根の性質

根の性質

頭に寄った体質形成は言葉ばかりで体との一体性を欠き、自身の手足を用いる事を避ける発想が浸透される。誰かに金銭で委ねやってもらう発想が強く間接性の道具に慣れ、能動性の弱い主体と映し出される。リスクを取ってリターンを掴みだす積極的な創造性とは離れた模倣的且つ受動的なスタンスに快適感を抱かれるエネルギーの弱い性質とも伺える。ぶら下がり型の感性には健全な主体性像とは異質になり、物性依存に慣れたお任せ型の志向性と現れ、ゼロベースから物事を創り上げるスタイルには無いサラリーマン型の分業を好まれる。起業的なスタイルを好むかの違いとして両者の性格の相違が浮かび上がる。

健全な精神と肉体の一体性に健康な感受性が示される。体から作られた過程に生まれる観念と感受性の生じ方となり、頭脳に偏した小手先手法で物事を斜めに構えて交わすスタイルとの違いと現れる。基本的な基準は前者の構造と動態に在り、これを持って信頼形成に及び適正な調和を創り上げる人間が生まれる。このような大別的な主体性像の種別が取られ、いずれの型式を好むかにより歩み方の相違に及ぶ。この応用が憲法等の規律の作り方に反映し根元と基幹と枝葉の構成方法に現れ、受動的な性質の縛り型の観念体系を発想するか、能動的な性質の参画者の描き方を作るかの割合に分かれ基本的な根本の性質と現れる。

良い所をサクッと盗むような習慣を備えるか、自らエネルギーを真正面から投じるか、腰の座り方等の基本的な構えが異なり発想や行為に及んで性格と掴みだされる。こうした焦点で物事や対象との対峙作法の質的な違いによる人間像に反映され、基礎的皮膚感覚や根本の感性が作られる。テクニカルな小技を多用する歩みからは健全な精神や肉体が宿らず、感受性と身体と頭の連動した姿に在って自然や人との適正調和を創り上げる事へと連なり信頼のおける人間性が備わって良好な遺伝子と組み込まれあらゆる創造事物の性格へと浸透する。

基本的な道理と成る筋道はこうした描き方を持って理想像を表し現況の認識から適正な方法を導出する実際性を備えた活動に及ぶ。正しい主体性像は普遍的な原理でありこれを目指した志向性は変えるべき所には無く、この観念の有無や程度が考え方の違いと現れる。痩せ細りの体質が進行する傾向には良好な持続的安定と成長の軌道と乖離し道具の多用や物性型の感覚に振り回される姿が進む。健全な精神を根にした真摯な態度を創り上げる規則性は不変と備える事が人間性の堅持に不可欠の作法と描かれる。

世渡り上手にも賛否が生まれ責任感覚の持ち方が衝突に現れる。軋轢への免疫の弱まりには、あまり良い傾向とは思えず健全像とは乖離する。この面に根本的な性格の変容が浮かび上がり発想や手法に顕著に現れ文化の質を規定する。

人権と文化

物理的な攻撃性による勝負というような世界観は、人間世界では本流の軌道にあらず、理性を主軸に自己と相手方との共通的な利益を創出する創造性に於いて主導的な立場が形成され指示と受容の割合感覚に現れる。この区分が強調されて正々堂々とした潔い立ち振る舞いに快適性が生まれ、良い結果も悪い結果も真摯に受け容れられる態度が作られる。

何でもかんでも主導的な力を備えられる事は無く、どこかに注力して欲望の充足を遂げる領域を創り上げる限定的な生産性を持ち、自領域の自尊心と他領域への尊重関係による協働や共生の姿に及ぶ。物的短変数の力による支配の原理は、根底に共生性への志向の弱い強圧的な願望と現れ、このスタイルからは、一過的に人々を従属させられても長くは続かず、自主内発的な選択性の下に原理や創造への関心や効用を抱いて自らの意思による判断に在って、反復的な同一選択を生む自然な感受性に即したエネルギーが交わされる。

この状態に快適性を抱ける感性に健全な心身が現れ、平等感覚の浸透した体質に於いて理に即した創造と需要の関係性が作られる。こうした関係性の在り方に人間像が描かれて、平等思想や民主主義、自由選択主義という基本観念で説明され、健康な精神と肉体の規則性から生まれる人権といった総合集約で体系づけられ実感を掴むものと成る。この根源的な感受性に普遍性や不変性の価値を持ち、自律を取ると同時に他者へも求め共通的な感性を下に二次三次の創造性と原理が生まれ統一的な規律を備える人間の活動が見出される。

物性の原理から普遍原理を欠いた力の進行には、戸惑う事無く反応できる環境の整備等の施策も講じられて実態が形成される。長期性の原理として確固とした基盤に備えられ、人間の安全保障といった環境が生まれて健全性が向上する。少なくともこのような価値や環境が整い個別的な関係の柔軟な判断の選択が作られ適正が生まれ、多様な価値の尊重される世界が出現する。こうした社会像をベクトルに合わせて阻害する動きに在っては、時代の趨勢と異質の特異な性質と規定される。

しかしながら、過剰な権利の要求という姿には人権と離れた性質が備わり、権利義務や欲望と力と責任の均衡という概念が備わり完結的な質実を含んだ人間像が描き出されます。原論と行為の整合等の焦点から実態的な人権の実感に及び頭脳過多の表現や創造性には人権概念の歪んだ解釈と映し出される。

この性質に見受けられる人間が意外に多いのが現代の問題の焦点に上がり、頭でっかちの権利主張者に陥る事のない真に快適性の現れる人権の実現に向けた文化の形成というエネルギーが現れます。ここに、健全性という概念が作られて身体と頭脳と感受性の有機的な規則性が強調され、良好な共生感情の作られる健康体の形成過程が示されます。

そして、社会システムの設計や運用に於いても、同様の原理が適用されて、個々人の関係性や特定集団のみならず、大きな空間的広がりに及んで各層の因果が連なり人権概念の実感が形成されると想定されます。