「○○せよ」「××しましょう」という積極的創造の表現を示す事はごく自然な気持ちの表れという解釈と、あまりに過剰な要求のようなニュアンスが生まれると不快感に及び、「なんで?」という反応に成るのが自然な感受性に思います。積極策を強調する以前に下限的制約の共通認識が無理のない秩序の形成順序に置かれ、「△△は気持ちが良くない」という所が揃え優先されて一定の制約の上に自由の領域が生まれる。積極策は本来的には言論で訴求するような性格にはなく、自己の自然な感受性から創造行為に及んで、その姿に共感や快適が備わり同一性の積極策の質量が増加する。下限的行為が守られないような者が積極策を訴求する筋違いな行為は不快の代表的な事象であり信頼感は生まれず、頓珍漢な自己認識に及ばない所に、病的な姿の認識が強まります。このような型式が標準となり、諸条件等から修正が加えられる。自主的な観念が作られる以前の段階に於いては、適正な筋道を示して強要させる事が少なからず必要という認識が生まれ教育のプログラムが構成され、積極的に吸収すべき価値や知識、規則性が示される。空間の基盤的な価値観を備えさせる事は自然な共生感情を指し、且つ未来的な趨勢等から生存に資するスキル等も示されて吸収する事に正当性が生み出される。この前進性の以前に下限的な制約が置かれる事には変わりはない。こうした価値観を表す実践的な姿が各種生産や取引、制度や規制に反映され安定と繁栄を叶える理想の軌道が描き出される。そして現況の不快性事象と原因の分析が取られ理想軌道へ向けた施策が生み出され、共感と支持の集まりから自己と異なる価値の変容が促進される。こうした活動も積極的創造策という範疇になり基礎的価値と二次三次の展開を基調にした基本政策と位置づけられる。言論が先んじる現代的創造性の型式に在っては本来的な行為先行の姿と少々異なる表現が生まれても致し方なく、根源価値を下落させない為の方法として観念を先行させる事に成り、自己の望む根源性を持続させるものと解されます。強要というよりも良質に在るものを持続させる対処的な方策を投じる事も不可欠と成り言論も有効に思います。消極的な構えでいるとこれが浸食され予期せぬ秩序の進行が留まらず、理想となる安定と繁栄の型式が崩れ不快な世界が増進し後戻りのできない環境で支配される。文化論の訴求という活動の意図する所は健全な理性と物性の在り方を強化する事であり根源的な層から良質性の意味合いを訴え物的感覚の進行に適正を備えさせ確かなインフラを強固に作る立場から投じられます。基礎的信用のない者は何を謳ってもまともに聞かれず表現を強めるほどに自身の首を絞め不快な対象への認識が強まる。物理性で押し通す発想は道理を外した方法であり空回りの人格は負のスパイラルを深め動揺が歪んだ力に現れ隠しきれない仕草や振る舞いと察知され体に染み込んだ性質に及び捕まっていないだけの自然律上の犯罪者と特定される。物理性への過度な依存で感受性の繋がりは築けず表に出てくる事はなくなりやがて泡のごとき消滅しみじめな結末を迎えられる。この内面の性格は明らかに外側に映し出され悪性の文化に及ばぬよう一人ひとりの良質な感性の存続が確かな明日を創りだす。
文化論の訴求と真意
返信