「何かを期待して任せ、出来なかった」という事象が生まれる。この事から出来なかった場合の損失を含んで契約を取りつける発想に及ぶ。これが現代の商慣行の一つに伺えます。この感覚を標準にすると、ここから離れた感覚に違和感や非常識という評価が下され、感度の違いによる円滑な対話に至らず、反復的、且つ詳細な事柄の協働関係に及ばない。民間の自由選択制を基調とする対話の在り方となり、所謂、自己責任論の主要な点と浮かびます。
「出来なかった」という局所事象が、更に「出来ない」という連鎖性を生み、謝罪と損失のスパイラルが生み出され、取り決め通りに負への対処を必須と行わざるを得ない循環に及ぶ。そして、何が原因であったのか、主因を突き止め公表し出来なかった事への妥当性の評価が加えられる。誰もが出来るような事をさぼりや怠慢から発生させたか、有る程度致し方ないという要因が浮かぶ事かという次元の分析が加えられ、因果の認識を学び、知恵となって次後に生かしてマイナスをプラスに転化する発想を取り、損失を最小に留める取り組みが生まれる。失敗に対する健全な感受性が現れ闇に真摯に対峙して光への反応を生む基本の動作と映し出される。
この面に人間の根源的な性格が現れ構造的な集団や領域の性格が個人の質感に及び局所の対応に反映される。そして領域へ対する評価をより広い集団の感性から測定して適正な感受性への修正圧力が加えられ損失の想定や損失後の対応、損失を生まない予防策の向上といった構造の仕組みが更新されて歪な感性が修復される。そこから一定の負担意識と共に期待感を示す発言や要望が現れ取引という段階の水準が整う。
この過程がなければ一向に感受性の見直しは成されず同じ過ちを繰り返し、あきらめて他を選択するのが自由選択の基本原理になる。こうした中で選択がごく限られる寡占的構造に在っては、この判断や選択が出来ず改善への作為を投じる以外に損失を防ぐ方法はなく、利害の密接な問題へは関心やエネルギーが高まり要望を強めるか自身が主導的な配置に回るかの道が取られる。辞めて責任をとるという感性は一般のものではなく、損失を少なくとも補い失敗への最少化を果たして、「すいません」という態度が示され健全な人間と見做される。
このような生産倫理面が有る程度揃って領域の常識が備わり、暗黙的・明示的に履行されて安定した秩序の実現に及び構造の変革が個人の性質を作りそして大きな領域の性質に浸透し文化の特質と知覚される。文化水準の下落事象を特定し、足を引っ張る原因を分析し改良への道を示し「出来なかった」場合を想定してそれへの対処を取る節目を設けて実践への姿勢や態度の質実が測定される。どれだけ本気で在るのかはこのような面から浮かび上がり損失を自らの血で補う事が約束され執行する文化に高い創造性への意識が確認される。こうした末に出来る範囲への客観的な認識が強まり約束内容へと反映され質実の取れた欲望と力と責任が均衡して大きな損失を与えない制御感覚が生まれる。感覚的積み重ねから確かな実力を実感しシステムが整えられ外界への違和感の少ない調和が作られる。
言論や表現の自由という権利面の要望に対してこの責任面との思索が薄いとどこか正常さを失った姿とも伺え両面の適正を探す所に健全な文化感覚が現れ健康な主体性の実感に及ぶ。消費者の立場と生産者とであまりに極端な態度の違いに至っても健全性を欠き両面を含んだ妥当な感性を作る所に自由と健全を統合した長期的に健康な生活者としての質が浮かびます。