大凡多くの人には「良心」がり、人からよく思われたい、気持ちの良い生き方をしたい。といった感性が備わり、これが活動の根になって良好性への制御と作用し、悪性への予防と連なる。理由の浮かべづらい生来的・本能的な性質を持ち、各種体験の中から個別的な心象が形成され程度の差と反映される。フラットな状態から正負の感覚が作られ負へは積極的に関与せず、正への関わりへと進行する。この自浄的、前進性の発想が根本的な体質の程度となり、悪性に同化する事への抵抗に現れるか、免疫化されて皮膚感と浸透し良心が崩れるかという流れに及ぶ。どこかでこの起点が生まれ、抵抗力よりも免疫へなって感受性の崩れに連なり一度を行うと二度目が容易化され習慣となって基本的な性質が変容する。箍が緩み下限事象を超え慢性化して逆戻りの困難な生産性に至りその感度を標準とした正当性を組み上げ肯定感を抱き自己慰めの負の進行と及び、中小の負を重ねどこかで大きな負に突き当たり改変の機会に巡り合う。
軋轢や衝突は適度に表出する事が健全な社会関係であり、過度な体裁に執着し表ざたになって悪評価を受ける事を回避する感性が深まると歪な手法を多用し大きな問題事象と突如に発生する。軋轢への免疫が弱まり感覚的な対立への過敏な反応や潔癖症が進む事から過度な画一的標準化へと作為が取られ強度な管理発想が用いられ異質性への排除策が強まりその副作用や反作用として大きな抵抗や反発を受け過敏と鈍感との適正へ修復される。この周期が物性と理性の調和反応となり生来的な良心等が根強く残って過不足の少ない自然修復に及ぶプラス性のシステムが浮かび上がる。他者からの指摘では変化に至らず、自然な周期を持って自己回復する事に於いて、自主内発の感性の蘇生へ進み、異質な常識で覆われた領域に変化の兆しが生み出される。この流れを阻害する要素を取り除く事が他者が出来るせめてもの施策と成り、間接的な因果に当たる構造的な弊害面を取り除き良心が促進される向きへ働きかけ自然調和への加速と及ぶ。
かなりの程度進んだ歪性には、直接的感情をそのまま向けるよりも、賢明な自主内発性の促進策を間接性の視点を持って投じ、健全な体質へと運ぶ事が文化政策の一つと数えられる。頭脳的な作業への深まりから感覚的衝突の免疫が落ち、過敏な神経質を齎して偏狭な標準が作られ、その尺度を強要する力が進められ、過度な管理志向に陥って見境のない手法に着手し、負を積み上げ反発へも物性で押し通す強引な荒技を用いるスパイラルは気の振れた迷走を指しどっぷり漬かって正常な感性を見失う。アナログ的な性質の弱まりはこの傾向と現れ、物性の直感的反応を強められる。隠蔽的な手法へ走り表裏の激しい乖離による人間の脆弱化は良い傾向ではなく、衝突や対立を堂々と執り行う重要性が確認される。謙虚さと寛容性と対立と自制と循環のスパイラルに常設のシステムが作られ、中小の軋轢がある事に正常さがあり正の事象となり、ここに快適を抱ける感性が適当となる。大きな失敗を招かない為の良い事象と捉える感性に健全性が生まれる。
頭脳過多や物性従属の体質から妙な優越性の意識が強まり、体の交流を避け手先の間接手法を多用し精神的なねじれを深められる。ここに争いの根が起こりうすら馬鹿的な心持が人との真摯な対峙と離れ、平等感覚を失った管理性の欲望を強められる。頭と体の適度な循環を持つ規則性にあって人との生身の感受性を良く窺い知り対象との良好な調和を見出される。これに至るまでには率直な衝突は建設的な道筋に置かれる。他の力への依存心が作られるほどに生身の交流から離れ、対象との誠実な対話を欠いた斜に構える態度が現れ不快感として対象に感じ取られる。これに及ばないフラットな感性の持続に健康な精神の実感が生まれ物依存体質の予防へと修復される。