権力の適正と監視と運用

権力の適正と監視と運用

物事は発案者が実施するのが自然であり違和感が生まれるのは、発案したわけでもないものが主導して行う所にある。発案内容に関心が注がれ、それを受け入れたいという人々が多ければ供給者と需要者の関係が生まれる。直接の発案に無い者がここに加わる事の意義が弱く自身が発案したかのような事で前面に出られる事の正当性に疑念が生まれる。介入の根拠を法律に当てるならば、法律上規定された文面に対して基本精神と運用との解釈に適正さがあるかを示す事や法律自体が時代感覚に合わないとなれば変える必要が生まれる。疑念が及ぶのは公機関が公機関の為に行うようなものでは、発案者と需要者の利益を阻害し公機関の存続や正当性を高めたいがために権力を乱用する事にならないかという点にある。民間の活動成果を奪う公共機関という性格で映し出されれば本末転倒な姿でありこの面に主権者に当たる一人ひとりの民間人の懸念が生まれる。権力の為の権力の行使に成らないか、民間で行うべき事柄に無用な強制権力を背景にした介入をとり、活力を阻害するようでは権力に携わる個人の利己的保身に走った行為と見做されかねない。公共機関が民間の情報を盗んで発案したかの体裁を整えメンツを保とうとするようなものであれば、正しく権力の暴走という事象で捉えられる。

こうした性格の事象に見受けられる公益の実務者には厳しい視線を送り事実を取り上げ明瞭化させ、それへの判定を広く募って暴走に歯止めをかける必要が生まれる。力を保身に用い本末転倒な姿という認識が多ければ直ちに罷免し健全な心身に在る人々へ健全な力の活用を取らせる事が適正な判断となる。報道機関への社会的な要請は、権力の良き運用を導く事に在り、異常な性質に走らないように適正な監視と事実を広く周知し主権者の実感を集め不平か適正かの検証を計り共通利益の維持や増進に連ねる事に成る。政治と報道が一体となるかのようでは機能せず誤った感覚が創り上げられ文化の活力を萎ませる。領域の急所となる性格を外すような事は間違っても避けられ各自のプライドが試され、大きな判断を健全に導かせる役割が求められる。実務者の裁量の幅をどこまで認めるか、動機や行為の精緻な吟味をとり異常な判断を予防する重要な対話が必要になる。公益と偽って保身を働く事は根源的な人間や文化の性質を歪められる。実際的には、あらゆる領域には私益と公益の混在する状態にあり領域の性格から求められる程度差が生まれこの適性を導出するのに文化ビジョンという感受性が反映されて、個人と領域と外界との適正調和が導出される。個別と共通に対する根本の概念を構成する事の意義がこうした面からも浮かび上がります。

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください