5)社会システム観
法治や国家は、広く社会システムという観点から見ると一部の限定的な概念になり、社会は人間の身体と頭脳と感受性の構造を下に拡大的な概念として形成される。感覚的な質感を頭脳による抽象し、他者との同一的欲望を充足する行為へ連なり、その結果から物理的心理的な欲望の充足と心象が感受性と現れ、満足や不満という心の作用を抱いて、感覚的行為に回り頭脳と感受性という循環で表される。ここで言う感覚面が産業経済活動、頭脳的な認識に政治行政、感受性の形成に教育文化と配される。又は個別的欲望と共通的欲望と根本的欲望という対照に置かれ、法治や国家という政治行政領域は共通的な欲望を集約して充足する仕組みと現れる。つまり、分母は、個別と共通と根本で構成しその中の共通性に政治行政の領域が生まれる。科学技術の発展や個々人の財力や知力の伸張によって、個人の力が増大すると、共通的な欲望に纏めて充足する割合は減少して経済と政治の割合感覚と現れる。経済的原理と法による原理に大別され経済による支配と法による支配の二つの要素で実態が浮かび上がる。経済的な物性が進む事に対して心理的な平等性への志向から力の格差を縮小させる事が強制権力を背景に従わせる法治の側面に成り、効用と影響を勘案して創造を進める個々人の自律的な制御性が弱まる程に強制的法によって縛りをかけ健康な感受性の堅持を果たし人間性が守られる。健康な感受性を客観的に計るのに教育文化という観点が適正を導出する作用を果たし、長期的な性質の維持を叶え経済や政治の適正な相関を見出す仕組みに及ぶ。個人の力が進むほどに物理性を適正に制御できる個人において健全な感受性は守られる。力を他者の利益の充足という面に用いて適正な物性と理性の関係が作られる。利己的な欲望が先行して他者の利益を提供せずに奪う為に力を用いる姿に理性を欠いた暴走が現れる。これが出だしら法による強制権力で縛りをかけ健全な発想や欲望の在り方へと調整させる事が個人の力を超える国家の力による強制になり、個別性と共通性の割合感覚が生み出される。
個人化が進んでも自主内発性の自律が働くほどに、強制権力による縛りはかからず良好な力が増進される。この原理を導くのが根本の感性であり文化力が強いほどに自律在る健全な個人が育ち共通的な欲望と纏めるまでもない自由度を持った適正が創り上げられる。力に従属的な体質が深まる程に他律的な受動的感性に及び自己で制御が出来ない事に対して強制権力を用いて抑制させる関係で描き出される。このような経済産業と政治行政と教育文化という3要素の良好な絡み合いによる社会システム観が設けられ、持続的な安定と成長を齎す恒常的な仕組みが表され健全な個々人と集団の在り方を作る事へ及ぶ。文化という根源的な自主内発の成熟した人間性が作られるほどに、共通的な部分を敢えて纏める必要も減少し個々の自律的な制約と自由を創り上げる事になり力を持つ健全な精神を備えた個人の増大という道筋が違和感の少ない方角と示される。文化力が伴って許される世界でありここが弱いままの個人化は暴走と現れる。権力自体が個々人の欲望を充足する為の目的になってはシステムの適正な循環を欠き本来的な役割を見失った力の用い方が進行する。共通的な欲望を良好に実現する原理の創造に求心力が生まれ権力と運用の正当な根拠が示される。こうした事から力を持たせてよい個々人やシステム上の資質要件が浮かび上がり精神的なひ弱さは乱用を及ばせる。各国共通の原理に思われます。根源的な原理と固められ万人的な共通認識が進むほどに経済と政治と文化の良好な役割と相関が創り上げられる。透明感を持たせ不信に及ばない確かな信頼性を作る運用が求められる。
現代社会の個人化は根元の痩せ細った利己性が増進し物性に従属的な感度が強まる悪性の流れが浮かび上がり、人間性の破壊的な片手落ちの感性が進んでいるように感じられます。こうした認識から根源性への問いが起こり健全な価値観を今一度再考の上に、心理的な良質性を持って物理性と対峙する事に於いて、普遍的な原理の堅持された創造へと及ばせる個人と個人や集団の適正を作る道筋が描き出される。物質文明のマイナス面にしっかりと対峙して客観的に人間を映し出しその認識から先々の予見が浮かび、マイナス的な将来への予防策を意識的に講じる事に於いて理想となる人間性を自ら創り上げる事へと及ぶ。