純粋性のパワー

純粋性のパワー

一見すると、現況を無視して理想ばかりを訴求されるかの態度に空疎な責任感覚の弱い不快感が生じる面と、過剰に現況の皮膚感に慣れた体質に留まって、自身への限界を設ける態度にも伺え、理想的なエネルギーを思うままに発散させる力への効力を抱けなくなったパワーの弱まりとも解釈される。

外界がどうあれ、こうしたいという純粋原理創造と訴求型のパワーが現況を変える力に及び、自己の意思に即した外界の変化を導出すると信じて、ひたすらに理想像を強調する行為に力の存在を実感します。真の利益を探求する真理への道を少なからず消え失せさせずにあって、現況に在る矛盾した状態をジワリジワリと動かす因果に映り、この面に集中して力を投じられる活動者に意義が備わる。一見無責任のように映るものの映し出す方の感性が弱まって、勝手に現況の感覚に慣れて限界を設けた感性の認識に至り、前進性の可能性を阻害する悲観的な感覚に捉えられる。

大きく全体的な構図としては、悲観と楽観と間に常温的な基準が入り強弱を掴み、理性的な創造をもって着実な進行を図る姿に適正感が映し出されるものの、上述のようなパワーの実感を喪失し前進性の軌道を脆弱にさせる。外界をも変える真の力は、純粋な理想への混じりけのない表現にあり、それ自体が方法であって直感の感性から物事を動かす因果が生まれる。利己的打算の弱い瞬間的な感性にみる表現に美が備わり、計画性の方法論と共に建設的な威力を感じられずにはいられない。この要素が少しでも残る所に限界を切り拓く真の力が映し出される。不信性の感覚が強まる今日の姿は、どこかこの力への素直な受け入れを弱め相手を疑う事が慢性的になり、ここに人間改造の切り口が浮かび上がり感性の蘇生に及ばせるような探究が進められ根本からの良質性が組みあげられるかに思われます。経験がマイナスに働き先入観が前進を阻害し、フラットに戻してゼロから対峙を持てる感性の維持に新鮮な発見が現れる。見えるはずのものが見えなくなり、濁った感覚を取って抱く事が人間側の生身の能力となり、この陰りに問題意識が生まれて根からの浄化と成長の加速が予見される。現実感覚が深まりこちらの論理が現れない偏りにも健全さを欠いた性格と映し出されます。

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