暑苦しい性格は現代の時代環境には一致せず、「おれがおれが」というタイプは倦厭される。しかし、自己の適度な意見を持たない所にも信用は生み出されず、基盤的な根の良質性を備えて、出る所と引く所の適正を導出出来る感性に、好意的な心象や協働や共生の快適感が作られる。
「主体性をもとう」等と教育的な立場からしばしば謳われる事の中に、こうした意味の主体性という性格を含んでいるかに問題点が浮かび上がり、教育者や管理的な意識の強い性格から主体性像の取り違えのような節に見られる事も少なからず感じられます。
ここに健全性という概念が形成され、現代社会の厳しい経済状況にあっても、空回りの力を注ぐ事のない適温を持ち、ここぞという所での力の集中というメリハリを掴んだ動態が生まれて、好機を外さずに、出る所と引く所の適正を出現させる感性に在って、健全性と建設性の好循環が生まれる。
例えが良いか解りませんが、マージャンというゲームをやるとこの辺りの感覚が明瞭に掴みだされる。4人で各自が自己の手札を揃える事に意識が注がれ、札を取る事と人が捨てた札で上がるという4者の一体的循環の中で競われる仕組みに在り、捨てて上がられるリスクを含みながら自己の手札を揃える攻守の一体的感覚が生まれる。
いくら力んでも流れの悪い時は、良い札は回らず、相手に振り込んで上がられる。この流れに即して耐えられる感覚と、ここはという時には勝負に出るメイハリ感が求められる。
常に上がらないと気が済まないような若手のガツガツ感が露骨に現れ、自己中の感性を押し通すと目も当てられない結末が生じ、しなやかで鋭敏な嗅覚による熟練の技が光り輝く。
この自然形成的な動態が、社会情勢にも反映されて、肥満や筋肉質な体質が浮かび上がり、歪んだ精神性による癖の強い行為には、ストップがかけられて健全性が保たれる。これを物性的な力へ過度に依存した皮膚感が強まって、自然な流れに粗雑な力でごり押しする事が罷り通ると正常な感性は破壊され異質な常識の積み上がりによる偏りの強い人間性が進行する。純粋な感性が崩れ、良質な流れに合わない気流を強め、欲望と力と責任の均衡から大きく離れた作為や状況が作られ、これへの自浄反応が停滞する。生来的な快適感からストレスと現れ是正の力に及ぶ事が社会の自然則を指し、この生態系が壊れる事による問題事象が随所に発生する。左巻きの物理依存と右寄りの抽象観念に偏した詐欺紛いの姿という両極に寄らない適正感覚が描かれる。
こうした世界観に同質性を抱かれる人々がどの程度おられるか、未知なる事でありますが、本書の基本的な志向性を指し人間像が描き出され、長く健全な人間世界を意図する力が注がれます。力んだ欲望や手法は不快事象を生み、出る所と引く所の快適な制御性を備えた感性に、共生感情と適正な挑戦の姿が映し出される。この感覚を内蔵した主体性に健康な社会を作り上げる急所が備わり適正な調和が形成される。
理想概念に対して歪性を放置するわけにもゆかず、適度な対応を果たさないと理想からどんどん離れた世界が進み、手の施しようのない事態が想定される。こうした趣旨から方法を作り投じる行為にあって健全性が掴みあげられ、受動的な感性にあっては悪性に同化し慢性的な体質と化す。この事態への自覚もなく同化して負の連鎖を起こす悪性には適正な配置が要り、大きな権限を備える性格にこうしたビジョンが内蔵されて負を断ち切る行為が進んで健康な社会への軌道が持続する。ビジョンの創出から認識が強まり力が集まって具体的な施策が加速する。いい年代に成って、20代30代と同じような欲望を見せられる姿は、日本の美感とは少々異質であり、どこか壊れているようにも映し出されます。