3)3層の創造性と文化の立場
このような概念設計という作用の意義を表す文脈を如何に取り上げます。
何がしかの尺度からマイナス性の指摘を表す事は、一見すると客観的な表現を与え、真実を提供する事の付加価値が作られるものの、表現自体が認識を強める作用を齎し、どこに立脚した評論行為かに着目が取られる。何がしかの尺度という基準の観念が過去の規則性に基づく現況の評価か、未来ビジョンに対しての現況の性格づけかに大別され、付加価値の程度という面で言うと、後者の評論に在って課題解決型の表現に及ぶ。評論にこの性格が含まれないものは、何を目的にした表現であるのか、表現活動自体の意義が不明となり責任感覚の脆弱性を感じられる。
表現が表現を生むという根源的な焦点への認識が取られないと、客観性というまやかしの事実概念による無責任な表現と及び、短史眼的な利己的自己宣伝という性格の活動と認識される。つまり、客観的な第三者といったあやふやな立場は、時流に即応的な受動的性格を表し、短絡的経済活動の様相を浮かび上がらせる。こうした意味から意図するビジョンを持たない評論行為には生産性が備わらず外界を乱す扇動者と見做される。
普遍的な観念の構築がビジョンになり、個別性に性格が付けられ、意図するビジョンへの誘導的な性格を持つのが表現者の真価を表し、事象の選択という段階に、既に表現者の意図が含み、純粋な客観性等という概念は実態的な感覚とは異なる。
従って、あらゆる創造は基準の上に企てが生まれ主観的な作業性に在り、どんな基準で在るのかを明瞭に示す事が誠実な表現活動と評される。これを曖昧にした安っぽい評論家が多産される事には原論空間のクオリティーを下げ虫食い型の生産性が強められる。このような構造を根源的なフレームから浮かび上がらせ、表現一般への良質性を意図するのが長期的規則性への研究領域になり、健全な人間像を基準にした哲学や道徳等として枠どられる。
直接の事象発生者から二次的評論活動が生まれ、更にこれらの適性を見て作りだす三次的評論という重層構造が現れる。又は、逆の流れから事象が生まれる事にも成り、其々に単独した性格を持ち相互的な作用をとる経路が生まれて、抽象度の異なる階層間の有機性に一定の効用が現れる。この形から各人が独自の性格を持つ事象発生者と捉えられる。つまり、観測や評論を表現する事は、それを受ける人が要ると当事者性を帯びた活動と認識される。観測者や評論家という概念の実際的な表し方と正しい認識が整理されて良質な活動意識が創り出される。
これらを総合した重層の表現で掴みだす事から、感覚と観念の繋がりを生み健全な活動が制御される。こうした立体感が明瞭化されて、各所の単独的且つ基本的な性格が捉えられ、同時に長期性の文化概念の創造やそれを尺度にした二次表現者や一次表現者への評論の意義が示され、それぞれが一次事象発生者という性格が起こり、責任ある創造者が生み出される。
横の直接的な連鎖性とは異なる縦の抽象的連鎖性という概念が生まれ、身体と頭脳の良好な働きへと連なり、健康な心身の達成への道が表される。一見すると抽象概念の創出には、不毛な印象が生まれる事に思われますが、以上のような構図によって一定の付加価値を謳う事に成ります。