思想創出の背景-基礎と専門

専門バカというような感じに映る人も時々出くわします。大衆を小馬鹿にして、どの程度の効用を齎せたかのはっきりしない業績で、中途半端な生かし切れていない知識があるという事に優越感を抱き、自己の客観評価を欠いている専門職という姿には、違和感や不快感が生まれます。

こうした状態に、根源性の欠如という言葉が当てられ、自己の説明能力の不足や効用の客観測定を持たずに、外界を下等な性格と評される性質に、分業化の進展や頭脳寄りの体質への負の側面が現れ、根源的な普遍尺度による重層の認識を取り、自身の専門性や実力を適正に計り、外界への過剰な責めを生まない適正感覚を作るのが、文化論の意図する作用とも考えられます。専門への深まりと共に、日常的生活者としての感性が痩せ細り、局所の感性へ偏したバランス感覚の崩れには、健全な外界との交わりを常とする人々からは異質な姿と現れ、妙な優越性や感違いのプロ意識といった認識が高まります。感覚的な工程を経て作りだす知識と離れた二次情報の保有に偏し、それを標準にして実際工程に身を投じず、知ったような振る舞いを見せ、物事を作りだすエネルギーの脆弱さにはどこか違和感が強く現れ専門バカと言いたくなるような人も少なくないかに思われます。こうした主体性に適正な評価を下し、大衆を小馬鹿にするような思い上がった感覚への修正を取るには、心身の健全な人間像を描きそれを標準にして自他の適正認識を生みだす事が欠かせない正常化策に思います。

知識は使って効用の実感に至って真価の実感が生まれ、ただ保有しているだけだは意味を成さない。力の健全な用い方に真価が計られ、欲望と力と、そして責任が付いて回り、健康な人格という測定が生まれる。他利を意図せず、自利に偏した歪んだ精神性は力の用い方や適正な自己評価から離れ発想や行為の異質性という認識が生まれる。このような根源的な秩序をベースにして、健全な秩序の軌道を固め良質な世界の持続が叶えられると思います。専門性と根源性の確かな在り方と言い換えられ、根っこの腐りに陥らない人間の成長軌道が堅持されて、技術と社会性の良質な絡み合いが創り出される。

思想の背景-文化の全体観

法治という限定の中で世界を捉えるには、部分性の感覚を否めず、より人間の心身に即した世界を抱く事が偏狭性に陥らない良質な感性を表す。無限性という概念を上位に備え、そこからある観点を取りだし、感覚と感受性の可視化を生み、観念で規定され、共通的な足並みを揃えて、欲望の実現を図ろうという活動が生まれる。個々人の感覚や感受性の共通化は、そこに参加する人々が多くなるほどに、抽象的な観念へと及んで、感覚との多彩な因果の組み方が現れる。この構造を抑えて、共通化の無理のない範囲を意図して、創り上げる事が質実の合った共通欲望と充足の取り組みとなる。

法による統治等という言葉が度々用いられ、金科玉条のごときに謳われる事に対して、上述のような仕組みの理解が乏しいと、中身の弱い付加価値の少ない活動に至り、実態的な欲望と充足の作用が生まれない。
法の運用者の都合のよい解釈が進んで、共通利益とは異なる局所の利益と充足の為に、法が作られ運用される事態や事実と感じられる事象も少なくなく、出発点は、共通観念化する意図や動機という面に在り、これと離れた運用に至っていないかの監視や検証を定常的にシステムと備えて、緊張ある運用が叶い、慢性化や緩みから、利己的な欲望へと偏した扱いに及んで、法を作られる意義と遠ざかる事態が進行する。

頭脳的操作への比重が高まる毎に、多くの人々と同様の実際感覚や、実際の感受性と異質の頭脳と感覚と感受性の在り方が生まれて、解釈の異なりに連なり、権力等の力を背景に推し進められ、当初の意図する効用とはかけ離れた実態を作りだす。こうした推察や予測に対して、実態の検証に深く切り込むような事があって健全な運用が果たされる。基準と運用における裁量の幅や深さについて、当事者の適正さと他者からの適正さとを計り、共通利益の実現に及ばせる事があって法による統治の健全な姿が現れる。

プロ意識の歪んだ進行が深まり、堂々とした正当な姿を見せられず身勝手な利益の追求に陥り、そのズレが慢性的に重なって健全な軌道とかけ離れ、取り返しのつかない感覚や感受性が作られて更に正当化させる為に物理性による強要や乱用と陥る事のない自律性を備える習慣に文化というシステムが備えられ、欲望と力と責任の均衡を標準とした制御性をもつ主体性の確立に健全な心身の所在が確認される。個別的な欲望に対して一定の制約を望み共通化する事自体も同様の趣旨を持ち、物性の保有や利用に対して、健康な感受性が根本に備わって、正負の作用を計りにかけて正の増進を導出する為の根本的な論理として本書のような思想体系が現れます。

恐らく多くの人の肌感覚と備わる感性と思われます。それを如何に感覚に近い観念で表現するかという製作方針の下に纏めました。良好な伝統文化を可視化して失う事のない不動の価値と持続する事や広くお知らせする事に付加価値があると思います。

根本思想の再構築

欲望と方法、価値と事実という二項対置概念が人間の根幹的中枢の要素となり、この在り方があらゆる問題における根本の焦点になり、その良質性を向上させるのが本書の文化論における主題に備えられます。
欲望や価値は、個別的内面の事であり、人が強要するようなものではないといった尤もらしい言い方も一理ありますが、実際上は、ここに確かな観念を入力する事によって、人間社会の基礎が創り上げられる。自信を持って示しきれない自己の歩みに後ろめたさが多い大人の逃げた言い訳とも取られかねず、少なくとも「こうだ」という型式を表す事が責任ある人間の行いに思います。

過去の歴史の積み重ねから大小の成功や失敗を重ね、その教訓を活かす事や、それを反映する中で未来創造型の秩序を切り開く為の土台のしっかりした基礎力が良質な応用を生み、一過性の創造に終わらない中長期の規則性へと昇華させる動源と成り得る。

こうした趣旨の下に、創り上げられた観念体系が『日本文化原論Ⅱ』であり、価値の良質性と共に、それを叶える基本動作の型式を提起し、自己実現に向けた背骨を固めるプログラムとして纏められました。これを広く訴求して、実践の中に取り入れられる事が確かな創造に及び、感覚と観念の循環の中で知肉化された基本反応と組みこまれて人間の根源的な感受性が創り上げられる。

専門分化した今日の感性には、どこか基軸となる柱の脆弱感が各所に現れ、部分性の利益に偏した全体観を描き出され、根本的な価値の弱まった発想や行為と映し出される事も少なくなく、こうした事からも良質な根本の再構築という視点を持って健全な全体観が描きだされ、部分の性格への適正が現れ、健康な心身の状態を定常化する動態が作られる。以上を集約すると、1)健全な発想や欲望の在り方、2)基礎的動作の充実、という2つの観点により構成される思想体系に成ります。