文化論の初動的観点-協働関係の適性化
何かを投じる際に結果がどうなるか予めの想定が取られ、その一致に快適感が生まれる。これには過去の事象研究をベースに規則性が確認され確率の高い同一的な刺激と反応の考察によって標準式が浮かび、それに照らして投じる手法が配置され意図する結果への根拠となる。変容しづらい規則性に於いてはこのようなアプローチを主に取り、創造と効果と影響の仮説と結果と検証によって確かな知識が積み重なる。
一方で、過去の規則性にはあまり見られない想定は原型となる基本式が備わらず、実践型の試行によって原理を作りだす傾向と現れ、過去よりも未来型の創造策と色分けされる。これらの二つの創造の型枠が抑えられどんな創造や表現の性格であるかの認識から、準備や調査への程度も異なる実践工程が想定される。
こうした面から創造への妥当性の評価が生まれ善し悪しの知恵が重なり、同質条件下においてどこをどうすればどうなるかの予知が高まり制御性の高い施策が生まれる。人間の叡智等とも言われてエネルギーを投じて掴み取った事象の動き方の知識が価値と成り、それを入手するには対価が伴う。リスクを投じて得た財産への当たり前の報酬が認められタダ乗りや盗みには批難や罰則、刑罰が科せられる。無形財に対する基礎的な構えが示され良好な関係や取引の感性となり引いては対人関係の基礎とされこれについて劣った感覚には長い深い循環には至らず一過性や短期の循環で消滅する。
信頼形成の基礎的な感性が文化論の焦点に合わされて明瞭に表現して共通の認識を高めて良好な循環を作るイロハとされる。肥満体質に陥るとこの基礎が弱まり程度の劣った振る舞いが現れ各種不快事象が発生する。欲望と力と責任の不均衡を示す緩んだ姿から度々起こる失敗でありそれへの反省の姿や行為と及んで深く体に染み込んで同じ過ちを繰り返さない皮膚感覚と内蔵される。失敗に対してこの過程を省略すると同じ事を繰り返し体に備わらない。責任の重たい配置には間違っても置けず適格性の弱さと判断され相応しい配置へ異動するのが的策とされる。
多くの事を一人で抱え込み能力を超えた範囲を意図すると責任の適正な行使に及ばず迷惑を与えられる。どの程度が妥当であるのかの適性感覚が劣ると欲望過剰の責任不足と至る事からも外界への視線と同時に自己への認識が及んで適正調和が生み出される。あれもこれも欲ばって自己を見失い肥満な感覚が削ぎ落されないと良好な関係を失う自然律が根源的な規則性と浮かびます。見栄やメンツに拘って領域への適正さを取らず傲慢な態度が外界から察知され需給構造の適正なサイズへと収束するのが市場の特性でありこの原理が基礎となり不動的な感受性に基づき、過保護な規制や過剰な物理性等が判断される。
権力や提供技術の不動的な中軸の性格が抑えられて適正規模や価格が算定され定番の型式と落ち着き安定的な評価が付けられ持続的な需給が生まれる。これを作るまでに幾多の失敗や成功の体験を重ね知恵と成り過程への尊重は同質経験から感じられる感性であり、これが著しく異なると根本の性格がかけ離れて調和が生まれずガサツな感覚の生産や制度、対話を生む物性過多の文化が進みその衝突が増加して破滅の道を辿る。
自然条件や歴史の背景という個別性から、生産や制度、秩序の在り方も異同が生まれる事に対して、個別と共通と根源という観念を持ち丁寧な歩み寄りを重ねて、根源的な活動観念の標準形が次第に万人的に染みついた感性と備わり健全な厚みある人格が共有され、文化という型式が提起され調和や平和の原理が探求される。根本は生命の尊重と躍動への欲望と成り、これを伸張させるような発想に在るのが、万人的な普遍性に思われます。自己と同様に他者を尊重して、根元からの論理を作る視点が如何なる時代に在っても変わらない感受性と表される。