認識論の知見や探究が弱いと教科書や文字を出発点にした認識という思考停止的な構えが強められる。そもそも外界は動であり、人間の欲望から部分を切り取り文字や文に起こして静にするという観点を持って、教育方針や取り扱いの教科書との距離を掴む事が要り、書いてある事がすべて等という発想に立つ所に無理があり、無限の中から一部を抽出して動である対象を静にするという所与的な部分が抑えられないと、妙な文字への過敏反応が生まれる。教材を用い、教える側も、教わる側も、これを根にして学習を図る事が適当であり、出題の仕方や成績の付け方も、この前提から作り出されて偏狭な感性に寄らない自主内発の創造的な人間形成に連ねられる。何を正解にして教科書に書きこむかがそもそも非常に困難という性格を知り、その上で、学校の方針が示されどんな人間性を意図する教育体制を作るかの自己紹介を見せ、選択の自由に晒され、且つ、認識論の知見を強調して、ただ覚える画一性に寄らない考え出す教育を前面に示し教材との適度な距離を図り、出題と回答へも反映した教育体系に在って健全な感性や能力向上への道が示される。これを飛ばして、三次四次の次元の事象を取って批判する事の不毛性が指摘される。根っこから考え作る習慣の弱い、文字ばかりに寄った規則性による偏る感性からの問題提起は、実社会とだいぶ開いた感覚を示し教育を狭く狭く閉じた体系に押し込み、それが人間の作り方へ連なり歪な感性を宿す人間性に及ぶ。広く大きな生産概念や根本の認識行為への思索をもって、教育機関を生産事業者の一つと抑え生産主体としての自己紹介を行い自由選択に晒される中で生産者の努力が進み社会全体から見る教育機関や内容への適正な認識へ進行する。供給者としての開かれた情報開示を進め、自己尺度の鮮明性へ生産努力が図られ、理念やビジョン、体制を明瞭に伝達し、検証の記録を添えて信憑性を図る取り組みに於いて一般的な生産者と同程度の感覚が示される。教えてやるというような意識がどこか精神性を歪め、一生産者の自然な態度に及ばない所が教育業界への違和感と及び、教育者の異質な感性をしばしば受ける。知識をただ伝達するだけなら機械に任せればよく、より深みある無限の思考パターン等の発想力が磨かれて実社会での応用力が高まり真に有用な教育と配される。教科書等は素材の一つに過ぎず一定の社会的合意と成る事実と事実そのものの性格を抑えて未来志向の発想に寄った漸進性の開拓軌道が常態して人々との良好な関係形成を図る態度を養う事に重要な意義が備わる。うすら馬鹿は妙に知識量へ偏して序列を付け管理し配分を多く取りたがる。ここに精神面の歪みが顕著であり教えるという行為の深い吟味に於いて相互協働性の良好化に連ねられる。教育者や公務員、政治家、マスコミ等にしばしば浮かべられる性質と感じます。このような根本概念の適正化を持って実際的に健康な価値観の形成と実現が意図されて健全な人間の実現軌道が深められる。物性従属の小人の感性は人間性を下落させる。長期的な利益を見失わない歩みに於いて持続的な安定と成長の軌道が確保される。少々粗雑な心象表明に及びますが、広く多くの人々の感じ方と同調するかどうか闊達な意見交換に及ぶと幸いです。
教育概念の更新
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