価値の序列感覚や体系の適正

英語が国際社会の公用語と使用される。しかし、文化や哲学の所見が整わないで商売の原理に留まると中身のない英語によって文化的な要素が含まれず、短期利益に偏した一過性の性格が進む。根や背骨のない枝葉の性格が作られ優先順位を取り違える。通訳を使えばよいだけで、自己の中核的価値の源泉に重心を持って外形を装飾する事において健全な秩序の交流が図られる。この序列感覚がどこか可笑しく編成され、一言目には英語という辺りに精神の歪んだ性質が実感される。三流ビジネスマンならまだしも、政治や教育界にこの手の常識が進行する事にあっては、頓珍漢な感性が際立ち、教育の誤りと指摘される。こうした点から根本的価値の適正化を図りごく自然な常識へ修復し価値の適正化が進んで根の良質性へ及ぶ。たぶんこうした論理に大半の賢明な大人の常識が生まれる事でしょう。一部の特異性が妙な論理を強調し根の崩れた常識を顕在化される。広く公のスペースで価値の序列への適正を問えば、あまりに薄らバカな態度の自覚へ及ぶものと思われます。閉鎖空間で特殊性を推し進め歪な欲求を押し通す内向な性質を覗かせ妙な正当性をもって歪んだ利己性を求める様子と映し出される。地に着く生産者の感性とは離れ精神的な成熟に及ばない子供の姿と実感される。外国の文化を先んじ自国の感性が育たないまま商売オンリーの発想へ偏り、自律的な尺度を形成されず日本の良質な性格への認識を備えないと恥を晒す悪性と見做され中長期的利益の損失が起こされる。何が先んじるかの序列感覚に適正を欠き人間の根本性を破綻させる。

健全な生産者から見ると、文化を先んじない性質はかなり特殊で異質性を指し、これが主流を作るようでは従属的な受動性が進行するばかりになり物理感覚で支配された欠陥的な軌道が強まり損害事象が遠からず発生する。単細胞化による弊害が強調されて妙な常識へ及ばせない賢明なインフラ作用が重要であると考えます。他文化の悪性を悪性と識別するだけの基準尺度が整わず負の浸食がすすみ根の劣化が散見される。バカが得意になって英語を話す態度は醜態と映し出される。

 

1)過去・現在・未来と適正な動態観

過去の歴史を丁寧に追いながら記憶と入力し、時の分断性を作らぬような作為をもって、人々との違和感の生じない過去と未来への行為が進む。しかし、ただ、個々の記述をそのまま掴むだけでは、進歩や発展的なエネルギーの弱い姿と映り、適当な理想像を形成しながら、それへの阻害要因と伸長要因を見定めて、現況を掴み方法を投じる循環において建設的な物事の生産性が強められる。こうした基本的な歴史観が起こり「理念とビジョンと現況と方法」という活動の概念図が形成され根本的な欲求と充足を実際的に経ながら反省と学びの周期をもって生きた知見が積み重なり理想像へ反映される大きな枠組みが描き出される。過去へばかり軸足を設けずに未来創造型の前進基調に人間の生産性を向上させる焦点が強められ、エネルギーの発生と返還の規則性を形成する事に動的良質性を有する健全な性質が宿り、ストックとフローの適正が生まれる。過去の知識も、新たな経験から有用な発見が起こされ更新されて、健康な感受性に基づく人々の活動過程が生まれる。対象から様々な感性を抱き心と体と頭の有機的な運動と現れる状態に価値が生まれる。何も感じず、何も動かず閉鎖的な守りの構えからは人間性が錆びつくばかりに至り生命への尊い質感をもって生かすようなエネルギーへ転じて健康な精神と肉体が映し出される。静的感覚よりも動的な観点が強まり過去よりも未来を向いてエネルギーを投じる活動性から各種正負の知見が作られ生きた財産が積み重ねられる。歴史と理論と実践と改良の規則性と纏められ視線の向け方や軸足のもうけ方の適正感覚を作り健康な人間性が生まれる。頭ばかりの作業性へ偏り対象からの感性が弱まって方法的なエネルギーが起こらないと生きた知見が得られず失敗も成功も有用な無形の財産と見做される。頭ばかりがでかくなり妙な精神性を宿した状態から不健康なエネルギーを発生しプラスの感性から外れた負を作る欲望過多の性質が顕著に表れる。抜け道や小手先、なりすましという詐欺や盗みの常用的な体質へ及んで、一過性の喜びへ向かう小さな人間性で固まり根の細い歪な体系が作られる。以上のような動態観が標準と描き出され横道に外れず歪んだ性質に陥らず健全性の持続へ及ぶものと思われます。理論やビジョンを創造して仮説を描き試す周期性に基軸や重心が定められる。ボンちゃんは、とっとと金を払え。見苦しい。

思想の形成

以前は「核兵器をもって独立的な意思が作られる」という認識が少なからず生まれましたが、現況のデータも十分にないまま、とてもではなく確信的な判断などに及ぶ事はない。この観点から永年従事されてきた人々の専門性にある程度お任せするのが、一般的な生産者の適当な立ち振る舞いを指し、しかし、実務者がどのようなデータと将来予測を起こし現在の姿へ及ぶか或いは未来の態度を作るのかについては恐らく多くの人は深い利害関係にあり知りたいという願望が生まれても自然なのでしょう。知りたければ実務者やその周辺へ足を運んで真相に近い情報を得る行為が生まれる。そこまで到底余裕はなく自己の生活を切り盛りする事で手一杯というのが大半にも思われ現実は遠くから実務者の賢明な判断に委ねる事や祈る他ないというのが実際にも思われます。個々人の立場でそれなりに思いを馳せ、「こうしたら」という発想も起こるものの片手間で適当な判断など作る事には及ばず少し余裕が生まれれば真相に近い所へ足を運んで確信に近づく情報を聞くくらいか実務者の立場へ身を投じて全エネルギーの投下によって最良の判断を作る立場へと近づく。大衆の立場で「良くそんな事を断言できますね」という表現が少なくなく、「根拠は?」と尋ねるまでもなく気まぐれの範疇と察しが付く。普通に考えるとこんな感じ方に適正が起こるように思います。本書は思想の形成という生産性を主にし理想概念の適正へ探求が進められます。純粋性の論理を作る立場になり現況認識とは離れた真空的な概念の性格で現れます。しかし、こうした志向性を作り伝達する行為からの効用もいくらかあるものと感じます。現実世界の人々への意識へ少なからず進んで向かうべきビジョンの性格に含まれて方法的な色合いに及び現況の良質化へと作用する因果の形成も自然な実感と考えます。

 

1)自然と人間

家庭菜園等からも身近に植物との関わりが生まれ、自然の成長と触れ合いにより多くの生きた知見が得られる。自己の健康上の良い時に抱く美観は、枝葉の生い茂る樹木の樹形よりも、間引きがされて程よく枝葉の剪定が取られ、風通しの良い状態と実や花が咲く姿に心地の良い外形美が映し出される。自己の心理や生物的状態を映す事になり、単純な外観に留まらず生物の動的状態にまで感性が進んで動的快適を感じ取り、深みある美を抱く事へ及ぶ。其々のパーツが生き生きとそれぞれの特徴を見出すには、無秩序的に生い茂る状態よりも人が程よく手を加え基幹部分と枝葉や実に見る適当な割合感覚が図られて、且つ、実が大きく美しく咲く作為が生まれる。つまり大きな全体観とアウトプットに見る関心のポイントが置かれ、実へ栄養が行くように無駄な枝葉を落として意図する結果を作り上げる事になる。限られた栄養の中で如何に最良性を見出すかという合理性が働き全体的な因果の相関を察知して適当な施策を投じる事へ及ぶ。更に欲が出ると植物間の相関へと視線が伸び、椿の木と隣のバラに見る最良性へ考えが回る。どちらの方が、奇麗か、両方を奇麗に映すための適度な構図を探し全体図面が拡大し中心の焦点が変容した全体観へとシフトする。このように単体植物に見る全体図から根と幹と枝葉と実の相関を浮かべ、さらに隣接する因果の実感へ伸びて構図が変わり中心の焦点へも反映される。自身の健康状態から物事の実感の変容が生まれ見る側と見られる側の相関が所与の条件と備わり、人間の側に物事の起点が生まれる。不健康や肥満症へ陥ると繊細な感性は下落して一過性の効用に限定した美観に留まり深く広い因果の実感や多様な観点を起こす余裕も現れず、ただ量的なボリュームを意図した単純性の強い構図で留まる事かもしれません。暖かい気候が人間の活動性を活発化し、外へエネルギーを放ちより良いエネルギー循環を齎せる。冬から春にかけて次第に体の血行が良くなりエネルギーの動的活動性が進む。夏にかけて植物の盛んに生い茂る状態への予測が起こり、それに備えて枝葉の剪定をもって準備が整い夏場の姿に現れる。善し悪しは、種を植える時期や樹形を揃える時期にありこの適正によって成果の7割から8割が決まる。下準備や段取りの良さが結果のよさへ連なる枠組みが広がり因果の間接性の概念が作られる。短期から中長期という時間と空間的広がりの周期性を予測して制御性を生み知と実際の検証から学びが重なる。「自然の摂理」等と人は言う。社会の原理へ学び吸収され体に浸透し調和性の高い世界に快適を見る美観が生まれ自然と人工的作為と人間の美観のハーモニーが奏でられる。美を感じ作る持続的生態系へ及んで波長や基調に見る快適が生まれ構造と動態の適正感が作られる。春は、衣替えの時期になる。決算を迎え総括し来季への方針を固める時を指す。この善し悪しで一年の活動が見える。正負を特定し正は伸ばし負は切り取る判断が求められる。変わらぬ美観と中期や短期の美観の構造をもって生滅不可分の良質性への判断が投じられる。人間世界の生きたアートが出現する。

 

健全性思想

7)健全性ビジョンと再生産体系

感受性を強要するような事は基本的に可笑しく喜怒哀楽が生じるのは、エネルギー循環の適正感覚を元に過不足へ対して個別当事者間で発生する。例えば、饅頭をあげて、その代わりミカンを返す等という事物と交換における適正感覚が元になり、「嬉しい、悲しい、普通」という心象が生まれ人へ対する好印象や悪印象が形成される。この交換と適正感覚の共通性と個別性が生じ、様々な交流と交換の繰り返しから次第に適正感覚が起こり、「普通や正常」という基準が生まれる。価値の序列としては、生存への欲求が最上位に配され、生命の危機に対して助けられた等の事象に最も重みある交換反応が起こる。こうした稀な事象から定常的な再生産の協働関係におけるエネルギー投入と成果の産出と分配の適正といった交換へ及び蓄積が溜まるほどにエネルギーの発生が減りリターンが減少する傾向に、健全性のポイントが生まれる。生活水準の下落への苦痛からエネルギー投入に対する過剰なリターンを求める反応へ流れて、要望過多の性格へ陥り、外界との適正な交換感覚が崩れ外界からの悪印象が積み重なる。公平な感覚が崩れ真っ当な利益を作る力を投じず、安易な手法による糧の入手や歪んだ精神性による不正な行為へ着手し健全性の下落するスパイラルが生まれる。感受性の起こり方が変質しエネルギー循環の適正を崩し、万人的な制約への制御も効かず犯罪を発生させる。盗みや詐欺の性格が強まる糧の入手へ走り慢性的な性質の劣化へ及んで、何某かの失敗が明るみになって抜本的な性質の変化への機会を経て正常化への周期へ回る。生理的仕組みによる感覚的な欲求をベースに、人との関係上における交換と適正のエネルギー循環での感受性が発生する変わりづらい人間の仕組みが浮かび上がる。このような法則性が抑えられて、どんな欲望を意図するのか、何に喜びを抱くのか等へ立ち返り、あるべき人間性への問いとビジョンが作られ標準像と制御を図る発想が進む。こうして「欲望と力と責任の均衡」という尺度に健康な精神と肉体を測定する基準が生まれ自然や人や道具との相互依存関係の適当さを発想し、過度な一方向性の要望を強める事のない適当な調和感覚へと思索が進み肥満症からの脅威の回避と予防へ連ね、適当な恩恵を受けられる健康な主体性を作るに至る。影響力や規模が拡大し利害関係が広がり多様な調整や対処を求める外界からの反応が増加する。適当な要望と対応をもって管理能力が備わり主体性の生産性への理解や許容に及び存在が持続する。集団としての主体性の意思と構成員の感受性とがあまりに乖離すると外界からの期待と対応の齟齬を生み感受性と体と頭の連なりの弱い集団への心象が強まって社会的な問題事象の認識が高まり、規制の強化や自己改革などの契機に及び適当な主体性を作り直す機会を持つ。自然への過剰な要望や社会への適正の欠如、道具への過剰な依存への認識を機に、健康な主体性像への欲求が生まれて、幸福感を抱く変わりづらい人間の性質が浮かべられる。根源的な人間の良質性の認識が取られ感覚と感受性の適正を見出す制御を生む。局所事象と集積から構造的な面が浮かび上がり、性質的な欲求と充足が現れ部分と全体と根源という観点から主体性の適正を掴み作る事に及ぶ。因果の連なりをどの程度広げて全体という範囲を想定するかに領域観が起こり領域の適正を探す事になる。余りにも広く大きな領域を思うように制御する事は容易ではなく管理可能な適正サイズへの視点が起こり領域と掴める範囲が生まれる。作り出す影響と効用へ対する外からの態度がこれらを考える契機になり、怒りの表現や喜びの態度を適時実感しながら、自己と外界の関係を掴み主体性の制御へ及ぶ。市場的な自由選択の構造と規制的な需給構造や寡占的な構造という構造自体の性格も起こり常温的な性質の形成や認識も違いが生まれる。こうした面から経済や政治の範囲への適正へと視線が及んで二次的思想の形成へ反映する。或いは、国家間関係や地域間の秩序を作る観点に備えられ歴史の連なりと未来の方途を求める事へ及ぶ。健全な主体性像という世界観が描かれ現況への感度が起こり基準とのずれの認識へ及んで改善の方法を回す持続的な周期性をもって再生産の適正が作られる。内部の適正が崩れると外部へ粗雑な反応が現れる。内外を繋ぐ適正な生産と評価と分配の仕組みが求められる。

8)共産主義の問題面と普遍的原理の形成による思想の良質化

健全性概念を普遍的な原理と持って、人間の根源的性格に組み込み、その上で個別性と共通性の在り方を時々の諸条件に照らして最良性を導くという思想の二段構造において、良好な社会の自律と共存の仕組みへ及ぶ。つまり、労使関係から起こる人間性の阻害事象への問題が、古くから変わらぬ社会現象の中心課題とされ、その解決に私有財産を排して計画経済性を高め、平等の理想郷とする共産主義思想が形成されたものの、人間の健全なエネルギー循環の原理を欠いた仕組みには、持続的な精神と肉体の健康へは至らず、人々の強い支持には及ばず、本書で示すような健全性概念を根源的な普遍則として固める事に人間基盤の適正が図られる。人々の自然に起こる成長願望を求める行為に自由主義という要素を持ちつつ、欲望の質量に応じて適当な責任感覚が求められて、両面の均衡ある状態に人間の健全性が生まれる。現代的な人々の皮膚感としてごく自然な発想と映し出される。使用者と労働者の固定化による弊害や、力の蓄積からの肥満化に対して、動的エネルギーの発生に応じた返還の原理をもって、人間の創造力への価値が先んじ、物理性や権力を二次的に配して、目的と方法の序列を起こす事において、良好なエネルギー循環の促進が果たされる。こうした人や自然との相関に、良好な感受性が発生し、持続的に利益を作り出す改善の志向性が生み出される。自己ばかりの利益へ関心が注がれるほどに、外界や他者への理解やニーズを伺う意識が弱まり、利他を実現する力が喪失して、それを反映したエネルギーの返還へ及んで自然な感性の適正へ及ぶ。

望む願望に照らして力と責任の相応しい均衡的状態をもって健全性が起こり、各人の欲求の起こし方への個別的自由な裁量が置かれて、適当な均衡の制御性をもって、各人の自由が生まれる。大きく望めば大きく責任も課せられる相関に至って、健全な感性を備える心理面の良質性が図られる。

物理性へ従属的な意識が強まるほどに、創造力の善し悪しよりも、物理力に偏した制御性へ向かい、外界への粗雑な反応が強められ、心理的な負の増進へ及んで、肥満な性質への反発が強められ、或いは良好な他者を自由に選べる環境を整備しつつ、悪性との関係を断絶させる自然反応から健全な力が前面に現れ、有機体の適正な新陳代謝が生み出される。この良質性への循環軌道が強まる基盤則が強まり、その上に個々の志向性が起こされ、個別性と共通面の割合を起こして、適正な違いと共通的基盤が形成される。クズはクズであり、これが適正な感性になり、クズに関わらず健全な性質との関わりが深められる自然律が促進されて健全な社会秩序が加速する。クズとの関わりは、実害が想定される範囲の関与を持ち、必要最小の関わりが生まれる。地球という同一基盤上からの因果と影響への思慮を持ち必要な施策が投じられる。人間の健全な成長の変容に照らして関わりの程度に反映される。消極的な関わりのスタンスか、能動的に働きかけるべきか、多様な想定が生まれる。

誰もが良い方向性を持ち、頑張れば必ず報われる社会にあって、エネルギーの健全な循環へ及ぶ。下限的制約を設け、そして前進的創造の良質な基盤を整え、堂々と力を投じて力が返還される思想と実態の整合が図られ、持続可能な生存と繁栄の世界が生まれる。良質を前面に出現させるには、クズにはクズの対処を進める事が必須とされる。

 

 

 

 

調和の図式-森の文化

車には、アクセルとブレーキとハンドルが付いている。これに道路があり、車の流れに沿って走る事に快適性が生まれる。制限速度50キロという標識があっても、70キロで皆が走れる状態と認識して70キロで走っていれば、それが標準を指し、自然形成的な心地よさが生まれる。妙に、看板の速度に拘って走るものが要ると、不快が起こる。自然状態に動の適正があり動に即して動を起こす感性に調和感覚が作られる。

頭が凝り固まって、体の感覚が弱まると、自然形成的な調和を見出せず、妙な所でブレーキを踏み、妙な所で急発進する。ハンドルもふらふらして、真面な運転とは見做されない。頭でばかり運転の方法を入力して、実地が出来ずに落第する。これと映る事象が少なくなく、体による確信性を掴むことにおいて確かな基準が体に浸透し、迷いの少ない運転が図られる。言葉や論理、振る舞いにも反映され、びくびくした態度は明瞭に外界へ、自信のなさを表される。

これが、一部の歪みの激しいマスコミや政治家、財界人の姿を指し、体から芯を作らず、金や物理力に過度な依存を見せ、現場での確かな信頼を形成する道筋を外した肩輪の体質と現れる。物事を執り行う適当な発想や手順が思い浮かばず、力んだ力で物事を動かす習性が生まれ、マニュアルがないと何も作れず、言われたままで、自己の標準を持たずに、善し悪しの判断も生まれず、ただ歯車の一部と作用する。根本の基盤がない事から、応用が利かず、諸条件的な変化に適当な反応が及ばず、ぎこちない無駄な動きが多発して、自然調和を掻き乱す。

こうした事態に寄らない為の、人間ビジョンと形成過程への探求が深められ、根元の良質性と強い幹を形成する事に、力点が合わされる。基礎基盤が脆く、無駄な枝葉ばかりを茂らせ、不格好な体系に及んで、妙な花を咲かせる。これに及んでは、周囲の美観を掻き乱し、変な生物の連鎖を起こし、生態系の根本的な性質を悪化させる。

文化の下地の良質性が、物事の源流に配され、長きに渡る調和の規則性を作り上げる。出来損ないの生物が、森林の中心に育つと、その色合いに染まった環境が生み出される。健全な根と幹は壊すことなく、人間の基礎と生き続け、良好な生存と共存の波長が流れる。

ボンボンの力んだ姿を煽り、そこからの果実を得ようとする虫けらが現れ、責任意識の弱い利己性に偏り、自己のみの富を意図して、環境の劣化を招かれる。表面に現れず、裏でこそこそ糸を引き、良い所ばかりを吸収して、失敗へは関与せずという集りの性質が根本的な害虫を指し、生物の本質を崩壊させる。

テレビドラマで描かれるような善悪像に寄らず、物事の真相を的確に掴み、悪性と良性の識別を図れる見識が求められ、この能力が根と幹に築かれて、軸の定まる健全性が起こり、長きに渡る自然な調和を齎せる。内面と外面の連なりをよく吟味し、壊れた性格を適当な配置に取り、真に良質な力を構図の中心に取れるかによって未来の適正が訪れる。

生物の成長や成熟段階が発生し、身の丈に合った振る舞いを作る事が内面と外面の整合にあり、妙な欲求過多によると、過剰な美観や力んだ態度を表し、内外が乖離する。失敗への過度な回避性や手先の誤魔化し技術などは、歪な性質を指し、自然な感性を表出させ、実地の学びを積み重ね、真摯な対峙を執り行う成長の過程から、真に良好な感性や能力が作られる。内外の一致、言行の一致という、文化原則が反映され、動に即した動を見せ、大樹へ向けた道筋が生まれる。これを起こす根の良質さが、富の源泉とされる。

頭ばかりが妙に発達して、足腰が貧弱でポキンと折れる生物を作り上げては、指導者の能力や感性に問題があり、配置の不適格を指す。マネジメントの良質性が、生物の基調を生み、主導者の力量が試される。

妙な評論ばかりで外界を掻き乱し、安直に糧を得る根の細い人間性が少なくなく、現代的な正負の適正な認識をもって、表面の真価を掴みだし峻別する力が求められる。詐欺や盗み症は害虫を指し森林の根本的な破壊を齎せる。欲ばかりが先行して抜け道ばかりを発想する性質は、端っこにおいて、悪性の連鎖を予防する手立てが欠かせない。害虫予備軍を育てる事無く早期発見と対処が望ましい。定番と変わり者と季節ものといった健全な識別において、真なる調和の図式が描かれる。

妙に、小ずるい性質は、正より負を作る。日本文化とは相いれない。

サイバー犯罪への見解

当事者として自己の主体性を明確に表し、外界への明確な認識に置かれないものは、リスクとリターンの原則に現れず、人間形成の根本的な型枠から外れる。一方的にサイバー犯罪で他人の論文を盗み見る事や、活用する事や、その他のプライバシーにかかわる事を監視する等の態度は人間性が破綻しており犯罪者としか映らない。監視という行為に留まらず、その情報を観測者の有利な方法に用いる事が含まれ、ここに盗みや悪性が入り込み、当事者の意思の確認のない監視行為は、盗みの性格が強く生じる。

自己の明瞭な主体性を見せ相手方の意思を確認し、相互の認識が起こって主体性の適正が生まれる。わけのわからない一方向的な意思で犯罪に着手したものは根本的な欠陥を持ち、真面な感性やエネルギーを投じられる相手にはない。躾レベルの根源的不動性の作法を外した犯罪者以外にはなくその行為の正当な理由を明確に表すことなしにはクズとしか映らない。動機への着目や配慮も多少は慮る事もやぶさかではないが、その行為から起こった損害が問題になり、所与的な主体性の明示と相互の意思を確認する行為を省いては人間の体をなさない。何とでも言い訳をして正当化を図れる次元にはなく、明瞭な主体性を表し、相互の意思の交流が不可欠な工程に配される。一方的な思い込みなどで、どんな動機にあろうが必須の工程を省いた行為は、肥満の性格が濃厚に映し出される。根源性の欠陥を指し必須過程を省いた者とは歴史の共感などには到底及ばない。所与的な筋道を外す行為はプラスよりもマイナスが多く不快感の方が強く起こる。私からするとこの手の性質はゴミ扱いとする。

明瞭なけじめのつけられない逃げ回る性格には基礎に立ち返り、身の程を自覚して迷惑への賠償を持ってから真面な修復の兆しが起こる。坊ちゃんや肥満症の感性は分母的な社会常識とは大分異質のように伺える。この周辺で集る面々も同質性へ及び、構造的な利害関係上の悪性を孕んでいるように推察される。堂々と基準を起こし気持ちの良い良否の反映を執り行うべき社会的影響力を有する配置にあっては尚更のことに健全な過程が求められる。権利の大きさに対して性格上の甘えという行為と見做され、欲望と力と責任の適正を欠く適格性に瑕疵がある配置を示し、欲望過多の責任不足というマイナス的なアンバランスと感じられる。基礎的躾の悪い感性は、大きな利益を作るに至る信用形成は遂げられず、身の程に合う仕事に改め適正な主体性を作る事に健全な態度が映し出される。どんな因果で盗み症に及んだか、未知なることでありその範囲は触れる範疇になく生じた不快への賠償を淡々と求めるのみだ。これを逃げ回る性質と健全な交流に及ぶ事はない。クズはクズでありプラスのエネルギーよりもマイナスが強まる。明瞭に身の下を明かして交流を図らない態度にはまともな水準の建設的力は生まれない。クズと関わるとプラスよりマイナスの気分が強まる。これと積極的な生産には至らない。

 

2)社会の自然律

幸福感や世界観を形成するアプローチとして以下のような思索の筋道が起こる。不快性の事象が発してすぐに司法という第三者に依存した解決へ走る傾向にあるのが、今日的な人間性と映し出される。言葉と行為の解釈の違いから、相互の共通性と離れて意思疎通の齟齬へ及んで、対立的な感情を発生させ、当事者による和解へのエネルギーを投じずに第三者を介入させて争う行為が多発する。欲望の過剰性と敏感な反応が先鋭化して少しの違いへ我慢が出来ず法による争いへ発展する。抽象的に単純化した原理に基づいて事象との適用を図り、その枠内での最適解をもって正誤を判定するプロセスへ向かう。関係の希薄性と即効的欲求が強まって人々の距離が遠くなり、融和や共存性よりも自己生存性の本能を剝き出して対立的且つ淡白な反応が発生する。物理的な道具や生活習慣により作られる体質と見られ、多様な観点や因果を掴むことなしに、短変数化した感覚が進んで、感受性の起こり方に現れる。経済環境や需給構造の偏った力関係等も起因して、目先の利害へ偏し、人間性の根本的な性質を崩しながら、外界へ対して妙な倫理や道徳的表現を作り糧を得る内外の不整合性を露にする。人間性の破綻的な姿が顕在化し、劣化の著しい事への認識へ及ばず、外界への評価感覚を高める姿に、適当な客観性を起こして人間側を映し出し健全性へ働かせる発想が生まれる。空の文化を頭で吸収し体に浸透せず頭と体の分断的症状に形骸的な有機体の歪性が鮮明化し、感受性や欲望面が過剰に進んだ人間性の下落と映し出される。外界への利益を作るエネルギーが減少して自利へ偏した歪な欲求と充足の態度が生まれ、滑稽な言葉を多用する姿に醜態が映し出される。偽善や詐欺という性格の行為への自覚が弱まり、特殊な自己認識を宿して平等思想と離れた人間性を作り、エネルギー需給の適正を欠いた要望を強められる。こうした事象は社会へ対して負の性格や影響を与えられる。プラスを作る生産者とは見做されない。自己の適正な認識をもって適当な配置へ回り欲望と力と責任の均衡感覚をもって健全性が生まれる。いずれかに、特異な欲望が強く歪な事象と出現するか、相互的に歪んだ原因を持つ事か、多くの人から適当な因果の感度を当てて自然な認識が形成され、それに基づく態度が投じられ法律を超えた自然律が促進される。歪んだ精神性から妙な小手先の技術を悪用して、その場を免れても体質は変えることが出来ず、時をかけて真相真価が掴みだされる。見る人が見れば、誤魔化しはすぐばれる。

文化の生産性

1)文化・文明ビジョン

個別事象の形成と集計によってある特定の領域感覚が生じる。個別事象の主要な性格をどんな点に抱くかに観測者の関心が現れる。例えば「食生活」という観点を持ち「人間について食とは?」という根本的な見解が作られ有るべき理想像が形成される。個別の食体験を経験し理想と現況の違いなどを窺い知る感度が起こる。そこに建設的な批判の態度が生じより良くしたいという思いから改善の思索が深まり方法的な提案へと連なる。あるべき像が如何様に形成されるか。個別体験の積み重ねから正負の感覚を抱き次第に定見となる考えが固まって基準的な観念が生み出される。食という直接的な場面では食材と人間の生物物理的相関や作り手と受け手の心理的相関などを主要な因果の範囲に抱かれ正負の心象が生まれる。更にその工程の前後が整理され食が用意されるまでの上流工程と食べて何某かの活動へのパワーが起こり食と活動の下流工程へと思索が伸びる。因果の深まりや広がりを抱きながら食という場面を構図の中心にとり前後左右の相関を描き自己の理想図を表す事へ及ぶ。無限的な性格を持つ対象にどんな観点を形成して感覚や心理の体験を観念と実感するか、観測者や実務者の感性が示される。こうした末に「これが良い」という基準や標準が生まれ自己の利益感が形成されて他者へも進めたいという心理が発生し「こうするとこういう利益や効用が得られるよ。それにはこうした費用が要るよ。」という論理が起こる。各種各様の個々人が何某かへの利益を感じ体験を提供するか、協働的に味わうなど個別性や共通的な価値が生まれて自立と協働の共生へ及び社会生活の向上へ連なる。こうした文脈がプラス創造型の利益を作る基調を表し経験から新たな正負の気づきが起こって基準や標準が改訂されて理想像が変化する。質の形成と量の展開を持ち質の改善や改良、改革という変化の程度を持ち厚みある知見が形成され専門家という特殊領域が生まれる。感覚的質感の強い特定的生産性から対象範囲の広がりある抽象性の観念が生まれて経済とは、政治とは、教育とは、社会とは、人間とは、自然とは等々の領域感覚が作られる。対象に何を関心の中心にとり背景にはどんな事柄の相関を抱くか構図が作られ体系化される。言葉から概念、法則性、理論体系、ビジョン、世界観等という観念像が生まれ感覚的質感の直接間接の相関図と及ばせて纏まりある事象を掴む観点が作られる。要素と要素関係、因果の実感、一過性から反復性というようにある事柄の利益を感じ持続的な充足へ及ばせる再生産の方式へ探求が進み持続的利益を得る創造性へ及ぶ。エネルギーの相互的な作用によって自己と外界の持続性へ連なる。奪う事や盗み、採取という一過性から相互生産性に安定した利益を作る道筋が起こる。畏敬の念という生命への重さを抱き生存へのエネルギーが生じて自他のより良い生命の存続へ向けて熱を投じ利益と利益を掴む生産事物や生態系が生まれる。科学技術への知見が重なり或いは人間側の感性の成熟性が生まれ正負の体験を抱きながら真に正しいという利益概念へ及ぶ。確たる見解が生まれ人々を魅了し強いエネルギー源へ至り特定領域や人間世界を牽引する。文化、文明へのビジョンと描き出される。本書によって正しい人間が作られる。

2)健全な相互協働活動

こうした見解の成熟性によって生産者の程度が測定される。個別特定の立ち位置をもって領域観とその内外の相関図を表し、利害関係者への利益を提起して「何をやるのか、その効果は、必要なコストは」という点が整理される。外界の能力不足ばかりを指摘し自己の生産性の体系が不十分であると外界への過度な依存症と見做され費用ばかりを求め効果の弱い生産性や物理依存の搾取体質が露になり、一方向性の強い肥満な坊ちゃん体質などの感受性の中身と能力が浮き彫りになり人間性が掴みだされる。こうした点から良質な人間性を作り上げる型式や方法を表す事へ及びます。

提案の基本的な方式は、「何をやる。どういう効用がある。これだけ負担してくれ。」という基軸の論理が見えて、権利義務の相互性を持つ協働活動へ及ぶ。政治などに見られる政策の提示は、「何をやる。」は見えるものの、「負担をしろ」という面が提示されず、提案としての体をなさない。投資と効果の図式にないと真面な生産活動としての基準と誤差の関係が測定できずに曖昧なまま本気で作り上げる意識の弱い責任回避のいくらでもできる表現が生まれ民間の市場作用と同質の需給関係へ及ばない。対象範囲の提案という所から示し、対象範囲内の投資と効用の基本式を集約し内実を詳細に示す過程において基準と誤差を測定するだけの要件が揃う。こうした提案や生産の主要なポイントが抑えられて曖昧なクレームなども減少し起案者の責任ある態度が現れる。クレームや評論への程度が悪い等という以前に、主導的な立場においては測定可能な基準と検証の構図を示して利害関係者への権利義務を合わせて表し一方向性のエネルギーの投入にはない相互的な協働性が描かれる。対象範囲の広さや生産性の内容によって提起の仕方も複雑化し予測可能性が下がる因果に及ぶものの、それに相応しい表現の表し方は作られるべき範囲になり、これを欠くと全く基準が見えずに相互的な混乱が止まない。発案する側の責務の範疇を指し少なくとも最低下限の基準と誤差を測定できる表現において緊張ある相互性へ及び、一方向の責任を強める態度が改まる。抽象的観念と感覚的質感に及ぶ実感点を、出来る限り示す努力が生まれて生産性の測定へ及ぶ。この基本計画と中間的定期性の進捗と報告と検証の規則性が描かれて、見通しを持った協働活動の計画性が起こり、特殊事象への右往左往の少ない落ち着きある協働活動が展開される。全体の利益からみて優先度の低い事象について過度な評価感覚を起こす事のない進行を意図するならばマスタープランと実施の定期観測と報告の基軸的な筋道を含めて提起してより良い相互的協働活動が生まれる。

何をやる 負担
大目標 中目標 小目標 税負担 市場
定性

表現

幸福観

世界観

経済の目的

政治の目的

教育の目的

個別

重点

施策

消費税

所得税

資産税

定量

指標

GNP 数値

目標

5年、3年、1年、四半期というある程度の区切りが設けられ、目標の配列を構成して、然るべきときに投資と効用、収支の明細を表して基準と誤差を確認し場合によっては軌道修正を図り、相互の納得性や明瞭性、透明性へ及んで信頼性の醸成へ連なる。これらを分かり易く相互の共通理解と認識へ及ばせる作為が進められて健全な協働生産が生まれる。堂々とした正攻法の軌道に寄らないと歪んだ手法を用いて相互信頼を下落させる。本書の主要な生産の対象は幸福感や世界観の形成を指します。

 

1-2人間の根本性の劣化

多様な思想的な枠組みが形成され個人と集団の在り方が示される。この解釈は簡単ではなく各種個別想定で各自の立場から各種の言い分が生まれ100対0という良否の判断を行えることは稀な事態を指し各種各様の言い分への正当性が生じる。思想という集約的な理論体系と感覚的質感を抱く場面との連なりを見て、「飛躍的な解釈にないか、違和感が強い因果の形成にないか」という部分が焦点に及び共感や賛否の実感が発生する。つまり、思想という枠組みと実際的個別場面との解釈に見る適正へ焦点が絞り込まれ人間の変わらない良質性の原理を表す「言行の一致」や「内外の一致」という根源性が浮かべられて解釈の適正感覚に人間の健全性が浮かび上がる。概ね現代人の理性に大きなとんでもない発想を抱く事は少なく万人的な共通価値を内在した志向性を含められる。一部の過度な物理性への従属的な発想や手法への制御性の弱さは浮かび上がるものの平等思想を少なからず視野に含んで適正を探す発想を抱かれるのが分母的な姿と思われます。そして問題は解釈の実感が各自の成長過程や生産の特性からエネルギー循環への違和感と生じる。頭脳的作業に過度な価値を抱き体の工程を軽視する感性がしばしば見られ頭脳への過度な偏りに見る不健全性が問題事象とクローズアップされる。机上での設計構想に過大な評価感覚を抱き施工工程をよく知らずに設計図面を起こす事ばかりに価値を見る傾向に健全な生産の規則性と離れた頭脳過多の性質が現れる。実施工程を体験的に経る中で何度も手順を行ったり来たりしながら設計の変更を繰り返し試行錯誤の末に同時並行的な設計と施工が執り行われる工程感覚が離れるほどに設計と施工工程との分断的な構図を描き設計のみの生産概念が作られ現実とかい離した感性を宿して歪な管理発想過多の欲望を強める態度に人間性の歪んだ精神が発生する。原論的な評価感覚に終始して頭脳的な設計上の側面へ偏し実際の施工工程の体験が弱まる事から極端な態度を抱く特徴が現れる。思想云々よりも人間の根源的なスタイルに見る歪みが問題になり不快感が露になって物理過多の性質や頭脳過多の規則性から弊害が生じ解釈の違いと現れる。頭と体の分断性に絞り人間の根源的且つ不動性の型枠が強調されて違いへの是正感覚へ及んで適当な解釈を生み出す感性が作られエネルギー循環の適正へ連なる。思想的立場の違いへの指摘は後付け的な要素になり利益の正当性を強める為に負の要素を探して問題と強調し責める姿に見られる。痩せ細った感性から頭脳的な技術へ向かい小手先の皮膚感が強まり屁理屈を捏ねる態度が顕著に表れる。頭脳過多で体の工程が弱く健全な感受性が細り基軸論理の弱い枝葉によった分業の進行などから生まれる人間性の下落とも伺える。科学技術力の発展と活用という物質文明の負の面が顕在化し根源性の問いが起こって本質要素を浮かび上がらせ適正への改善が生まれる。施工過程に設計要素が含まれており施工の観念が弱い設計に現実離れした感覚が強まり頭ばかりの評論へ流れ精神的な病理性を覗かせる。法律という観念体系に限定した最良性を求める態度などに顕著に表れ実施工程や感覚的質感に及ぶ実現性の感度が弱まり観念上に偏る歪性が生まれ極端な原論を繰り広げられ外界からの違和感と認識される。「頭と体の分断性現象」と纏まり根源的な健全像へ立ち返り標準と乖離を実感して適正化する工程に文化政策の主要な観点が生まれる。思想や世界観の抱き方に見る極端な異なりは少なく実施上の規則性の適正感覚へ意識が進められて施工工程と設計との実際上の相関を体験し理解する程に体と頭が繋がり適度な精神性や欲求へ連なり二極的構造の格差は次第に縮められ過大評価に寄らない適正へ進む。言う事とやる事を簡単にひっくり返す行為に醜態を抱かない態度に感受性の破綻面が映し出される。頭ばかりで体の弱い象徴的な現象が起こり盗みや詐欺が慢性化した悪性と映る。広く浅い対象との関わりが進み深く作る力が及ばず頭による上辺の理解で留まり容易に糧を得る発想が強まる事への不健全性が強調されて真価を作り実現するエネルギーへと進むことに健全な感受性に基づく活動が起こされる。責任と報酬が釣り合わず権利意識が過度に進んで実態的効用が現れない不均衡に不健全な主体性が映し出される。グローバルとローカルの適正を探すのにこの面から感覚を直して広くあれもこれも手を付けるようなグローバル化に適正感覚が及んで量より質への限定をもって薄くなった感覚に厚さが起こり多様な質感を抱く性質へ及ぶ。物理的速度の加速性による生産性の向上は無機質性を強め観点の多様性を失う。自己都合のよい因果の実感が進み多様な要素に依存している実感を省略し物理依存の激しい利己性を強めエネルギー需給の適正感覚を崩す。目の前に答えがあるのに遠くや他人へばかり視線が及び盗みを発想する。この感性に力を与えると歪性が広がり人間の劣化が拡大する。目も当てられない行為をしながら倫理道徳的な価値を伝達する学者先生を見る度に異常者の実感が起こる。盗みをやりながら説教じみた態度を起こす狂った性格へも根本性の破綻と映しだされ根の深い問題と見られる。人格破綻者を要路に配置すると健全性へ戻す事は容易ではなくなる。小手先的な思想の違いなどは問題ではなく根本的性質への破綻に対して適当な対処が遅れると周囲一面に負が慢性化して常識に及ぶ。