真なる自由の軌道

表現は身近な所から起こし、徐々に複雑な事柄へと及ばせ、問題の本質と細部の構図をしっかり押さえた観念の形成に在って適正な行為に反映される。頭脳的な筋道の表し方の善し悪しは、個別感覚的な体系の豊富さ等が起因し、大本は感覚的質感に置かれて対話の良好な進展を齎せる。例えば、年寄りになって体が思うように動かず口ばかりが良く出るのが、広く一般的な傾向則であり、口を開けば「あれやれ。これやれ」という要望が示される。子供の立場は自分の親であるだけに、なるべく応じたいと思われるものの、身内なだけに遠慮が無く、それに応じきれない現実が生まれる。或いは一度やると、二度三度見境のない期待を抱く事からも他人を雇って適度に対処させて自身の体を壊さずに無理のない範囲で利益を作る事へ及ぶ。

直接的な感情に対して身体を用いその結果、頭で冷静に鑑みて出来る事を整理の上に原理体系を作り、相手に知らせて自己の説明と他者からの期待を刷り合わせて、互いに無理のない適正を見出し長期に渡る耐久性が作られる。多くの人の体験的な筋道に思われます。こうした原理が土台に成り特定集団や領域の範囲やそこでの理念や体制、手順や持続的な改善の循環系が示され主要な効用の規定と求めるコストが算定され、内外の良好な対話や取引が導出される。過剰要求や不足の適正な基準や幅が算定されサービスや製品の改良やコストの更新等が繰り返され基本原理と補足の原理等の体系として説明される。

創り上げる体系は、一次的には内部と外部という焦点が生まれ、中核技術を下にその生産体系へ思索が及びそれを叶える必要資源が算定される。外部へは技術の効用を訴求し負担額を明示して技術と市場の接点が生まれる。そして、両者を同一的な参画者として内外を統合する視点を設けて、統一的なビジョンに纏めた観念を上位の原理に配し両者を客観的に測定する観点を築いて自己と他者の適正基準を提起し相互の成長を図る真理の探究軌道が描き出される。コミットする関わりが深まり直接的な機能と間接的な原理の構造が生まれ、長期の関係を想定した原則が設けられる。

時々の一過的な不一致や不協和で過度な軋轢や対立に及ばぬように根本的な感性を揃え時々の感覚を制御する働きに及ぶ。こうした原理の重層性へと及ばせる事が持続的な安定と繁栄への道筋と描き出される。文化体系や最高原理という配置に取られる原理は個々の正負の体験と積み重ねを経ながら知恵と成って生まれる方法になり個別の集約から良好な解決策を引き出し、それを基準にした個別の形成へ及ばせる生産的な営みと解されます。多種多様な経験とそこでの問題意識や改善方法の繰り返しや、根本的な問題への対峙から抜本的な解決策等が考案されて連続性の少ない新規的な質の変化へと更新し、生存の安定や躍動という健康的な姿を望む根源的な理念を達する事へ及ぶ、方法論の高度化へと探究が進められる。

この動態自体が健康な人々の姿を表し目的と手段の統合的な状態に及び、不動性を備える普遍則と固められる。変わりづらい欲望が根に成り共通の意思と固まり個々の判断を基礎づける根拠になり、定まった感性と組みこまれ人間性や人間像の中心要素という感覚や認識が生まれる。これを叶える局所の原理、中局的構造の形成、大局的なシステム等という重層の因果を描き、万人的な思いを最大に達する構図へと昇華させ納得感の高まる力の集約へと及ぶ。一人でも多くの生命が躍動するように正負の作用を鑑み全体的な向上へと運ぶ思想を少なからず万人的に備え適度な制御感覚を持つ理性的人間が作られる。長期性の観念と提起し感覚的欲望と心理面の程良さを生み出す人間一般の基礎になり不幸の最少化と幸福の最大性を探求する道筋と描かれる。

人間の正負を内蔵する現実的な実態を抑えつつ良質を見出す健全な創造観を抱き理想図と現況と方法を重ねる歩みに於いて虚像的な不信を招かない誠実な態度が示される。文化の根には自己と対象を真摯に捉え正負を含んだ実態を直視し、適正を見出そうとする発想が組みこまれて良好な感性が表される。こうした日本文化の正統な感覚は未来永劫の価値に及び、この軸にあって確たる程良い自信を備えた創造原理が見出される。これを遂げる二次三次の概念を多彩な切り口を設けながら取り上げます。

こうした図式を根本にとり個別と共通といった価値の領域や割合、内実を探し、共通性の一つに国家という枠組みを配して在り方への思索を深めて形にする工程が生まれる。価値体系を根本と個別と共通という枠で捉え偏狭で窮屈な感性に及ばぬように、でっかい構えを分母にする事が有限の無限化への方法でありこれを喪失しては人間の躍動を細らせる。頭に寄った感性は感覚的質感を弱め狭い世界の流れを作り体と頭と心を不動の型式に強調されて全体と個別の配置を組む事が生命を活かす作法を指し、この発想を源泉に持つ力に於いて本流の本能を強める事へ及び人間の成長図と示される。人間は背から羽をはやし空を飛べる日も来るかもしれない。そして現況を捉え実現への手法を繰り返す感性に無限を絵空事にしない健全な明日が掴みだされそのエネルギーに富の源泉が現れる。妙なレッテルを張り真なる自由を阻害するエネルギーを注ぐようでは、日向ぼっこでもして迷惑をかけない心の構えがあって日本人の感性が映し出される。

文化の重心

文化の重心

過程と結果で言えば、個々の感覚を体験しそれらを抽象集約した原則が纏められ、体の芯に備わり個別の判断や行為に原則が適用される。今日的に浮かぶ歪な事象としては、頭でどこかで作られた抽象原則を読み込んで頭脳的な説明は行えても行為の中に浸透しない分断的な精神分裂症に見られる事象が発生する。

口頭でばかり直接的に抽象原理を表現する行為は、本来的ではなく、個別的生産の中で、原理が適用された行為に及ぶ事が、健全な過程を経て創り上げられた原則と適用の姿と示される。口頭説明は人への要求という自己の欲望を表す行為と解され、自己に適用する事無く人に求める表現の性質となり、要望には負担を強いられ、これを欠いた要望は適当な調和を作るに及ばない。

表現の多くは基本的に自己の欲望を示し、欲望を充足するには効用が推し量られ、それへの負担に理解が示される。この構造を口頭で示す事と、実際に提供できるかは、未知数であり、過去の規則性が信憑性に反映され言行への整合が測定される。

過去に起こした失敗への対処の仕方等が、過程から絞られる原理形成へのポイントに置かれ、適当な対処を欠いた性質は、いくら未来へ向けた建設的な創造性を表現しても、信頼が付与されない。抽象原理を見栄え良く表現しながら、行為の中には間逆の姿を表し、体と頭の分断した出来そこないの人間が生まれる。抽象原理の形成過程へと視線が注ぎ込まれ、実態的に生きた原理と適用に及ぶかを推し量り表現行為への信頼性へと加減される。

個々人や特定組織の理念や国家の憲法等も顕著な例であり、自身のエネルギーを投じて創り上げられる程に執着に至り、個別事象の中に原則が浸透して生かされる。頭と体の分断した性格は、健全な過程を通らずに、生まれる人間形成過程の失敗であり、多くの人が抱かれる教訓にも思われます。

以上のように、原論ばかりが先行する表現活動や、頭ばかりで二次情報を入力するという行為の性格が示される。物的力を備える過程にも同様の事が言え、適正な過程を踏まずに力を備える事や要路に就く事が、本来求められる役割を充足するに足りない倫理や能力の釣り合わない姿と及び、利己的な欲求へ偏した力の利用と至り、歪な性格の集団やシステムを創り上げる。力の乱用や暴走へ及ばない為には、過程の健全性に、重要な焦点が加えられる。

そして、時代状況によっては、過去との連続的な原理を超える新設的な発想が求められ、質の異なる創造体系を描き、実践する力が必要になる。パラダイムの変化や世界観の更新を適時適切に行える改善力が健全な主体性の維持や向上に欠かせず、健康な精神を堅持する為に感覚的な規則性を変えるなどして、良好な感性や体質が守られる。これを先導的に創り上げる力が、確かな未来を齎し、保身に執着して変化を嫌い停滞させる事は大きな損失を招かれる。対象も主体も生きた生物を指し環境の変化に照らして、或いは環境を創り上げる魅力ある創造を遂げる事が生き物への性質を創り上げる。

ここでの不動的な型枠が、頭と体の一体性であり、人間の変わらない在り方と固められ、抽象原理と個別行為の有機的な実態を持つ活動に在る事が、持続的な安定と繁栄を遂げる肝に成り、この原理と適用は根本的な原理と置かれる。

こうした点に、文化基盤が表され、下限的な不快事象を生じさせない為には、必須の型式で在り、ここの崩れがマイナス事象を生む根本の原因になり、確固とした信念において、人間の根源性を堅持する事が重要管理点と取り上げられます。この原理を先おいて二次的な力は優先されず、例外なく適用して崩れを許さない事が過去の人々の良好な熱意を継承する姿に成り未来に繋げる責務が生まれる。

一日にしてあらず、長い歴史の重みから在る重要な原理は何があっても変えられず、一過的に気の振れた歪な感性に対して、正気を戻させる過程が避けられず、これを曖昧にする事は歴史的汚点と刻まれる。性根の弱い権力者は役割を欠き、自己の適性に合った配置へと移動する客観的な感性が、頭と体の有機的な状態からの判断に現れる。精神分裂症は自覚の弱い欠陥と定まり人間の体を成していない。解りますか?みすぼらしい態度は後世に対して未来へのマイナスであり、適正な感性を貫徹する日本人を残す事があらゆる創造の根源に配される。

文化基盤

1)文化基盤

頭での作業は全体的なフレームを形成し個別を配置して割合感や相関を掴み把握する事への欲望となり、個々の事象を何がしかの構造や動態の上にのせて直感的な反応に制御を与え、主体的な自己の下に事象の把握や創造を遂げようとする操作に及ぶ。自己の思うが儘に対象を動かしたいとする本能にも思われます。その感性に対して他者の感性が同質的な志向性に在るか異なる所はどこか、異同を確認の上に同質性を見出し方向性を整えて協働生産の規則性が創り出される。こうした立体的且つ継続的な活動へと押し上げエネルギーの集約と投入を成し反応を受け学びを得る循環的な活動により精神的な安定と安全の下の挑戦や成長を繰り広げる所に健康な精神と感覚の宿る体質が生まれる。外界への技術を提供しそれへの効用を抱かれ質感を実感する事に於いてエネルギーの発生と返還の実感を掴み自信が宿されると共により良い期待へ応じる力が注がれ、感謝のエネルギーを吸収し創造の変換と提供に及ぶ有機体の定常的な仕組みが生まれる。考えた事と実践と検証の規則性において質実を掴み落ち着きある精神が生まれ、外界との適当な調和を見出す反応が創り上げられる。この規則性と外れるほどにエネルギーの投入に対して質感が掴めず落ち着かない精神状態の下に過剰な力み等と現れ外界との不協和が高まり分断的対立の構造が広がり、それを更に力んだ反応で制御を果たそうという発想に陥る程に精神の不安定な状態へ回り行為に反映される負のスパイラルが生まれる。適度な周期で外界との反応を掴み善し悪しについて自他との共通性を把握する社会関係が備わって一方向的な技術や表現に寄らない共通感性が作られて、安心や安定を抱くと共に期待や喜びに連なる新規の発案へと探究心が進められる。対象範囲が広がる程にこうした実感を掴みきれずに不安な主体性に及ぶ事に対して適度な限定を作り質感の得られる創造事物に及ばせて欲望と力と責任の大きく離れない構造と動態を持つ健全な主体性が作られる。力の注がれ方に良い集中力が定まり効果の実感と対価の適正に及んで内外の適正調和感覚が生まれる。こうした基盤的な安定を備える事が文化の形成となり特に生産活動において実践の過程が生み出される。感覚と観念との間に多段的な節目と連なりが見え、身体と頭脳の整合を持つ体形に健全な感性が宿り、頭ばかりの観念の整合に偏すると感覚的な実感を掴めずに自己の確信的な肯定感が得られず迷走や不安感が生まれ自信を掴めない創造に陥り言葉に生きた力が感じられない表現者と映し出される。これらの土台にフラットな感性が程々に備わって外界からの反応に耳を傾けられる新鮮さに好奇心や向上心の源泉が生まれる。専門性を作り提供しながらうまくいかない現況に対峙すると共に外界と自己の側に在る問題の原因を把握する中で、主体側の健全な感性の形成に基礎や根源概念への探索が進められる。この向きに回らず物性的な力で強圧的な制御を意図される所に反発が強まりそれを更に物性で押しつぶす感性に精神の根を壊した性格が映り根本的な感受性の破損を抱えた生産が進められ負の影響を広げられる。長期的に見る健全像への対峙と修正を直接間接に半ば強要し適正軌道への修復を図る作用が恒常的に組み込まれて、中局や大局からの補正が取られて局所の適正に連ねられる。感覚の強まりと観念的な表現とを繋き物理性や理性の一面的な流れに適当な調整を果たす教育文化の強化が目立たないながらも所々で作用する事に在って基盤の安定が生まれる。人間の性質を改める構造の変化によって個別事象が生まれる。当たり前の躾が取れない性質は何を述べられても真剣には耳を傾ける事は無く自然淘汰が進んで健全性が復興する。これを阻害する因子を除去する事が急務となる。人間形成過程の見直しを含め自律出来ない感性には他律で行う以外になく落ちぶれた個々人への適正対処が必須と思います。

哲学

哲学

人間の根源的な動作への思索を整理する事は、各種の創造へ基礎を備えた真理を引き出す上で有用に思います。例えば、「法律」とは何であるかを規定するのに、予めの基準を設けてそれを根拠に公平公正な適用を果たして平等思想を実現するという考え方が導出される。ここに人治という属人的な支配構造に寄らない万人的な意思の集計と多数の考えを持って物事の進行を図る法による支配への正当性が描かれ、人間平等の精神の実現を果たす論理が生まれ、国民主権や民主主義、法による支配という普遍的な価値と抽出される。これをより深い焦点から吟味する事が哲学等の根源性を探す領域からの思索に成り、そもそもの人間の基本動作が示される。同一感覚を意図して感覚から観念を起こし、言葉や概念で「○○の場合に於いては」、「いつどこで、誰が何をどのように何に向け行う」「なぜ」という点が明示される。諸条件の想定に対して、「どうする」「なぜなら」という事を定め判断や行為の基準が設けられる。この事前型の準備を重んじた活動が意図され理性を備える人々の適正な動作が見定められる。しかしながら対象は一時たりとも止まる事無く動を本質に持ち、諸条件にも多彩性や無限の想定が生まれ予めの一様的な基準を設け適用する有効性は必ずしも図られない。こうした事から弾力的かつ柔軟な基準への認識が取られて動態に適する微調整を持った感覚を含んで判断や行為を執り行う実際的な様相が浮かび上げられる。こうした面を抑えた上で基準や法律への適正な対峙を取り頭脳寄りの作業と感覚的な側面との適度なバランスを備えた実際の活動を図る事へと及び、動である対象との適度な調和を作るものと成る。更に、過去の実績や規則性の面と新規的な変数を加減させた原理の形成への認識が取られ、過去踏襲型の比重と未来新設的な創造の違いを見据え改善志向を基調にする活動に健康な気流が生まれる。新規の発見を繰り返して今に及ぶ高度な技術を創り上げた歴史を鑑みるならば新規的変数を試行する事の意義が確認され、意図する結果に及ばない失敗であってもそれが資産になり高度な欲望を達する材料と蓄えられる。

有限の生命体を如何に持続的無限の循環系へと押し上げられるかに創造力の価値が生まれ、即効的な事柄から規則性や周期を導出して再生産へと高める生産の本義が現れる。予めの知恵が重なると共に質の向上を持って新旧の知恵を取捨選択し、次元の上がる創造体系を意図する軌道に在って、挑戦型の意欲を減じさせない生命体の躍動や精神の堕落の予防と連なり良好な動機に価値を抱く文化や文明が作られる。以上のような根源的な問いや思索が各種創造への基盤の厚みを与え適正を導出する根拠に備えられ一定の納得性を持つ解の導出へと作用する。どのように適正を創り上げるかに対する方法と言い換えられ、深みある根源概念をベースに感覚と観念と感受性を形成する歩みに健全な人々の活動が浮かび上がります。法律と産業、政治と経済、等の概念を観念と感覚といった視点を持って、適正を見出す地に着いた思索において制御性の高まる論理や生産へと連ねられる。立憲主義等の言葉ばかりが躍るような対話の在り方には地から離れた人格と映し出され、体を用いて言葉を作る習慣の希薄性や脆弱化とも映り健全さを欠いた体質にも伺えます。学者等が作った二次概念を自己の体験に溶け込ませて体内化する過程が乏しいと真相を抑えきれていない軽々しさや奢った精神が映り安い生産者や人格破綻者が生み出される。人間が何を望むのか。人間側の意思を過去の教訓等から根源的な視点を含んで事前的に創り上げると同時に変容に在る対象との真摯な対峙での感覚や判断を重んじる生身の様相が描き出される。時々に最良な判断を導出する事の出来る日々の規則性に重心を持つ人間形成に適正が映ります。

日本人の感性

有名な人、派手な外観、でっかい会社、多くの人口、広い国土、豊富な資金量、膨大な軍事力、等々、個別的焦点に浮かぶ物性的な観点による事象の描き出しになり人々が率直に浮かべられる力の概念に思われます。この物性力に対して心理的な面に現れる労わりの心が人間の本性に備わる他の生物を凌駕する優れた性質に成りここに種の永続的な繁栄を齎せる起源が生まれる。

人間の感覚器官等の生物的な仕組みから、それを満たす物性的欲望と充足のサイクルが生まれ力と行使による実現を図るエネルギーが投じられる。他よりも多くの資源を得て大きく成長を図りたいといった動物的本性が内在する。協働生産体制を築き他者の力を借りて自己の欲求を満たす発想が進行する。こうした原初的志向性は多くの人が同時に併せ持ち、自己中心的な強欲をそのまま押し通す事の困難さに突き当たり、公平公正な基準と適用の仕組みを持って多くの力を一つのベクトルに絞り込み力の集約を作りだされる。つまり心理的な欲望への配慮に否応なしに狭まれ、貢献に等しいリターンに在って健全な感受性の維持と向上を果たし欲望を実現する作法に及び、このような筋道で物性と理性の基本的な相関が示される。

そして、物性的な欲望ばかりへ偏する事のなく人々の心理面への充足自体が自己の欲望の重心に備わり、他者へ真に喜ばれる利益の増進を意図する普遍性や真理を探究する軌道が増進し生産者として大きな成長を持続的に果たす理念と浸透する。ここに在っては多くの各種矛盾と感じられる事象に対して、理想と在るべき人間性像を根本の尺度に於いて純粋な適用をもって、事柄への解決作法へと力が注ぎ込まれる。真理や真価を追い求める発想による解を算定し、物性的な力による壁を乗り越える原理を探し真の喜びへ運ぶ軌道に突き進む。この道筋への困難さから容易な対処策へと視線が向かい本流軌道から逸れ、自己慰め的な手法を取り満足する普遍性の追求との乖離が生まれる。

「僕ちゃん、悪くないもん」だって「あっちの人々の頭がおかし過ぎるもの」よって、「こうした方法を取る以外ないじゃん」というような正当性を組み、妥協を繰り返しやがて感度や皮膚感に成り人間の性質と固まり通常感覚の正常値と作られる。

物性の単純利用による欲望充足に対して、心理的な欲望に重心を持った物理的力の利用が堅持されるほどに、これを根源の普遍性とした論理を描き、どこまでも進む真の利益の創造軌道が生まれる。生産当初の関心には各種各様の御縁等から、きっかけの相違や生産の限定が生まれるものの、根本の心理の良質性から普遍への太い軌道が備わり、幅や深さへと焦点が広がり、特定領域に留まらない実感を起こして真理を掴みだす熱が投じられる。上る入り口は各人異なるものの性根に備わる性質の同質性がエネルギーの質量に反映され、探究の焦点の同一路線に及び普遍的原理の一致へと昇華して直接的な生産と抽象的な原理の世界が創り上げられ、普遍性の心境に意識を持ち頂上付近で自然に合流する事になる。

妥協を重ね続け姑息さへの道を取り続け逃げに逃げを重ねた生き方と、真っ直ぐに心根を変えずに歩んだ人間性の違いは明瞭に起こり、発想や論理に顕著に表れる。「僕ちゃん、悪くないもん」の自己へ緩く他者へ厳しい反応を続けた性格と、厳しい道でも真理を貫かれる性格との差と及び、体に染み込んだ原理の違いと創り上げられる。この根源的な面に浮かぶ性格が長期的なスパンで掴みだされる人間性や文化を表し表層的な事象や個別場面での振る舞いに反映される。物性の力へ従属的な性質へと深まる程に真理を感じ取れる感性は弱体化し短変数の方程式による物理性を浸透させ感受性の貧困さと連なる。どんな道を選ぶ事も強要されるべき事柄には無く自らの望む人間性を創り上げる事になり、正誤や善悪美醜を安易に他者が評する事へはそれ自体が物性を指し本書の理念と外れた作法に及ぶ。自己の型枠を創りそことの比較を主にして、他者との過度な対比に寄らない主体性に在って心穏やかな精神と身体の形成に連なるものと思われます。恐らく勝手な想像に成りますが、こうしたスタンスに多くの日本人の感性が映し出されるように感じます。

1)価値の序列と全体観

システム概念は外部からエネルギーを吸収し根本と基幹と枝葉という内部構造でネルギーを変換し外部へエネルギーを創出する循環系として全体が示される。これが有機体の基本的な仕組みを指し、人間という生命体にも同様に適用して個々人や特定集団、集団間や地域といった範囲の広がりを取り、現況状態の認識やそれへの快不快感から意図するビジョンへの方法を考案してより良いシステムの循環へと作為が加えられる。この管理的な側面の操作に対して、人間の生物物理的な仕組みや心理的な感情から実質的に得る欲望の質量を向上させる面があり管理面と実質的充足とを両睨み、自然と社会の適正な持続的調和を図る事が人間生活の全体的な構図と描かれます。この社会システムという社会現象の大局観の抱き方によって各種の特定領域への重みづけが取られる。

人間の生存に直結する衣食住を中心に生産と流通と物流の安定した仕組みの構築が中心的な焦点に取られ、補完する政治行政や教育文化という領域の相関でシステムの全体を構成する事が、感覚と観念と感受性を備える人間の構造を反映した欲望の適正な充足の方法と及び、不動的な型枠を持って外界を創り上げる事が人間の拡大的な成長概念となり、感覚を良く掴み制御を果たす観念図式と思われます。こうした全体像から見ると法や教育等という分野は後段的な配置にあり全体観との対比から各種分野が備える作用の序列が構成され相応しい表現に及んで各種の要望や提案を示す事に適正感覚が創り出される。

今日の細分化した分業社会においては、どこに主軸があるかを忘れたかのように、自分野を殊更に大きく訴求され全体観の適当な把握を欠いた力加減の歪な表現が起こされる。政治やマスコミ等という領域が力を持つようでは本来的ではなく根源的な観点から分を弁えた感性を備え社会生活の確たる安定と成長を意図する感覚に在って健全な感性が生まれる。生命線はどこに在るか、この維持や向上に有効な事柄へ視線が取られ施策の優先順位を抱くのが健康な感性と映ります。こうした感覚が生活の豊かさと共に肥満化し、焦点がぼやけて過剰要求とも伺える客観的な認識を欠いた生産者の姿が現れる。

安全保障政策を作るに際しても感覚的な質感を下に生命への危機の序列を構成し各領域の自己認識を取って適当な領域の技術の相関を示す事に外界との適正調和感覚が現れる。肥満な感覚は強弱のピントのズレた論理や主張が展開される。価値の多用性等と謳われるものの、所与的な思索の上に現代の多用な生産を仕分けて表現の適正を抱く所に健全な世界が作られる。下限的な最悪事態への予防が一丁目一番地に取り上げられ、相対的な価値の積極策が作られ両面の相関に視線を及ばせる発想に健全な人間性が浮かび上がり基軸と周辺の感覚を掴み多様化した欲望に対して定期的に枝葉を剪定して良質な根を失わない有機体の存続と成長が遂げられる。

先々、厳しい社会経済的な時代状況が予見される今日に在っては、どこに価値の比重を取るべきかの適正を再考し余分な贅肉を削ぎ筋肉質な感覚と欲望の体質に改善し、自己制御の適正を図る発想が望まれる。各種の創造は自己の技術の中枢的作用を確認し、特性を磨くと共に社会全般から浮かぶ時代の趨勢や動向との適合を見出し持続的生存への方途が作られる。外界と内部の適合へ意識の弱い机上的な価値の志向を持ってはピント外れの感性が生まれ、対象を良く窺い知る規則性を外した状態と認識される。

人権等の人間像の理想的なあり方も現況の実態からあまりに乖離した美化に陥る事や、観念的に人権があるという感覚を抱く事にも頭脳と感覚の程良い循環の規則性と離れた精神を宿し、健全な人間像と離れた実態が映しだされる。在るというよりも作りあげる発想に健全な姿が映り頭でばかり掴みだす事無く感覚的な実感を持って質実を把握し理想と現況と方法の動態の中で人権や人間が実感される。猿に近い感覚から物性と理性の適当な型式を作る意識を備え健康な精神と肉体を宿す人間性が現れる。こうした長期性の欲望と中期や短期といった区分や連なりが意識され、適当な力の投入割合を持つ漸進的な理性の形成軌道に適正感が生まれます。

本書の中心コンセプトは、「健全性」にあり、健康な精神と肉体という長期性の人間像に重心を取り、感覚と頭脳と感受性の良好な循環において、当該概念の実感が得られ、そこに安定と成長を齎す規則性が浮かべられます。良好なエネルギーを発生し続ける有機体の基本構造を指し、肥満症による悪性の体質を測定する目安と共に改善や適正配置を促し新陳代謝を遅らせる事のない活き活きとした性質の維持と向上に焦点が定まりこれに連なる各種の概念を想起します。

長期性の利益の創造

長期性の利益の創造

人間の生産活動は自己と他者の利益の実現に目的が備わりそれに等しいリターンが生まれて納得感に及ぶ感受性が起こり正常且つ持続的な活動に及ぶ。利益には短期的に実感できる即効的な事柄から物事を生みだす構造や仕組みの構築という中期的な周期で得られる利益や更にそうした発想を生み出す性質の形成という長期の普遍的な利益等に区分して見るのが適当に思います。こうした利益概念と利益の質量に対してリターンが等しく算定され循環する事が適正と成り私益や公益等という区分の前段に備わる基本原則に備わり適用する事が正しい道筋に思えます。公益だから無報酬や低額報酬等という理屈には違和感があり素の原理に則して人間のエネルギーの発生と返還の周期に在って自然な循環と浮かび上がります。「やった分は、やった分だけ欲しい」と思うのが健全な欲望と充足の姿であり自然な本能に則した仕組みに在って正常な発育や成長の軌道が生まれこうした意味に自由主義の核心的な性格が見受けられる。ここから実際上の各種変数が加えられ自分だけで利益を生み出す困難さの実感に及んで協働関係の実態を直視してリターンへの適正かつ客観的な算出が取られ適正値が求められ自由と協働を統合して調和の在り方に反映される。リターンなど要らない等という発想は少なからずある事かもしれませんが多くの場合、エネルギーを投じて効用を齎した分は望むのが自然でありエネルギーの起こる動機付けとなり持続的な循環の規則性に及ぶ。公益だから正しい等という曖昧な観念を金科玉条のごとき立ち振る舞う所にも真価を濁らせ詐欺や偽善の如き性質には健全性は見られず太い理論を基軸に感覚と観念と感受性のよく絡まった感性が表される。こうした視点から公共機関と呼ばれる組織の実態を浮かび上がらせ生産事物や効用の特定、生産事物の受け手を洗い出して公共という言葉の持つ意味と質実を客観的に測定して過不足のない価値や負担と質が導出される。公が正しいといった固定概念に縛られ真価をゼロベースから測定する事が弱まる傾向には健全性を見失い受動的な感性が浸透して生産性の弱い主体性が作られる。以上のように利益概念や区分と自由主義と社会協働性、詐欺紛いの虚構、公益の内実といった観点が起こり違和感の少ない納得性の高まる論理が形成される。根源性の問いという発想や習慣が内蔵されていて二次三次の原理の適正を計る資質が形成され健全な主体性の基礎が作られる。本書はこうした根源概念を各種取り上げ人間の生身の力の形成に有用な創造で在ると考えます。他者が作った原理を引用するままでは自己の論理や体系に備わらず手足を用いて頭と体が繋がり健全な感受性が内蔵され、姑息な性格や歪んだ発想に寄らない堂々とした歩みが作られる。短絡化や省略を求める発想の深まりは自己原理を痩せ細らせ力に振り回される体質が生まれる。自律出来る体系を持たない精神は外界への良質なエネルギーを生まずに負の影響が上回る。この性質を社会システムの要路に備える愚策によらず、社会全体の下地の強化や上昇へのエネルギーが長期的な利益であると思います。今日的には「安全保障政策」に関連させて根源的な思索が欠かせず、安定や安全、平和といった概念の正しい感覚を作り適正な筋道を構成する事に至り二次情報模倣型の体質による歪んだ発想や衰退化したエネルギーへの不快感や盗み体質への嫌悪感と共に自己創造性の施策として初動的な概念が提起されます。

基礎と専門性の在り方

専門家として一定の評価に及ぶ為の条件は、領域内部と外部の関係性を体系的に示す事であり、領域内部ばかりの細かな整合や解釈のみでは、欲望と充足の構図が弱く、タコつぼ化した社会性の弱い三流専門家と見做される。この手の学者が意外に少なくないように映し出されます。

社会学者であれば、領域の意義ないしは効用の明確な定義を産業経済と政治行政と教育文化といった社会システムに照らして表す事が求められ、社会観や人間観といった社会事象の全体的な観念を備え、そこに特定領域の体系を充当させて、ビジョンの実現という構図が描かれて一人前の社会学者となり、法学であれば、社会システムの中での法という作用の明瞭な規定を持って、見解を述べる事なしには領域の外側との関係が示されず、偏狭な見識を表すものと成る。領域の為の体系化に及ぶ偏った生産者に陥り、社会一般の感性を喪失した専門性と及び、付加価値の少ない表現者という三流の扱いを受けられる。

多くの適度な需給構造を備える生産者における感性と同質の技術と需要への対応という規則性に在って健全な感性を備えた創造性に至り、内包と外側を示しきれない事に在っては歪な領域化による見識と判定される。

この傾向に対する不快感や不毛感が、今日の学問や教育への不信や生産性への懐疑となり、総合的なビジョンと専門性との配置へと、研究の多角性や大局性、根源性を求めるニーズと現れ、部分最適への非効率性や偏狭性への改善圧力が進められる。

頭脳に偏して感覚的質感を省いた世界観に留まっては、領域からの効用が生まれず、社会現象であれば、経済産業をベースに欲望自体への思索を経て、長期的な人間像の形成を持って特定の焦点を絞り、理想図への方法といった並びが生まれて創造への評価が加えられる。

法律や法治という抽象原則に対して、感覚的な欲望と生産に在る産業経済との両面を見据えて統合した構図を備え、一面の性格に寄った体系に陥らない全体観の下に、法や産業の性格を規定して、欲望と充足の体系を示す事が感覚と頭脳と感受性の良好な絡みを備えた人間像を下にした生産と表される。

法の為の法や産業の為の産業という領域化は健全な感性とは乖離し、物理性と理性という根源的な焦点を原理の土台に掴んで人間像を描き、それに資する方法に至って適正な感性の実感が生み出される。専門分業の在り方がどこか供給論理に偏り、外側の世界観の弱い内向きの研究に及ぶ事には、適正な軌道を外したエネルギーの投入と映し出される。

創造の全体図

長期的に見る在るべき論と、中期や短期の課題という区分けに在って、精度の高い全体観を備えたエネルギーの投入割合が生まれ理性的な感性を反映する活動に及ぶ。是々非々といった個別的判断と協力の取り方がしばしば述べられる。どんな長期ビジョンを持つかの同一性が高まる程に個別政策や課題について全体工程からの配置も揃う。

是々非々といった関係は、この長期ビジョンを示しきれず、確信的な方向感が未だ見えない立場による無責任且つ無能力な態度とも取られかねず、大きな影響力の在る立場においては、根本的価値や長期性のビジョンの形成と提示が欠かせない条件に及び、ここが曖昧なまま中期や短期の施策を取り上げる事には成熟した創造性には至らず確たる芯の弱い反応と現れる。

私的な権益へ寄った態度に陥り施策が持つ効用への確かな自信がないままに、時々の批評に振り回され小手先の対処でかわす場当たり性が生まれる。この事象に見受けられる事が少なくなく些細な違いへの過敏反応や重箱つつきの攻撃的な反応に及ぶ事には建設的な前進性を停滞させ、付加価値の弱い生産者という烙印が押される。

根源性と全体観への問いと産出が欠かせない理由と取り上げられ体を用いて定期的に集約を持つ持続的な規則性に於いて、個別事象の積み重ねと抽象集約の機会を重ねて、強い納得感を表す概念が発信される。感受性を根にして体と頭を用いる事から生まれる最良化への方法と描き出され、長期を見据えた根源の概念を掴み中期の構造や短期の利害への健全な判定や変更への仕方を生みだし、場当たりの人気取りという自己慰めの逃げに寄らない真理を追求する創造が表される。

物的力を節操の弱い安易な方法を用いる感性は、確信性の価値を未だ作れず、場違いな配置に就いて利己性の利益を求める態度を表し、権利と義務のアンバランスな状態が鮮明化される。このギャップを適正に計り相応しい配置を進めて過不足の少ない構図が作られてエネルギーのよく絡み合う上昇への工程が進行する。

根源図と全体図が弱いほどに、枝葉への批評やピンとのズレた基準を殊更に取り上げ、他者への利益を創り上げる感度の弱い利己的優位性への執着を見せ、全体を停滞させる不幸な事態を招かれる。配置に相応しい体系を明瞭に表しそれへの不純な感性を及ばせない適正な適用が取れて、最低下限の作法が生まれ、これを外して居座る事による客観性を欠いた強欲さがシステムの稼働を弱め局所の利益へ偏した歪な体質を作られる。

このような点が長期的な感度で浮かぶ哲学的に映し出される根本のマイナス原因であり、根っこの問題を掴んだ改善策に於いて本流のエネルギーが回り些細な問題と大きな問題との捉え方の適正が現れ相応しい反応が作られる。長期性ばかりに偏する事にも、良好な運用の感度を失うものの根を見据えた中期や短期の取り扱いに於いて健全性への軌道を前進させる判断が現れる。