文化の実感と異同の尊重

見解の異同にも二つのパターンがあり、論理的筋道や精度の良質な表現が一定程度見られる中での異同感覚には学びの機会が生まれる。一方で概念形成が粗雑で意味不明な異同感覚には不快感が生まれる。前者には真摯な事象との対峙という感性が伺え、丁寧な感覚の概念化を持ち、誠実な姿勢の中での異同感には肯定的な対話が交わり、後者のガサツな思慮の浅い中での虫食い的な性根の悪さは力みやエゴが先行した表現と映り、誠実さの歪んだ性質が明瞭に写し取られる。

文化基盤の良質性は前者の姿勢を持った誠実な態度を備えて表現力の適切性と浮かび上がり心もちの良質性と表現能力の高さに現れる。教科書に書かれた学者が創り出した抽象概念をそのまま用いるような事では対話に成らず、自身の歩みの中でインプットされた観念を感覚的に紐解いて再構成する過程を経ない言葉には意思が見られず、頭脳に偏した病的体質とも映り、健康な対人形成過程を通らずにただ二次的知識を詰め込み小手先で用いるような感性には誠実な対話が生まれない。

学生の机上レベルの対話ならまだしも、社会人という生産的な立場に於いては観念の自己化を果たさずには活きた人格が浮かび上がらず地に足のつく会話の絡みが生まれず不良な性質という印象が生み出される。個別性と共通性という個々の尊重が生まれるのは、上述のような誠実な態度と表現能力の良質性という下地が整い理に叶った異同感覚への理解が生まれて違いの尊重という態度が生まれる。

歪んだ精神性や表現技術の劣ったものは、この意味の異同が成り立たず不快感が現れる。対象との真摯な対峙という構えが常態しない所から現れる表現はどこか粗雑感や奢りが漂い意見の異なりという以前に表現自体の程度の悪さとなり異同への理解や肯定的な発見という捉え方に及ばない。思慮の弱いまま抽象概念を粗雑に用い意味不明な表現に及ぶ事は誠実な感性とは映し出されず、感覚工程や感受性を通して創り上げられる概念とは大凡異なる知ったようなふりをした小手先感や、底の浅さが明瞭に目に付き人格の程度と把握される。

健全な歩みから生み出される概念はこうした性格の表現には至らず、自身の誠実な感受性を表す気持ちの通った生命感が入りそれへの誠実な受け取りと反応を表す絡み合った対話が生まれ異同についての良好な尊重が生まれる。こうした違いがポイントに成りその根には文化の性質が備わり外界との良質な構えを持った規則性により相違と現れる。以上のような点から根源の同質性を創り上げる意義や効用が示されます。盗みや詐欺はこれ以前の論外であり交わりにすら及ばず文化以前の躾の悪さや感覚の壊れを指し土俵にも上がらないと見るのが健全な人々の感性に思われます。

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