6)未来型思想-保守と自由の融合理論

長期性の観点からすると、改革を進める中身の規定で最も根本的な事は盗みをしない事であり人間の基礎動作の欠陥からは力強いエネルギーが生まれない。ミクロの感性が根本であり、これを外した積極的な創造は肥満体質やもっと言うと精神的病であり、はき違えた感受性からは健全な人間像と離脱した姿と映し出され、中長期的な骨太の軌道を持たない迷走と浮かび上がる。

この初歩の部分が示され、欲望と責任の均衡という欲望の堅持と充足が理性の上昇と映り人間性に価値を持つ自律が強まって制御の高まる主体性が作られる。前者は下限でありここがぐらついては後者には到達しない。こうした人間像と実践が持続的成長概念の中軸に備わり土台無く目先の経済を追っかけて理性を崩した感覚面への追求や歪んだ手法を用いる感受性の崩れから人間が崩壊する。

歴史からの学びで理論が形成されて、活動からの成果という付加価値が生まれ、それを下に歴史を作る動態が強まり未来創造型の前進性に及ぶ。個別的な利害から特定の歴史に価値を取るのは保身的な感性であって、ストック的な依存に陥りフロー面が脆弱化する。普遍的原理の志向から固定概念が更新され万人的な価値の上昇軌道を持続させる理論と集約されるのが、知恵の向上軌道を表す。

理論化出来ずに、個別性の利益に偏した歴史観からは強い正当性が現れず、実質的な効用を見出せずに特権的な立場で相互的な需給構造と離れた理に合わない論理を作られる。この意識が万人共通の制約を守らずに歪んだ意識を増強させ違和感の強い存在と現れる。これに至っては不信が強まり耳は傾けられず、お飾りの形骸化と認識され良い影響の主体性という認識は生まれない。

どれだけ付加価値を生む理論を創り上げられるか、個別の利益を超えて大きな利益を導出させられるかに求心力が生まれる。

保守を限定性の高い保身と運用される事象も少なくなく、未来型のパワーを停滞させ力と責任の不釣り合いを招き人間の成長を阻害する。

こうした論理に健康な感受性による規律ある自由の観念を充てるのが本書の立場であり、他利を提供して自利を得る健康な感受性を根にした創造者の基本的な性質と規定され、良好な感受性を不動にして向上心を常態させてエネルギーを放ち続ける。こうしてみると、保守と自由は健全な感受性の上の自由の獲得という意味で統合され、適正な生態系への志向を持ち探求し続ける活動に持続的成長のビジョンが描かれます。

まやかしの論理は人々の納得性に及ばず違和感が消しきれず存在への陰りを強める。自然な感性を伏せるような所に強い自主性のエネルギーは生まれない。改革への欲望と現れ納得感の高まる在り方へと変更させるのが自然律であり、この繰り返しによって過去に偏しない未来構築型の歴史が作られる。良質な伝統文化の神髄をこうした前進型の性格で規定してストックとフローの適正が生まれる。あらゆる事に聖域はなく根源理を下にして、維持と変化の判断を持つのが健康な心身の実践に映ります。健康さを感じない論理は放置せず共生感情を出発点に平等の適用へ及ぶ論理へ更新し、気持ちの良い自由を掴み取るのが本書の思想に至ります。特権等が許される時代は過ぎ下限則に反する事は例外無く対処する事が情緒性の欲望と充足に成り、需給構造に真摯に向き合う人間像が標準と描かれる。影響力と共にこれらの性格が強まって、実際的な動態に即した成長と描きだされて、無理の少ない個別性や多用性の中での規律が生まれ、質実を合わせる健康や成長と解される。

以上の事から、自由と保守は一体の概念になるのが普遍性への道と浮かび上がりこの動態自体に健康像が示されます。代々長く続いている面のみを取って価値があるという解釈にはならず、実際的な効用があって不動の規則性や普遍の理論に高まり、理に合った創造軌道が確認される。歴史の重なりから生み出された理念となる理論を示し、個別を重ね、そして、更に根源理論に磨きをかける軌道に在って健康な文化が持続する。ストック過剰で向上心が途絶えると肥満に陥り下限の感性を見失う。動静的、内外的、質実的な表裏一体への志向を抱き矛盾を解決する探求の持続から、多用な観点を取り込んだ価値の上昇を叶える理論が作られ求心力が与えられる。ギャップに不快が現れ不快への改善へと自然な反応が現れる感受性の所在が健康な心身の証と思われます。弱まった感受性の正当化に陥り文化の衰退が深まり物理依存の性格が進行する。人間の感性があらゆる動源であって、ここが腐るとそれが表に現れ内外のギャップが検証される。強い良質なエネルギーを生み続ける方法が健康論であり、そこに欲望を備えた歩みに幸福の増進が実感されます。何を望むか、充足するか、への思慮を踏まえて、生産概念や経済概念が作り込まれて正常な成長軌道が生み出される。人間像の弱い単純な方程式による貨幣の獲得に比重を持つと哀れな結末に至り幸福感は実感されず、焦燥感や孤立感を抱かれ精神面の豊かさを失った世界観で外界を映し関係を取られる。本来的な思考が停止して、単細胞が進行する事に対して、振り返らない感性には、人間の本質的な性格が映りだされず、糸の切れた凧のごとき、制御を失い迷惑な影響を広げられる。精神的な幼稚さと映る者に力を与える事のない成熟した文化を目指すべきに思います。

根本性や大局観

多くの場合、いきなり私的な事への質問を浴びせず、身近に生じた出来事やニュース等の話題を起こし、それへの心象や評価、因果の多用性といった感じ方への意見交換等が取られ、直接的な性格を窺い知るのが人々の対話と映ります。そうした中で次第に親近感が増し、立ち入ったセンシビティーな事の認識や理解が進んで距離感が縮まり、更に、相互の特性から生産的な協働関係の接点などが生まれて利害の濃い関係が創り出される。

閉鎖性と開放性は、相互的な情報の明示の仕方によって、認識が生まれる概念であり、同程度の公開性を徐々に作るのが、コミュニケーションの健全性にも浮かびます。一方的に相手方の事に質問等を浴びせたり、情報を盗んで自己の都合のよい制御を計る感性は常軌を逸した変質者と見るのが適当と思われます。

行政機関や民間企業へ個人情報を渡し、限定的な用途に無く情報があちこちに広がり、外界からの作為を取られるようでは商業的な詐欺を助長し一方向の欲望が進行する。個人情報保護規制の生まれた背景にも思われます。民間の個人と公共機関という性格の相違の認識が取られ、強制権力を背景に法を運用する立場にあっては、個人情報への厳格な運用規制が設けられて、公共という立場を持って個人の利益を追求する事のない箍がはめられる。

この原理が、憲法という大枠体系の性格にも含まれて、適当な強制力の行使を制御して健全な社会秩序が創り上げられる。これへの定期的な監視と検証の仕組みが在って完結的な精神と法の枠組みと実際の効果が測定される。規制ばかりが観念で示され内実が測定されずに、恣意的な運用に至っては、統治システム自体が作用せず、個々人の恣意性や公共機関の為の規制に成りかねず、感覚と検証が内在して、観念を起こすきっかけとなった精神的な欲望の適正な所在や持続が叶えられる。原理を捻じ曲げ、利己的な欲望の充足へと向かっては、そもそもの存在意義を失い、根源的な意味の取り違えを生じさせる。これが肥満や堕落という言葉の代表例に浮かびます。

大手マスコミや行政、政治という領域の大きな影響力に対して、基準尺度に公平公正な感度を備えた適用状態を常に監視する役割の観測者が、悪性の根源に陥り、盗みを働く事に在っては、マクロシステム上の重要な欠陥という認識が適当に成り、これへの抜本改革に着手しないのであれば責任放棄であり、この焦点からの強固なプロジェクトを立ち上げ推進する役割が求められる。

この問題認識や自覚の弱さは、肥満そのものであって利己的な性格や無秩序な感性の低俗さと現れる人間像を備える事が適当であり、相応しい配置を取って健康な認識の下に、システムと人間の血の通う適正な運用が生まれる。過保護な規制という判断や、個人の性格上の異質さの認識を作る上での論理として、以上のような文脈が一般認識に思われます。標準図面の認識から個別事象の適正配置が生まれ、好悪や良否の判断が明瞭化され、改革への熱が集約し具体的な施策が投じられる。改革の基本路線を取り間違える事無く、健全な発想や感受性を堅持して真価への峻別が生まれる。

その具体的な焦点は、情報の取り扱いと業務の裁量への検証で在り、この事実認識を広く知らせる事が大きな推進力に成り、ためらう事無く歪みは報じられる環境の整備や個々人の意識の高まりに、中長期の人間像が欠かせず、肥満や悪性の除去を粛々と進められて、良質なエネルギーの循環速度が生まれる。基盤の良質化から、積極策の良質な上昇に及び、健康な生命の躍動が齎される。根本感性の表現や全体のシステム概念の構築は、大きなフレームの認識と個別領域への意義を表し、測定の尺度と作用して物事の真価を掴みだされ、基準と制御の理性的な図式が強化される。

狭い領域の利益に偏することなく、大きな良質フレームを抱き、目先に留まらずに力を投じる発想が、文化人としての本質的な要素に成り、精神の病にかからない健康化策と描き出されます。経済成長の根源理論と配されるものと思います。供給論理に偏して需要の創出面への思索が乏しく、パイの縮小への思慮が及ばず、短絡的な施策を投じる愚策を改める根本性や大局観が欠かせない。哲学の弱い経済学者や財界人、政治行政は、場当たりの判断を招き劣った世界を作られる。

動態と静態の適正調和

5)動態と静態の適正調和

人と人の関係は、労使関係を主軸に、顧客、資本提供者、協力企業、地域住民、競合他社等の広がりが生まれ、関わりの親密性によって要望の密度や深さが生まれる。一体的な運命共同体という利害の近さによって相応しい相互意思の程度が現れる。この理屈がベースに在って、制約と自由の中身に対する一致に及び、共通性と個別性の割合や深さに及び、適正な調和感が作られる。

未熟な管理者程に、負担に対する過剰な要望が生まれ、短絡的な利己的態度を表し、一過性の強引さや粗雑な方法を用いられ、バランスを欠いた運用に現れる。上述の原理による基準と制御に至らず、多彩な配慮に思慮が届かずに、各種の不調和を生み協働性を瓦解させ、その経験から学びが生まれ、過不足の少ない過剰要求が是正され、一体性の程度に相応しい要望と負担の感覚が創り出される。

頭に偏して、底の浅い型どおりのマネージメントに陥りがちなのが、実体験の弱い学生感覚やポジションという肩書に偏したマネージメントに成り、或いは大きな看板や資本力を背景にした諸条件から、要望の過剰な管理が進行して、生身のマネージメント力が育たずに、単純な短期性の金銭による方程式を描かれる。素の状態やゼロベースからの対人形成の工程を経る事によって、しっくりくる感受性を創り上げる事になり観念図面へ偏した創造に在っては、質実の届くマネージメントに及ばない。座学の勉強と実際の感覚との循環体験があって肌感覚のマネジメントが育ち、共同体の適性が作り込まれる。いきなり、大手の看板を多用するような立場に入って、粗雑な利己性を見せ、看板がなくなると一気に関係は消滅するといった事象が生み出される。行政職や政治家、マスコミ等という領域にも、こうした感覚工程の省略から、根源的な原理を備えない小手先手法が投じられ、未成熟な人間が創り出され、力と責任の乖離した状態に及び、物性の力に依存して、素の原理に回らない不調和になる。この歪んだ資本主義の瑕疵についての予防や対処の視点が、健康な人間作りへの焦点に定まり、人と人との適正な在り方が創り出される。更にマクロ的観点からの需給構造のアンバランスを招かない為の施策を生み、ミクロやミドルでの限界を賄う大枠の操作が少なからず投じられて、構造と局所の適正といった繋がりが生まれる。この土台に根源価値という良質な観念を備えて、時々の諸条件への操作に及び、安定と繁栄の優れた調和性が生まれる。個人の資質とシステムの適正とを両睨み、物性の程良い制御を遂げるという全体観があって、各種の矛盾や問題の予防に到達する。本書の文化論は、根源的良質化に連ねる為の提案となり、各層の観点とその連なりの因果を探り、無理のない健康体の最大化へと及ばせる手法が意図されます。部分のみで解決に及ぶ事とミドルやマクロの想定を持って、直接間接の因果を浮かべ、理に叶った納得性の強い良好化を創り上げる活動と考えます。言い換えると、人類共同体という利害関係を描き、根源的な厚みを形成して、共通と個別の快適性を実現する焦点であると思います。幼稚な管理者の下にはそれ以上のものは留まる事無く形骸化し成熟度の程度が揃って持続的な協働関係が創り出される。この原理が自然に回るような諸施策をインフラという面から投じ相互対立の間接的な回避が叶う事に思います。静態論理と動態的な歴史の連なりについての適正調和という観点や、合理性と独自性、物性と理性という対置概念とも並び、過去の連続性と未来への体系の更新を見出す為の観点にもなり頭と感覚と感受性の適正循環を果たす施策が編み出される。現況認識と理想図面の取り方がこれらの正当性や納得感の根拠に備わりこれを明瞭に表し大凡の方針への了解を取り付け質の変容への力が与えられる。