21世紀の健康像

文章で謳う事とそれを実施する人という二つの側面で物事への信頼性が作られる。文字で書いてあるといった所でなんとでも言い逃れをするような人間が実務を担えば、文章での規定は実効性を持たずそれを担う人間の性質を含んで実質的な期待効力が叶えられる。実務を担う為の要件や個人の性質や集団的な構造面への信頼性が在って個々の文章規定に質実が生まれる。創造事物と個々人の性質と集団的な感受性と需給相互の感受性といった適性を作る視点が中長期性を含んだ良質化策と描かれます。

これが道徳の自主内発性を指し文書過多による単純化からの弊害に対して運用する人間の性質への吟味が深まりお飾りの規定にさせない運用と検証で真価が付けられる。憲法の規定も抽象概念と解釈の多用性が生まれ、何を価値の優先順位するかによって運用の程度が変わり行きつく所は個々人の思想や特定的生産の立場や、利己性と他利性の組み方という人間の実態的な性質に起因する。中長期的な規則性から創り上げられる感性が反映され運用の取り方に現れる。規定自体か運用者に見る欠陥かという側面からの正しい測定が必須とされる。

今日的には物性依存症が進行し、基礎的且つ根本的な犯罪を容易に超える狂った人間が多産され、自己制御の果たされない運用側の欠陥へと焦点が進む深刻な事態と伺え、長期性で見る人間の崩れと、それに及ぶ社会システム上の欠陥へと視点を投じて根源的な改革が必要と感じられます。教育制度の誤りや、政治行政の肥満化、経済産業上の道徳の欠落等々、これらの根本は文化の堕落という原因に行きつき、他律性の人間が増加する事への緊急的な施策が不可欠に思います。文化論という面からの根源的納得性の高い観点から対処への加速へと作用し壊れた感性の連鎖を食い止めることへの創造が浮かびます。

この意味のインフラの下落があらゆる創造事物の性格に現れる。文章先行型や過度な物性による歪みは感覚工程の省略から健全な感受性が内在化せず頭ばかりの創作に陥り実態的な効用への検証が弱く、物性感覚の進行と理性的な制御の欠落した感性が歪んだ秩序と現れる。こうした課題について大凡どこに問題があるかの察しはついているかにも伺えます。それを本気で取り掛かる勢力に力を集め、基礎の解体から再度創り上げる転換期と認識されます。

小手先の創造は効力に及ばず、運用や感覚への比重を持った創造により実態が現れ、この基本的且つ根源の感度を持って改善させる事が必須の焦点に浮かび上がります。自制力の劣った人間に力を与えず肥満な人間へは適正な処理を取り健康な心身への蘇生が必然と置かれる。文化的、フラットな感性がこれらの感度を作り平準感覚との著しい異なりにメスを入れる本腰の施策を投じて再生を果たすというビジョンを前面に押し上げ旗印と掲げて実現への信憑性に支持が集められる。犯罪者に例外は無く粛々と裁く事が待たれ、いい加減な理由を付けて逃れるような事はさせずに処理できるかに本気度が現れる。だらしない性格の悪性の根っこを切る事が負の連鎖性を留められる。

そして、特定生産者(p13)のクォリティーを向上させ真価を見定める感性を常識ととり健康体を表す標準のフレームと適用し付加価値の測定と対価との適当な調和へと再生させ、空の権威への正しい評価や効用の適正な測定に繋げて健全な人とシステムの均衡へと加速させる事が適正化の方途と描き出されます。規模の肥大化による物性による求心力という片手落ちの秩序は20世紀の感性であり、規模に対する責任の均衡の適性を問う事が健康な人間の背骨を指し過不足の修正と推進が改造への基本施策と位置付けられる。欲望と力と責任の均衡に健康な心身を持つ人間像が現れこれを根源の尺度と備えて乖離を是正させる事から下限の制約を超えない自制力が備わると共に、影響や効果への視線を含んだ適正感を持つ積極的創造を果たす有機体が生み出される。

過剰ストックで資産を遊休させる事や不労所得型の創造は負の影響と捉え、フローの良質性へと重心を定めた原理創造型の体質によって正常な感受性が備わり感覚と観念の適当な表現が生み出される。サービス経済化からの曖昧な詐欺的行為や過剰な管理発想による歪んだ精神性という悪性に基準尺度を設けて是正し、物性と理性の良好な体質を推進する基本方針と実施が変わりづらい健康像への実態工程化と導出される。力へ振り回された拝金型の主体性からの脱皮が人間性を向上させ、法の内実の良質化や遵守を自主内発的に執り行わる理性を備えた人間の実現と描き出されます。

こうした方策に文化論や活動からのエネルギーが投じられる。この図式を自主内発的に取り込む事が適当であり、出来なければトップダウンでの適用が要るのでしょう。犯罪は看過せずとことん追い詰め代償を払わせる事が必須であり必ず逃れられ無いという秩序を増進させて堕落的な人間の対処と予防が取られる。ここまでやらないと物性依存症は治らず被害の連鎖性が拡大する。わけのわからない理屈は一切通らず当たり前の筋道を堅持させて思い上がった物性依存からの脱却が果たされる。ボンボン型の体質にはうんざりであり当たり前の水準を整え健全な感性を復旧する文化基盤の復興が一丁目一番地の重要施策と思います。犯罪者は損害を払う事が唯一の修復策でありそれを避けては生涯ゴミ扱いとされる。

権力の適正と監視と運用

権力の適正と監視と運用

物事は発案者が実施するのが自然であり違和感が生まれるのは、発案したわけでもないものが主導して行う所にある。発案内容に関心が注がれ、それを受け入れたいという人々が多ければ供給者と需要者の関係が生まれる。直接の発案に無い者がここに加わる事の意義が弱く自身が発案したかのような事で前面に出られる事の正当性に疑念が生まれる。介入の根拠を法律に当てるならば、法律上規定された文面に対して基本精神と運用との解釈に適正さがあるかを示す事や法律自体が時代感覚に合わないとなれば変える必要が生まれる。疑念が及ぶのは公機関が公機関の為に行うようなものでは、発案者と需要者の利益を阻害し公機関の存続や正当性を高めたいがために権力を乱用する事にならないかという点にある。民間の活動成果を奪う公共機関という性格で映し出されれば本末転倒な姿でありこの面に主権者に当たる一人ひとりの民間人の懸念が生まれる。権力の為の権力の行使に成らないか、民間で行うべき事柄に無用な強制権力を背景にした介入をとり、活力を阻害するようでは権力に携わる個人の利己的保身に走った行為と見做されかねない。公共機関が民間の情報を盗んで発案したかの体裁を整えメンツを保とうとするようなものであれば、正しく権力の暴走という事象で捉えられる。

こうした性格の事象に見受けられる公益の実務者には厳しい視線を送り事実を取り上げ明瞭化させ、それへの判定を広く募って暴走に歯止めをかける必要が生まれる。力を保身に用い本末転倒な姿という認識が多ければ直ちに罷免し健全な心身に在る人々へ健全な力の活用を取らせる事が適正な判断となる。報道機関への社会的な要請は、権力の良き運用を導く事に在り、異常な性質に走らないように適正な監視と事実を広く周知し主権者の実感を集め不平か適正かの検証を計り共通利益の維持や増進に連ねる事に成る。政治と報道が一体となるかのようでは機能せず誤った感覚が創り上げられ文化の活力を萎ませる。領域の急所となる性格を外すような事は間違っても避けられ各自のプライドが試され、大きな判断を健全に導かせる役割が求められる。実務者の裁量の幅をどこまで認めるか、動機や行為の精緻な吟味をとり異常な判断を予防する重要な対話が必要になる。公益と偽って保身を働く事は根源的な人間や文化の性質を歪められる。実際的には、あらゆる領域には私益と公益の混在する状態にあり領域の性格から求められる程度差が生まれこの適性を導出するのに文化ビジョンという感受性が反映されて、個人と領域と外界との適正調和が導出される。個別と共通に対する根本の概念を構成する事の意義がこうした面からも浮かび上がります。

権力の適正性と監視と運用

 

物事は発案者が実施するのが自然であり、違和感が生まれるのは、発案したわけでもないものが主導して行う所にある。発案内容に関心が注がれ、それを受け入れたいという人々が多ければ、そこに供給者と需要者の関係が生まれる。直接の発案に無い者が、ここに加わる事の意義が弱く、自身が発案したかのような事で前面に出られる事の正当性に疑念が生まれる。介入の根拠を法律に当てるならば、その法律上規定された文面に対して、基本精神と運用との解釈に適正さがあるかを示す事や、法律自体が時代感覚に合わないとなれば変える必要が生まれる。これが進行上の適性になり、何がしかの創造事物の発案と進行の健全な在り方と示される。

何を

誰が

いつどこで、どのように
発案者 需要者
規制
規制

以外

疑念が及ぶのは、公機関が公機関の為に行うようなものでは、発案者と需要者の利益を阻害し、公機関の存続や正当性を高めたいがために権力を乱用する事にならないかという点にある。民間の活動成果を奪う公共機関という性格で映し出されれば、まったくの本末転倒な姿であり、この面に、主権者に当たる一人ひとりの民間人の懸念が生まれる。

権力の為の権力の行使に成らないか、民間で行うべき事柄に無用な強制権力を背景にした介入をとり、活力を阻害するようでは、権力に携わる個人の利己的保身に走った行為と見做されかねない。公共機関が民間の情報を盗んで発案したかの体裁を整え、自己のメンツを保とうとするようなものであれば、正しく権力の暴走という事象で捉えられる。

こうした性格の事象に見受けられる公共の利益の実務者には厳しい視線を送り、事実を取り上げ真相を明瞭化させ、それへの判定を広く募って、暴走に歯止めをかける必要が生まれる。力を保身に用い本末転倒な姿という認識が多ければ、直ちに罷免し健全な心身に在る人々へ、健全な力の活用を取らせる事が適正な判断となる。

マスコミ等の報道機関に於いての社会的な要請は、権力の良き用いられ方を導く事に在り、異常な性質に走らないように適正な監視と事実を広く公開し、

一人ひとりの主権者の実感を集め不平か適正化の検証を計り、共通利益の維持や増進に連ねる事に成る。

これが基本的根源の権力に対する正常化作法であり、主権在民の意思に背く政治に及ばないように異常者を作りださないチェック機能の強化が求められる。政治と報道が一体となるかのようではこれが機能せず、誤った常識感覚が創り上げられ文化の活力を萎ませる。

領域の急所となる性格を外すような事は、間違っても避けられ、各自のプライドが試される。大きな判断を健全に導かせる役割が求められる。

実務者の裁量の幅をどこまで認めるか、その動機の健全性について精緻な吟味をとり、異常な判断を予防する重要な判断が必要になる。

公の利益と偽って保身を働く事は、根源的な人間や文化の性質を破壊するものであり、これに異常者という言葉が当てられる。

基礎の重要性

基礎の重要性

前提的価値観がいくつも備わり、書き殴ったような主張が多々見受けられる。「○○であるはずだ」という主張を、かなり限定的な文脈で示され、所与的な根源思索が曖昧で、中途半端な論を繰り広げ、読むものに強い納得感を抱かせられない。言葉ばかりが躍っており、身を投じて形成過程を経ない頭脳に偏した表現が現れる。飛躍に飛躍を重ねた論理形成は、各所に「なんで?」という疑問が現れ、因果形成の粗雑な展開と示される。

基軸動態となる論理は、「○○である。なぜなら××だから」であり、この筋道がはっきり示されて、何を言っているのかが伝わり、思いと方法と結論という根本と幹と枝葉や実というシステムで構成されて、願望の正しさや方法の有効性についての賛否という指摘が加えられる。

この簡潔な表現が見えないものは見るに値せず、混乱した表現をいくら読み解こうとしても労力ばかりを与えるものであり、表現の作法の劣ったものと判断されて二度目の対話を失う。粗雑な表現、よく考えが整理されていない表現、読む人への利便性等の配慮の弱い表現者は外界との不調和を起こし不快感を与えられる。これを識別するインフラの提供者への質が問われ、明瞭な理念や基準、その適用という検証が進み、程度が測定されて、取捨選択が起こる。

○○である。 なぜなら××だから
思いの

具体化

3.結論:

よって、○○すべきだ。

工程、資源、目標、

効果予測とコスト

訴求と協力の形成

思いからの

事象選択

1.事実:感覚的事実

いつどこでだれが、

何をどのようにした。

誰に対して。

思い 2.基準:これを図る基準尺度の明示

根源尺度、二次加工尺度、

三次加工尺度

プロという自負がいつの間にか空回りし、基本動作が粗雑になり表現が混乱され負の産物に陥り、自らを省みない傲慢さと現れ、主客重層の認識を体内化されずに、落ち着きのない気ばかり焦る姿と映し出される。これが酷くなって、犯罪に着手され被害の発生源となり、その自覚も無い事では他者が強制するよりなくここまで落ちぶれる事のない自律が求められる。

日本文化の根幹原理となる主客重層の習慣の積み重ねから、対象との交わりにおける良質な作法が血肉化し、基本動作のしっかりした背骨が備わり、外界への配慮を持つ創造が遂げられる。根っこの精神性が腐ると妙な優越意識ばかりが先行して乱暴な姿を明瞭に察知されて対象との距離感が広がり不調和に及ぶ。

長くやってる事に価値は無く、どれだけ人々に真の有益を提供したかで測定される。基礎が腐った状態で長くやるのは悪性の拡散であり、自己制御不能な主体者は文化の背骨や根っこに帰り感受性の浄化を戻して正しい軌道に修復する循環が必須とされる。

大局観や根本観の意義

1-1大局観や根本観の意義

需給関係の形成は、供給提案と需要の起こりからという両方の生まれ方が見てとれ、人間にとって必要度の高い物事になるほど、事物の型式に不動性が生まれ需要の定着と共に供給側への信託という形で収まる。そして悪い意味でのマンネリや慢性から怠慢が現れる事や経済状況の変化等から供給への不満が高まり、定式化されていたものにコスト圧縮等の圧力が働き質の異なる改善が求められる。 このステージには過去の連続性と異なる発想や変化が生み出され、新設の算式や感度の異なる創造が大きな前進となり、それへの抵抗勢力も同時に浮かび上がり比較的明瞭性の高まる二大的な構図と現れる。

旧態型と未来獲得型といった抽象観念で集約され、供給内での志向性のぶつかりを避ける事無く、内部からの改革を進行させる強いリーダーの存在が現れる。民主的というよりも独善的ともいう方法によって、水準上昇を切り開くパワーが要り、平均型の調整等では環境変化から取り残され、変えない事のリスクの方が高まりを見せる。

こうした動態は、大局からの層で見ると、不動的、健全な感受性に基づく改革と示され、良き生の持続的な発展の為に、一時の衝突を経た刷新の姿に及び、マイナスを超える大きなプラスを齎せる勇断に及ぶ。事象を局所で見ずに、総体的、中長期的根本の原理という尺度から、本質を掴みだす感性に正しさが生まれる。大きなビジョンや根源的な人間の不動則への思索があって、局所や中局の事柄を大きなフレームに配置するに至り、この違いから事象への性格づけが変わり方法への賛否が分かれ右往左往という反応が現れる。観測者がもつ背景画の質が表現の違いを起こし、実務者の意図する内面的な心理と離れた皮膚感覚からの批評に留まり視聴者への影響を与えられる。実務者の真意を掴み、そして評論者として持つ独自の尺度を解るように示して公平公正で質の良い表現を視聴者へ与えられて付加価値が生まれる。

過去へ偏重してそれまでの発想から抜けきれず、その原理に執着して、大局や根本への視線が及ばないとビジョンのない身近な利害へと視線が集まり、小さな利益へ偏した観測や評論、行為が生まれ、新設的発想等を封印させる非生産的な内向きの力が投じられる。局所的な感覚的な事実にはそう開きは生まれず、想定する深さや広さの実感の取り方に違いが生まれて評価の仕方に反映される。本書で取り上げる根本的な視点や文化的ビジョンというフレームの形成方法を抑えられて大きな動き方や新設的発想へのフレキシブルな認識や創造へと連なり付加価値の向上する観測や批評、実務が作られる事に思います。利己的願望が強まる程に偏狭的な感度や体質が深まり、中局や大局、根本を見失い、消極的な発想の増進や歪んだ精神性が深まり、利他を与えず利己への執着が強まり不用な存在という認識が生まれる。客観的な認識と大凡離れた主観性となり建設的な創造を塞ぎ込む事には健康の阻害と及んで負の影響者と映し出される。

これに陥らない風通しの良い秩序を高めるのに、本書の概念形成が有用であり、それに即した改革を迷わず進行させて気持ちの良い発想の増産される文化が各所に現れる事でしょう。頭に偏した体質は世界を小さくさせこうした観点から遠ざかり普遍原理の適用を歪められる傾向に映ります。感覚と頭脳の程良い循環に健全なビジョンが現れ適正な評価感覚が作られるものと思います。

妙な美感という言い方はあまり良くありませんが、実際的な人間の客観認識を踏まえて、理想画を持ち本気で創り上げるという生産感覚があまりに弱いと変な美感に陥り、一方的な行為が強まり力んだ行為や迷惑を及ばせ意思の弱い場当たりや拝金の実態と現れ感受性の崩れた創造という人間不在の活動で捉えられる。

日本文化論

東南アジアを旅行すると、現地の人は日本人と解ると「友達、友達」と流暢な日本語を用いて近寄ってくる。金が欲しい事は一目瞭然で在り、それを知った上でどんな手口を用いるかを掴む為に相手のペースに乗っかって、こちらからも親しいそぶりを見せ相手をした事がありました。
「鉄砲を撃たせてやる」と言われ付いて行き、事前の金額とかけ離れた額を提示されましたが、日本語で暴れ狂うような姿を見せると、相手が現地の警察を呼ぶと言い出し、金はいいからもう帰ってくれと言われた事を思い出します。

多くの場合、活動の性格に関心が及び共感が生まれ協働生産に発展するのが適当な対話の在り方であり、短絡的な詐欺的発想による経済目的は下等な創造と見做される。何がしかの利便性や意義を高め、相手方に満足を与える事が利他と自利の良質性となり反復的な需給に連なって安定と価値の深まりへ上昇する。そこに文化という概念を適用するのが本書の方式で在り、恐らく多くの方の認識も近いものと思われます。

これに到達するにはまずもって真実を知る事が要り二次情報等への過信はせずに、自らの手足を用いて実感する事が不可欠とされる。昨今のインターネットによる交流の容易性が進行した事に在っても一定の観察期間が置かれて性格の吟味を持ち本性を見定める事になる。インフラ基盤の形成や保有、運用に在っては良質な人格が欠かせない要件であり文化の資質が強調されて劣った性質には力を与えない事が優先度の高い発想に備えられる。技術の進化と人間の健康な感受性が一定に保たれ、用い方の適性に及びどんな活動にも問われる根源価値と配される。

それには、対象と同化して良く伺う事が要り警戒感を抱かれない姿勢を持って交わり、正負を掴んで真実や真価を見定める過程が必要に思います。過度な固定概念を持たずに謙虚な姿勢で対象と対峙し適正な認識が作られ、相応しい態度を示し調和の深化に及ぶ。感覚を取らずに固定概念で留まる現代的な作法から歪みが多々生み出される。

一方的な変質性がフェアな態度を取らずに、自身の殻の中に入り他人の中身ばかりを知りたがり自己の都合のよい行為や過度な支配願望が進行する向きに在っては異常者という部類に入り誠実な感性とかけ離れた性格と特定される。強欲な人間性には信用は与えられず性格の真相を周知させ良質性の阻害を予防する事が適正な秩序に連なる。

この欠陥から発想や製品の欠陥に連なり対人上の不調和に及ぶ事は自明であり健康像への思索を及ばせる観点があらゆる出発点に思われます。こうした性質は今日明日で変わらず長い軌跡から染み込んだ体質になり、欲望や発想、調和の作り方に現れ土台の良質さへの施策が欠かせない創造策と思われます。良質性の阻害と伸張事象を特定し、其々への的確な対処を持って文化基盤の良好性が保たれる。

これらの基準尺度の形成への試みが本書の内容であり、神道や仏教の根幹原理を中心に観念に留まらない感覚や感受性の有機的な実際性を含んだ体系として纏められました。ここから物事を映し理想図面との乖離を見つけて方法へ展開する想定が描かれ異同感覚を掴みながら基盤の厚みへと連なる。他空間の文化を取り入れる以前に自身の基準尺度が優先されて根本の感受性の上に適正な感覚と観念を導出する真っ当な歩みが映ります。今日の状況はこの筋道を外し心身の歪みが異質性と現れ、健康な意思の形成に文化の視点が必須に思います。

ゴミはごみ

きたないやり方は、記憶の奥底に残り、決して消える事が無い。誰もが一度や二度は、このような体験を受け、苦々しい思いをされた事かもしれません。この性質の事柄は、理想論などで片付けられる事ではなく、同程度の事を味あわせるのが適当な調和形成であり正しい解決策に思います。

これに関係のない第三者が口を挟めるような事は無いのは言うまでも無く、「目には目を、歯には歯を」という言葉が思い起こされる。この自然律は、どこまでも変わる事が無く、法律等の範疇に無く、個々人の納得感で在り、理に叶った作法となり、とことん追い詰め回す事が、当事者のみならず、二次的被害の予防にも連なり、ある意味では責任であり、生かす価値のない者への適正な制裁は、正しい道である。社会システム上の模範であり、この根源的な面での覚悟が弱い者に、大きな責任等を預ける事は愚かな人間のやる事でありこの見極めが最優先事項と言ってもよろしいように思います。

この感覚が乏しく物性に縋ってプライドの欠片もなく、力にこびりつくように見受けられる者も少なくなく、道を外した犬ころのような姿という認識が正しく、健全な感性からは、目ざわり極まりなく、不快事象の代表例と浮かび上がる。この手の性格が文化システムを歪められ、自身で根源的な柱を築く事無く、容易な方に安易に逃げる体質に成り、村社会で固まり堂々とした振る舞いを作らずに、都合のよい拝金主義として明瞭に映し出される。

これらに直接関わらずとも、この影響が二次三次的な間接性と広がり、主体性の程度を著しく劣化させ空間の健全性を損ねられる。こうした事象を生みだす因果について、文化という観点からの分析や改善の施策を取り上げております。マスコミや政治、行政、財界人と広く各種領域にまたがり、共通して生まれる不快な面面であり、これをいい加減に抜本的な手法を投じて一掃する時期にも見受けられ、これを超えると良質な循環への速度が高まり快適性が上昇する。

この機運を高めて、共通的空間の基盤秩序へと作り出せる勢力が主導的な柱に備わり、そこから健全な政策や生産事物を生む因果に連なり、そして、人間自体の変容が加速する。こうした感性に在る人々との協働を出来る範囲で加わる意向にあります。文化論や活動という側面からの生産で尽力し、良質な世界の形成への一端を担えればと思います。

直接性の事から間接的に広がる事実を鑑みると、少なからずこうした志向を抱かれる人々も多くおられる事でしょう。社会形成の肝となる部分であり文化論としても主題に備えられる根源的な側面であり堂々とした文化基盤という理想形で描き出されます。

ゴミの自覚が弱く、人の世話をしているかのような愚かな振る舞いは、極めて不快な人間と映り、器にあった適正な配置へと異動させるのが正しい浄化反応であり、この感度を高めるのに根源からの思索をもつ文化論が有用に思います。

選挙という機会には、表面的な政策よりも、寧ろこの人間の質を選ぶといった点に重心を置き、絵に描いた事柄の実際上の運用への熱の入り方が問題であるという観点から質実の良い見極めが要る事でしょう。争点は「力と責任の均衡の実態化」であり、これまでの歩みという実績を評価の視点に持ち、それを証明できる材料を各自に提示させ、信憑性に及ぶかが、適正な選択過程のポイントに成り未来への予測が作られる。

直近でお粗末な姿を見せられた事は、人々の脳裏に奥深く刻まれており、小手先の雄弁を取られても、真剣に耳を傾けられる事は無いのでしょう。一つの看板の中にも程度差があるようで、個々人の性質をどれだけ見せられるか、根源的な性格の善し悪しから未来への期待値も含まれて、真に体を張った動きへの想定が生み出される。

3)3層の創造性と文化の立場

3)3層の創造性と文化の立場

このような概念設計という作用の意義を表す文脈を如何に取り上げます。

何がしかの尺度からマイナス性の指摘を表す事は、一見すると客観的な表現を与え、真実を提供する事の付加価値が作られるものの、表現自体が認識を強める作用を齎し、どこに立脚した評論行為かに着目が取られる。何がしかの尺度という基準の観念が過去の規則性に基づく現況の評価か、未来ビジョンに対しての現況の性格づけかに大別され、付加価値の程度という面で言うと、後者の評論に在って課題解決型の表現に及ぶ。評論にこの性格が含まれないものは、何を目的にした表現であるのか、表現活動自体の意義が不明となり責任感覚の脆弱性を感じられる。

表現が表現を生むという根源的な焦点への認識が取られないと、客観性というまやかしの事実概念による無責任な表現と及び、短史眼的な利己的自己宣伝という性格の活動と認識される。つまり、客観的な第三者といったあやふやな立場は、時流に即応的な受動的性格を表し、短絡的経済活動の様相を浮かび上がらせる。こうした意味から意図するビジョンを持たない評論行為には生産性が備わらず外界を乱す扇動者と見做される。

普遍的な観念の構築がビジョンになり、個別性に性格が付けられ、意図するビジョンへの誘導的な性格を持つのが表現者の真価を表し、事象の選択という段階に、既に表現者の意図が含み、純粋な客観性等という概念は実態的な感覚とは異なる。

従って、あらゆる創造は基準の上に企てが生まれ主観的な作業性に在り、どんな基準で在るのかを明瞭に示す事が誠実な表現活動と評される。これを曖昧にした安っぽい評論家が多産される事には原論空間のクオリティーを下げ虫食い型の生産性が強められる。このような構造を根源的なフレームから浮かび上がらせ、表現一般への良質性を意図するのが長期的規則性への研究領域になり、健全な人間像を基準にした哲学や道徳等として枠どられる。

直接の事象発生者から二次的評論活動が生まれ、更にこれらの適性を見て作りだす三次的評論という重層構造が現れる。又は、逆の流れから事象が生まれる事にも成り、其々に単独した性格を持ち相互的な作用をとる経路が生まれて、抽象度の異なる階層間の有機性に一定の効用が現れる。この形から各人が独自の性格を持つ事象発生者と捉えられる。つまり、観測や評論を表現する事は、それを受ける人が要ると当事者性を帯びた活動と認識される。観測者や評論家という概念の実際的な表し方と正しい認識が整理されて良質な活動意識が創り出される。

これらを総合した重層の表現で掴みだす事から、感覚と観念の繋がりを生み健全な活動が制御される。こうした立体感が明瞭化されて、各所の単独的且つ基本的な性格が捉えられ、同時に長期性の文化概念の創造やそれを尺度にした二次表現者や一次表現者への評論の意義が示され、それぞれが一次事象発生者という性格が起こり、責任ある創造者が生み出される。

横の直接的な連鎖性とは異なる縦の抽象的連鎖性という概念が生まれ、身体と頭脳の良好な働きへと連なり、健康な心身の達成への道が表される。一見すると抽象概念の創出には、不毛な印象が生まれる事に思われますが、以上のような構図によって一定の付加価値を謳う事に成ります。

健全な人間像の要

リアルな感覚と外れた職業や配置に要ると覚悟の弱い軽口が進むように見受けられます。特に大きな影響が想定される事に於いては、十分注意した方がいいように思われます。頭に偏した机上の作業に慣れて道具の活用が増加する事からの弊害が現れる。この辺りが今日的な負の事象という傾向に顕著であり、生身の感覚が鈍化して対人形成の粗雑感を作られる。目の前にして言えない事を文章で書き綴り過剰な表現に及ぶ事が対人関係の離れた頭脳寄りの規則性から生み出され問題を生じさせる根源的な原因と感じられます。

肉体的衝突の減少から生身の皮膚感が弱まって精神的な制御感覚を欠き頭脳的操作性が進行し安易な表現を生みだされる。過剰な道具や力に依存した感性に対してバランスの崩れと指摘され、感受性と感覚と頭脳の程良く回った状態を強調した健康像が示されます。物書きを生業にされる人々の異質性と浮かび対人的な感性を崩して軽々しい発言や下限の制約を超える事には相応の対処を取り、健康な感性へと修復させる必要が生まれる。この点を見過ごさずに人格形成の肝と備えた長期的普遍性と染み込ませて良質な文化が作られる。

言葉が達者て重みがなく覚悟も弱く、安易な行為に及ぶ事には気を付けた方がいいというのが健全な体質に在る人々の感性であり、一部の層で皮膚感を壊されていると伺えます。歪な体質への自覚を持って根源的自律心を備えた良好な言葉や行為が生み出される。道徳や教育にこうした人間像が描かれ、知育と体育と徳育が作られる。バランスの取れた成長に在って健康な成人に及び基礎感性が備えられる。頭脳の歪な発達から道具との関わりを増加させ、人との生身の接触が減少して神経質な反応が深まり極端な発想や言行を生み異質性と現れる。外観からは見えづらい性格であり普段おとなしい人が急変する事態を生じさせる。時間をかけて感覚と頭脳との程良い循環を重ねる事が要り、急に力の大きな配置に就かされて感覚と頭脳の乖離した感受性による不調和を拡大させられる。力の制御力が均衡の要に成り犯罪面と積極的創造とを両睨んだ判断や行為により調和の質へと反映される。

根本原理の形成には様々な体験工程を経て感覚と頭脳との有機的な感受性が作られこれを省いて頭脳に偏すると基盤感性が弱く過剰な神経質やポキンと折れやすい耐久力の弱さとなり原論ばかりが先行した異質性に及び外界との不調和を広げる。大きな争いの根源原因でありこれを見越した人間形成が強調される。制御された大胆さや表現と動物性の過剰な反応とは質が異なり三作用のバランスの整った形成過程の相違が重心を持った表現の質に現れる。物理型の感性と感受性寄りの感性という区分にも浮かび中心的な性質として把握される。このような側面が個別事象の置かれる動態の中で、ポピュリストや過度な利己性といった概念等で部分的に表現される。壁に何度も衝突しながら歩まれた過程と、とんとん拍子で進まれた人々との性格の違いに現れ感受性の広さや深さの違いが表現の質に現れる。

表面の肩書や根拠の弱い権威等に過信せず或いは多用せず、原理の創造と測定を確かな尺度で計りだす根源的な観念を備える事が、対象との調和形成の出発点になり、真摯な対峙と表されます。それには感覚と頭脳と感受性という視座をもって良質な在り方へと意識が注がれ制御される。現代の科学万能的傾向の物質文明からこれらの面が脆弱になり画一的感度が進行して偏狭性が高まる事へは豊かな感受性を萎ませる。基準像への思索を深めるのに文化論や文化活動といった根源性への問いが生まれ、不動的な支柱による創造や歩みが強められるものと思います。

日本文化の現状について

 

ご覧の通り幼稚なマスコミと政治家及びその周辺の財界人が困った美感をお持ちのようだ。というのが健康な心身を備えた人々の本心にも伺えます。あまり関わらず自身のペースで淡々とお仕事を進める事が適当であるというのが一定の検証結果と対処策であり、恐らくこうした自覚も強まるものと思われます。推進者側への過保護な規制は取り払われ、実質的、良質な感性へと向かわざるを得ない事でしょう。予想よりも低い文化水準に少々驚きで在りましたが良質な芽も見えずらい所で存在し次第に文化体系の浸透と共に取捨選択が進行して浄化反応が深まる事と思います。根本的な所の欠陥の改善には時間を要するものであり上の方から感度が変わり間にいる人々へと反映されるまでには長い目で見るよりなく、良質な美感を下にした物性型の力の推進で均衡感覚が進み正気を取り戻す事かと思われます。

トップの美感によってこれらの感度が反映される。その感覚差が如何ほどか、在る節目において良質な見識を持って意思表示を取る為の尺度に本書の文化論も少なからず有用な視座をご提供できるように思います。当方なりの文化という観点からの診断結果でありそんなに大きく外れたものではないように思われます。

平成26年11月6日