抽象的概念と感覚的な質感を繋ぐ言葉が作られないと、表現の真相や真意が良く伝わらず、それを持って単純な反応を示す所に、現代的な人々の過敏反応が浮かび上がる。「戦争反対」等という言葉も一例であり、大づかみに戦争という概念を抱き在ってはならないという意思表明をする事自体にも意味や効用は生じるものと思いますが、より根本的な争いの生じる感覚的な場面想定を浮かべて、戦争という大きな対立に至る因果を研究し、争いの根本的原因を掴み、予防の手立てを講じる発想に、健全な事象との対峙を持って物事を遂げる感性が示される。声高に戦争反対という事自体も大切な表現には違いはなく、そして、より突っ込んで上流と下流の因果や不快事象と快適事象の相関等へと視線を深めて、有効な施策を発案し投じる活動に戦争反対という感情とその程度が実感される。
身近な感覚的事象と間接性の因果という広がりの中で、多数の変数が現れ、複雑な相関の実感が生まれ、その中で特に影響の強いという事柄が、主要な原因と特定される。つまり、不快事象の特定には、時空という範囲と要素と要素関係にみる動き方を斯様に実感するかにおいて、事実の認識が生まれる。多数の要素の知覚と其々から生まれる刺激と反応の関係性を掴みだし、最も不快な感覚的反応に及ぶ直接間接の連なりを分析し、源流に備わる強い原因を浮かび上がらせ、その根元を変える事で二次三次の因果が変わる。
根本原因がどこに在るか、そこへ有効な施策を投じる事が、抜本的な改革等と呼ばれ、確かな変化を齎し、二次三次の相関に反映される。このような営みが、生産活動の基礎的枠組を指し、強い思いが対象への深く広い認識を掴み、因果の精緻な分析等へ及んで、重要度の特定や序列を掴み、断片的な事象の把握に留まらない体系的な対象の把握に至り、対象を良く窺い知ることを表す。そこから、主体の欲望に対して対象との相関を浮かべ、意図する変化に対して対象への有効な施策を考え、予期する事象と実際事象の開きの少ない制御性が高まる。この力を投じる事が、生産行為の標準形であり、これに照らして部分性の生産や、部分間の協働を持って、大きな利益を遂げる共生と協働の実践が果たされる。
同一的な感受性を下に、事象の特定と把握を取り、不快や快適事象の生まれる因果を掴んで、不快は減少、快適は増進、不快と快適の相関までも視野に含んで、適正な施策を導出する事が、共生感情を表し、一過的対処に留まらず、良好な循環の系を導き、再生産の永続的な規則性に連ねる人間の叡智が注がれる。
教育の目的は、在るべき人間像への探究と実現を指し、生産行為の中で磨き研ぎ澄まされ、感覚的な質感に及ぶ実感を掴む事に於いて、人間が掴みだされる。言論という表現行為と共に、感覚的な質感に及ばせて、完結性を持つ生産が示され、感受性を根にして頭と身体と他者の力を組み合わせて、人間を創り上げる道筋が描き出される。
比較的若年の学生に対して、この根本的な概念を備えさせる事に於いて、健全な生産と人間性が作られる。基礎教養のあり方の善し悪しが、良好な社会へ連なる因果に在り、盤石な観念を伝達する役割が教育者に求められる。頭に留まらず体の反応を表す人間を創り上げる事が、教育者に求められる。心を備えた責任意識と適度な欲望の制御性を持つ健全な人間作りが教育の主要な課題であり、頭だけの伝達で留まらない体の検証を如何に取れるか、ここに教育の真価が浮かべられる。
原論ばかりの表現者が多産される状態は、あまり良い傾向には映し出されず、現代社会の不快事象の認識に及ぶ。教育の反省点と捉え健全な人間を作る社会的な要望が少なからず浮かべられる。根の痩せ細った論理や他者を過剰に攻撃する人間性、外界ばかりへの過剰な要望、自律心の弱さ、モラルの破綻、こうした面に教育の検証面が特定され、心身の健康な人間像へと及ばせる施策を発案しプログラム化して教育の向上へ連なる。日本文化原論の基礎教育がこれに少なからず有効な内容であると考えます。