人間社会を観測する視点が多種多様な角度から浮かべられ、善悪美醜という評価感覚として示され、それへ対する促進や抑制の方法を考案し、他者への共感を及ばせ、意図する結果への資源を集め効用と影響の勘案により、具体的な合意を取り付ける過程が生まれる。これらの起点に、皮膚感覚という生物物理的反応や感受性という心理反応の生じ方が現れ、この感度によって反応が起こり、過敏や鈍感と普通という尺度の下に評価が生まれて、二次的反応と成る方法への探究が進められる。強く不快感が生まれれば急激な反応で不快を回避する事へ及び、或いは物事の複雑性から単純に反応が示しきれない事柄等が現れる。
感覚性の反応と対象の広がりを持つ事柄への吟味を経て判断を下す事という相違が生まれ、対象を感じ取る嗅覚や奥行き感の持ち方によって、二次的反応へと連鎖し方法へと反映される。このような社会生活における中軸的な観点により、自然や人間を良く窺い知る事へのフレームが生まれ、因果の在りようを探り対象を把握する事に及ぶ。そして自己の側を知り、自己の欲望と外界への働きかけを持ち、自他の調和を見出す事が広い意味の創造性と規定される。
対象の認識、それへの一次反応、方法の展開という二次反応、自他との共通感度の形成と効果と負担の合理的な説明と予測、合意と実際工程の進行と検証、学びと反映の蓄積といった周期によって、活動の一巡的な区切りが設けられる。生産者の標準的な型式を指し、これらの経験が生きた皮膚感覚の知を吸収し、実際的に有用な知見となって、再生産への財産になり、他者への付加価値を与えられる。事象に深くコミットする分エネルギーの質量も必然的に強まり、吸収する正負の栄養も濃度が強く、記憶に強く残り、同質場面での応用力となって実践的な力の実感に現れる。観測と一次評価で留まる評論家と、二次反応と完結的な循環の持続性を持つ実務者との知見には格段の差が生まれ、観測する変数の多少や深さの違いが鮮明化される。どこに集中して力を投じるか、広く浅いスタンスや、深く狭い限定等によって、各自の感度の異同が生まれ一次反応の差と成り、次後の工程へと反映される。生産者の性格と成って表され、生産の質量と需要者の求めとの適合への模索が進められる。感覚差や責任意識の相違が、こうした過程の違いから形成される。淡白な反応や粘りの強い忍耐性とへ及び与えられる責任や期待の質量が生まれる。一過的か反復的か、影響力の大小など、事柄の性格と生産者の質との適正を合わせて、需給の円滑な構造に至り、ギャップが大きいと頻繁に衝突や対立が顕在化し、要望と対応の明瞭化とすり合わせの交流に於いて次第に共通性が作られ、安定した感度の対話に及ぶ。
このような生産の全体観を想定の下に、各所での適正な振る舞いを探し、持続的な生産へと連ねられる能力を含んで、生産者の総合的な力が測定される。一過的に目立つような所へばかり視線が及び、極端な評価を与える事無く、中長期の視野を定めた部分の構成に在って、健全な理性を備える感度が作られる。部分的な事象への過敏反応か、或いは重要度の当て方の相違か、敏感や鈍感という感度への感度が当てられる。全体ビジョンの幅や、想定範囲の要素の数、要素間の因果等から周期となる時間の長短が生まれ、対象の予見能力や創造性の程度により、部分性への感度の違いと現れる。このような想定から、事象の真相をどのように浮かべられるかの相違が生まれる。解答への無限性が生まれ、探究心は尽きる事がない。出来たという感覚も所々で生まれるものの不十分という発見が現れ、そしてコスト感覚との相関で適正を見出す事によって健全性が備えられる。このような生産概念の有無が自他の生産への尊重心等に及び、著しく欠くと、ギブアンドテークの感度が狂い安易な盗みや傲慢な性格が作られ、それへの自然淘汰の仕組みに於いて適正化される。いわば人間社会の自然律となり、因果応報という理想的な願望を示す理念と謳われる長期に渡る安定と繁栄の根本原理と浮かび上がる。異常な肥満者や堕落者へは一切の妥協は要らず相互の良質化への道を想定の下に局所の適正が導出される。集団のトップに備わる感性が、これへ大きく影響し求める感度の同質性から公平公正に選定されて納得感の向上する社会が作られる。どんな社会ビジョンか、人間像か、理想図と現況の認識から方法が導出される。これを予め示し選定するプロセスが現代的には求められるように感じます。