表現の真価

原論に行為という活動性の実感が及ぶには、言論に納得感が生まれる事が要件と浮かび上がる。言葉だけで行為がないという捉え方に対して、言葉が他者への刺激と成り反応が生まれる事には活動性が宿り物事を動かす力を備えた行為と映し出される。これに及ぶには、感覚的な質感を経て感受性の同質性を生みだし各人の主体的な欲望に及ぶ表現に及んで、強要的な指示命令とは異なる自らの尺度による自らの判断と反応が確認されて、付加価値を持つ生産が投じられたと見做される。

現代社会における言語表現の発達という面に浮かび上がる表現という創造性へ対しての評価の示し方を表し、知的創造性に有意な実感をもつ人々の感性が浮かび上がります。刺激と反応が要素と要素間の関係性を見る焦点になり、言葉というアウトプットに対して受け手が何者にも寄らない自己の意思で受け取り何がしかの心を動かす刺激を得て変換工程を経て刺激を与える主体と成り言葉を投じる連鎖が見られる。こうした様相から因果の実感が掴みだされ原論自体に意義が現れる。感じて動く作用に及ぶ生産性という真相が映り、感覚的質感を齎せる行為の性格が宿される。

頭脳ばかりに偏した言論で在ってはこの現象には届かず感覚と感受性の工程体験から確信性や正当性を作る事の出来る言葉や論理が形成され信用という質感を持って動きへと連なり言葉への真価が付けられる。現代的な知的創造性の進行する社会経済状況に於いての無形財への適正な解釈が創り出され、付加価値の実態を精緻に捉えて創造性への意義や納得性を向上させ、良好な力からの表現へ相応しい価値の評価を下す体系の認識が形成されて体と頭と心を不動にする人間からの創造行為を正しく掴みだす事が少なからず必要に思われます。

「言うばかりでやらない」という一面的な心象により深い物事の実態を掴み、生産性の良質な共通実感を揃えて価値の向上へと及ばせる体系が人々のニーズと映し出されます。正しい言論の質が測定されて適正な評価を与え資源が回る循環に於いて良質な言論を生みだす持続的な仕組みが作られる。感覚的質感や感受性に届く表現や強い刺激と成って熱を生み創造への力と及びアウトプットへ連なる事象に対しては行為という実感に及ばせる事が自然な感性にも思われます。容易なことではなく確かな表現者への信頼性が含まれた表現に実相が現れる。単発的な言葉から体系的な論理など質量の相違が生まれ、実際にどれだけの信用を齎し影響に及び幸福感を作りだしたかにおいて真価が測定され方法という付加価値の認識が高まり物事を動かす力と捉えられる。

人間性の本質を体と頭と心の有機的な主体性と確認の下に感覚と観念の健全な姿が把握されて心の実感を掴み、真実や真価の内実が付けられる。小手先で体よく整った言葉や自身で創り上げた言葉でないと確信や納得に及ばず表現者自体の心理面の良質性等を含み体全体から適正が伝えられる。自分への信用の弱い表現者は外界を信用させる力は生まれない。歪んだ行為や方法を取る程に自らへの信頼が持てずその姿は外界へと伝播し反応へ反映される。自身を誤魔化し他者を欺く性質の表現には力が宿らない。人間とどこまでも真っ直ぐに対峙してありのままの姿を掴み快不快を抱く事は理想像を備える相関に在り、そして光に向けた力が湧きたつかに理念の実態が浮かび上がる。

生産概論と因果応報

人間社会を観測する視点が多種多様な角度から浮かべられ、善悪美醜という評価感覚として示され、それへ対する促進や抑制の方法を考案し、他者への共感を及ばせ、意図する結果への資源を集め効用と影響の勘案により、具体的な合意を取り付ける過程が生まれる。これらの起点に、皮膚感覚という生物物理的反応や感受性という心理反応の生じ方が現れ、この感度によって反応が起こり、過敏や鈍感と普通という尺度の下に評価が生まれて、二次的反応と成る方法への探究が進められる。強く不快感が生まれれば急激な反応で不快を回避する事へ及び、或いは物事の複雑性から単純に反応が示しきれない事柄等が現れる。

感覚性の反応と対象の広がりを持つ事柄への吟味を経て判断を下す事という相違が生まれ、対象を感じ取る嗅覚や奥行き感の持ち方によって、二次的反応へと連鎖し方法へと反映される。このような社会生活における中軸的な観点により、自然や人間を良く窺い知る事へのフレームが生まれ、因果の在りようを探り対象を把握する事に及ぶ。そして自己の側を知り、自己の欲望と外界への働きかけを持ち、自他の調和を見出す事が広い意味の創造性と規定される。

対象の認識、それへの一次反応、方法の展開という二次反応、自他との共通感度の形成と効果と負担の合理的な説明と予測、合意と実際工程の進行と検証、学びと反映の蓄積といった周期によって、活動の一巡的な区切りが設けられる。生産者の標準的な型式を指し、これらの経験が生きた皮膚感覚の知を吸収し、実際的に有用な知見となって、再生産への財産になり、他者への付加価値を与えられる。事象に深くコミットする分エネルギーの質量も必然的に強まり、吸収する正負の栄養も濃度が強く、記憶に強く残り、同質場面での応用力となって実践的な力の実感に現れる。観測と一次評価で留まる評論家と、二次反応と完結的な循環の持続性を持つ実務者との知見には格段の差が生まれ、観測する変数の多少や深さの違いが鮮明化される。どこに集中して力を投じるか、広く浅いスタンスや、深く狭い限定等によって、各自の感度の異同が生まれ一次反応の差と成り、次後の工程へと反映される。生産者の性格と成って表され、生産の質量と需要者の求めとの適合への模索が進められる。感覚差や責任意識の相違が、こうした過程の違いから形成される。淡白な反応や粘りの強い忍耐性とへ及び与えられる責任や期待の質量が生まれる。一過的か反復的か、影響力の大小など、事柄の性格と生産者の質との適正を合わせて、需給の円滑な構造に至り、ギャップが大きいと頻繁に衝突や対立が顕在化し、要望と対応の明瞭化とすり合わせの交流に於いて次第に共通性が作られ、安定した感度の対話に及ぶ。

このような生産の全体観を想定の下に、各所での適正な振る舞いを探し、持続的な生産へと連ねられる能力を含んで、生産者の総合的な力が測定される。一過的に目立つような所へばかり視線が及び、極端な評価を与える事無く、中長期の視野を定めた部分の構成に在って、健全な理性を備える感度が作られる。部分的な事象への過敏反応か、或いは重要度の当て方の相違か、敏感や鈍感という感度への感度が当てられる。全体ビジョンの幅や、想定範囲の要素の数、要素間の因果等から周期となる時間の長短が生まれ、対象の予見能力や創造性の程度により、部分性への感度の違いと現れる。このような想定から、事象の真相をどのように浮かべられるかの相違が生まれる。解答への無限性が生まれ、探究心は尽きる事がない。出来たという感覚も所々で生まれるものの不十分という発見が現れ、そしてコスト感覚との相関で適正を見出す事によって健全性が備えられる。このような生産概念の有無が自他の生産への尊重心等に及び、著しく欠くと、ギブアンドテークの感度が狂い安易な盗みや傲慢な性格が作られ、それへの自然淘汰の仕組みに於いて適正化される。いわば人間社会の自然律となり、因果応報という理想的な願望を示す理念と謳われる長期に渡る安定と繁栄の根本原理と浮かび上がる。異常な肥満者や堕落者へは一切の妥協は要らず相互の良質化への道を想定の下に局所の適正が導出される。集団のトップに備わる感性が、これへ大きく影響し求める感度の同質性から公平公正に選定されて納得感の向上する社会が作られる。どんな社会ビジョンか、人間像か、理想図と現況の認識から方法が導出される。これを予め示し選定するプロセスが現代的には求められるように感じます。

包括的文化ビジョン

既成事実化によって短期的には自己の思うが儘に意思を通して欲望を達し、他者よりも抜きに出た勝者であるという意識が強まる事かもしれませんが、それを見ている周りの意識には、節操がなく、まともな会話が作れない相手という認識が強く心に形成される。根本的な性質の違いが強く意識され、中長期的にみる人間の心理的な面への欠陥となり、信用のされない異質な対象への異質な対応策が強まり、まともな人間の扱いには及ばなくなる。物性への過度な依存症は、一過的な成果を齎すものの、相手方への悪い意味の心象が強く刻み込まれ、代々に渡る性格という固定概念へと及んで、「○○は、××である」と固められる。

いくら改心し修復されても、一度起こした悪性は容易には解消されず、負の遺産として長期に渡り引きずる事になる。安直な物性の短変数の方程式による自己制御不能な性質への付けは大きく残り、一時代的な面では済まされない。こうした歴史の教訓が正常な良心を宿される人間に少なからず残り、安直な反応への反省と刻まれ、心理的な弱さへの自覚と共に、良好な感受性を得たいという欲望が起こり、見直しの周期が訪れるか、物性依存のまま心理的な連なりを持たない関係性で生涯を負える事になる。或いは最悪には、物理性へ対する物理性の取り返しのつかない被害に及ぶ事態を招き、悲惨な状態に遭遇してから、悔い改める事になるか、等々の想定が浮かべられる。哀れな結末を見るか、どこかで制御力を養うきっかけが起こり、まともな人間と相手にされるかのいくつかの節になる場面での決断により、進路の違いが生み出される。

多くの良識を備える人々が暮らす空間に在っては、この適正感覚が在る一定程度備えられ、商慣習等の交流に現れ、それへの価値を抱き、いわば同一の良好な感性として自主内発的な反応が起こされる。これへの下落は資産の劣化となり、積み上げられた価値の棄損と認識される。一見すると明瞭化しづらい資産と置かれ、しかし鮮明に下落を感じ取り、資産の目減りが実感される。回復するのに不可逆的な皮膚感覚と慢性化し、一度落とすと下落率は過給的に進行し、箍の嵌まらない体質と化し、物理依存にどっぷりハマった性質と及び、悪意性の強い既成事実化を図り孤立した人間と至り、周りからの付き合い方も物性のみの対話が生まれる。外界に見える物事はすべて敵対的な対象と映り、心が落ち着く事はなく、常に攻撃性を持つかガードの強い守備体系をひき、外界との融和性よりも抑圧や強要を生み、非を認めず相手方へ責任転嫁し、大きな利益を作る感性は弱まり、即効的な利己性ばかりの姿が鮮明化される。

直接的な心のぶつかりは持てずに、間接的な力により相手よりも優位な状況をつくり自己の生存を伸ばす手法を多用する。当事者による解決には至らず、間接的な道具による優位性を図る手法が慢性化し、孤独な拝金性の感覚の焦燥感が深まりを見せる。堂々と真摯な対象との対峙によって、良いも悪いも、健全な感受性に基づく体験が得られ、一過的でない信頼の繋がる持続が生まれる。物性への安易な従属は、根元を瘦せ細らせ、歪な性質の体系と現れ、持続的に健康なエネルギーを生み続けるには及ばず代を跨ぐ生命の存続には至らない。良質性を積み重ね、資産と残る文化の形成に在って、有用な知恵が高度化し、永続へ連なる洗練した質の高まる型式へと磨き抜かれ、正のエネルギーを発し続ける良質な有機体が生まれる。幸福感はこうした道筋において充足され、下落した体質に陥っては、それを感じる事の出来ない資産の喪失と解される。

安易な既成事実のごり押し的な行為はよくよく考え、後悔のない賢明な判断に及ばせる歴史の知恵が現れる。この哀れな対象へは妥協なく一線を設け負の拡大を留め、健全な人々との交流を促進させる事に在って正が保たれる。同化する事には良好な未来は訪れない。これを無理なく行える環境整備策等も少なからず作られ、局所のみならず大所のシステムを作り込み、多彩な知恵が投じられる。集団的自衛等もこの文脈に現れ、歪さへの対処や予防への重要な施策と配される。

一方、違法な手法で個々の成長を妨げる物性の用い方は集団的な利益を求めての行為とは間逆であり、私的な保身を先んじて権力を乱用する性格に在り謳われる大義と内実のかけ離れた悪性による虐げであり、この暴走には妥協はなく全てを明らかにし悪性の根を切る事が通るべき健全な課題に置かれる。これを都合よく解釈して悪性を働く面々が映し出される。健全な自由を求める行為は誰からも阻害されてはならず適正な制御内の挑戦にはオープンな態度が必須と成り両者の適正な見極めを持てる感性に持続的安定と成長の調和が見出される。攻守の健全性を含んだ包括的な文化ビジョンにあって、良好な緊張と緩和の快適な秩序が齎される。

力を備えるほどにその利用の実態が問われ、利己的性格の強い姿か大きな意義を備える行為であるかの真摯な事象への対峙と判断を下せる健康な精神の所在が欠かせない。肥満症はこれを歪め偽善を多用する。この悪性を炙りだじ表裏を整え健康な気流を促進する好循環の加速が経済産業、政治行政の適正を齎し健全な文化が土台に在って遂げられる事に思われます。

中心と周辺の適正感覚

価値の無限性を根源的に備え謙虚な探究心や多様な価値への寛容な姿勢を作る重要性が謳われ、人間平等という精神性を持続する長期的な基盤への重心が作られる。この理想ビジョンに対して実際的には人間の生命や財産に直結する事柄の優先度が浮かび上がり、どんな生産領域を中心的な基軸に備え周辺を構成するか、価値の序列が創り上げられる。多くの生活者にごく自然と内蔵される感性に思われます。衣食住や安全保障という事柄への直接的な生産に従事される人々の原論に重みが備えられる事は言うまでもなく、娯楽やスポーツ、漫画や芸能、テレビ等はどちらかというと余暇の範疇に成り、同列的に並べるには無理があり、中心を担われる人々の責任意識や比例する力の行使には格段の違いが生まれる。

賢明な生活者に備わる自然な序列と成り誰のどんな発言に耳を傾けるべきかの適正が生まれる。利己的性質の強い大衆雑誌や漫画家などは対象とされる責任範囲はごく限定的な性格に在り、基軸に備わる人々から見ると、端っこの存在に浮かべられる事は言うまでもなく、人々の生命に対する責任感覚の相違は格段の違いに在り言葉の重みの相違と受け止められる。面白おかしく視聴率を稼ぎ自己の利益を気ままに追求する態度と、実質的な安定と成長を作る生産性との感覚差は比較にはならない。平等思想という理念に同一的な価値を備えられるものの実際的な社会生活における価値の重要性への認識が現れ人々の関心や重要度に反映される。このバランス感覚を欠く態度は却って違和感の強い感性と浮かび歪な変わり者が価値の重要性への酷く異質な態度を表される事へ不快感が生じ身の程を弁えない特異性と映し出される。このような感性が多くの生活者の根元に組み込まれ一過性の生産者と社会の基軸的な役割との分別を持って健全な感度が創り上げられる。

今日、大衆的な扇動事象に思われる作為が度々起こる事に対しして、一過的な趨勢に流されずに確かな価値の重心と評価感覚を持って制御の図られる文化に長期に渡る安定と繁栄の原理が創り出される。言うまでもない基礎的な感性と思いますが一部の歪んだ性質がしばしば極端な利益を求めて異質な態度を創り上げる事に適正を与える工夫等を投じる事が文化の観点から浮かび、少なからず必要な表現に思われます。知名度等へ過度な依存による責任感覚の劣る表現に目を覚まさせるような管理監督者の適正な責任が強調されて負の影響を広げない反応を持って健全性の確保を図るメリハリ感が長期的な人間形成の重要な作用と浮かべられる。

姑息な手法に寄らず、堂々と原理創造型の気風を崩す事のない態度に無形財産があり、見えづらいようで重要な事柄を棄損する事なく、物事の真価を見定める一人ひとりの盤石な民度において文化の実態が守られる。根源感性の違いは見えづらいようで言葉の端々や振る舞い、発想、態度に鮮明に現れる。物理依存の感性や頭に過度に偏した体質は、健全な対人関係を欠いた歪んだ手法や性質を露わにさせる。根深い悪性の気流を拡散する事のない正々堂々とした性質を堅持する事に大きな価値が浮かび上がります。この人間性にこそ中心観点が取られ、良好な機能や用い方の適正を生む動力源であり、この相関や序列は不動的な原理に相応し、枝葉と根幹の配置を間違える事のない感性に重きが取られる。人間性が悪いのに電波利権等を与えると悪性の影響は計りしれず、或いは物性の力を社会的に大きな利益を外した利己的な性質の強い願望の充足と用いられる。力と人間の適正を創り上げる事が文化の中心焦点と備わり、力を授ける資格要件が創り上げられる

文化測定トレーニング

文化測定トレーニング

文化の素養を鍛える基礎的な焦点を以下にご紹介します。人の世話をするという態度で人から資源を盗む実態に映る事象が度々現れる。「だいじょうぶですか」などと近寄り、何が自己の栄養になるかへと視線を注ぎこみ提供するのではなく奪い取る実態を持つ行為であり偽善者や詐欺師といった名称が付される。これが悪性事象の代表例であり何を提供するのかを鮮明に示し訴求して興味があれば接点を持って負担と技術と質が作り込まれる。盗み癖を濃厚に有しながら人前で主張をする姿はこれに近く、他利へ繋がる表現を出来る立場に無く、自らの盗み癖を直す事や損害賠償をまずは行ってまともな所へ到達して建設的な提案を働きかけるだけの要件が整う。基礎の躾が劣り善を気取って外界から奪う主体性に悪性の根深い性質が浮かび上がり不快事象の根源的側面が現れる。こうした観点を持って対象を伺い知り真相を明らかにさせる作用への期待は少なくない。表面と実態を明瞭化させ、提供する性格か、奪い取る性格かを、客観的尺度を持って適用し正負の割合を計って適正な主体の性質を認識する事に於いて良好な秩序が促進される。実感の効用への多彩性を前提にしながらも、実際的な効用がなんであるのか、生産者としては少なからず自己の性格を把握の上に外界との交わりに至って一定の意思を持つ主体性の姿が実感される。自己の説明が曖昧で自分が何者か解らず、ただ金目になりそうな所へと刷りよって「だいじょうぶ?」等と話しかけ奪い取る面々が少なくない。これに当たるのが○○である。さて、○○とは? それはどうして?この根拠や論理の構成に文化を見る嗅覚の程度が測定される。多様な感性から学びを得る事に及び悪性事象が次第に絞り込まれ、根源原因の一致が生まれるほどに適正対処と予防の型式が作られ悪性の主体が減少する。

世界秩序の盤石性への道

世界秩序の盤石性への道

一過的でなく持続的安定と成長の世界観を意図するならば、それに相応しい主体性像が形成され、標準という共通認識を揃えて、制御を図る事が必須化される。個々人や特定の集団や領域、社会システムといった主体性の範囲の広がりが映し出される中で、そこで求められる力と責任が規定され、この均衡を目途に正負の誤差が測定される。基準に対してプラスが増進している状態に、好循環の力が創り出されている事になり、不足している状態と見られれば、負のスパイラルが回っている。

主体性の範囲と、その求められる期待、期待と負担可能な資源の比較から実質が規定され、それを目安にプラスが上回るような発想やエネルギーが投じられて、質の達成と向上の軌道が形成される。こうした制御システムが働いて健全な主体性の維持や向上、改善の持続的な動態に在って外界からのエネルギーの吸収と変換と提供の姿を映し正常な精神と肉体の状態が掴みだされる。客観的な認識を高めプラスマイナスの測定から要望と対応の適正が導出される。適正な要望と対応に及ばない主体性に在っては期待感が減少し適正サイズに修復される自然の力が違和感なく働いて正常性への回復が齎される。こうした原理と纏められ正負を内蔵するありのままの人間性という客観認識の下、持続的な永続性という志向性や理念が浮かべられ主体性の構築と変容の在り方が方法と描き出される。このようなビジョンから見て物性力を持ち勝手気ままな力の暴走に及ぶ姿は人間性が弱く、自己制御不能な精神的・肉体的に劣っている状態と認識される。弱い人間を健全な人間に自己回復できない事に在っては外界への悪影響が増進され、他者による他律を与えて自己の客観認識を果たせるように試練を与える必要が生まれる。以上のように強い人間性と弱い人間性という状態の正しい認識が作られ理想の主体性を判断の基準に固めて適正な刺激と反応の循環を持続的に創り上げるシステムの恒常化という意識が人間の根幹に内蔵されて、正しい個人や社会の在り方が生まれる。

根源的な観念への正しい認識を固める事が基盤の善し悪しに反映され二次三次の原理の性格に派生し構造の形成や個別局所の事象に現れる。根本の取り違いはその性格での因果の連鎖に及び歪んだ認識や評価感覚に連なり根本理念と乖離した論理を作られる。健全で強固な基盤があらゆる事象の源泉と配される。この一致を深める事が良質で共通の感性を作る事になり、エネルギーを吸収する根から幹となる論理が作られ枝葉と及んで外界へのエネルギーを創出する全体観が構成される。具体的な皮膚感覚と伝わる焦点が「主体性像」であり、この正しい認識を固める事が肝と備えられる。

人間性の弱さは各種の不快事象を齎せる。とりわけ影響力の強い配置に在っては適正さが強く求められる。適正な工程体験を経る道筋が弱いと頭ばかりの操作に偏して感覚との乖離した力の運用が進められ感受性の質量と成り適正さが測定される。主導的立場のみならず、万人的共通感性として揃う程に強弱への一致度が増し一部対象への概念形成では同一性が高まらず、万人的な基礎教養と組み込む事の必要性が謳われる。又は一定空間のみの認識に在っても独り善がりの理想像に留まり世界的な文化基礎論として義務教育プログラムに浸透させる事が世界秩序を盤石にさせ、確かな持続的安定と成長の共生や協働と自由の世界を創り上げる礎となる。確信に及ぶ創造性であり強制的に押し付けるべき文化体系と考えます。個々の歴史等の相違への配慮を持ち適用への強弱差が出現するものの根源の同一原理と固める事が必須となり未来のビジョンに組み込む事が確かな人間への道と描き出される。以下の文章はこの体系を創り上げる過程や体系を促進する為の論理を示すものと成ります。思い上がった身の程知らずとなりますが、少しでもプラスになれば、意味はあると思います。

文化規定

「○○について」答えよ。という問いかけに対して、模範的な解答の示し方は、○○という事への現況認識に始まり、それへの快不快感が起こり、快適は増進不快は削減という方法論を提示する事に於いて一定の答えが示される。

より詳細には、○○への現況認識に、時空という範囲を設けどんな観点に着目し、要素と要素間の特定を持ってそこで見られる刺激と反応の関係性を掴み対象が把握される。それを下に、自己との関係性を創り上げる人間の応用的な行為が現れ、対象の把握とそこから得られる人間に有用な栄養素を見出し、持続的に吸収できる仕組みを叶える作為が生まれる。対象と自己との有限的な関係に、無限の循環を生み出す施策を投じて、持続的な事象へと昇華させる事が有限の生命という不快感や限りある資源の有効な活用へと及ばせる無限性への欲望と起こされる。根源的な人間の本能と浮かべられる生命の存続に対して方法への探究が進められ、外界事象の創造性に及び対象から生まれる有用なエネルギーを人間が摂取して生命を伸ばす作為を取る基本的な活動像が描き出される。

以上のように、外界認識、有用な要素の特定、持続的吸収と成る対象化、対象と主体の持続的関係性の構築、その過程から生まれる新たな人間の変容、変容に対する快不快感、有用な方法論の探究という循環系となり、経験的に積み上げられる知が重なり、事前予防型の知と生かされ適正な事象を創り上げる知と回る。外界の知と人間の知と、両者の相関の知という3つの知を得ながら自己の望む人間像へ有用な施策を投じる過程が創り出される。

こうして問題を出題される側から、問題を見つけ、自己の解答を見出し、或いは他者へと問いかけ、新たな問題を感じ取り、対策を生み出す、外界と自己と他者との持続的再生産の人間像が生まれる。このような理想と成る人間像が次第に形成され、それを下にした創造性へと連なり、人間の意思を主体にする制御性を持つ創造が図られる。この中で思い描く事と実際事象との実感で検証を持ち、予測通りの事と予期せぬ事が起こり、新たな知を掴んで事後の生産へと生かされ、理想の人間像の見直し等へと反映するサイクルが生まれる。この弛まぬ活動に人間を作る姿が映し出され長期的に安定した原理と及ぶ事柄に文化という名称を設けるのが本書の文化規定と成ります。

人間の叡智となり、欲望と充足の良好な実現を齎せる知恵が生まれ、多くの他者との共有で富の増産が果たされる。これが言い換えると、正負を内蔵する人間像に立脚し少しでも良好な人間を作りたいという理念と実践の工程を表し、健全な人間像と固められ歪性との対比が起こり適正な軌道を大きく外さない制御が果たされる。負の認識が弱いと適正な正に及ばず自己の認識を欠いた美性を表し不快感が映し出される。外界と自己を合わせて掴みだす重層の認識構造において真の調和が見出される。このような文化の中枢的要素が浮かべられ文化概念への枝葉が付けられます。

文化の起こり

「○○人は、××である」といった抽象性の高い主語を用いて極端な断定を示す表現が度々起こり、適正を欠いた感性と映し出される。文系の論理構造からしばしば現れる飛躍的且つガサツな感性に陥り生まれる根源的感受性の弱まった性格の創造性とも伺え、ここから不快感が起こり根の深い対立的な溝へ及んで修復の困難な事態を招く因果に映し出される。

無限性や平等感覚という根源原理が重しとなって、表現や行為への適正な秩序を作り人々との良好な関係形成の普遍的原理と浮かべられる。長期に渡る歴史の教訓から固められた不動的な原理として、多くの人に備わる共通感性に浸透されているものと思います。経済的な競争環境の変化や生産用具の高度化等を背景に、人間の精神面の粗雑さが進行して言葉や行為や表現の質が下落する事へは深刻な客観的認識を抱いて、基礎に立ち返る周期をもつのが人間に備わる優れた習性であり、ついつい淡白な反応が進んで言い過ぎた発言などへは、率直に自己否定の態度を示し健全性を修復させる行為が大きく軌道を外さない肝に添えられる。

社会的地位や見栄に偏した利己的一方向の傲慢さから素の人間性を壊し当たり前の躾を欠いた態度が起こり、負の連鎖性を拡大する認識の弱まりへは強い警鐘が鳴らされる。身近な対人形成の焦点が文化という長期性の原理へ立ち返る起点に成り、大きな物理力への依存した感覚から根源的な良心を崩して物性での強要的な力の進行を齎せる事には人間性を崩壊させる。誤りへの真摯な対峙を軽視した物性型の体質が深まる事は根源的な性質の変容を表し人間の質を悪い方向に導かれる。

これへの強い問題意識が起こり安易に見過ごす事無く、根源性の下落への適正な対処や予防の施策が講じられて、未来への良好な環境やソフト面の精神性を引き継ぐ事に於いて、一時代的な歴史の分断性を回避した人類史の一員という意識が備わり、親や子や孫との連綿性が生まれ有限の生命を無限に開く道筋と描き出される。表現や行為のガサツ性への意識が注がれると共に、歴史の一員という欲望が起こる所に重心を備えた人間性が生まれ、不完全な脆い精神を備える人間に対して、落ち着きある安定基盤を整え自由を謳歌する快適な秩序を作る活動が生まれる。感覚的効用への正負の側面を客観的に鑑み心理面の下落に及ばせない制御に在って健全な人間を創り上げる文化の焦点が生み出される。

初動と専門

初動と専門

大衆の目の付けどころは、「外観がかっこいい、話しぶりが解り易い、なんだか強そうだ」という点へ偏りがちであり、話の内実や行為の軌跡を見て実態を掴む感度には必ずしもない。各人のエネルギーの集中する分野が生まれ、自己の生産領域以外の事には、他分野の専門者の解説に委ね判断するのが実態であり、或いは解説等も効かずに誠実さや正直さという人間性によって、「あの人が言うのだから」という判断の回路に在る事が少なくない。こうした大衆自身を客観的に捉えつつ専門者や実務者の善意を信頼してお任せする分業生産の姿に映し出されます。少々齧った程度の知識で、30年業務に従事されている人の知見には到底届かず、しかしながら長期の慢性的な感覚が自己成長への緊張感を喪失し供給利益へ偏った論理を作る弊害も多々現れ素人の率直性や新鮮な感度が慢性化への有用な刺激を齎し、或いは細分化の進行から基軸の論理が痩せ細り主客転倒や自己目的化への反省を促す機会へ及ぶ認識を多くの人が有される事に思います。自己と同様の知識の質量を求めるのではなく、日頃偏った固定概念に新鮮な刺激を貰い自己体系の贅肉を削ぎ見直す有用な機会を賜る事に及ぶ。領域間の壁を頑なに作り侵入者への排他的な構えを持って利権を守る意識に向かう事にも一定の理解が生まれるものの、フラットな平等感覚や無限性や多様性の感度を喪失しセクショナリズムや偏狭化、消化不良、ストック過剰と陥り、向上への意識が弱まる毎に領域の活力が衰退し形骸化や消滅の道を辿られる。まったく領域の知識のない方が却って良好なアイデアを浮かべる有用な点への認識を持って妙なプライドへ縛られない謙虚で寛容なスタイルに在って自己成長の前進軌道が持続する。原初的な観念への模索から鑑みてフラットな平等感覚を喪失せずに日々新鮮な態度にあって精神と肉体の良好な状態が生まれ文化という観点や体系を顧みる事の有意さが謳われます。どこかに集中するとどこかが不足する相関が生まれ他者への依存によって賄う協働や共生という社会構造に在るのが実態であり、個々の力が増進し情報の入手が容易化する中に在っても感覚を通して一次的に創り上げる実務者の情報には格段の相違が確認され相互の技術を尊重する構えが形成される。評論活動が盛んに進められる今日の傾向には使い勝手の良い知の入手というプラス面と共に、各人の思考を弱める負の側面も現れ基礎や基盤の盤石性へと関心を進め深い専門性への尊重の態度が進められる。利便性を追求し豊かさが増進される一方で利用者の感度が進むほどに生産者能力が衰退し基礎基盤のガサツな感度のスパイラルへの反省を及ばせ、根の丈夫な体を備えた健全な精神の維持から外界との適正な制御を作る調和に至り一定の良好な常識の下に自由度の広がる社会生活が作られる。専門分野の専門用語を一般用語に変換して相互の共通理解を促進するのに良く通じる基盤の感性となる文化の厚みが分化した概念を統合的な基盤の上に配列し円滑な対話に連なる。具体論による実感性の高い対話を持つ事と抽象原理の形成や共通性を得る事は切り離されず密接な相関の上に面が上昇する。皮膚感の一致と共に観念的な型枠の共通性において根源感性が揃い物理感覚の適正が見出され健全な人間が作られる。

安全保障の私的解釈

安全保障の私的解釈

私なりの政治観からは、安保法案という対策を創り上げるのは至極当然の方向で在り、最終的には生命を覚悟の上に安全と安定や成長の実態が掴みだされる。相手に殺されるのを待つか、こちらから殺すか、多くの人は後者を取り何もしない人は皆無に思われます。この覚悟の実感が腹に在って健全な創造活動が展開される。これについて事前型の考え方を纏め「ここまで来たら、論を待たずにやるよ」という所は事前に示して相手方との緊張が作られる。これを根にして特定の同盟関係や行動の手順を打ち合わせ内外に知らせる事が基礎や基盤を指し、責任意識と共に最悪事態への考えが創り出され生命を預かる立場の責任ある態度が示される。

これが弱く人の提案に文句ばかりを言う立場は一人前には見做されず、民主党等の野党における態度への信頼を及ばせるには至らない最大の原因と映ります。子供にしか見えず言行へまともな耳を傾けるには至らない。安保法案の内実への精緻な認識は、なかなか一般の立場には解らず、実務者への裁量にゆだねなければならない面が往々に在るように感じます。問題の重要点は、覚悟と共に、持続的安定と成長へ資する施策内容に反映され、手順の精緻な恒常的システムの所在に係る。外界の動きを適正にキャッチする観測能力と、予めの下限的基準の所在と、それに対する手順の整備であり、これを体系的に一元管理が取られ、いざの場面で戸惑う事無く粛々と体が動き納得ある結果を掴む事に在る。これを直接に無い間接的な人々に委ねる事になり、それへの信頼ある実態を明示され必要資源の算定と負担の合意を取り付ける過程に安全保障の仕組みが生まれる。軍事的な側面を限定的に絞った下限的システムの構築と配され、外交や経済、文化という積極的交流との包括的な関係で全体の関係が浮かべられて悪意性ばかりに無い善意の主体という要素を含んだ人間関係が作られる。

問題や課題の重要点の取り方に各人の感性が現れ、安全保障の根源的な面は上述のような点と浮かび上がります。中心と枝葉の構成の異同が確認され議論の絡み合いに反映される。構図の持ち方が違う事は危機意識や責任感覚等の感度の相違を表し、この差が施策の強弱差に現れ、感性が違うと議論が絡まらない。