1)法か人か

「法による統治」と言われるものの、歴史的関係から貸し借り等が生まれ、杓子定規に適用できないのが、実際的社会関係の動的側面に現れる。多くの人々の立場は個別当事者性を持ち、相互の快不快や喜怒哀楽をもって関係が作られる。そして社会的影響力が増すごとに、一般尺度となる法律で規定されたことへと視線が及んで多くの利害関係者との調整尺度に用いられる。このような秩序形成の実像が抑えられて、個別性と共通性の概念が起こり、人工的画一性の法律と個別当事者の関係とに一定の区分けが生まれる。「あの人の言うことだから、従います」といった個々の自由な選択が許され、個別心象的な積み重ねから、判断への重みが人的な要素に配され、同じことでも言う人の違いによって判断が分かれる事が少なくない。ギブアンドテークやエネルギー循環の原理や因果応報という相互性から生まれる限定的個別の実感が根っこと現れる。人によっては「あの人からならば、もっと制約を与えてほしい」という個別心象が生まれ感情を根に起こる自然現象が発生する。人か法かでいえば人が先行される実際的な場面が生まれる。第三者的な立場と当事者性の強い立場との何れの判断を重んじるかの観点で言い換えられ利害関係の深い立場の意思が優先される。広く対象を想定すると一般尺度をもって公平に適用する公性に開かれた未来型の公平性が生まれ、相対的な個別限定性に絞り込むと歴史の感性が重んじられ法という一般尺度よりも人への心象で物事が作られる。歴史という個別具体的な関係の実感と理論という一般抽象性の尺度の違いが現れ感覚や感受性の実感と頭脳的な実感の性格の違いが生まれる。経済と政治の関係とも類似し、経済取引に個別当事者性が起こり、政治という面に制度や構造面の規定が現れる。即ち、エネルギー循環の原理を根に対象との相互性にベースが生まれ、個別具体的な多様な観点の実態を見据えた判断に動的連なりを反映した意思が生まれる。そして、必要に応じて一般側が作られ、それを用いる事も出来るという配置に法や理論、政治が生まれる。更に、政治体の意思を外側に向けて放つ場合は、個別具体的な相関による歴史をもって自然な意思が作られ、政治的集合体として共通尺度を必要に応じて作られ個別をベースに必要ならば一般側が用いられる。当事者相互性の間で問題が発生した場合に一つの解決手段として一般側が用いられる。頭ばかりが先行するとこの一般側ばかりへ意識が向かい個別現場的に作られる感覚や感受性が軽視され、どこか違和感の強い一方向性のエゴを通す手段として法が利用される。人々の肌感覚で作られる常識を土台に生きた実際の感性と交流に及ばせる態度が自然であり人口性の型枠は抽象集約の単純模型であることが確認され適切な秩序を構成するあり方が生まれる。あまりにも常識が狂っていると見られれば一般側を用いざるを得ず人的個別の態度から適正を探す事へなる。弁護士が妙な法的技術に偏して当事者の関係を掻き乱す事が少なくない。客の為よりも弁護士の利益を意図して法を根拠に利益を煽って当事者の歴史を破綻させる事も散見される。クズな政治家、弁護士、マスコミという特徴が、こうした点から浮かび上げられる。それに乗っかるクズという点も併せて視野に入り、人間性の実態が明瞭化される。