どんな欲望を抱きそれに資する方法かという構造が、多くの創造事物を創り上げる骨格となり、この基本フレームの上に多種多彩な感性による構成が取られる。その感性について同質感が生まれるか、異なるかという対話が生まれる。つまり、正解という一つの答えがあるというよりも、千差万別の感性との調和といった捉え方に、無限性を出発点にする対話や関係の作り方が現れる。
創造力の劣りとは、この図式から離れた固定概念の強要や押しつけという感覚が強まり、原理創造性のエネルギーの萎んだ状態であり、管理的な志向性に偏って自己に有利な型枠を起点に優劣を付ける感性という性格に在る。活動の規則性から積み上げられ集約される変容しづらい固定概念が作られると共に、上述のような無限性の概念を萎ませると創造力が低下して、いつの間にか強要性や型どおりの枠組みへの快適性に終始して異なる感性への学びを避ける守り型の発想が強まる。
探究心やフラットな感性を喪失して謙虚さから新たな発見を見出す感性が萎んで管理型の志向性が強まり、建設的なエネルギーの向きに行かない排他的な発想が強まる。変化への欲望と維持への欲望に大別され、固定性の高い欲望と変化に富んだ欲望という需給構造の特性がこれらの割合や感性の傾向と及んで外交的な発想と内向きの体質に分かれ創造力の差に現れる。人への利益を常に追いかける発想と自己の利益を守る発想の違いとも言い換えられ、通常は前者のスタンスに多くの生産者の感性が現れる。他利を提供して自利を得るという自由選択性の程度から、これらの比重も変わって固定概念と新設概念を生む割合や重心の違いが作られる。
過去の歴史認識と未来志向性との割合とも映し出され目の行く焦点に異なりが生まれる。そして、これらの基準に欲望と力と責任という尺度が置かれて、長期性の健康像を基準に欲望の在り方からの思索を経て、それへの評価を取り有効な力を得て実現する責任意識の状態に見る適正という評価が加えられる。欲望自体の健全性と方法に見る健全性、これらの偏りの程度から性格の健全性という評定が生まれて、全人格的な健全性への視点に及び、過度な偏りから物性的な感性が強まり平等感覚を欠いた言動が生み出され外界への不快感を与えられる。それへの批判が自然と現れ期待感を失うと別を選べる環境が在って健全な感性の自浄作用が回る。
これを阻害する要素をなるべく取り除く事が無限性や謙虚な探究心や持続的な成長に取って不可欠であり、この観念をベースに各種制約の正当性を問い正す発想が相応しい。そして自主内発的な望ましい制約が根源的な側面からの健康像に成って、それを起点に、なぜ、自由に対して制約できるのかと問いただして歪な固定概念を排する事が適正になる。管理的志向性からの固定化は他利への発想を弱めて自利への執着となり、あまりにこれに寄った感性は非社会的な体質を増進させ、空間の躍動感を萎ませ多彩な感性への許容性を縮小させ、需要が萎んで供給も先細りパイの委縮と及んで豊かさの低下に向かう。
よって、在るべき軌道は無限性に近い感性をもって創造型の秩序に標準が定まりこの概念が強調される。これは根源の良好な感受性を不動にして導出されるビジョンとなり健全性を根に論理を組む構造と描かれる。悪気なく良いと思って縛る向きへと強まる事に対してこの開放性への発想が喪失するとバランスを欠いた答えの画一性を望まれる。良好な根っこのビジョンがこれを回避すると思われます。
ねこばばとみるか、勇み足とみるか、潜在欲求の先取りとみるか、微妙な相違があり、実感の多様性が認められる。