創造の適正図面

創造の適正図面

表現や創造における初動的な適正図面と考える焦点を以下に取り上げます。「良い子を演じると良い事が返ってくる。」というように善意の対象と捉えられる場合と、これに該当しない場合があるのが現実の人間世界であり、理想像を備えながら現況を掴み適当な方法を投じる事が、理想を能動的に創り上げる姿勢や態度を表し、方法という面に真価の実質が見出される。時間の幅や観点の取り方等から事実の特定は多様でありその中で一定の人々におけるコンセンサスを持ち認知的事実が形成される。この3つの種類の事実が生まれ社会秩序が構成される。つまり、現象は、理想と現況と方法という概念と自己と他者と両者という3つの面で認識や表現、創造を生む事でありこの区分をある程度意識の上に社会の適正調和を作る発想が必要に思われます。

自己 他者 両者
理想
現況
方法

この基本構造の認識をもって、各種の創造を見出す根源的なフレームによって適正調和の形成方法と表されます。自己の理想というエゴを充足する願望と、それがどんな効用を他者に与えるか、この場合の自己と他者とはどこを想定されるのか。利益はどんな性格か、短期中期長期性等での利益の想定。こうした視点が及んで、「他利を与え自利を得る」という根本的な基本理念の実践が生まれ、冷静な構造を描き真に利益を創造する姿が現れる。これを欠くと供給理論に偏して利益を与えているつもりが不利益を齎す事にも及び適正なエネルギーの質と量を投じる健全な算式を整え、実践する所に実際の感受性の質量が映し出される。自己愛と他者愛との極端な偏りは歪な感受性となり、中長期の健康な実態を作りださない。そして、社会的な影響力に相応しい奉仕性の構えが他者からの期待と寄せられ、これを含んで自他への適正が創り出される。大きな影響に至る程に冷静な構図を持って実現への方策を生むのが責任感覚を指し良好な成果を作る作法と描かれます。

文化論は、過去の規則性と未来の志向性を含んだ理想像という性格に成り、持続的安定と成長という理念に対して平等思想等の二次三次の方法という性格を含む理念の多段構成で体系が示されます。こうした事から厳密な意味では現況と理想と方法という概念の明瞭な区分は頭脳的な観念整理上の表し方となり、実際の感覚では、3者の性質が混在していると見るのが実感に近く、それに冷静な理性を充てる為に概念の分化を設けて、適当な行動を作りだす方法と言い換えられます。感受性という人々との良好な志向性を基本に抱きそれを実現するには感覚を観念で整理して自己と他者を客観的に捉え自他の利益を想定して着実な充足に及ばせる為に概念が創り上げられ感覚と感受性の実感に到達させる人間の知恵と考えます。現実世界は途切れる事はなく「動」でありそこに願望から静を与え願望を適正に得る道筋で概念が形成される。ここが肝に抑えられて健全な感受性を備えた思考や行為の規則性を持つ人間が作られる。頭脳に偏するほどに奢った感性が宿り態度に現れ外界との不調和を作られる。体全体で全身全霊で交わる事が普遍の理念と備えられる。

健全な創造性

因果の想定を合わせて物事を協業して多数による秩序が形成される。「何をどうする」という優先順位の高い事項を定め、下位事項のズレた感覚は我慢するのが実現力の要でありどんな根源的な願望を抱きそれを達する基幹論理が現れ枝葉と実を規定して全体ビジョンが描かれる。この対象範囲が大きくなるほど多彩なパターンが浮かび、工程と目標点への信憑性が途絶えずに軌道の意識が持続して協働の求心力が宿り、細かな相違に過度な対立感情を生まず分断させない肝になる。

この構造の共通認識を固めるのが協働の初動で在って、普遍的なフレームと中身を詰める事なる。各自が一定の時を経ながら相互の性質を認識し、共通の目標点を見出し次第に協働が作り込まれ団結力が作られる。「金に成れば何でもよい」といった感性が深まり無機質な感受性が浸透して、短期的な反応が増進しビジョンを作り出せずすぐに衝突して分散する個人化の傾向が随所に浮かびます。糧を得る為に容易に犯罪に着手し安定しない見解や物性的な力に追従する孤立的、希薄な精神性で不安定に右往左往した態度を見せられる。

こうした事象自体へ対する快不快感からビジョンが生まれ同質性から協働に及ぶ切り口での生産が作られる。それが文化ビジョンという人間の長期的性質に備えられるべき在り方を表し、実現する筋道として全体図が創り出される。直接的な物事や安定供給する構造というビジョンに対して両者を包含する人間の性質を対象にした作り込みの理想図となり人間像と示される。

人間像自体の感性が大きく異なると協働や共生に至らず、淡白な争いを繰り返し豊かな文化を消滅させる。根源的な感性のズレは不快の直接的な対象となり、人間ビジョンの阻害因子と特定され改善や消滅への力が投じられる。共通ビジョンという価値の接点や程度から熱の生じ方が生まれ、反応や実現工程に反映される。このような創造の基本的な筋道が生まれて、どこに目標を取るか、目指す所の違いが距離や関わりの違いと現れ共生や自立の関係と成り、同質性からグループが作られ、いくつかの勢力と把握される。

価値が曖昧で自己生産の目的意識を持たない主体性は不調和を作るマイナス性と特定される。金への極端な執着からは、図面と行為が乖離して良質なエネルギーを生まず外界を騒がす一過性の迷惑者の認識が形成されてやがて衰退する。価値に他利を含める社会性を志向する感性と実態があって健全な安定と持続に及び、お金自体は二次的要素という方法で位置づけられる。無機質性の深まりは人間性の下落を指し示し歪な調和感覚に及んで不公平な配分感覚が強まり対立が強まって争いを多産し破滅の道を辿る。

以上のように、協働形成、協働の破綻、破綻の回避、予防図の作成と実施という一連の道筋が想定され、良質化へのビジョンを作る欲望が生まれて、持続的安定と成長に及ぶ健全な人間図が創り込まれる。

1-2問題の焦点と基礎教養概念の重要性

市場原理主義という表現も根源的な人間の欲望への思索を経て創り上げられた概念とは異なって見えます。市場は物理欲望のみならず情緒性の欲望も備わりこれらを充足する自由な選択性の下に対話が作られる場所と方法が市場原理という概念でありどこか片手落ちの完成度の弱い観念構成という感を受け頭脳的な学者先生による実像と離れた表現と映ります。どこの原理を出発点とするかが起源になり、二次三次の加工度の高い観念を下にするほどに一次体験面の事象を飛び越えた概念と法則が描き出され真相と離れた表現が生まれる。このような意味の基礎教養の厚みが弱いと歪な専門領域が生まれ、人間への根本的な取り違えを前提に領域の概念形成が進み供給の利己性へと偏して他利の提供よりも過剰な自利への願望という姿と現れ、不快や不調和を招き健康な気流を停滞させる。総合基礎教育の丁寧な充実が良好な根や基盤を作り一見遠回りのようで着実な前進を齎せる。人間の深みある思索を経ないと分化される概念に、精神的不安定な地に着かない論理が現れ言葉ばかりが踊り歪な態度を表される。基盤面の不確かさは二次三次の原理の欠陥を作り領域の痩せ細った性質と現れる。経済や政治という概念と人間の根源性の相関をしっかり掴みだす土台と基幹論理に至って枝葉や実という成果に及ぶ規則性が生まれ、根の不良は力んだ創造を齎せる。基礎教養としての文化論の良質性が良好な専門性へと反映される。現代的な物性依存や過度な管理志向や頭脳寄りの体質から精神面の歪みが醜さや不快を齎し小手先の改善では留まらない根源的な人間の修正への焦点が生まれます。へんてこな学者や政治家、マスコミというバッタモン同士の空騒ぎ目に余ります。

5)問題への対峙に見る人間性

違法かどうかの見解を示すには、直接の該当する条文と事象の特定を持ちこの相関で判定を見せて表現者の見識が浮かび法という限定上の感性が表される。これ以前に、多く人の立場は善悪美醜から物事の判定を取り、良いは増進、悪いは削減という感覚が備わる。在る行為をとり他者からの快不快感が示され、指摘への納得感や賛否の程度で異同感覚が生まれ、互いに詳細な論理が組み立てられて精緻な感覚が示される。その根源的な根拠にどんな感覚を充てられるかが反応の源泉となる。この部分が変容しづらい皮膚感覚と言え、そんなに違いは生まれないようにも思われます。

しかし普段の規則性や幼少期から永年の歩みで形成された特性が体質となって固められ、ここにあまり大きな違いを作ると皮膚感が大きく異なって相違の幅が広がりなかなか同一性を創り上げるに及ばない。社会的に大きな影響力を備える人々に在っては、自然な感性の在り方について利害関係者から問われ、法律よりも皮膚感覚から関係が作られて関わりの深度に及ぶ。法を持ち出すよりも、自己の適正な論理を組み立て他者との真摯な比較で対立や和解を見せられて調和に及ばせる自主内発性に人間力が判定される。

法を根拠に取るかよりも自己の尺度に沿った見解が先立ち、法の所在を知り法自体と自己の尺度の異同が現れ利害の対立を調和に導く方法が創り出される。こうした思索過程で見ると、違法かどうかはかなり限定的な焦点の適合性で在って善悪美醜の絞り込まれた判断を示す事に成る。誰に対して説明される事か、どんなビジョンを志向されるか、全人格的な姿を分母に部分的な事象が取られてバランスの良い総評的な表現が見出される。その上で見る人がどんな心象を抱くか、対話の持続に叶う相互的な感性が繋がるかという道筋が生まれる。

問題事象の発生は良く知る機会に成り学びの場面と置いて実直で真摯な反応を見せて良好性への力に転換する。逃げるような態度をとる程に不信や疑念が深まり問題をマイナスへ回して距離の遠のく関係に及ぶ。逃げ癖や誤魔化し癖、小手先型の体質は真正面の反応と外れて良好な対話を作られず堂々と考えを示す心地よい姿を多くの人は望まれる。後ろめたさを持つほどに基軸の弱い論拠や反応が顕著に浮かび上がる。善し悪しへの心象は体全体から伝わりそのままの実感に及び次後の関係に連なる。「あいつの言う事か」という先入観へ及び途切れる事のない因果が生まれる。体全部で認識が生まれ手先の反応を規則性にする体質と映るか、この辺りが根源の性格と捉えられ記憶の深くに留められる。

3)健康理論

生活の基本リズムは整理整頓や清掃に始まり心身を清めて健康な衣食住を取る事に快適性が生まれ、下限面を優先して積極面に回る手順が備えられる。ごく当たり前の筋道が各所の作法に及び基軸となる規則性が作られる。性質は下限面の観測や感度の変化で抑えられ下流の原理に反映される。根の下落が積極面の質を規定し、自立や共助といった関係にも現れ根本の感性があらゆる創造の起点に捉えられる。この基本的枠組みが個人と集団、民間と公の性格を作り、公についての基本認識が対人形成の基準を作る。政治行政、報道機関、教育関係に形式的な公概念が生まれ実質的には多くの生活者の感度で現れる。社会システムの固定化から感覚の開きが生まれ下限の感性の水準が変容して各種の問題が現れ、快不快感への自然な反応を取って自浄作用を保つ仕組みに在って社会改善の基軸焦点と定まり、空間の健全性が図られる。肥満な体質から下落した感性には必然の工程を課す筋道を執り行い安定と成長の軌道が持続する。停滞の原因はこの仕組みの不正常な状態にあり良好な気持ちを妨げて建設性の力を阻害する。物理依存に陥って新陳代謝が遅れるとあらゆる細胞へ悪性が及んで歪な成長を齎せ、感受性の起こり方に異変が生まれ健康な心身を崩されて社会の衰退というスパイラルが深まる。健康な心身の上に適正な力の用い方が生まれ大きく軌道を外さない制御が齎される。力に振り回されて心身を壊して周りへ悪性を回す事のない主体性を作る視点が生み出される。金の為と割り切って悪性の放置や利用する事は同類であり、共犯者と見做して対処する事が自然であり知らなかったは通らない。このような健康理論を基礎に文化体系が作られます。

自立と共助の適正と改善の概要

人の心配などよりも自己の生存を先んじて自己が直接的に対象とする生産へのエネルギーを投じる事が第一義に置かれこの確立の上に余分な所へ視線を取る余裕が生み出される。自立と共助の基本的な筋道となり長期的な人々の健全な性質と表される。

自己の生産へ被害を齎す事象には、それへの対処を粛々と求められてしかるべきであり、直接性の生産事物と間接的な因果の想定を持ち影響の程度を図り、プラス・マイナスの実感を取って、プラスは増、マイナスは減への反応が生み出される。これが自己の確立となり、マイナスを与えながら何かを世話する等という客観性を欠いた奢りが不快の代表的なまやかしの感性であり、長期的な性質の悪性から客観認識の劣りに及んで、頓珍漢な感度や態度を表す事に成り、欲望と力と責任の不均衡を表す。

加害者や犯罪者の認識を取れずに、外界への過失を求める感覚の歪みが中期的な構造の規則性から長期の性質を作り、自立の弱さや感違いと過剰な要求の皮膚感と及んで個別事象となって顕在化する。これが和を乱すサイクルとなり一義的には自己生産への真摯な集中に力が投じられ、関係の弱い所には視線が分散される事無く、適当な調和形成への軌道を持つのが健康な根や軸足を持つ主体性と描かれる。この中で正負の事象に真摯な対峙を取り、自己の生産を客観的に捉えた歩みに及ぶ。

肥満な感性からあれもこれもと視線が定まらず、被害や迷惑を与えている自覚に及ばない奢った態度が生み出される。自立の感違いという悪性は長期的な性質の劣化で在って、ここからの被害については、弱める事のない適当な対処にあって負の拡散が留められる。分母と分子の関係の掴み方に様々なパターンが現れ、肯定的に捉えられる場合と負の根深い現れと見られる場合とが生まれ、この論理の取り方に皮膚感覚が現れ反応に及び調和を創り上げる活動へと及ぶ。

永年の規則性から、適当な欲望と力と責任の均衡感覚が形成され、接する領域との異同感覚が作られる。あまりに偏った異質性に及ぶ事のない健全な主体性像を探りだし、その劣りには粛々と反応を下す感性が適当であり、この作用への直接間接の弊害となる諸条件を冷静に浮かべて変化の序列と実施工程を描きながら不快への対処や予防、快適の伸張という施策が投じられる。局所事象の認識が取られ、そこに見る性質を浮かべ、性質が生まれる構造へ視線を及ばせ、構造の適正を見る権利義務の均衡とその乖離という認識を掴み、一般認識化へと強め変化へのエネルギーが集中する。こうした総合的な重層の対象化で実際的な現象の精緻な動態を描き出し、理性的な分析による実質的な実感に及ぶ改善の工程が描かれる。

和や調和、平和は黙っていては訪れず積極的に創り上げる概念であり旧来的な概念からの脱皮が健全な感性の増進と解される。この適当な作法を提起するのが文化論という方法であり説得力に及ぶ根源的な焦点から個別事象を配列して明瞭に表し事象を創り上げる力に及ぶものと思います。ゴミを放置すると辺り一面がゴミだけになり、この片付けを何より先んじるのが普通の感覚であり、異臭がする所で健康な衣食住は生まれず下限を直して良好な積極策が生まれる。ごく当たり前の筋道を取れない事が長期の性質に見る慢性的病に思います。

和の文化―直線と曲線

性質の良い人ほど小手先の騙しという手法を取られず不器用な態度が現れ、裏表の差が少ない振る舞いとなり器用な立ち振る舞いを嫌う性格と現れる。この性質は根の太さや背骨の真っ直ぐさを表し枝葉の事象として細かな不器用さがしばしば浮かび上がる。一方、雄弁でボキャブラリィーも多く、理路整然と明瞭に論理を謳われ、実際の繊細な肌感覚や感受性が伝わらず生身の事象を動かしきれない事もしばしば現れる。

つまり、連綿と続く時間で作られた感受性の積み重なりが信頼関係のベースに置かれ部分的な静態理論が表され、分母と分子の構造で物事の円滑な運びに連なり、分母が脆弱であると同じ分子でもエネルギーの作られ方が多分に異なり実際の協働や創造性の相違に現れる。分母は長い時をかけて形成される信用関係という資産であり、ここの厚みの程度から分子への力の入り方が異なり、同じ論理で在っても論じる主体によって力の入り方が変容する。

これを愚直に築かれたほどに骨が太く真っ直ぐな性質を持ち、早急性からの停滞に及ばない着実な前進を作られる。その分、器用な立ち振る舞いへの配慮が行かず、そこが一次的に表面化して分母を知らない人がやけに強調し深みある事実と異なり断片の原理の適用という評価に及び実態を見誤る。頭脳的なテクニックで人の関心を寄せて小手先の制御に乗せられる事のない骨太の感性が備わって実相を正しく掴んだ判断が齎される。

金儲けが上手という面のみを持って人間の評価は生まれず、効用と影響の適正や真に有益な効用への思索を及ばせ、数値に現れづらい部分を加味するのが豊かな感受性を備えた健全な人々の秤で在り、物性の感度で単純に物事が動かない経済人モデルと示される。感覚反応が高まる程に単純性の感度が進行して対象から抱く変数が減少して局所事象に分母が備わらず鋭意な言葉や話し方や態度と現れる。

縦横の整列された論理よりも曲線的で曖昧性を多分に持つのが現実の動態であり、後者の感性を取れる所に多くの嗅覚を持つ人間が実感され豊かさはこちらの方に現れる。人口化するほど直線の縦横で区分けした論理や図式になり、良好な調和は曲線と描かれて実際に限りなく近い現象が掴みだされる。頭脳による観念体系化への過度な欲望がこれを弱め小手先手法や局所性、即効性といった傾向が進行する。これの行き過ぎに痩せ細った感性が生まれ、基軸の太い性質へ総合する向きに元来的な和を尊ぶ文化が作られる。人間の長期的性質への着目と変容の客観性を抑えて自己を創り上げる文化活動が生まれる。

公の基本的性格

「どこに何がある」という情報を持ち、それを望む人に在ってその情報が価値に成り対価を支払う妥当性が生まれる。民間活動に置いては、民民の自由な取引を叶える働きとなり流通業者等が備える作用の一つに思われます。一方、公や準公共という性格に在っては、この口利きという働きに対価を求める性格にはなく、全体への奉仕者として見返りを求める事無く、知っている情報を広く伝達し誰もが自由に利用できるように働く事が適正となる。

特定の限定的な利益に偏しない事が民間との相違であり、これに利己的願望を表し見返りを期待する事が公益性と異なる態度となり公共の性格とズレた個人の願望を求める事から、恣意的振る舞いに及び公平性を欠いた不快感が生まれ、なし崩しの秩序を蔓延させる。この切り分けを持てる性格に在って、公共を担う為の優先度の高い資質が特定され満たせない性質にはその立場を与えるべきでないというのが、民間と公共の基本的な在り方と浮かびます。

民間取引のような性格の自由主義を公共という役割に与えられる事はなく、それを覚悟の上で公の任に就き大志を貫徹する人間性が長い目で見た安定と繁栄への基本的な作用であり、公という立場を私的利益の為に用いる性質が基盤の劣りを招き基準と適用の不公平感を与え乱れた感性が進行する。ここから外れた振る舞いにはき違えた感性が映し出され、なにか特権でもあるかのごとき意識が内蔵され恣意的な権利の乱用が力の暴走と見做され本来の意図と離れた動きを作られる。

個々の思想の自由を与えられる以前の普遍的な原理という性格で表されこれがあって健全な制約の上の自由世界が生み出される。こうした性格を持つ公共や準公共であるがゆえに、一定の身分保障という保護が与えられ名誉ある地位という尊敬が生まれる。こうした認識を万人的に備える事が基礎教育に含まれて、民主主義という選考過程に反映されて正常な民間と公共の在り方が作られる。

民間の恣意的な欲望から公の職員を誘惑し金で自由に動かすような行為が生まれて、それに対して確固とした根源的全体ビジョンの備わらない公共であると、民間へ阿るような振る舞いに陥り特定利益の代弁者という性格が進行する。民主主義の一過的性格に対して普遍的な性質を備えた理念が形成され、長期的に見る全体の奉仕者という不動の役割が柱に在って健全な人間性の堅持された安定と成長の世界が作られる。

こうしたビジョンの共有を深め、それとの乖離に改善が取られる持続的な仕組みからインフラの正常化が果たされる。民間活動のような自由は公にはなくこの前提を含んで領域に従事できる事が普遍的な原理になりそれと外れた人々は公領域に相応しくない。万人的な共通理解と遵守させて民度が高まり良識を持つ民主主義であって健全な作用に及ぶ。教育や日頃の報道にこのような秩序を取り込んだ情報提供が作られ秩序と進行させる事が求められる。田舎の地方議員のような振る舞いとは異なり普遍性の原理を持つ強固な基盤を備えた性格があって全体の良質な制御が生まれる。民間活動を盗む等という行為は本末転倒であり大きな欠陥と見做される。

時は来た

時は来た

政治家の淫らな行為が続出しているようだ。個々人の性格もさることながら、抜本的な構造への瑕疵とも見受けられ、基準を大きく更新させるタイミングが来ている。

ここへの力の投じ方が、先々の常識を作り上げる事に成り、新秩序への働きがリーダーという認識を強められる。古い感性からの脱皮を図る決定的なタイミングで在り、若手や中堅が台頭する契機と見られる。

看過すべきではなく、組織的な署名を集めて、悪性の勢力への対峙をとる又とない機会であり、長期性の観点の変化を重視して、細かな視点に焦点を分散せずに、事柄の重みを間違えない感覚が求められる。

歪な感性という染み込んだ体質は、一斉に力を集中して変える以外になく、これが良質化されると、二次三次と派生して、原理の更新が進行する。上流の変化は、大きな効用に届き、そこに力を投じる事が正しい動きを強められる。

健全な人々が表に現れる絶好の時に映ります。

管理運用能力の正しい測定

指示命令関係にみる適正の計り方も一面的な尺度にはあらず、指示者への問題か指示を受ける側に見る問題か、その上位で対象を作る側の問題か、局所と中局と大局の観点から個別事象の分析が取られて責任の割合と改善への焦点が浮かび上がる。

直接的な指示命令関係は、上位のシステムから局所の工程への任務が与えられ、それを基準として細分化された実現工程が作りだされる。頭脳的な経路の設計とその納得性から熱の入り方にも相違が生まれ、或いはそれまでの歩みに見る信頼性がシステムを稼働する力に転嫁し、頭と感覚と感情の統合で実際の生きた運動が生まれる。感覚と頭という物性的作用のみならず過去の規則性における感受性の起こり方で仕組みや運用の検証が取られ、そこでの不調和や適正が積み重ねられて、指示命令関係への円滑性や熱の投じられ方に反映し実質の成果と現れる。

現象が途切れる事はなく動的連なりの因果の止まらない状態に在るのが現実の世界であり、細かで多数の変数を感じながら所々で大きな作為が描かれ動態へ静態を与える図式にあり過去の連鎖と未来の創造で捉えられる。単純図式化の感度が進行して、頭脳寄りに陥る程に実情と離れた操作が進み、動への力んだ静を取る程に思うような静の実現には及ばず形骸化と知覚される。指示者からの熱と現場の意識が空回りするか、或いは現場の怠慢という認識に及ぶか、内部と外部への利益との適正等がポイントと備わり、提供力と対価の適正が測定されて力の強弱に反映される。

これらの大本に大局で見る現況の認識が備わりここがズレるとあらゆる場面での感度が相違し全体図面と部分工程の役割が揃わずにどこかの停滞が全体への停滞と及んでスムーズな進行を妨げる。エネルギーを投じる方向の差が生まれ全体と想定する働きと異なった動きに及び、部分への適正な対処が取られないと負のエネルギーが放置されて全体工程に影響を齎せる。利己的な願望を強められ大きなビジョンに反した動きへの適正対処が取られずに部分性の利益に偏った事業活動が生まれる。この因子を除去する判断が管理責任者の責務で在って保有するビジョンの取り方が判断への適正を作りだす。

体から作られない空のビジョンは適正な熱が投じられず、絵ばかりが煌びやかで感受性の弱い鈍感な判断で留まり実感に漕ぎ着けられない。こうした実相に突っ込んで対象を探り温度を掴み真相に近い認識が描かれる。上から見下ろすような感覚が強いと中身を見る目線が生まれず、型どおりの表面を取り内外の激しい差と現れ観測の劣りを生み事実を掴みきれず大きな問題事象として突如現れる。

取り返しのつかない失敗を生みだす因果となり一体的な皮膚感が弱いと感受性の分断した状態から予期せぬ事態を招き、低い能力という客観的な事実が露わになる。利己的性格の上っ面の取引が悪性を生むという認識が劣ると、無能な管理者が居座る集団が生まれ現場と意思疎通が図られず、強権的な対処を取る劣ったマネジメントが生まれる。投資家や資本家、体からの頭づくりに及ばない人との関係形成力の弱い感性が物性へ偏した金もうけに走り歪な発想や行為を生み大きな失敗を招いて関係の弱い所へと被害を付け回す。このような歴史の教訓が至る所にあり、それを実践出来ない傲慢な姿に厳しい反応を取る事が他者の利益と同時に自己の利益に連なる。