3)健康理論

生活の基本リズムは整理整頓や清掃に始まり心身を清めて健康な衣食住を取る事に快適性が生まれ、下限面を優先して積極面に回る手順が備えられる。ごく当たり前の筋道が各所の作法に及び基軸となる規則性が作られる。性質は下限面の観測や感度の変化で抑えられ下流の原理に反映される。根の下落が積極面の質を規定し、自立や共助といった関係にも現れ根本の感性があらゆる創造の起点に捉えられる。この基本的枠組みが個人と集団、民間と公の性格を作り、公についての基本認識が対人形成の基準を作る。政治行政、報道機関、教育関係に形式的な公概念が生まれ実質的には多くの生活者の感度で現れる。社会システムの固定化から感覚の開きが生まれ下限の感性の水準が変容して各種の問題が現れ、快不快感への自然な反応を取って自浄作用を保つ仕組みに在って社会改善の基軸焦点と定まり、空間の健全性が図られる。肥満な体質から下落した感性には必然の工程を課す筋道を執り行い安定と成長の軌道が持続する。停滞の原因はこの仕組みの不正常な状態にあり良好な気持ちを妨げて建設性の力を阻害する。物理依存に陥って新陳代謝が遅れるとあらゆる細胞へ悪性が及んで歪な成長を齎せ、感受性の起こり方に異変が生まれ健康な心身を崩されて社会の衰退というスパイラルが深まる。健康な心身の上に適正な力の用い方が生まれ大きく軌道を外さない制御が齎される。力に振り回されて心身を壊して周りへ悪性を回す事のない主体性を作る視点が生み出される。金の為と割り切って悪性の放置や利用する事は同類であり、共犯者と見做して対処する事が自然であり知らなかったは通らない。このような健康理論を基礎に文化体系が作られます。

自立と共助の適正と改善の概要

人の心配などよりも自己の生存を先んじて自己が直接的に対象とする生産へのエネルギーを投じる事が第一義に置かれこの確立の上に余分な所へ視線を取る余裕が生み出される。自立と共助の基本的な筋道となり長期的な人々の健全な性質と表される。

自己の生産へ被害を齎す事象には、それへの対処を粛々と求められてしかるべきであり、直接性の生産事物と間接的な因果の想定を持ち影響の程度を図り、プラス・マイナスの実感を取って、プラスは増、マイナスは減への反応が生み出される。これが自己の確立となり、マイナスを与えながら何かを世話する等という客観性を欠いた奢りが不快の代表的なまやかしの感性であり、長期的な性質の悪性から客観認識の劣りに及んで、頓珍漢な感度や態度を表す事に成り、欲望と力と責任の不均衡を表す。

加害者や犯罪者の認識を取れずに、外界への過失を求める感覚の歪みが中期的な構造の規則性から長期の性質を作り、自立の弱さや感違いと過剰な要求の皮膚感と及んで個別事象となって顕在化する。これが和を乱すサイクルとなり一義的には自己生産への真摯な集中に力が投じられ、関係の弱い所には視線が分散される事無く、適当な調和形成への軌道を持つのが健康な根や軸足を持つ主体性と描かれる。この中で正負の事象に真摯な対峙を取り、自己の生産を客観的に捉えた歩みに及ぶ。

肥満な感性からあれもこれもと視線が定まらず、被害や迷惑を与えている自覚に及ばない奢った態度が生み出される。自立の感違いという悪性は長期的な性質の劣化で在って、ここからの被害については、弱める事のない適当な対処にあって負の拡散が留められる。分母と分子の関係の掴み方に様々なパターンが現れ、肯定的に捉えられる場合と負の根深い現れと見られる場合とが生まれ、この論理の取り方に皮膚感覚が現れ反応に及び調和を創り上げる活動へと及ぶ。

永年の規則性から、適当な欲望と力と責任の均衡感覚が形成され、接する領域との異同感覚が作られる。あまりに偏った異質性に及ぶ事のない健全な主体性像を探りだし、その劣りには粛々と反応を下す感性が適当であり、この作用への直接間接の弊害となる諸条件を冷静に浮かべて変化の序列と実施工程を描きながら不快への対処や予防、快適の伸張という施策が投じられる。局所事象の認識が取られ、そこに見る性質を浮かべ、性質が生まれる構造へ視線を及ばせ、構造の適正を見る権利義務の均衡とその乖離という認識を掴み、一般認識化へと強め変化へのエネルギーが集中する。こうした総合的な重層の対象化で実際的な現象の精緻な動態を描き出し、理性的な分析による実質的な実感に及ぶ改善の工程が描かれる。

和や調和、平和は黙っていては訪れず積極的に創り上げる概念であり旧来的な概念からの脱皮が健全な感性の増進と解される。この適当な作法を提起するのが文化論という方法であり説得力に及ぶ根源的な焦点から個別事象を配列して明瞭に表し事象を創り上げる力に及ぶものと思います。ゴミを放置すると辺り一面がゴミだけになり、この片付けを何より先んじるのが普通の感覚であり、異臭がする所で健康な衣食住は生まれず下限を直して良好な積極策が生まれる。ごく当たり前の筋道を取れない事が長期の性質に見る慢性的病に思います。

和の文化―直線と曲線

性質の良い人ほど小手先の騙しという手法を取られず不器用な態度が現れ、裏表の差が少ない振る舞いとなり器用な立ち振る舞いを嫌う性格と現れる。この性質は根の太さや背骨の真っ直ぐさを表し枝葉の事象として細かな不器用さがしばしば浮かび上がる。一方、雄弁でボキャブラリィーも多く、理路整然と明瞭に論理を謳われ、実際の繊細な肌感覚や感受性が伝わらず生身の事象を動かしきれない事もしばしば現れる。

つまり、連綿と続く時間で作られた感受性の積み重なりが信頼関係のベースに置かれ部分的な静態理論が表され、分母と分子の構造で物事の円滑な運びに連なり、分母が脆弱であると同じ分子でもエネルギーの作られ方が多分に異なり実際の協働や創造性の相違に現れる。分母は長い時をかけて形成される信用関係という資産であり、ここの厚みの程度から分子への力の入り方が異なり、同じ論理で在っても論じる主体によって力の入り方が変容する。

これを愚直に築かれたほどに骨が太く真っ直ぐな性質を持ち、早急性からの停滞に及ばない着実な前進を作られる。その分、器用な立ち振る舞いへの配慮が行かず、そこが一次的に表面化して分母を知らない人がやけに強調し深みある事実と異なり断片の原理の適用という評価に及び実態を見誤る。頭脳的なテクニックで人の関心を寄せて小手先の制御に乗せられる事のない骨太の感性が備わって実相を正しく掴んだ判断が齎される。

金儲けが上手という面のみを持って人間の評価は生まれず、効用と影響の適正や真に有益な効用への思索を及ばせ、数値に現れづらい部分を加味するのが豊かな感受性を備えた健全な人々の秤で在り、物性の感度で単純に物事が動かない経済人モデルと示される。感覚反応が高まる程に単純性の感度が進行して対象から抱く変数が減少して局所事象に分母が備わらず鋭意な言葉や話し方や態度と現れる。

縦横の整列された論理よりも曲線的で曖昧性を多分に持つのが現実の動態であり、後者の感性を取れる所に多くの嗅覚を持つ人間が実感され豊かさはこちらの方に現れる。人口化するほど直線の縦横で区分けした論理や図式になり、良好な調和は曲線と描かれて実際に限りなく近い現象が掴みだされる。頭脳による観念体系化への過度な欲望がこれを弱め小手先手法や局所性、即効性といった傾向が進行する。これの行き過ぎに痩せ細った感性が生まれ、基軸の太い性質へ総合する向きに元来的な和を尊ぶ文化が作られる。人間の長期的性質への着目と変容の客観性を抑えて自己を創り上げる文化活動が生まれる。