しばしば、行政組織に於いてパブリックコメント等という名を打って意見を募られる。民衆の要望を組み上げ行政サービスに反映する正しいあり方という意識を抱いて行われる事かもしれません。しかし、こうした事象も民間と公機関という区分を排して意見という方法論や貴重な情報提供という観点に立つと、何がしかの利益が見込まれて表現を与える性格で捉えられ、相手方への信用や実績、将来予測の上に呼びかけへの対応が生み出される。法という枠組みで守られた保障在る立場という状態が安易に人から意見を伺えるかの意識に及んで有用な情報に対するリターンの意識が薄くお上の感覚でうすら馬鹿な態度を持って表現されるようではまともな意見等投じられる事はない。
こうした様相に民間事業者の感覚を欠落した公機関独特の感性が浮かべられる。過去の経過にお粗末な態度が見られれば呼びかけなどは控えるのが通常の感覚で在って、何を勘違いしているのかという心象が少なからず浮かび上がる。信用を失った対象に誰がまともに相手をするのか、これが民間の皮膚感であり寡占的構造や特権的意識に生まれるお粗末な人間性が明瞭化される。これが見られると、民間との乖離という実感が強まり聞く耳は弱まり対立的分断の対象と深まって相手にしなくなる。しかしながら少なからず資源を提供する利害関係にあり、見過ごせる事と手を付けざるを得ない事が生じ、有効な手段の探究と実践へと力が投じられる。
公機関で働く多くの人は健全な民間に近い感性を内蔵され善意ある心持で業務運営に励まれておられる事と思われますが、一部に未だお粗末な人間性が見られるのも事実であり、これを是正する事が公機関の価値を落とさない為に必要かと思います。一部のお粗末が全体への心象を作り不快な存在という認識が強まる。大きな看板の持つ正負の作用と確認され異質な個を抱えずに一定の質を堅持し信用破綻への対処が図られる。管理能力を超えた組織の肥大化は手足の独り歩きが生まれ、共通の感受性を持って身体と頭脳の制御に於いて一体的な活動と名称の整合が果たされる。内部の不満が外部へと現れ一部の者が外部へ被害を与える事象は内部管理者の過剰な欲望や力の適正な行使を欠いた責任不足を指しシステムの適正規模へ修正するか、個々人の性質を変えて対応力の適正化を図る事が望まれる。業務設計や運用と人事考課制度が密にリンクして頭と感覚の整合や検証の持続性が果たされて歪な性質に走らない健全な統一的感受性の浸透した組織が作られる。
内部の不満が外部の対応に現れクレームと明瞭化され、適正なクレームかの判定の下に修正に及ぶ循環的システムが備わって、大きな失敗の予防や体質の持続が果たされる。物性従属的な感性やピンはね意識の強い管理作法という個人や集団の文化が見られると持続的な成長に及ばない。特殊な技術で市場を制御する構造にあっては自浄作用が弱まり、歪な感性が慢性化される。これへは広く制度的な面から異質性の予防を起こして悪性を生じさせない仕組みが求められる。こうした面への様々な取り組みが見られますが、未だ変な人間も居残る現実も少なからず実感される。個々人と構造とシステムという各視点から適正な観測と合理的な改善が必須とされる。資源の配分やシステム設計へ偏して運用実態への認識が劣るとどこか世間と離れた意識が強まって「何様か」という態度が知らず知らずに現れ犯罪を犯罪と思わない感覚が備わると推察されます。
運用面から物事を体験してシステム構築や資源管理に至る過程が図られて頭ばかりの議論や空論に及ばない健全性が作られる。肥満症はなかなか治らず作らない過程の善し悪しが問われるように思います。教育の良好性、人間形成過程の適正、生産の健全な規則性、定期的な健康管理の定着が欠かせず、良質な性質の維持と向上に文化論という観点からの測定と是正の周期が常態化されて基盤の堅持に連なる。
生産活動の中で生まれる社会的教育が、家庭の教育や学校教育に生かされる大きな対象の括り方から、人間の適正を作り上げる視点が欠かせず、地域社会、職場や学校、家庭という各種範囲での対人形成や知識の形成や創造を抽象集約し、共通的な基盤を浮かび上がらせる試み等が図られ、局所と中局や大局の相関を伺い、個人と集団の健全な感受性を作り上げる包括的な体系に在って無理のない良質性への道が描き出される。一般論と個別性という構造の中で両面を取り込んだ生産に在って持続的な学びの軌道が形成される。ここに各人が自ら考え作り上げる意思を備えた主体性像が生まれ、過度に特定の力への従属的な性質の深まりが回避され、閉鎖性の志向による歪な発想に逸れる事無くオープンな気質を持った真理探求型の尽きる事のない学びを備えて広く社会性を抱き参画する堂々とした文化の道筋が生まれる。物性の進行は偏狭性を増進し心理的な欲望を細らせる。小さく小さく人間が委縮し豊かな感性を貧弱化し、バランス感覚の崩れは明瞭に映しだされる。これに当たるのが○○である。見たまんまで、言うまでもないでしょう。