一流像と三流像

悪い事をした場合は、まずはどけ座して額を地面に擦りつけ、「どうもすいませんでした」と気持ちを込めて相手に告げ、そして、「如何ほどでしょうか?」と被害の額を率直に尋ねるか、或いは事前に「大凡このくらい」という目安を付け持参する態度が欠かせない。これがオーソドックスな日本人の基礎的な作法を示しプライドを持つ人間性が映し出される。相手方の態度は二次的な判断基準であり、自己の尺度を一次基準として自らの行為を自ら計り相手方に言われるまでもなく自主内発の行為に及んで、他律的強制力に寄らない犬や猫とは異なる自律や自制を取れる人間と見做される。相手方の顔色ばかりを伺い怒った反応がないとみると態度に表さない受動的な精神は子供と同じであり恐怖や脅しがないと反応できない幼稚な感性を明瞭に表される。又は相手方が知らないから「騙しちゃおう」という発想も日本人の気質としては大変恥ずかしく、とても積極的な交流を持ちたいという性格と外れる。

生産者や専門家としてのプライドの取り違えを示し利用者への被害が想定される事には専門者として明瞭な説明を進んで取り、何としても関わる以上、迷惑は与えない態度に在って力の適正な用い方が示される。永年の時をかけ積み上げられた確かな技術から自己を律する心の構えが形成され自己を客観的に見定める見識を持ち万が一にも利用者等への被害を与えた場合は上述のような潔い態度が生み出される。一流としての確たる自負が失敗へ対する誠実な態度と現れ、人に言われるまでもなく自らの秤で対象への適正な反応を示す事に及ぶ。これに対して、三流の態度は何をやっても受動的な反応に終始し責任の転嫁ばかりへと意識が向かう。そのみすぼらしい態度は醜態の極みに成り二度と関わる事はない強い心象が刻まれる。これに及んではもはや慢性的なダメ人間に至り、失敗への反省などに及ぶ事はなく、似た者同士で群れを作り傷をなめ合い窮地に及べば仲間割れして責任をなすりつけ合う無惨な結末を迎えられる。日本人の良質な気質からは大きく外れた人間性と映り群れては強気になって自己の制御を失い横柄な態度で醜態を見せられる。力を持っては気が大きくなり淫らな行為へと及んで大きな失敗を招かれる。ここに至って誰も止められず自らの失敗を更生する試練を経て改心する工程が欠かせず、自律が取れず他律による強制において外界への負を予防する事が必須とされる。顔をひっぱたかないと目が覚めず犬猫扱いとしても致し方なく、強い鞭を打つことも場合によって必要に思われます。

日本人という名称は否応なしに付けられる。同じ日本人と同一視される事は迷惑であり三流の人間性を作りださない意識や仕組みが形成されて、減少させるまでには恥を承知で膿を出し健全化を図る過程からは逃げられない。直接間接に遠からず負が回る想定に立ち早期是正の手立てを講じ取り返しのつかない状態を回避する事が肝要に思われます。一流と三流という区分をある程度明瞭にさせる事が、皮膚感覚に伝わる人間像と成り一定の効果が期待できるように思います。こうした原理を持って社会を見渡し、原理と実際の適用を持って事象の性格を表し共通認識を強めて力が増進し、現実を動かすものと想定されます。通るべき道を外した恥ずかしい人間性は隠しきれずその器の範囲で暮らす事になり、実質的な人間の成長はそこで停止する。器を超えた過剰な欲望を求めても外界からの制御が図られる。単純性の物理依存が浸透した体質におけるひ弱な精神性というキャパシティーの限界が訪れる。後は歪んだ手法ばかりで誤魔化す生き方を続けられ真なる調和の道と離れた世界を求められる。ここに三流から二流や一流への成長を果たす肝が備わり真摯な自己との対峙を習慣と持つ強い精神性を宿す文化の性格が現れる。

社会科学の意義

社会の基盤的堅持という面における社会科学への期待を示します。保身の為に権力を用いて個人の生命財産を奪う事は根本的な欠陥を持つ個人の性質に起因して生まれる事象であり、民事上の責務と同時に刑事罰の対象であり社会の悪性を看過せず法治国家として当たり前の法を執行する事が期待される。社会システム上の根幹的な問題を指し法規制自体と運用を行う生身の人間性への吟味に及ばせ不適格を是正する持続的な活動において権力へ従属的な依存症への予防が図られる。長期に渡り大きな権限を保有し執行する過程で、法の精神と逸脱した私的な利益へ寄った運用に及ぶ事が権力の悪用を指し、この事態を招かない為に報道機関への特権的な事実上の権限が与えられる。そこが腐ると悪性の権力と同化し監視が無くなり手のつけられない暴走が生じる。司法がこれにどの程度関与して事前予防の施策を投じられるかに着目が及び立法と行政の検証機関としての健全性が求められる。ここまでが歪むと制度上の箍が無くなり非力な個人は暴走への対処が行えず国家的犯罪の犠牲を受ける。物性的な原理に寄らない純粋な理性による法の執行を欠いた運用に在っては、保身性の欲望による不適格な性格の運用者と特定されこれを放置すると二次三次の悪性が進行する。こうした想定が権力への不快事象と予防の観点で在り、高度なシステムが作られても実際の運用は生身の人間が執り行い、後者に重心を置いたシステムの適正が測定される。権力システムに関わらずあらゆる欲望の充足に及ぶ力の関係は、健全な精神を備える人間に軸足が取られ、ここが腐るとシステムは形骸化し空の理想が掲げられ意図した実際の状態と乖離する。運用者の人間自体への監視を強化し或いは長く権力に関わらせない制約を設けて悪性の想定と予防の施策を持って制御する賢明策が設けられる。それを容易に覆すような態度に在っては深刻な適格性の欠如であり手のつけらない力への依存症と見做されても不思議はない。私的欲望過多の責任意識の劣りは大きな力を任せるには及ばず肥満な性質への的確な判断において負の連鎖を食い止める事が欠かせない。嘘偽りのないありのままの事実を少なくとも公開でき万人的な視線に及ばせ事象の共有や切れ目ない連なりをもって未観測の少ない真相に及ばせ、長期的な性質の下落を防ぐ願望により悪性への対処を果たす事が集団的な自衛とも伺えます。国と国における自衛を果たす原理とも同様であり、制度内容と運用者の両面の健全性が確保されて実態に反映される。個人の性質と需給という構造上の適正と、広く大きなシステム上という観点から全体の健全性を計り修正点を浮かべる包括的な改善に在って制御が叶えられる。こうした焦点が社会科学の優先的な目的に配され下限的な制約を下落させず基盤の崩れを予防し積極策との因果を含めて総合し適正を創り上げる事が公共政策に思われます。運用者から距離を持ち利害の離れた立場による客観的な判断に真価が備わり、中に入って自己を見失った性格への適正なジャッチを下し水準の緩みを縛り賢明な軌道の維持へと力が注がれて社会的な有用性が認められる。学者や報道機関、或いは一人ひとりの個人において、こうした意味の理性が少なからず内包されて、過熱や歪み、堕落を矯正する仕組みが備わり健全性が守られる。客観尺度の形成と現況の観測と適用の公平公正な仕組みを持って納得性の高まる判断が生まれる。説得力の弱さは研究や活動からの低付加価値を指し求められる水準に満たない活動者になりこの領域へも自然淘汰が進んで良好な芽が表出する。理想概念の形成へ偏して現況認識が示されず人々を納得させる方法が生まれない。業績の計り方に問題が予測され社会的な有意義性の精緻な測定システムを作り余剰や遊休資源に及んでいないか定期検査が望まれる。

妙に肩書ばかりを強調し効用が弱い姿に在っては不用であり歪な精神性の強い人間性とかけ離れた生産者は悪性の元と特定される。学問の意義を見失い形骸化した領域は淘汰して良好な循環を強める事が正しい力の用い方と示される。名誉教授等という大層な肩書で実の弱い姿は醜態と映される。頭と体の分断した感受性の崩壊は負のエネルギーを発する。無用な政治家、マスコミや学者、暴走した経済人を鮮明化し悪性を拡大させない事が最低下限の社会科学者の役割に思われます。悪性の下に成っていないか。前述の教育の真価を尺度に測定した適正な判断が望まれる。

表現の真相真価

一つの表現が示される。この表現の前段にいくつもの前提的な認識が添え置かれ、部分的な表現が強調される。経済とは○○である。政治とは××だ。という固定概念が作られ、その上に表現が絞り込まれる。物事の起源を示す源流や上流から見て3次4次の段階に在る焦点を取り、△△である。という願望を色濃く含む言葉が作られる。各種の固定概念と生産的な立場にみる利害という前提を下にした表現の性格を各種利害関係者による吟味が加え、前提的な概念への異同等へと思索が深められる。表に示されるまでの因果の連なりが整理され生産者利益に過度な重心を取られた主張等が映し出される。こうした様相に無意識的な強要や押しつけの性格を持つ表現が浮かび上がり、明示されない部分への探究を含んで表現者の真相が露わになる。二次三次と前提に前提を重ねて作りだされる表現は、欲望や価値観の表明と外界への要望という真相に在り、この事が抑えられて適正な要望と負担と質の作り込みという一方向性から相互的な対話に及び、両者の利益を見出して協働、共生の方式へ展開する事が対話や議論、関係形成の筋道と描かれる。

学問体系等も、行政という立場からの表現の性格が強いものか、教育を受ける側という立場から教育を作り込む立場へと次第に関心が深められ、主権者という性格が作られる。国を守るという発想は、主権者であれば少なからず意識に内在し、行政運営の安定と特定経済活動は密接に連動する。治安や災害、教育や病気や老後への対応といった面への不安が高まる事には、自己の直接的な生産への悪影響に及び、政治行政運営への適正を考え発言し作り込む主体性の感覚から、公との真摯な対峙を持った態度が生まれる。こうした関心に直接的な従事をする事の負担が生まれ、信頼できる他者へ委ね代議制の仕組みが生まれる。或いは、解説者や評論家の立場に頼らざるを得ず、その存在の必要性が浮かべられる。いずれの表現者にも生産的な利害という私的欲望を充足する性格を含みつつ、外界への利益を提供する事に於いて私益と公益を含んだ生産行為になり持続的な生存と繁栄の活動が展開される。この生産活動への付加価値と負担の適正へ焦点が絞り込まれ、良いサービスを適正なコスト負担の需給に及ばせるのに、どんな前提を取り入れた表現であるかへの思索が深められて、表現者の真価を浮かび上がらせる事になる。安定した秩序と活力ある自由という二面の欲望に対して適正な基準感覚が作られ、私益性の事柄と広く長い公益性の利益を含んだ要望が表され、過度な私的性の強調によらない社会性が備わり、外界から受け入れられる表現者が生まれる。以上のような論理は長期的利益を求めて作りだされ、こうした欲望と充足への期待を抱かれる人々に在っては利益となり需給構造が生まれるものと思います。

教育への提言

1)認識論というベース観念が抜けて、文字ばかりからの表現と理解に偏る事から、基礎の弱い根拠の明らかでない論理が形成される。社会人として求められる生産性の下地が作られず、他利を作り自利を得るという活動の規則性が強化されない事には、健全な人間性に及ばず、利己性の強い感性を備え、盗みや詐欺という性格の生産に寄った人間が作られる。

知識の吸収基盤となる「認識論」への深い思索を経て、文字で書いてある事柄をそのまま取り入れるのではなく、感覚的な裏付けや体験的な知の生産への意識が強められ、物事を考え作る体質が深められる。この基礎回路が常態して、外界への探究心が強まり、文字や人の言う事に対して、良く吟味できる感性が形成され、確かな根拠をもった表現や生産が進行する。

2)そして、「人間論」等というカテゴリーを設け、人間の基本的な性格についての知見を形成して、各種の知識を入力する筋道を設ける事が、知のインプットと変換とアウトプットという基軸的活動の筋道を創り上げる。欲望と充足というサブカテゴリーを設け、生物的欲望、物的欲望、心理的欲望といった主要な観点とこれを充足するにはという起点を設けて、人間の生きた生産性が宿される。

3)これらの上に、自然科学や社会科学という「特定の対象」を限定して人間にとって深く吟味の出来る体質の下に有用な知を吸収し、変換してアウトプットの出来る生産性に及ばせ、単なる知のストックに留まらない付加価値を作る「フローの良質性」へ繋げる事によって、健全な心身と肉体を備えた動態が促進され、他者との良好的な感受性を根にして、情緒的な融和性に基づいた頭脳と身体の活用というサイクルが常設化する。学ぶ事の動機づけにも連なり、探究心の深まりに及んで、学習への意欲や自主内発の研究力へ繋げる事に於いて、自主的成長の体質が創り上げられる。

4)二次加工された文字を出発点にする教育は受動体質を深める。「頭ばかりの作業性」で、点数稼ぎをする習慣が深まると、感受性の育たないままに、知を暴走に用いる等の弊害と現れる。一次情報を基盤に持つ生産型の体質にあって、二次加工した文字への適正な距離を持った感覚が生まれ、ゼロベースの盤石な根拠や裏付けへの意識が強まり、浮ついた事柄への峻別を持ち、過度に影響されない自身の柱が形成される。

知識ばかりの吸収へ偏った教育プログラムは、却ってフローの良好性を阻害し実社会には適さない人間を創り上げる。役所という所の規則性に見る一般の生産者との違い等を客観的に把握の上に、多くの生産者と同様の発想や体質に適合するプログラムであって、有用な教育へと高まる。基盤が歪んだ上には痩せ細りの人間が作られ、頭でっかちで動きの可笑しな発想へ偏った精神のねじ曲がった性格が創り出される。これを代表するのが、一部のマスコミや政治、行政という領域の性格にも映し出されます。

5)「基礎基盤」となる体系の善し悪しが健全な積極性を生みだす回路を作り、受動的な体質の依存型の生産者に及ばぬ予防になり、基礎の良質性が重要な人間形成の柱と組まれる。

感覚と観念と感受性の有機的な動態を持つ人間性に於いて、太い人格や芯を持つ主体に及び、詐欺や盗みに走らず真っ当な対象との対峙を持ち、真相や真価を掴みあげる堂々とした性格が作られる。一方向的な利己性を強めて物性に従属的な性質に寄らない双方向の利益を見出し協働、共生する社会の形成へ向けた教育が21世紀のビジョンに映し出されます。

以上が、当方の文化という観点からの教育に対する提言となり、基盤の良質性を図る体系が『日本文化原論』と纏められます。