躾レベルの相違は、真面な関係を作るには及ばない。構造的性質的な欠陥への深刻な感度をもって、社会的な問題とクローズアップして、極めて特異な性質への然るべき対処が図られて、マイナスの拡大を阻止する事へ連なる。このレベル事が少なくないのが現代社会の特徴となり、敏感とも思える根源的な不快感が生まれる。過敏というよりも、極めて通常的な感性とは異質の歪性による不快事象を指し、根の深い積み重ねられた特異性の悪性面が顕在化して、局所事象として実感へ及ぶ。ここがしばしばニュースとして切り取られ、ヒステリーのように映るものの、良く伺うと適正な反応と解される事も少なくなく、分母的常識感を欠いた根の深い病理を持つ性格に寄る一方向性の悪性を放ち現れる本能的な態度とも見受けられる。
これらが潜ることなく顕在化する事は、寧ろ健全性を指し、より問題なのは表に現れない事態を指し特殊性が特殊なまま温存され、悪性への周知や改善圧力が働かない場合を指す。構造的病理に覆われ、一帯が病んだ性格と及んで、出現させるべき問題を包み隠す組織的隠ぺい性に、闇の深い陰気性が作られる。こうした文化や性格を進行させる事なく、システム上の要路には、健全な自己の尺度を作り上げた性格を備えて、公明正大に事を運ぶ文化が生きて、悪性の歯止めが生まれる。根の痩せ細った自己の尺度を持たない組織人という歯車に及んでは、配置と役割の乖離を生み、アンバランスな配置上の問題と映る。
権力の圧力などで、歪な常識への適正な感度が生まれない事には、陰湿性の病理が進行し、部分性の利益へ偏した常識が固まる。特殊な宗教や思想、慣習などの影響が及んでクローズドな体質が生まれる事へ対して根の太い健康な感性をもって、内股気質の形成を改良する事に適正が起こる。権力の乱用か、評論の粗雑性か、いずれに相当するものか。原理と適用の構図に及ぶ事か、直観性の悪性であるか、この峻別を持ち、事象の認識へ及ばせて、事の真相や次元を掴み、適当な感度を当てて、対処する事へ及ぶ。根の深いクズを看過せず、構造的に切り込むことが場合によって必要なのでしょう。病理の自覚のない悪性は深刻な社会事象と周知させ、抜本的な変化に狭まれる。以上のように、事象の二つの性格の違いと、問題の取り扱い方の適正という見解へ及び、理性的な生産性が生まれる。生理的不快現象と、心理的な思慮を図って生まれる不快事象という質の違いが生まれる。