信用なくして表現なし

誤解を恐れず言うならば、観念や観点という概念は、欲望とも言い換えられ、人間が対象からの感覚を経て、生物物理的欲望や情緒的欲望を抱き、それを叶える為に記号表現を作り、自他との共通認識から協働生産へと深めるという活動過程で捉えられる。つまり、表現は、他者へ対しての共通的な願望を作り、効用とコストと実施工程や体制という詳細を示して、その実現可能性についての信憑性によって、合意を取り付ける行為と示される。

根本的な欲望概念の不変性や普遍性と、それを叶える観点の分化により、特定領域という概念が作られて、その概念の内包が詰められ、更に概念を感覚的に実感できるように、要素と要素関係に分化して体系が示される。この願望となる観念に対する、感覚的なありのままの実感で現況が捉えられ、観念と感覚との誤差を掴みだし、一致に向けた方法論が発案される。

観念という願望が効用に成り、効用を叶える方法に、資源や体制、手順という工程が描かれ、それへの信憑性が高まると、負担への理解に漕ぎ着けられ、同一的願望の共感と実施の活動が回りだす。
以上は、頭脳寄りの表現作法であり所謂理詰め的な創造アプローチという性格に成る。感覚的な積み上げから、個々の行為への実績が重なり信憑性が強まって、そこから生まれる表現へ耳が傾けられるという過程が、実態的な協働生産行為の標準にも伺えます。

幻滅的な行為を働けば、いくら観念図面に魅力が在っても、信頼性に及ばず協働生産に至らない。不信行為は負の連鎖と広がり深まり、言論への疑念に及び、一度大きな信頼感を落とせば、回復には個々の信頼行為を重ねて実績を積む事なしには、表現に耳は傾けられず、交わりにも及ばず信頼は程遠い。

大きな欲望という重責を担う事への確かな事実を、特定の私的利益の追求から歪めるような行為を生み、多くの利益を蔑にするような主体には、誤った力の行使で在る事を知らしめ、物性を健全に用いる健康な感受性の所在が根本的な動源とされる。長期的な人間像として、この面の良質性を崩すような事は、大きな欠陥を持つ主体性という認識が作られる。こうした事からも、普遍的な原理には欲望と力への責任感覚に比重が置かれこの不足には自然と修復への反応を作る事が欠かせない原理と描かれる。

人間の根源的な破壊には神経質な対応を持ち信頼性という基盤の下落を防ぐ作用が欠かせない。倫理や道徳の崩壊は単純物性での原理を加速させ平等思想という普遍の願望を痛めつけられる。信頼性の原理が健全に備わって良心に従った行為の連鎖という正の循環を持続させる事が情緒性の願望となりその充足には大きな価値が備えられる。

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