政治的中立という言葉が生まれた背景等から、真意を押し量り、そして未来の想定に対して有用な解釈を生みだす事が前進という言葉に思います。背景や真意という部分について正しい研究を持つ専門研究者がおられる事でしょう。ここでは、普遍的な純粋概念の面から論理を創り上げたい。
この意味の概括的な意味は、教育現場における自我の固まらない生徒に対して特定の主義や思想を強要する事への制限を持って、特定個人の価値を押しつける事には抑制的態度が相応しいとする意図による概念と思います。憲法でも規定される思想信条の自由から起こされる具体的な場面の想定と表される。
思想信条という概念にも、誰もが当たり前に備えられるべき平等思想という事から、少々癖を持った特定思想という区分を設けて、適正を探る事が健全にも思います。
前者の範囲の事を意図した普遍原理の探究と提起が本書の範疇で在り、誰もが当たり前に感じられるような感性の厚みを持って、個別的志向性へ対する良好な理解と尊重が果たされるという想定を持ち、根源性への有意性を謳う事になります。
この辺りの整理を欠いて、十把一絡げに思想信条等という概念を充てる事に粗雑さが生まれ、ここに寧ろ偏った単純な感性による弊害が生まれる。「過度に押し付けるな」という反応が起こり、違和感の強い過敏な性質と映り、誰もが当たり前に抱かれる同質性を欠いた偏屈な人間性に問題の焦点が注がれる。
健全性概念は、長期的に見る人間性の不動的な型枠を表し、ここの範疇に並べられる事は万人的な価値を指し、これが無いと社会は歪な秩序が育ち、下限的不快事象の発生を進行させると想定される。これが脆弱化しているのが現代社会の問題の根に上がり、健全な基盤を整える試みに需要が備わると思われます。
健全性概念は、一定の強要すべき事柄とも言え、人間性の基礎に組みこむ事へ反対する人は少数派にも思われます。一定の土地に定住する人々に、当たり前の躾や作法の適正を備え、社会の成員という感覚を持って、下地の良好性に及ばせたいとする万人的な要望が少なからず描き出され、ここには因果の実感の差は少ないと感じます。
中立とは、基準の中立と、適用の中立が生まれ、普遍的な原理が根源的な尺度に置かれ、ここから導出される二次、三次の基準を作るのが自然になり、根本への思索が弱いまま、二次三次の原理である事から、言行の乖離した精神分裂的な姿が出現する。過剰な利己性による責任意識の弱い一方向の要望を強める性質に躾の劣る悪性と規定される。マスコミ的な、基準尺度の曖昧な評価へ偏した生産性にはこの性格が濃厚に現れる。生産者としてのビジョンを明示し、日々の事象を適正に計る一貫した姿に健全な精神と肉体が現れる。ビジョンが示しきれない段階では批評等を論じるに値せず、混乱した性質の表現や態度が生み出される。どうでしょう?