名詞と動詞の関係は、動詞が先立ち名が付く。これが体から頭の反応を指す。対象とのフラットな交わりをもって体験的に物事の認識が起こり、その積み重ねと集約の機会に名が付けられる。体と頭の適度なバランスによる観念と及んで、質実の実態的な皮膚感に至る言葉が生まれる。頭ばかりを先行する態度とは、フラットな交わりを避けて上から下へと指令する構造意識が強く働き、体よりも頭の作業へ割合を強く抱き、中身の弱い欲望過多の姿と映し出される。体の交わりとは、何も身体的交流ばかりを指す事はなく、発した言葉に何某かの効用を実感し、役に立ったという心象から、発信者との意識が繋がり、体の交流が作られる。外界への真摯な対峙から、有用な表現が起こり、「真にそうだ」という共感等から何某かの問題への解決的な作用へ及んで、言葉や論理自体に意義が生まれる。
良く考えが行き届いた創造事物の一種となり、観念という意味に留まらず体の交わりという効用を持つ表現と解される。こうした意味の名詞や論理が出現すれば、動的状態を経て生まれる質感に届き、人々への親しみやプラス型の心象へ連なるものの、過去の経過にこれが見られないで、唐突的に名前が出現すると、表現者の一方的な欲望過多の力んだ態度と映り、頭ごなしに強要する表現へ及んで、反発的な反応が外界から示される。
これらの根底には、心の問題が浮かべられ、外界への利益を作り出すという本能的な情感の性質に見る良否が測られ、自己の生存ばかりへ意識が向かう態度と、外界への生存への意識の割合に、適度感が弱いと、心の在り方へ疑問符が付き、自利に偏して外界を利用するというエネルギーを常態する性質への違和感が起こり、どこか健康な感性を喪失した欠陥的な人間性と見做される。体と頭は、生物物理的な要素と心理的な要素を反映して動きに至り、その動きの中で、人々への良好な心象がマイナス性よりも増せば、好感が生まれ、逆であると、不快が生まれる。
このように名詞と動詞の相関が生まれ、内実を測定してそれへの態度が未来の相関へ及んで、親密性の深まりか、疎遠な関係かへと至り、発信者と受信側との持続的な意識に及ぶか、意識から喪失するかの結果が予期される。
物理的力へ過度な依存の規則性が進行する程に、考えの深まりに及ばず、短絡的な手法で糧を得る生産性が進み、力を自己の利益の充足手法と見做して、外界へ提供するよりも外界から奪う為の道具として物理性が投じられる。永年の時を経て作られる発想や欲望の抱き方が無意識的に態度へ現れ、外界への強要的な要望を、ごく当たり前の感覚として強め、言葉などの表現となり伝わる。そこから予測される未来像は想像に難しくなく関係の図り方に反映される。
力依存型の規則性は、力の保有から構造を作り性質と現れる。力依存への強まりを適度に制御される健全な性質は、それを反映した構造を持ち、部分事象を作り出される。力任せで糧を得る急激な力の獲得へと慣れると一時の繁栄は得るものの、感性的な連なりは希薄化し、利用の道具という物理化が強まって人間の根源性を崩した生存と共存の世界へ及ぶ。こうして漸進的な作法による創造性を良いとする感性が培われ、生滅不可分性の感覚を根にした表現や生産が生まれる。理想的な概念の保有から現況の主流的な立場の状況への認識が起こり快不快の心象が作られ変化の手法や欲求へ連なる。どんな人間像に適正感を抱くかという理想図の備え方を起点にして創造が起こされる。体に浸透した理想図か、外界への要望的な理想図となるか、過程の作り方から頭と体と心の在り方が形成される。
組織化や体制面を作る事ばかりへ意識が向かい、管理的欲求を強めて後から中身を入れる生産性などに現れ、そもそもの理念やビジョンの弱い小手先の技術に走ると、その組織や体制は脆く弱い構造が生まれる。管理や支配自体が目的となり、作り上げる事柄や根本の感性の基盤が見られない物理依存型の創造と映し出される。内面は、敏感に外観へ察知され誤魔化しきれない。