真なる自由の軌道

表現は身近な所から起こし、徐々に複雑な事柄へと及ばせ、問題の本質と細部の構図をしっかり押さえた観念の形成に在って適正な行為に反映される。頭脳的な筋道の表し方の善し悪しは、個別感覚的な体系の豊富さ等が起因し、大本は感覚的質感に置かれて対話の良好な進展を齎せる。例えば、年寄りになって体が思うように動かず口ばかりが良く出るのが、広く一般的な傾向則であり、口を開けば「あれやれ。これやれ」という要望が示される。子供の立場は自分の親であるだけに、なるべく応じたいと思われるものの、身内なだけに遠慮が無く、それに応じきれない現実が生まれる。或いは一度やると、二度三度見境のない期待を抱く事からも他人を雇って適度に対処させて自身の体を壊さずに無理のない範囲で利益を作る事へ及ぶ。

直接的な感情に対して身体を用いその結果、頭で冷静に鑑みて出来る事を整理の上に原理体系を作り、相手に知らせて自己の説明と他者からの期待を刷り合わせて、互いに無理のない適正を見出し長期に渡る耐久性が作られる。多くの人の体験的な筋道に思われます。こうした原理が土台に成り特定集団や領域の範囲やそこでの理念や体制、手順や持続的な改善の循環系が示され主要な効用の規定と求めるコストが算定され、内外の良好な対話や取引が導出される。過剰要求や不足の適正な基準や幅が算定されサービスや製品の改良やコストの更新等が繰り返され基本原理と補足の原理等の体系として説明される。

創り上げる体系は、一次的には内部と外部という焦点が生まれ、中核技術を下にその生産体系へ思索が及びそれを叶える必要資源が算定される。外部へは技術の効用を訴求し負担額を明示して技術と市場の接点が生まれる。そして、両者を同一的な参画者として内外を統合する視点を設けて、統一的なビジョンに纏めた観念を上位の原理に配し両者を客観的に測定する観点を築いて自己と他者の適正基準を提起し相互の成長を図る真理の探究軌道が描き出される。コミットする関わりが深まり直接的な機能と間接的な原理の構造が生まれ、長期の関係を想定した原則が設けられる。

時々の一過的な不一致や不協和で過度な軋轢や対立に及ばぬように根本的な感性を揃え時々の感覚を制御する働きに及ぶ。こうした原理の重層性へと及ばせる事が持続的な安定と繁栄への道筋と描き出される。文化体系や最高原理という配置に取られる原理は個々の正負の体験と積み重ねを経ながら知恵と成って生まれる方法になり個別の集約から良好な解決策を引き出し、それを基準にした個別の形成へ及ばせる生産的な営みと解されます。多種多様な経験とそこでの問題意識や改善方法の繰り返しや、根本的な問題への対峙から抜本的な解決策等が考案されて連続性の少ない新規的な質の変化へと更新し、生存の安定や躍動という健康的な姿を望む根源的な理念を達する事へ及ぶ、方法論の高度化へと探究が進められる。

この動態自体が健康な人々の姿を表し目的と手段の統合的な状態に及び、不動性を備える普遍則と固められる。変わりづらい欲望が根に成り共通の意思と固まり個々の判断を基礎づける根拠になり、定まった感性と組みこまれ人間性や人間像の中心要素という感覚や認識が生まれる。これを叶える局所の原理、中局的構造の形成、大局的なシステム等という重層の因果を描き、万人的な思いを最大に達する構図へと昇華させ納得感の高まる力の集約へと及ぶ。一人でも多くの生命が躍動するように正負の作用を鑑み全体的な向上へと運ぶ思想を少なからず万人的に備え適度な制御感覚を持つ理性的人間が作られる。長期性の観念と提起し感覚的欲望と心理面の程良さを生み出す人間一般の基礎になり不幸の最少化と幸福の最大性を探求する道筋と描かれる。

人間の正負を内蔵する現実的な実態を抑えつつ良質を見出す健全な創造観を抱き理想図と現況と方法を重ねる歩みに於いて虚像的な不信を招かない誠実な態度が示される。文化の根には自己と対象を真摯に捉え正負を含んだ実態を直視し、適正を見出そうとする発想が組みこまれて良好な感性が表される。こうした日本文化の正統な感覚は未来永劫の価値に及び、この軸にあって確たる程良い自信を備えた創造原理が見出される。これを遂げる二次三次の概念を多彩な切り口を設けながら取り上げます。

こうした図式を根本にとり個別と共通といった価値の領域や割合、内実を探し、共通性の一つに国家という枠組みを配して在り方への思索を深めて形にする工程が生まれる。価値体系を根本と個別と共通という枠で捉え偏狭で窮屈な感性に及ばぬように、でっかい構えを分母にする事が有限の無限化への方法でありこれを喪失しては人間の躍動を細らせる。頭に寄った感性は感覚的質感を弱め狭い世界の流れを作り体と頭と心を不動の型式に強調されて全体と個別の配置を組む事が生命を活かす作法を指し、この発想を源泉に持つ力に於いて本流の本能を強める事へ及び人間の成長図と示される。人間は背から羽をはやし空を飛べる日も来るかもしれない。そして現況を捉え実現への手法を繰り返す感性に無限を絵空事にしない健全な明日が掴みだされそのエネルギーに富の源泉が現れる。妙なレッテルを張り真なる自由を阻害するエネルギーを注ぐようでは、日向ぼっこでもして迷惑をかけない心の構えがあって日本人の感性が映し出される。

文化の重心

文化の重心

過程と結果で言えば、個々の感覚を体験しそれらを抽象集約した原則が纏められ、体の芯に備わり個別の判断や行為に原則が適用される。今日的に浮かぶ歪な事象としては、頭でどこかで作られた抽象原則を読み込んで頭脳的な説明は行えても行為の中に浸透しない分断的な精神分裂症に見られる事象が発生する。

口頭でばかり直接的に抽象原理を表現する行為は、本来的ではなく、個別的生産の中で、原理が適用された行為に及ぶ事が、健全な過程を経て創り上げられた原則と適用の姿と示される。口頭説明は人への要求という自己の欲望を表す行為と解され、自己に適用する事無く人に求める表現の性質となり、要望には負担を強いられ、これを欠いた要望は適当な調和を作るに及ばない。

表現の多くは基本的に自己の欲望を示し、欲望を充足するには効用が推し量られ、それへの負担に理解が示される。この構造を口頭で示す事と、実際に提供できるかは、未知数であり、過去の規則性が信憑性に反映され言行への整合が測定される。

過去に起こした失敗への対処の仕方等が、過程から絞られる原理形成へのポイントに置かれ、適当な対処を欠いた性質は、いくら未来へ向けた建設的な創造性を表現しても、信頼が付与されない。抽象原理を見栄え良く表現しながら、行為の中には間逆の姿を表し、体と頭の分断した出来そこないの人間が生まれる。抽象原理の形成過程へと視線が注ぎ込まれ、実態的に生きた原理と適用に及ぶかを推し量り表現行為への信頼性へと加減される。

個々人や特定組織の理念や国家の憲法等も顕著な例であり、自身のエネルギーを投じて創り上げられる程に執着に至り、個別事象の中に原則が浸透して生かされる。頭と体の分断した性格は、健全な過程を通らずに、生まれる人間形成過程の失敗であり、多くの人が抱かれる教訓にも思われます。

以上のように、原論ばかりが先行する表現活動や、頭ばかりで二次情報を入力するという行為の性格が示される。物的力を備える過程にも同様の事が言え、適正な過程を踏まずに力を備える事や要路に就く事が、本来求められる役割を充足するに足りない倫理や能力の釣り合わない姿と及び、利己的な欲求へ偏した力の利用と至り、歪な性格の集団やシステムを創り上げる。力の乱用や暴走へ及ばない為には、過程の健全性に、重要な焦点が加えられる。

そして、時代状況によっては、過去との連続的な原理を超える新設的な発想が求められ、質の異なる創造体系を描き、実践する力が必要になる。パラダイムの変化や世界観の更新を適時適切に行える改善力が健全な主体性の維持や向上に欠かせず、健康な精神を堅持する為に感覚的な規則性を変えるなどして、良好な感性や体質が守られる。これを先導的に創り上げる力が、確かな未来を齎し、保身に執着して変化を嫌い停滞させる事は大きな損失を招かれる。対象も主体も生きた生物を指し環境の変化に照らして、或いは環境を創り上げる魅力ある創造を遂げる事が生き物への性質を創り上げる。

ここでの不動的な型枠が、頭と体の一体性であり、人間の変わらない在り方と固められ、抽象原理と個別行為の有機的な実態を持つ活動に在る事が、持続的な安定と繁栄を遂げる肝に成り、この原理と適用は根本的な原理と置かれる。

こうした点に、文化基盤が表され、下限的な不快事象を生じさせない為には、必須の型式で在り、ここの崩れがマイナス事象を生む根本の原因になり、確固とした信念において、人間の根源性を堅持する事が重要管理点と取り上げられます。この原理を先おいて二次的な力は優先されず、例外なく適用して崩れを許さない事が過去の人々の良好な熱意を継承する姿に成り未来に繋げる責務が生まれる。

一日にしてあらず、長い歴史の重みから在る重要な原理は何があっても変えられず、一過的に気の振れた歪な感性に対して、正気を戻させる過程が避けられず、これを曖昧にする事は歴史的汚点と刻まれる。性根の弱い権力者は役割を欠き、自己の適性に合った配置へと移動する客観的な感性が、頭と体の有機的な状態からの判断に現れる。精神分裂症は自覚の弱い欠陥と定まり人間の体を成していない。解りますか?みすぼらしい態度は後世に対して未来へのマイナスであり、適正な感性を貫徹する日本人を残す事があらゆる創造の根源に配される。