著者としての理想

自由主義や社会主義といった概念から出発するようでは、あまりにも大雑把で、現代人の感性にはそぐわない。この思想的な枠組みを土台に様々な論評を展開される人々が現れる度に体の工程の弱い頭脳に偏した感性と伝わり、中身の吟味の良く図られない地から離れた体質に映し出されます。社会思想の骨格的なフレームの再編をもって、より丁寧で健全な概念による現象化や生産へ及び、良く絡み合う適正な対話へ連なる。独裁や民主という意思決定や意思交換の在り方も、単純な型枠で区分されるような事は稀であり、実際的な動態や成長の過程を無視した静態的な単純抽象の理論である事が確認される。こうした概念を安易に用いる事は、読み物による概念や論理の吸収で留まり体から質感を形成せずに中途半端な概念をもって事象を表現する顕著な例を指し、他所の空間ばかりに視線が及んで自らの空間で自らの生活に根差した概念形成から離れる悪性の典型的な姿に映ります。或いは他者が作り出す物事への受動的な態度と批判的な関心の注ぎ方へ終始して自ら作り上げる提案力の弱まりにどこか正規の軌道を逸した体質が浮かべられる。良好な感受性を起点にエネルギーが現れ利他を遂げる創造性へと真っすぐに伸びずに、外界への利益提供よりも妬みや嫉妬の感性が先んじて健全な感受性による創造性へ至らない支配願望に重心を持つ歪な精神性とも見做されかねない。自己の欲求過多で得る事ばかりに意識が向かいゼロベースから作り上げる力が起こらない感受性の痩せ細った頭過多の人間性に現代的なマイナス性の側面が映し出される。

文系の学問に偏って抽象的な概念ばかりの吸収に留まり感覚的な質感をもって抽象概念を構成する規則性にないと、地から離れた分断的感覚を持つ二次三次的な加工度の高い概念に偏して安易に知ったような態度を装い優位性への執着へばかり意識が向かう歪な精神性を生み出される。このような問題点の指摘や反省からより良好な学問体系の刷新へ及ばせる契機が生まれ基礎教養の骨格を変える事へ及ぶ。哲学的な考察の思慮へ及んで、基盤的な知の体系を組み替えて吸収する事において良好な行為へも連なる。頭ばかりで体の工程を含む完結的生産性と外れた規則性による責任意識の劣化を予防する適当な基礎概念を構成する事から精神と肉体の健全な性格へと連なる。言行の不一致や原論過多の傾向に適正を見出し精神的な健康へ連なる人間像の設計をもって各種専門性を配して基礎と部分の良好に絡み合う知的体系と実践の学問へと発展する。文理で区分する事の欠陥的な認識や、自由や社会主義という社会思想の粗雑性、他空間の例示から出発する模倣的、追従的な感性等々の事柄が人間力を弱める原因と浮かび上がり、ゼロベースからの事象を構成する確かな基礎概念や論理の筋道や人間性の道理をもって確かな基礎が構成され根の強さや柱の強靭性へ至り雨風に耐えられるオリジナル性の高い建造事物が作り上げられる。多様な読み物からの吸収も基礎基盤をもって吸収する態度と基盤が弱く吸収する事の違いが確認されて基盤面の重要性の認識が強まる。こうした創造性の一つに本書の日本文化原論が配される事が著者としての理想であります。

 

改善の包括的な枠組み

6)改善の包括的な枠組み

基礎変数の影響力は強大であり、人口や自然環境という面を土台にして、各種需給構造が生まれる。暑さ寒さという気候や自然資源の状態を根にして、人々の定住的な場所が定まり、安定した食生活を得る為に、環境に即した配置を作り出される。天然の産物を捕獲して栄養源を入手する事と、自ら再生産性を起こして安定資源の入手を確実にする作為が図られる。この安定と成長に応じて人口の増減が起こり、食の安定が人口の趨勢に及んで経済成長に連なる。大局的に空間の性格を把握して人々の行きかう動線を描き出し交通機関や都市施設の整備を進めて、一極に富の構造を集中せずに全体の繁栄を意図する事がマクロ計画を指し、この善し悪しが全体の成果を作る要因となり大きな割合を占められる。これが無能であると全体として大きな成果へ及ばず、局所的な範囲で出来る事の限界に突き当たる。場当たり的な施策を投じても限界は早期に訪れ、やるほどに空回りの結末を迎えるなど、基礎的な変数の影響は大きく、小手先の手法ではどうにもならない現実に直面する事が少なくない。右肩上がりの経済成長という時期とその成長の性格を把握し、持続的な循環へ及ぶ成長の軌道であるかを掴み、一面的な成長の善し悪しを持続的成長という観点から精査し、未来を予測して軌道の修正を図る事が求められる。この役割を欠いて短変数の成長にうつつを抜かして限界がきて慌てふためき、マクロを担うべき役割の能力不足への認識が強められる。こうしたマクロ計画上の観点に、ミクロ的な技術開発によって強いエネルギーを起こし局所から各所へ広がる経済の成長を意図する発想が加えられる。この作為も基本は人口分布を土台に需給構造が起こり、物理的な制約を受けて対応する事と、物理空間的な制約を超えて成長を遂げられる方法が考案される。しかし極端な希少性を持つ技術の危うさへの認識が及ばないと高リターンと高リスクは不可分的な相関を持ち、特殊な技術による吸引策にも慎重な判断が求められる。一部の馬鹿な役人が、実質的な効用の客観的な測定を怠ると過大な自己評価を持ち、外界への過剰な要求と責任を欠いた態度が鮮明化される。マクロ政策上の善し悪しを適正に評価して過不足のない付加価値の算定へ及んで、エネルギーを吸収する事に調和が生まれる。こうした総括的な認識を作り、中央主権の構造に適する環境であるか、権限と責任の適正な範囲への見直しが進められて、過不足のない資源の収集と分配の仕組みへ更新して人口の適正な分布へ及ばせ、エネルギー循環の最良性を遂げる事に軌道が合わされる。力ばかりを欲しがり、力に相応しい効用を実現できないアンバランスを是正して、適正な権限と責任の構造へ修復されて、全体としての最良性へ及ぶ。部分的にできる限界の認識をもって大枠的な構造の変化へ力を注いで抜本的な対処を進める事において真なる解決の軌道が進められる。局所と構造と、これに加えて性質という観点を持ち、健全な欲望と力と責任の均衡に適正な主体性像を特定して、これを反映する構造へ及ばせ局所の適正を作る包括的な創造の枠組みが描き出される。文化論は、根本的な性質の良質化の理論を作る事に力点が置かれ、健康な人間性を表す事になる。この認識が強まるほどに肥満な性質への認識が強まり構造的な変化への力が投じられる。ミクロ的な技術改革ともいえ、根元からの刷新をもって幹や枝葉の形成へ及ぶ。

 

4)根本原理と社会観

「人々と良好な関係を形成したい」という根本的な感受性を備えるならば、必然的に以下のような焦点へと思索が進み、一定の見解を作り上げる事へ及んで、根本性の破綻者とは言われない性格の実感へと及ぶ。

「許認可を与える。」という権限を持つ事はそれに相応した責任を負うことになり、一方向の制約を与える関係性の根拠がどこにあるのか。この明確な答えが示されないと各種の不快や矛盾が生じる。要望を出す行為は、一方向の欲求であってはならず、要望を出して利益を与える循環の構造にないものに根本的な欠陥が浮かび上がる。こうした論理が平等思想を基にする必然の帰結を指し同一的な目的の下に権限責任の相互性が示されて理に適う物事の形成へ及ぶ。あらゆる原理の土台になる根本原理と確認されて、ここから違和感が起こるものに是正の圧力を加え自然なエネルギーの循環が促進される。

組織の執行部は集団の命運を分ける重要な意思決定と結果が求められ、多くの成員の運命を握る立場にあり、その政策や判断の善し悪しが問われてプラス性の評価へ及ぶと、そこからの指示命令に正当性が高まり、逆にマイナスの結果に及べばそこからの判断や表現に求心力は生まれない。同一労働同一賃金という労働法の原則も上述のエネルギー循環の根本原理を反映した格好になり多くの合意形成は根っこの原理から導出される。国家という存在の意義もある程度理論化され同一性の認識へ及ばないと、根の定まらない二次三次の原理が生まれる。

本書の文化思想から生まれる創造性の中には、社会システムという概念が起こされます。大局的観点においては、産業経済、政治行政、教育文化という領域で纏められる社会システムの概念が生まれ、各種領域の基本的な性格が謳われて相互の関わりと相乗効果によって、一つの集約的なエネルギーを投じる軌道が描き出される。領域の存在意義がいわば権限を指し、効用の測定によって責任の行使が図られて、権限と責任の均衡に適正が生まれる。この領域観と国境という線引きと実際的な交流面を浮かべて主体性の実態が掴みだされ、大きな観点からの領域の適正への視座が設けられる。地域間における同一性と個別性の面が把握されて、意図する目的と現況の状態を掴み、目的との達成度の認識から、目的への妥当な方法を投じる生産へ及び権限と責任が測定され、エネルギー循環の適正が問われる。各界の模範的な活動者が自然形成的に浮かび上がり、領域の価値が表現され、領域間の価値の妥当性を尊重する事へと及んで、長期的に見る生存と繁栄の軌道が描き出される。

持続的生存と繁栄
産業経済 政治行政 教育文化
地域A
地域B

このような根本的な感受性を土台にして、外界の在り方をビジョンと示し、統一性の概念へ及ぶほどに安定した生産性へ連なり、大きな方向感の同一性が得られ規律と制御の仕組みが生まれる。物的経済性への過敏な反応が起こり心理面の痩せ細りを招き、人間性の破綻的な進行が加速する事へ対して、各領域の本分が設計されて破滅的な世界に陥らない制御性が生み出される。こうした思想的な深まりと実際性の効用に及ばせる為の研究と具現化という活動が強められ健全な人間性を遂げる道筋が生まれる。経済経済と、捲し立てるかの感性がしばしば散見される。根本的な哲学を築いた上で経済と言われているようには感じられず、どんな根本的な感受性とそこから生まれる長期的な世界観をもつのか、こうした見解をある程度土台に備わらずには、健全な生産者の態度には映らず、大きな権限などを与えるには懸念が深まる。各種分業された専門家の感性と基礎基盤的な総合性を持つ感性とが併存して、健康な人間の創造性が進められる。

表現や発言という行為は、動である対象に静を与える作用が生まれる。起案者と関係者の間で相互的な意思を取り交わし両者による静を作る過程と、一方向的に生を与える協働生産の質的違いが抑え、相互参画的な生産と一方向性の生産性から権限と責任の在り方へ反映される。強要する力が強くても、強い責任意識が伴えば相互の関係に不調和は生まれず、強要ばかりが強くて責任意識が弱いとなると歪な感性を表す事へ及ぶ。寡占的構造と民主主義等という二次三次的な概念を生む前段の適正なエネルギー循環の有り様を抑えて最良の方法を作る事へと及ぶ。上辺の理解で二次三次概念から出発すると、ボタンの掛け違いが生じ物事の本質を見誤る。生滅不可分という感性を根にして最良の生を遂げる意識の強まりにおいて、確かな人々の良好な共存共栄が生み出される。平等思想の解釈も多様な文脈が生まれる。根源には生滅不可分の感性へ行きつきます。

 

 

社会ビジョンと実践的創造

1)社会ビジョンと実践的創造

町内会の集いでは、様々な身近な生活から不満や満足の意見を聞く事になり生きた勉強の機会になる。ある年配のおばさんは、「同時に同じ場所に暮らす事になると、近所の付き合いもうまくいくのよ」等と述べられた。10棟程度の建売住宅の一つを求め居住されたようです。これが、古くから住んでいる人と新しく入ってきた人との間で、先人は古いしきたりを求め、後発は妙な慣習に従いたくないという意見のずれを生む。又は、集団で団結して同じような仕組みを協調したいという感性と、個々人が好きにできる範囲を広げ、共通性はごく限定でありたいという個と集団の志向性の相違が生まれる。つまり、時間軸による相違と、個と集団という空間的組織的な軸による相違という二つの大きな基軸による志向性が現れ、二極的な大別の感性やグループが生まれる。このような身近に見る社会関係の形成が皮膚感覚に実感される思想形成の根元に相当しある学者が謳われる自由主義や社会主義という抽象概念の根本的な観点として浮かび上がる。肌身を通して社会関係の実感を浮かべながら、読み物などで示される概念の中身を吟味する尺度が起こり、同じ抽象概念であっても人によって吸収の深みが異なり、頭だけの理解と体を通した理解には差が生まれる。「ゼロベースから物事を組み立てる」等としばしば言われる。まさしく体と頭の検証や実感に到達して無から有を形成する事を指し、根本原理を抑えて言葉を丁寧に作り上げる事において、地に着く質感が生まれる。妙に空っぽの権威的なものに振り回される体質に及ぶと概念ばかりが先走り根本性を紐解かずに、言葉が躍り妙な知ったかぶりの態度に醜さが映し出される。欲望過多で人を支配したいという欲求があからさまに伝わり人間性への不信が高められる。これらは頭と体という面に対して、感受性や心や欲求の抱き方を実感する焦点を指し、空回り的な概念を羅列的に並べる論理表現には妙な欲望過多で過剰な力を抱え、責任が満たされないという風に映し出される。縦割りの概念で区切られ、要素と要素が分断し繋がりがよく掴み出されず、並列と重層の構成がしっくりこない体系で全体が構成され違和感が所々に強く起こりよく整理されていない表現が示される。人との生身の交流により感受性を肌身に通して快不快感を抱きより深く対象を考察し体で実感を高めるほどに対象の有機的な相関へと到達して飛躍的な序列感覚に及ばない全体構成が現れ然るべき過程を通って作られた表現である事が伝わる。多くの人が通る工程を普通に通り多くの人が感じる不快や快適感覚を経ながら、良く相互的な理解へも及んで抽象性の概念から浮かぶイメージも揃い高度な対話へ発展する。変に空回り的なプライドが強くて頭でっかちであると分断性の強い構図を多発する。昨日今日で急激に成長するようなことはなく、真摯に対象と対峙して心を感じながら頭と体を動かす日々の積み重ねによって等身大の姿が現れ隠しようのない人間性が表される。妙に背伸びをすることもなく未熟な部分を誤魔化す姿にもかえって不信感を強め、ありのままの態度で感性を表し人々との真摯な交流によって学びや反省を繰り返す成長の軌道に健全性が伝わる。「なりすましや、水増し」などの手法によって人々を欺く行為は根本的な性格への疑念が深められ妙な欲求過多の性格が明瞭に察知される。ちょろまかし癖による糧の入手を習慣とする性質は鮮明に伝わり信頼を得る事には及ばない。対象との敵対的な感性が自然に表れ意図的に距離をもって支配をしたいという志向性が見え隠れする。頭に偏って性格を作り上げるほどにこの手の人間が生まれ怠け者や感受性の痩せ細りや貧祖さと認識される。盗みや詐欺を常態して物理性を適正に制御できない心理的な破綻に及ぶ事のない健全な人間形成ビジョンが示されて不健康な精神や肉体を矯正する尺度と作用する。そして、大きな利益を追求して行われる大義を持つ挑戦や変化の軌道をもって、個々の動物的な衝突を乗り越える健全な力の投入という発想が強められ、小さなエゴへの拘りを超える根源性を携えた外向きの力が働いて良好な動態が生み出される。小粒な性質が、要路に居座るほどに自己の面子へばかり執着して内向きの性格に留まり、持続的安定と成長の活力ある世界を妨げられる。集団の主導者の感性が広く常識感覚へ反映され、物事の善し悪しや判断へ及んでインフラ的に配され二次三次の事物に影響する。根元の健全性に価値の土台が生まれ、それを起点に大きく利益を追求する創造的破壊において、有機体のダイナミックな躍動の図式が起こされる。これらの事を勘案しながら社会システムという大きな影響力を主導する立場を選定する事に万人的な意識が強められて良質な土台をみんなで作り、大きなビジョンへ向けた挑戦において緊張と緩和の適正へ連なる。社会ビジョンと実践的な工程が以上のように浮かびます。正々堂々と内股に寄らない健全な気質に持続的再生産を叶える文化の源泉が映し出される。「未来志向や挑戦」等という言葉をお飾り的に用いて、中身への吟味や思慮が弱いと、ちぐはぐした矛盾や醜態を見せられる。一過的自己宣伝のキャッチコピーはすぐにメッキが剥がれる。

持続的安定と繁栄の軌道

外界へばかり要望を追求せず、自己の側を鑑みて適当な内外関係を作りあげる事が健全な人間性の根に配される。この前提のもとに、多様な人間がいるのも事実であり、正当に被害への責めを求める態度はごく自然な調和形成策となる。

馬鹿な政治家や大手マスコミという所から、サイバー犯罪らしき事象が相次ぎ、多大な迷惑を被っている。これへの損害賠償は、ごく当たり前のクズを適正化する作為を指し、これを求め続ける事になる。当方のみならず、社会的影響力の大きな配置における肥満化の状態は、広く空間の秩序形成においてもマイナスを与えるものと推察され、何ら戸惑う余地のない下限的制約を超えた損害事象には、粛々と責めを課す態度に適正が映る。このようなメリハリをもって、内外の適当な調和が作られる。虫けらを虫けらと扱う態度に健全性が起こり、自然な社会律は、何ら躊躇することなく循環させる事に持続的生存と繁栄の肝が備わる。こうしたいつまでも頓珍漢な勘違いの激しい肥満症に対して、司法や警察という取り締まり機関への期待が強く表れる。こうした基盤面の盤石性が、何よりも重要なインフラを指し社会的な関心の最も注がれる側面と現れる。

妙な政治家等が恣意的に行政を扱い、操作するような事にはあってはならず、どんな利益を意図して行政への指示命令を下すかを明瞭に示し記録に残す作法が欠かせない。広く大きな社会的利益と、私的な保身という志向を求める態度であるかを、後に広く検証できるように、適正な手続きを設けて、政治と行政の関係や手順の透明性を確保する事が、権力という力を適正に制御する上での下限的な規定と謳われる。準公共的な機関や財力を持つ大手企業と行政との相関も、こうした観点をクローズアップして、公の利益と私的性格の強い利益の追求とを適正に峻別する事において、力の適正な行使という責任が生まれる。

物理的な性格で利権を求める態度にあっては、まさしく人間性の破綻と見做して、適格性の欠如と判定して、個々人の資質へ適した配置へ滞りなく転換させる作用が欠かせず、このような局所的癒着に現れる歪性を作る事への予防的な制度が強化されて、社会システムの健全な稼働が推進される。

広く公の利益への志向性が弱まって、私的な欲求へ偏り、力の保有や利用への適正を欠く事によって、健全なエネルギーを阻害する事へ対する適当な対処の力が、インフラの下落を留める重要な焦点と起こされる。力や影響が増進する程に、広く堂々と外界へ対して自己生産者としての基準を確立し公平に適用する態度が求められる。この程度を常時、問い、基準への吟味や公平な適用にあるか、個々の裁量の幅の適正を検証できるように、記録に留めるなどの責務が課せられる。

クズな肥満に陥るほどに、自己生産者の確たる基準と外れた私的運用へ流れ、大きな力の適正な行使から外れる事へ対する予防策の強化が、社会システム上の健全化策の柱になり、ここが弱まるほどに、悪性の精神性が蔓延って暴走へ及ぶ。明確な基準を立てる事の出来ないものに、分不当な権限などを与える事なく、適時検証をもって適格性を監視する事が要るのでしょう。近親者の関係による私的流用や緩みなどへ及ぶ事のないような厳格な資格要件の確立が進んで正常性の維持と向上へ連なる。広く大きな利益を求めるビジョンの形成力の乏しさは、私的欲求過多の態度そのものを指し、適格性に満たない事象を明瞭に表される。配置の不適格を看過せずに、エネルギー循環の停滞を解消する観点が重要に思います。

昨今の報道機関に見られる自己保身性を求める醜態的な振る舞いは、こうした動態に配される。力の影響に相応する能力や感性への不満が顕在化し、社会の欲求が示される。この問題事象への良好な改善の力を留める事無く、大きな力には、大きな期待が寄せられる事が、いわばシステム上の良質性を遂げる自然反応を指し、歪な性質を温存させる事のない堂々とした秩序の形成において、健全・健康な主体性が作り上げられる。

「盗み症」は肥満を表す明瞭性の高い事象を表し言い訳のしようがなく、正当化される余地のない一線を越えた部類に入り、何の情状酌量の余地なく、膿を出す事が必須とされる。積極的創造策へばかりエネルギーを割り振ることなく、嫌な面へも真摯に対峙して軋轢を避けずに適正化を執り行うバランスの良い感性に力が集まる。自身がこの性格にあると、責めを強められる根拠を失い、下限のインフラの下落が留まることなく進行する。この自然な正当化を強められない性格は、システムの要路に入る要件を欠く。根源性の躾の悪さは致命的な部分になり、小手先の技術に偏らず根本的な性質面へ重心が備えられて、適切なエネルギー循環の仕組みが作られる。

精緻な細分化したスキルを求める専門職と、総合的な観点による創造性を持つ配置への必要な要件は異なり、後者になるほど、根本性の性質へ視線が及んで、基礎的な躾や自律的な基準と適用の程度が問われる。専門職が総合職の配置に就いて、妙に細かなスキルを求めるようでは、頓珍漢な基準や感性を表す態度を指し、アンバランスなシステム上の瑕疵と映し出される。機能面へ偏し感性の適正へ視線が弱まる事へは、根の痩せ細った偏狭性の高い持続的な成長軌道と外れた有機体が生まれる。

根本概念と具体性

いろいろな言葉で志向性を表されるものの、根本的な概念から正さないと何を言ってるのか強い実感に及ばない。例えば「民権主義」なる言葉が掲げられ、個人と社会の力の差を埋めるべき立場をとるべきだ。という政治思想が謳われる。

これは物理性の力による支配を適正化するという事を指し、物理と心理という観点から人間や社会のあるべき姿を現す事へ及ぶ。財力や権力に対して創造力が先んじ、人々を幸福へ及ばせる方法に根源の価値をもって、それを遂げる力が二次的に注入されるという、万人的な感受性を根にして起こされる公平公正な秩序を向上させる事を大きなビジョンと訴求する事になる。

物理力が先んじると、目先の利益を得るために有用な財力や権力が先走り、真に利益となる欲求への深い考察を欠いて、直観性の物理反応へと走られる。力がある所へ創造が寄せられ、力を保有する者が優位に立ち固定化する。人々への幸福な世界を作り上げる創造のエネルギーを投じる事によって財が得られるというフローの良質性に重心をもって、力の固定化を回避する事に健全な活動や体質が作られる。ストックが溜まり、自己への消費的なエネルギーへ向かい他者の利益への関心が弱まり、良好な創造力が湧かないとなれば、そこに財が行く理屈はなく、過剰なストックを排出する自然律が循環して、エネルギーの良好な回り方が持続する。

このようなエネルギー循環の原理が持続的生存と繁栄へ及ぶ有力な方法を指し、有機体の健全な発育を阻害しない軌道と現れる。過剰ストックの肥満な体質から、堂々とした創造エネルギーに及ばず、物理性に依存した安易な財の獲得策へ流れ、盗みや詐欺紛いの手法に逸れる事へ対して、下限的な制約を粛々と適用する事において、人間性の下落が留められる。プラス型のエネルギーの阻害が削減されて、自然なエネルギー循環の流れを停滞させない軌道が守られる。物理依存の激しい性格に陥るほどに、結果として二極的な格差構造が作られ、肥満な性質が肥満なまま、居残る事への問題をもって、適正化の原理を強化する事に適正が生まれる。

このような思索の末に、「民権主義」なる理想が示されると、納得感の高い根源性の原理を基盤にした二次三次の概念との相関が強まり、人々の実感に届く創造性が現れる。誰もに通じるような根源的な概念と論理を示して、応用的な概念で絞り込むという動的過程と静的限定の構造が起こって、強い意図が伝わる。更に、信憑性の程度という面から表現者の生い立ちや沿革が裏付けになり、例えば世襲による財産の継承やNHK出身の政治家などが、いくらこうした志向性を見せられても、説得力に欠け真面に相手にされない。本気でやる意思があるのならば、上述のような自然律から浮かぶ問題の対象を鮮明に特定し、悪性の対象の解体などを具体的な施策と示す事が最低限必要になる。抽象概念を言うだけで、個別的な対象の限定に及ばないと絵空事の範疇を脱しない。お遊びでは人は真面に耳を向けずバカを晒すだけだ。

 

普遍性への問いと個別性

「時と場所と感覚と感受性と観点」という観点が、対象を「感じ、知り、作る」という動作を表し人間が生きているという実感へ及ぶ。観点とは、感覚と感受性から言葉や概念、理論、ビジョン等として作られる対象の表現を指し、個々の感覚と感受性の体験から人間の創造性となり産出される。この観点の共通的な理解を図り言葉という道具が形成されて、人と人との言葉を解して感覚や感受性を伝え交換する対話が生まれる。対話は、言葉の交換のみならず、直接の感覚や感受性を表情や手ぶり身振りから察知し感じる事が根本に置かれその中で言葉という道具が入る。時間と空間といった所与的感覚の上に、人と人や人と自然、人と道具という対象が生まれ、相互の刺激と反応などの関係を抱きながら、要素と要素関係についての現象を感じ、知り、作るという事へ及ぶ。人の根本的な仕組みから生理的欲求や物理的欲求、心理的欲求が起こり、これを充足する手段として、観点という言葉などが形成されて、協働や共存、共栄という再生産の生態系が生み出される。「欲求、感覚と感受性、観点や観念」という基本動作を持ち、持続的生存と繁栄を意図した活動が生まれる。

このような活動の中で、規範や法規、制度、組織化、体制という関係の形成における秩序が作られ、実質的な直接の欲求と充足手段に対して、協働性の円滑性に及ぶ相互的な基準が生まれる。固有の技術と管理的な技術という側面で区分される。管理技術ばかりが先行して、直接的に作り上げる技術の進歩がないと成長へ及ばず、或いは人間側の欲求が画一的になり多様な欲求が萎むと供給も減少し成長が停滞する。欲求の種類という質の面と量の面が起こる。そして、マイナス的質感とプラス的質感との相互連関性で、満足や不満という感覚が生まれる。人によってこの差は異なり、少量でも大きな満足を抱く事と、大量でも満足へ及ばないといった個別的な性格を持つ。

日頃の規則性が常態温度を作りエネルギーの産出と吸収の構造に標準感覚が現れ、習慣や生産性と備えられる。これの大きな違いが生まれるほどに調和感覚の差となって、不快感の生じる原因が生まれる。省エネルギーで大きなリターンや大量のエネルギーで小さなリターンというエネルギー循環の極端な因果を生むと、欲求と充足の質的な違いが激しく起こり不安定な社会秩序へ至る。前進的な創造性の活力という作用を持つ場合と、基礎的な常識感覚を超えた不快を生じさせる作用に及ぶ場合とが想定される。この両極に対して基盤的な不動性が、ある程度確立されていて変化と維持の適正へ連なる。

こうした中で、共通性の人間像が描き出され、特定的な立場による個別性に対して、万人的な立場による共通性の概念を作り、自己の特性や他者の性格を知り、自立と共に相互尊重と協働や共生の関係へ連なる。共通的、根本性の概念が、基盤的な不動性になって、個別性と共通性の適正へ作用する。個々の個別的局所性の人間性と共に、完結的な生産性や完璧性の高い人間像という概念への探求を合わせって、人々の良好な関係が生み出される。個別的利害へばかり偏する事無く、普遍的な概念の形成や個別との相関感覚を抱ける所に、単純な一方向的な物性的争いを回避する為の理想像が起こされる。真理の探究軌道が少なからず備わり、自己の特性を掴むと共に、成長への適当な方途が現れ、安定と成長の同一的な感性が共有される。人間の根本性を問うといった哲学の領域を備えながら個別の活動をもって人間が作られる。これが、いわば根本の観点になり、長く不動的な意識へと入り込んで基盤的な共通概念へ及ぶほどに適当な行為が産出され良好な安定と躍動のエネルギーと作用する。観点は観念になり、思う事と体が連動し健康な有機体の姿へ及ぶ。

「日本文化原論」の生産性

様々な理論が、描き出される。例えば「マズローの欲求五段階説」では、生理的欲求、安心・安全欲求、社会的欲求、自我の欲求、自己実現欲求、等という言葉で、欲求の高次化する過程が示される。こうした理論を頭から入力して、自己の欲求をこれに倣い理論と自己化の過程を強めるか、自己のある状態への実際的な認識を深めて理論と自己との対比をもって異同を確認される事へ及ぶ。

頭だけで入力し、体の工程へ視線が及ばないと、理論をそのまま受け入れる体質が強まる。体の工程を軸に持つと、人が謳われる理論について検証する尺度が備わり、観念図面を体側の質感で感じ取り、受動的に吸収するばかりではなく、自己の尺度に重心をもって違いを掴み、良い面は受け入れ、悪い面は捨てるという自己主体的な性格が作られる。むやみやたらに洗脳されやすい体質は、完結的な自己生産性を有さず、体からの質感を常にして確かな実感を形成されない所から、頭による操作性へ流れ、他律的な尺度を無批判的に受け入れられる。自己の生産性に対して、根本的な原理への問いと答えを、定期的に深める作業において、確かな尺度が強められ、体と頭と心の有機的な連なりを持つ主体性が作られる。

頭ばかりで吸収し体の工程を経ない消化不良によると、確かな確信や自信を形成する事無く、外界からの受動的な反応に流れる感性が進行する。そして、物理依存の激しい感覚が強まり、詐欺や盗みに安易に走る犯罪体質が作られる。頭へ偏した体質や物理性への過度な依存体質という面から、人間の歪んだ受動性が強まり、性質の劣化が進行する。人の作った理論へ自己の理論から適当な距離をもって、関わるというスタンスがないと、こうした性格が強まって、自己発信力の強まりよりも、外界の発信を受け入れる側に回る。本に書かれた二次情報を吸収する行為と、実際に体の工程を経て頭へ描きだす一次的な吸収との違いが明瞭に表れ人間の性格へ反映される。

頭だけの知識は強い確信が生まれず、体で実際に検証する事や、体から体験を進めて皮膚感覚的に理論が備わる確信性を持つ主体性との違いが顕著に表れる。こうした法則性を抑えたうえで、人間を作り込む方法やビジョンが起こされて、健全な主体性を作る道筋が生まれる。地に着く人間を志向するならば、頭ばかりではおられず、体に重心をもって、強い確信性を体験しながら理論を表す事へ及び、外界へ強い発信性が起こる創造者が生まれる。物理的な質感を抱く事と心理的な感受性を抱く事と、これらを勘案して生まれる理論と及んで、妙に偏った性格へ寄らない根の健全な創造性を表される。

時短的な情報の吸収という面に対して、体の工程を省略する面へ視線が及ばないと、ロボットのような感性が進み、適正な尺度から取捨選択する作用が弱まり、受動的な体質が深まる。頭でばかり知ったようになり、底の浅い根の痩せ細ったマスコミ体質へ陥り、自己完結的な生産性の弱さへ及んで、自己の尺度やビジョンの弱い即効的な右往左往が進み、外界へ良くない影響を作られる。これに大きな力を与えると真面な社会秩序から乖離する。

管理手法や管理欲求ばかりを高めて、実際的な物事の作り方や感じ方が弱まり、無色透明の物理性への過敏な反応を作り、短変数の欲求を持つ主体性へと進行する。感性の貧困化という潮流に、適度な予防策の導入や適正な人間形成への思索が深められて、健全な人間や社会の形成へと力が投じられる。この転機に当たるのが、現代の時代状況にあり、哲学や文化を顧みて、適正な根源性を抑えた欲求を形成する事において歪な感性が制御される。

理想と現況と方法の枠組みをもって、価値や方法という区分を備えて力を投じて、自己の欲求ばかりを中心に取らず外界を見据えて、漸進的な変化を起こす心と体と頭の有機的な生産性が生み出される。文化論の性格は、ここでいう理想概念を強めに表す作為になり、確かな軌道やビジョンを起こす作用が生まれる。これが現況の掴み方へ反映されて感度を作り、喜怒哀楽や快不快へ及んで方法への熱が進行する。

理想と現況と方法という完結的な生産の周期が描かれて、頭ばかりで欲求を表す態度への適正が起こり、体を投じて実質を掴む生産性へと進められる。本書で描かれる文化論自体が方法の意味合いに及ぶようであれば効用や価値が認められる。実際に人々に用いられていることがこれを実感する場面と規定される。当方の感性では、少なからずこの部分の実感に及び、頭の表現という性格を超えた創造性であると考えます。潔くないみすぼらしい盗み症には、この事を認めることが出来ないようで残念です。変な奴が中心に居座ると真面なエネルギーの好循環が喪失する。

 

思想と行為

哲学や思想の未成熟な弁護士、会計士、財界人、政治家、教育者、科学者等々は既成の枠組みから発展的な改善のエネルギーが生まれない。この場合の哲学は、「畏敬の念」や「持続的安定と繁栄」という志向性にありこの動的態度に健康な心身が備えられ、人々の根本的な本能に近い自然律と説かれる。各種領域の基本的価値に対して自己反省と改善を内蔵する歩みに適当なエネルギーの循環が形成される。頑なに自己領域の意義に固執する事無く不動性の部分と自己否定性の要素を隣接領域や需給構造との対面によって発見する姿勢を持続させ、「これで本当に良いのか」問い続けながら時々の最良な判断を導く態度に真理を探究する人間性が映し出される。思考停止に陥らず真なる利益を追求する感性をもって長期的な利益を作り上げる意識を失うことなく、哲学に磨きをかける態度において、持続的安定と繁栄の軌道が生まれる。作った型枠を一神教のように絶対性の原理と受け入れ、それを支柱にした行為を見出す事に安寧を見る態度へ対して他者が否定する道理にはないものの、当該文化論の特色は、畏敬の念、持続的安定と繁栄に不動性を備えてこの枠組み内に生まれる多様な感性を作り尊重するスタンスによって共存共栄が果たされ、且つそこに持続的安定と繁栄への肝があるという根本理念が備えられる。絶対という言葉を安易に用いる事無く、無限という概念を少なからず備え人間に謙虚さが起こり、神のごとくに陥らない人間が保たれる。自己と異なる考えに排他的な構えを強め一方的な欲求を強める姿は人間概念を喪失させる事へ向かい人間平等の理念をもって違いへの寛容性を少なからず抱き共存させる発想において畏敬の念や持続的な安定と繁栄の軌道と共存共栄の道筋が形成される。生命への尊さを根に抱き、自己と同じように他者や外界の生命に尊さを感じる事の出来る性質に人間の根本性が見出される。こうした基本概念から主体の健全性を表す型式へ絞り込まれて感覚的質感に届くような実践上の概念へと展開して抽象性に制御を持たせた限定へと及ばせ、空想的な枠組みに留まらない実際性を作る工程が描き出される。万人的共通実感となる「生命への尊さ」という理念をもってこれを危ぶませる事柄が現実的な個別事象から浮かび上がり、「盗みや詐欺、暴力」等の直接性の行為や「衣食住の生産や分配」などの間接的な積極的創造性が配される。行為と出現する前段には思想があり、良好な思想を形成する事が根源的な配置にあり精神世界の適正なあり方へ思索が深められる。感覚的な質感へ及ぶ以前の思想は思想信条の自由への認識が図られる。行為という実感に及ぶ個別場面が特定されて思想の実態を伺う事になる。上述のような行為の類型が生命への危うさへ連なる代表的な事象の認識と起こり思想の実態を表す行為の実感へ及び人間の真相を掴む事に連なる。こうした物事への発想や過程を辿りながら個別限定的な事象が特定され限定性の強さへと起こし根本理念を反映する創造性が投じられる。無限という中での限定が進められ統一的な価値と具体化の側面が現れる。目に見えづらい思想や信条は個別的特定の行為で測定される。思想信条を作る事も行為の性格を含み人々との良好な世界を作り上げる上では欠かせない創造に配される。

 

行為

思想 無限性、謙虚、平等思想、真理の探究、
畏敬の念、持続的生存と繁栄、共存共栄
思想と

行為の整合

健全性、

(心と体と頭の有機的相関、欲望と力と責任の均衡)

行為 下限事象(暴力、盗み、詐欺など)
下限事象と積極的創造性と両面の相関

このような向きの型枠を、個別具体的な行為を展開しながら探求し続ける事において心と体と頭の有機的な相関が生まれ、健康な人間性が生き続ける。この思想自体も人々との対話からより良い価値の高まる表現へ磨きをかけ続ける行為に及び完全な不動にはなく生命が滅するまで終わらない。

科学技術力等へ依存した生活習慣から行為への重みが薄れて安直な手法に着手される傾向が映し出される。生命観の弱まりが原因と考えられます。このような向きの強まりが良いわけはなく哲学や思想への創造を起こして人間の適正を探す事に意義が生まれる。