中長期性の世界観

しばしば、行政という性格は規制を強める事が仕事のように陥られているかに感じます。需要者と供給者の適正な在り方を探す事は、一定程度のニーズに思われますが、自己目的化に及ばない適正感覚が劣るとエゴが先立ち生かすや伸ばす発想が縮小される。縛る向きの施策で点数を上げる事は比較的単純でリスク予防のニーズへの対応に成り得るものの、市場を大きくする事を基調にした適正な規制が求められる。

この構えに無いと、単純な方程式で点取り合戦という利己的欲望を追求される。責任追及への回避という基準で評価する制度に在るとこの向きが強まりイレギュラーへの過敏反応を起こす。マスコミがそれを騒いで視聴率を高める反応に及んで、消費者が更に敏感な感度を創るスパイラルに成り、窮屈な感度で自由度の狭まる秩序が生まれる。短期性の自己利益に偏重した生産が強まると、この環境を生みパイや気流の衰退を招かれる。似非専門家が現れ、過剰な煽りに加担して需要者の真の利益や中長期の想定を描かずに局所の利益を求めては委縮や画一的な感度が進み豊かさを減退させる。

この空回りの生産という図式が想定されて適性を導出する発想が生まれ評価基準の高度な仕組みを持った中長期の想定を含む世界観が必要に思います。原則の単純適用の回路が促進され個別ケースの多用な変数を省略して、簡単な答えを算出して結果を得たという感覚が進む弊害が想定されて最良の解を導く探究の深まりに及ぶ。悪気なく、良いと思って進めた判断がマイナスの事態を作りだす。どんな中長期性の世界観に立脚するかによってこれらの評価が生み出される。