感性表現

リハリを持たせない秩序形成は良質なエネルギーを生まない。失敗や成功という総括を取らずに責任も曖昧で怠けたものがいつまでも主要な配置に居座っては善良なエネルギーは高まらず、事象に変化を作るに際しては区切りを設けて理論の再構成を取り過去の変遷に対して理論家によるビジョンが欠かせない。

この過程を設けて納得感を高め、責任と権限と報酬の関係に一定のけじめを取る文化秩序が望まれる。成否を判断する基準をどのように掲げるかがリーダーなるものの最大の役目であり人々からの賛否を図り一定の合意を取り付けて、過去からの決別と未来の創造が更新される。これによって過去の規則性にけじめがつけられ、成績を客観的に測定して相応しい処遇を与える評価制度が進められて納得の上がる人員配置が生まれる。

この過程の曖昧さを残しては力の湧き方に閉塞感を作り公平公正さを欠いた舵取りが成長を鈍化させる主因と見受けられます。過敏反応と鈍感さとの適正には、この基軸の設け方が柱に成り基準とプラス・マイナスの感覚が形成され、これを明瞭に表すのが主導者たる第一の役割であり基準と適用の適正な執行が伴って完結した活動が生まれる。このメリハリ感がある程度備わってヒステリーな反応や鈍感な態度が予防され健全な基準による落ち着いた反応が現れる。太い枠組みとして観念体系が備わり、それをベースに細かな事象に規律が付けられ評価の揃った同一性が安定や安全と共に成長や繁栄という軌道の促進に及ぶ。

このような基準と予めの範囲が想定され、個別的な事柄と共通的な事という議題の内容が設けられある程度の限定によって絞りこまれ認識の同一性に及ぶ。経済活動という人間の主要な領域に対して成果を計る指標の高度な体系を作り、個別性の判断と共通性の要素とを区分して指標の細分化によって精度が高まり納得感の及ぶ測定が生まれる。経済に対して政治活動、文化教育活動がどういう関わりを持つべきかが、このような思索から領域の基準が定められ評価の適正に連なり総括が生まれて更新される。健康な心身を作りだすには必須工程であり気持ちの良質さを高める施策が欠かせない。

基準による公平公正な運用が健康体のカギであり不平等な処遇や評価が停滞の最大の原因をつくりこれらの大本に根源ビジョンが表される。歴史からの学びを如何に集約的に抽出し魅力ある表現を生み出せるかにかかり、量ばかりのデータから絞り込んだ重要点を表すかにより評価が加えられ創造性の善し悪しが生まれる。

この作業を頭にばかり偏して行う事無く、普段からの良質な発想や実践の規則性から生み出されて違和感の少ない洗練された軸と表され機動的な活動に連なる。頭脳でいくら考えても生まれるような表現ではなく性質と備わる感受性の質が表される。この作業は単純な労働時間とは比例せず全人格的な付加価値として測定される。

文化体系という根本観念に納得性が高まる程に健康な二次三次の原則と運用に及んで整合のとれた活動が強められる。文化文明の上昇は以上のような筋道に置かれて人間が向上する。頭の固い者ほど英語等を基準にして価値の序列を作られる。まるでお門違いと思います。

1)人間の性質

2)人間の性質

表現者は「すごいね、偉いね、立派だね」という風に見せたいと実情以上に着飾る場合が多々見受けられる。そして、エネルギーとなる糧を得て、不安な状態を回避し楽な状態を創り上げるという発想の道筋が浮かび上がる。子供もお年寄りも、あまり大差のない性格に思われます。この心理状態は、さておき、表現を受けられる人の効用感とフィットすれば、それへの反応が現れ、エネルギーが注がれる。どこに効用感を抱くかに千差万別性が生まれる事と、かなり限定される事とが生まれ、意図して対象を想定するか、意図せずに自然形成的に集まるか、過去のデータ寄りの学習を取るか、発するエネルギー自体への良質さへと拘るか、他者よりの心理と自己寄りの創造か、こんなような分析点が浮かべられ事象の性格を知り、その因果認識を下にした模倣的な表現を作るのが頭脳的学びの回路と描かれる。外界を知り自己に取り入れ外界に放出して、自己化するプロセスと言い換えられ、多くの表現は少なからずこの型式を基本にされる。まったくの絶対性原理はあり得ず、外界からの学びを下に、その組み合わせや応用を取り様々なパターンが作られ、固有の表現者と認識され効用感が備わり需給が発生する。

創造者の心理と、実際の効用という面で区分され、最も正常な姿は両面が連なる事であり、主体と客体の調和感が高く持続的な生産に及び、変容しづらい規則性に備わって人間の性質が作られる。よって、この調和形成に及ぶ為の作用面の創出に及ぶ心理面や需要側として良質な創造を引き出す心理面といった両者に同一する根本的な性質の在り方への分析を充て描き出された型枠に成ります。長期的に見た基準像と、それを下に強弱等が作られ、一定の許容範囲が生まれる。これが余りに狭まると窮屈さが増し、逆に広がり過ぎると無秩序化し収拾のつかない事態が予測される事からも、基盤的な根源観念を作り適度な性質の同一性への欲望が生まれ、いつの時代にも人間の問いと浮かぶ中心の焦点に備えられる。技術力の発展から感覚的な利便性が向上するプラスに対して、マイナス面に目を逸らさずに、両面を抑えた歩みから健全な感受性が持続し、生活環境という時代的な背景と向かうべき未来像を見据えて一定の答えが導かれる。或いは、こうした問題感覚を恒常的に備える事こそが基準像を指し、答えよりも過程の面に重要点が備えられる。

「盗むの上手だね、騙し方が立派だ、見事だ、どうやるの?」というような不快事象への肯定感を持つようなルールが出来ては安定した社会には及ばず、健康なプラス性の感情を与える事が前進における方角と定まり不変的な根本原理と備えられる。本書では、こうした問題の限定から長く備えられるべき人間の性質と形成方法への探究と成果を表すものに成ります。

謙虚とは

謙虚とは

下から水が滴り落ちる事はあり得ず上から水が流れる。これが重力現象であり前方へ進むと同時に下への重心が取られ後進性のベクトルが浮かび、3つの方向と割合で物事の全体が把握される。地球という仕組みに連動した生物の働きが生まれ自然との調和を志向する世界の映し方を指す。有る一定の前提を備えて物事の根源と抑え二次三次の原理を生み納得感や確信性が現れ自己の肯定感が作られる。ここが弱まる程に迷いや恐れが現れ強い前進性が生まれない。探究心はこうした心理から湧きあがり自己への自信を掴み不安感を払拭したいという欲望を根に投じられる。後ろめたい心持に不快を抱き正しいという感覚を掴み進む姿に良心が実感される。これを巡って真理の探究という軌道が現れ大本の確信的な原理に及ぶほどに質への充実感を抱き自信という肯定感を持つ心の状態が生まれる。そして不快という感覚と出会う所に根源原理との乖離を実感し暗闇に遭遇すると同時に光を感じ光へ向けた本能が湧きあがる。この動力の仕組みが生命活動を指し何者にも寄らない自己内発性とされる。自信に対して不十分さを抱きその喪失感が自信を掴むエネルギーに転化し壁を乗り越える力が注がれる軌道にあって生命が輝く。ここでの手法の取り方から、発想や行為の性向が創り出され、歪んだ手法を用いるか、根源ビジョンの路線から離れた道を取るか、相手方の非を責めるか、ビジョンの探究を深めるか、ビジョン自体の備わり方が起因して各種の相違が生み出され規則性となり性格が作られる。

不十分という自覚に及べる態度が成長の源泉となり新たなステージを見出す事の出来る根源となる。追求に限りはなくどこまでも高めたいとする力が続き生命をフルに使い真に謙虚な態度に及ぶ。この点が人間の中枢と備えられて躍動性を失わない輝かしい生命体が存続する。謙虚は力の源泉であり最も良質な人間の性質であり神道慣習はこの性質を植え付ける。

表現の測定

表現の測定

解っていないから出来ないのでしょう。出来ないという行為概念と、解っているという頭の理解に対して、どちらに重心をとるかは、問うまでもなく前者であり、出来ないものが人に課す可笑しな態度が空の平等思想に留まる歪な態度を表し規則性の不健全な人格と映し出される。頭で理解して行為に及ばない不健全さは明瞭に現れ一方的な傲慢さを体質に持つ長期的な性格を指し中期や短期の感度に反映される。これに至っては配置を変える以外になく早期の改善に着手する事が必須に思われます。根本的な性質の不健全さは手の打ちようがなく永年の規則性に染み込み抜本的な改革への圧力を持って質の変容から量が生まれる。観念体系を頭脳的に抑えるものの、逆行する行為は誰が見ても正常にはなく欠陥と解されて不思議はなく、法律家なる者が法律を守らず、或いは自己の有利な型式を作り利己的充足手段と疑念が及ぶようでは法以前の倫理道徳に問題が示される。頭の作業という狭い図式に偏して体と心が育たず歪な感受性による管理を高め負の影響を作られる。観念よりも行為、法律よりも道徳、形式よりも実態が先んじ事象発生面に近い所に質実があり根源に比重を持つ常識へと更新され良好な人間像の実践と及び相応しい態度が表され適正調和が促進される。これに則した教育や社会秩序が欠かせず理想の人間像に連なる施策が描かれます。頭と体と心の健全な状態を描き異質さへの是正を望まれる顕在的・潜在的な欲求を充足する生産として力が注がれます。表現の健全な意図と効用に及ぶ良好な観念を示し行為の性格に至って生産性が認められ表現の質が測定される。

不偏不党とは

溺愛する姿は、通常の感性とは異質の実感を創り上げ、歪な行為を生みだす原因と現れる。力の高まりと共に、この偏った感性を公に対して表す事が責任感覚の劣った自愛意識から生まれ、力の歪んだ行使と及び過剰な表現や歪性を作られる。社会的には迷惑極まりなく、この性質に力を与える事無く公私の適正感覚を制御させる働きが欠かせない。私的領域でどんな行為を取ろうとも感知する事はなく、しかし、公という性質を備えるに在っては、この姿が負の影響を齎し公平公正な評価に寄らず士気を弱める根本的な原因を作られる。

世襲の最大の問題がこの面に現れ社会的な負を生み歪みの連鎖を齎せる。物事の重心の取り方が極端にズレ、因果関係の形成に歪さを生み、飛躍的な拡大解釈等に陥り事実認識の違いに現れ適当な評価感覚を失い歪な行為に連なる因果で示される。特権的な意識の深まりは一般的な工程を経ない事による異質な過程から生まれ、万人的な感受性を備えずに力を公に奉じず私的利益に偏った制御不能な利己性を求められる。

こうした側面が下限事象を創り上げる根源的な焦点になり、自己と遠い所に不快を付け回す因果と及び、悪性の性格の代表的な焦点と浮かびます。民主主義の健全性を求めるに在っては取り除くべき必須の観点で在り、これに鈍感な反応を示す事から一向に水準が高まらず不快感を残した負を引きずり前進性のエネルギーを阻害する。保守を都合よく自称する偽善者は社会のお荷物であり、この因子を看過せずに大きく取り上げる事は公の利益に叶うという判断を持ち連鎖的な快適の上昇に作用する。

社会政策と経済策とは密接な因果にあり経済産業を断片的に切り離す事が、安直な政策や結果に偏り根源的な思索を持たない無能力者の判定が下される。学問の専門分化による弊害が示され、供給利益に偏して根源性への思索に行かないと真の利益を生みださず、縦割りの縄張り感覚を強めた態度が固まり、他利を提供せずに自利によった歪な感受性を作られる。不健全な人間性という認識が強まりここへ適正な改善施策を投じる事が文化活動の中心施策に成り、これを客観的に測定する事実の公開が必要とされる。

この筋道に対して物性に偏し違和感の高い利害へ偏ると力んだ行為へと及ぶ事からも万人的な文化意識を醸成する施策を投じて局所的な閉鎖性を作らない一般常識が浸透して健全な感性の主体性による向上化に連なる。こうした包括的、長期性のビジョンを常態して個別事象への適正な扱いが生まれ不安定な過敏反応や右往左往が回避され、向かうべき軌道の鮮明な判断が齎される。

不偏不党や中立的な振る舞いとは、以上のような自律の出来る尺度に基づく個別判断の事を指し、備えられる志向性の程度を表す事がまずもって要り、尺度を提示できない者が安直な態度を示す事の問題が指摘される。恣意的な行為と見做され、定見の備わらない人格の形成度の劣った者に重要な責務を課す事の無謀さを認識し適材適所のシステムが作られる。

真実とは

真実とは

不偏不党や中立、真実等という抽象概念の解釈も、人によって異なり以下に社会現象を中心にした真実という概念を表す文脈を文化の観点から取り上げます。

様々な問題事象が何者かによって取り上げられる。どこに重要な視点を取るも一律ではないものの、健全な生活者という立場で見ると概ね事象の序列感覚に同質性が生まれ、事象発生者の悪意や善意の程度等が計りだされる。

杓子定規に部分的事象のみで評価を充てる事に成らず、その主体の性格を分母に浮かべ部分を取り総合判定する事が理に叶った制御感覚を表す。小さな事を殊更大きく取り上げる何者かの意図が備わり、どこかに違和感を浮かべて事柄の真相を嗅ぎ取り、利害関係の推察を起こして事象の因果を客観化して、部分事象の広がりを持たせて真価を掴む事に成る。こうした分母と分子の全体観と時間の動態を含んで健全な真価を計る理性的作業が生み出される。

一つの事象には様々な利害から思惑が働き、力んだ利害を求めて過剰な追求を図り、実感を強める企ても見受けられ、多くの人々が体験的に吸収される見識に備わる事でしょう。

つまり、杓子定規に限定するべき事象と、因果を広げて事実を特定する事柄とを区分する事が許容性や適正感覚を示し、下限的な制約と曖昧性を持つ判断に分かれて、感度を充てるとも言い換えられ、短期性の事と中長期の範囲を持つ事柄とを見分ける感性が適正となる。これが、部分性の欲求と構造的な仕組みと長期性の性格という観点を設ける文化体系からの型枠を示すものに成ります。

このような尺度が人間の健全な感受性の働きを示し、妙に偏った利益を追求する主体性を予防して、公平公正な普遍則と下位の原則とを整合させ、重層的な感覚と観念の適用を持ち良質な感受性を不動にした事柄の認識や創造性が生み出される。

表に示される事象を捉えるに際しては、それが何者かの利益に成るという観点をとり、過剰な表現かを適正に伺い、見えていない部分を察して真相に近づき、事実と評価の適正な認識を高める思索が欠かせない。どんな大枠ビジョンを抱きその枠に乗せるかによって思い浮かべる二次三次の思索に異なりが生まれる。根本的な変わりづらい性格を中心に添えて枝葉を浮かべる構図によって真実に近い認識や判断が生み出される。

経済政策の要

犯罪者を野放しする事が、良質なエネルギーを停滞させる原因であり、社会の要路に悪性が備わるとその支配下にはいる事を避けて、良好な気流の集中と促進を妨げるという事象が起こる。信用を喪失した者がそのまま大きな力を抱える空間が衰退の道を辿る事からも、大きな配置に人格の欠陥を持つ者を備える機会損失が問題になる。段階的な工程を経ながら権限も大きくなり責任を託す事が必然の調和策であり、この工程を省略すると倫理道徳を内蔵されずに、力を抱えて人格とのアンバランスな力の行使が生まれ、異質な感性が上部構造に蔓延り健全な気流を阻害する。産業経済の停滞する一番の原因でありここに大きな問題意識を取らないといつまでたっても良好な持続的成長の軌道が強まらず歪な体質を抱える社会システムが修正されない。教育の在り方に始まり、司法や警察の健全な作用や、物性へ依存する体質形成への改善という点からの見直しが欠かせずこれを総合して文化政策という括りの方法論が提起されます。根本の感受性が健全で在って、工程の適正や結果の良質性が生み出され活動の恒常的な良質化が備わり、力と責任の均衡尺度を基準にした評価が当てられ、正負の改善に回る必然の循環経路が粛々と回り、負の因子を留める事のない気流の安定と躍動が生まれる。これがインフラの背骨に成りこの軸の弱さの改良が社会改革の中心焦点と備わり低水準化の脱却や下落の予防に及び、この作用が強固に堅持されて健全な感受性に基づく合理性の在り方が確認される。これを動かすのは一人ひとりの感性であり、そして、全体を制御する立場の体質や感度が適性に在って恣意的な保身や利己的な発想に偏しない公を先んじた公平公正な論理が描かれ、恒常的仕組みの良質な稼働が果たされる。誰もが思い浮かべられる焦点であり、この実施工程上の緩みが人間の堕落と示され、過失への当たり前の態度を取られない物理依存症が蔓延って、不調和を積みその不満が下限的な制約を超えるスパイラルにまわり、積極策の足を引っ張るという負の事態を作られる。二世三世の坊ちゃんやその親族等が適当な工程を省略して楽な経路で主要な配置を占められると、その感度で空間が支配され適正な循環を妨げる。原因は明瞭でありこれを改善する力を投じる事が必須であり文化論が強調されます。根本的な思索を経て基準自体への見直しという短絡的な修正に寄らない抜本的な観点を備えた論理と行為の強化策によって健全性を計る確かな尺度が示され、改善への評価と適当な方法への熱が増し不快な因子を取り除き真っ当なエネルギーが表に現れる。基礎的な誰もが守るような一線を越える事は一発アウトであり、この対処に何を躊躇っているのかトップの感性に疑念が及ぶ。役目を果たせない者は引きずり下ろす事が急務であり無駄な資源を与える事無く健全な循環の促進を取る事が求められる。

以上は、経済策という範疇の根源的な視点であり上辺の経済観念で思考が止まると、根元の原因へ考えが及ばず小手先の反応を示される。インフラの良質化が経済産業政策の要でありこの認識に至らない者に力を与える事無く、根のしっかりした見識を備えて行為に繋げられる人材を要路に備える事が文化の実践を強められ経済や政治の向上に及ぶ。

空の平等思想

外見の違いは客観的な事実を表し肌の色や見た目を表す事はなんら不誠実には当たらない。人間平等という理念は不動的な価値として万人的な共通性に及ぶと思われる一方で生活習慣や思想信条の相違も事実でありこの違いからトラブルを生むのも現実でありそれを急激に同一化させる無理が生まれる。感覚工程を経ながら緩やかな理解に及ばせる実際的な段階策が現実の調和策になり理念と現況を抑えた方法の図式を持った共生策が妥当と思います。この方法面を取って人種差別だのと声高に訴える事は現況面の認識不足や当事者意識に及ばない観念的な理想へ偏した歪な主張とも伺える。理想の実現には妥当な調和策を両者の相違を客観的に認識して方法を考える事が真摯な平等理念の実現を表す。観念へ偏して実際の感覚工程の想定が弱いと言葉の用い方に偏した対立感情を見せ心身の不健康な姿と映し出される。これが頭よりの弁護士や教育者等に見られる傾向と感じられます。完結的な活動観念や規則性と離れるほどに現況を客観的に掴む事が疎かになり頭脳に偏した言葉じりに執着した理想家の姿を見せられる。このような点が現代的な問題事象で在ってヒステリックな反応を見せる不健康な人間像と浮かび上がる。差別というよりも実際の違いを掴み問題に及びそうな面を予め想定し重要管理点を特定して回避する為の手法を取り段階的に近づく事が健全な判断であり本気で共生を作ろうと思えば必然の発想と深められる。空の平等思想や共生感情は不健全な精神性を指し観念図面へばかりよった理想論はあまり適当なエネルギーの湧き方とは異なり歪な感覚と伝わります。

利己的なプライドに偏して現況を良く掴もうとせずに、言葉への過剰な反応を示す姿は感覚工程の弱い他利を実現する意識の弱い感受性を表し頭脳寄りの体質が真摯な対象との対峙に進まない歪な精神性と映し出され今日的な不快事象と抽出される。人が見ている所では表面的な体裁をとりたがり内面の性格が希薄であり本気の行為へとエネルギーが向かわない。繕いの世渡りの態度は内外の乖離を示し衝突への免疫が弱く表面と腹の内が酷く異なる分断の行為と顕著に表される。心と感覚と頭の一貫的なエネルギーの向きにない不健全な姿が感覚工程を通して頭脳を作り感受性を備えられる工程と離れた規則性から生まれ感受性の入らない空の表現で終始し手足が動かない上辺の理想主義という人格を創り上げられる。部分的ないい所どりで生きてきた規則性からは外界への強いエネルギーを発進される事はなく盗みや詐欺の性質を備える非社会的な利己主義者とも言い換えられ権威に縋った保身の弁論ばかりを表され実質の効用を計らずに対象を見下ろす感度ばかりを高め優位性を意図した管理欲望の強い姿を見せる。空の観念は生きた力を作り得ず外界を動かすに及ばない。自愛の酷い偏りは奉仕性の感情が湧かずに現況と大分離れた感性を持ち綺麗な言葉ばかりを表され行為が間逆の悪性と映る。盗み癖は容易に直らず性格に適する場所へと移る制御に至って適正調和に及ぶ。積み重ねた行為から体質が作られ性格は誤魔化す事が出来ない。健康な感受性に根差した原理創造型の生産者は理想と現況と方法の周期を重ね外界との適度な調和を作られる。心と感覚と頭の一貫した反応を見せ健康な人間と実感されます。

文化の再生

文化の再生-創造の根っこ

出口の分配による調整は、無機質な合理性という単純機械性の論理を指し対人形成の愚策と成り良好な協働活動には及ばない。この単式の発想に傾く事が物性依存の人格形成を指し入口面に置いて予めの公平公正な尺度の形成と運用の方式に在って健全な感受性を基礎にした合理性が生み出される。歴史の積み重ねから入口面に置いて集約観念が創り出され、そこに在る一定の人格を示す約束が備わり内外に対する意思が表現される。この人間像とその実現に協働作業が生まれ、公明正大な尺度に基づく健全な運用の流れを進められて中長期に渡る対人上の連なりが生まれる。

予めの基盤面が脆弱であると、欲望と力と責任の不均衡による力での支配関係が押し進められ、感受性の劣った物性原理が進行して人格の弱い協働生産関係が作られる。対人形成力の劣ったトップの単純合理性による秩序形成は文化の足腰を弱められ、短変数の経済原理を軸にした社会構造を作りだされる。後で再配分して調整する発想からは豊かな協働性を萎ませ人間概念を軽視した経済性の体質を良しとされる根本的な感性を示される。

感覚や感受性から活動を創り上げられない事による人格形成の劣りは、頭脳的な制御感覚に偏って過程の重要性を見ずに結果の配分で帳尻を合わせるか、もしくはそこにも配慮を持たない非人間的な合理性を進められる。力へ偏した対人形成に慣れた異質な感性という長期性からの見え方に成り、短期的な感度で物事を推し進める歪んだ事象と映りだされる。これが失敗等への当たり前の態度を見せられない力に縋った人間の弱さを表し、平等感覚を欠いた人格を指し、制御性の弱い力に振り回された技術と人格のアンバランスによる不均衡がシステムの性格を作り根源感性から下流の仕組みも反映される。

ミクロ面の人格の劣りのまま、マクロ概念を形成し歪な性質の社会構造や文化基盤を作られる。世襲等の人格形成や感覚と感受性の省略した観念寄りの人間性は、この面に顕著に負の側面が現れ、万人的な躾の備わらない感性の異質性と及び、筋道を外した行為を取られる。この未成熟さが根の悪性や質の低い人間形成と及び成長軌道の歪さと現れる。予めの人間像を基準尺度に公平公正な運用にあって、健康な心身の備わる協働生産活動が創り出される。筋道の劣りは不快極まりなく、この劣りについてボンボンという感性を充て、文化の水準の脆弱な創造を指し示す。格差や出口の調整という事象は社会システムの低レベルの空間で起こる事象であり社会を牽引される人々の感性そのものを指し、これへの異同感覚が根源感性の違いに成り共感や支持への根拠に当たる。単純経済面での判断には及ばず皮膚感覚の違いが協働性への在り方を作り文化感覚の違いが実感される。ここの違いは根の質感の違いになりその上に立つあらゆる創造にズレを起こし良好な創造には及ばない。短期性の利益で利用し合う関係であり躾感覚の違いは犯罪感覚にも反映され、真摯な対峙を欠いた利己的論理を多用する人格への不快感が随所に生まれこうした筋道を外す馬鹿とは関わりを持つに及ばない。これが健全な規則性を重ねてきたまともな感性に思われます。幼稚な人格は修正困難であり予めの教育プログラムの良質な設計と運用が欠かせず、文化の有無や程度が重要な原理と作用する。上っ面の政策ではなくこの観点に重心を見て中長期を見据えた判断が相応しくテクニカルな技術論に偏するとこうした痩せ細りの単純物性型の文化が生み出される。他国のモノマネや他国の型式を自己の優位性を作る道具に用いられる哀れな姿には、主体性は見受けられず、倫理道徳の育て方に大きな欠陥を抱きます。地に着いた規則性を経てこない歪な性質は短期的な結果を出しても中長期的にはマイナスが増し負の存在と規定される。放漫な自由へ偏り根源原理からの論理が生まれず感受性を喪失した人間に映し出されます。これを中心に置いては良質な独自性を失い単純画一の無機質な世界が進行する。うすら馬鹿とボンボンから脱皮する文化の見直しが急務に思います。