創造は基本的には市場の作用で淘汰されるものであり、創造自体に事前の制約を加えるような作為は根本的価値観を損ね、違和感の強い作為という感覚が現代人の皮膚感に思われます。創造に対して直接的な利害の抵触は、そこでの反応を見せそれを見る第三者が更に判断を加える事に成る。この流れに妙な制約を課すことなく各人の意思が尊重される。
事前型の規定も限定すべき事は利害関係者の範囲に応じて絞り込まれ、多数になるほど制約できる範囲は弱まり、抽象的表現やマイナス性のしてはならない事に特化して規定されるのが自然であり、表現が示す要望を率直に表し吟味する期間を設け、各種利害関係者からの意見が出されオープンにして集約的な意思を纏める事が健全な手続きとなり予め備わる起案者の立場や性格に公共性が備わる程に開かれた意思決定の流れが求められる。個別特定的な立場と公という性質の高まりに自他の認識が揃って適正な過程かの判断が下される。
意見を出す事自体に過度な制約を設けるような流れは時代と逆行し違和感の強い偏狭さとも映し出される。裏と表で内容が異なるダブルスタンダードは健全性を欠いた歪さであり、信用の根本的な欠損を招き人格上の歪みと映し出される。戦略等という作為の正当化にも本来的な筋道としては歪んだスタイルであり、堂々と裏でも表でも通じる振る舞いを取るのが健全な主体性を表し、過度な作為は歪んだ欲望を指し、過剰な欲望が小手先の手法に及んで信頼を下落させる。特定の対象に過度な依存関係に在るほどに独立性に陰りを見せ、過剰な借りを作る健康を害した振る舞いが生まれ、自己の尺度に平等な適用を持てず公の性格を外され場当たりの振る舞いを表される。
対象との距離感の設け方に適正さを欠き、裏表の相違や物性への依存に在っては人間性を損なわれる。こうした理論が基本的な主体性概念と考えます。主体性が構築されるほどに静態原理に重心が生まれ基準に対して同一の適用が取られ公平公正な振る舞いに及び力と責任の均衡と解される。どこか歪な欲望から過度な利己性が現れ、健全な筋道を外され不信な性質と知覚され、権限と責任の乖離した運用への是正圧力が加えられ、制御可能な範囲へと修正されて適当な調和が生まれる。つまり、固定的静態は、新規的な発見の前進性を持つ動態性により下落を防ぐ事に成り、発見や挑戦への構えが閉まると自己本位の偏狭性に及び、謙虚さと上昇志向に在って外界との良好な協働関係が作られる。こうして生きた主体性の実相が描かれ歴史的な動態面を含んだ柔軟さが備わり動静の適正が生み出される。
びくびくした態度は敏感に察知され後ろめたい理由を抱えた言動は隠しきれず横道に逸れた感性は強い正当性を示しきれない。器に在った配置へと回る事が市場の作用であり、自由選択を基本に正常化の循環が促進される。オープンな隠ぺい体質に寄らない公開性が動態に適正な緊張を与え、対象との真摯な対峙が持続して原理創造型の客観性を感知できる体質が備えられる。坊ちゃん体質に成る程に自己に甘く他者に厳しいアンフェアな態度を表し大昔の感性に陥られ健全性の流れを阻害する。お家の中で威張り腐り外での屁垂れは醜さの象徴であり日本文化とは相容れない性質と映し出される。堂々とした気持ちの良い文化を多くの人は望まれる事に思われます。