1)美感の維持と上昇
今日、ヘイトスピーチ等という事が問題に取り上げられている。これの本質的な点は、表現の汚さもさることながら、それを生みだした理由にも着目する事が必要であり、どちらかという重点は後者に当てられ、それに対して表現の適正を問うのが適当な筋道と現れる。どこか表面ばかりの実感で事柄の性格が付けられる事には真相を歪められ可笑しな感性が進行する。
犯罪を働いてその後の当たり前の手順はまず謝罪だ。同時に損害賠償、これ以外にない。関係が修復されるのは道理に沿った反応を見せてからであり勘違いをされない方がいい。一方向的要素が強い下限的制約を超えた者が行う当然の筋道は変わる事がない。相互的原因に於いては、一方的に頭を下げるような事はなく、何がしかの譲歩や折衷案を執り行いフラットな感情への修復が生まれる。
盗みという行為は一方向の犯罪であり、理由の如何をとる余地がない。鍵を閉めておかないのが悪い等という言い分を取るのであれば、頭が逝かれている異常者であり話にならない。社会的な地位等という事は個別的事象に在っては考慮外で在り、事実認定される範囲は直接的な不快行為で限定される。これに対して原理となる規定はいくつかに分けられ、直接的行為の実感に及ぶ規定と間接的な規定等という重層性を持って適用される。現在の物性型の体質は、この一個人としての健康な常識感覚を歪め、社会的地位や所得等という事に妙な依存を見せ、フラットな立場での当たり前の常識感覚を崩し力を暴走に用いられる傾向にある。偏狭な価値基準でごく当然に古くからの歴史の積み重ねで規定された特定行為類型をさも簡単に超える感覚に現れ、異常さに気づかない困った人間を創り上げる。伝統的な感性としての平等思想とその具体的な展開と表される力と責任の均衡という自律的な適用を持たない他律性の感度が進行し、力へ振り回された人間性の欠落した姿がしばしば見受けられる。この感受性が歪な精神性と認識され過失を働きながら相手方に原因を求めるような気違いのような論理を組んで正当性を示される。
こうした背景からも、根源的な人間の健康な在り方への思索やその像を明瞭化させ、異常な感性への抑止や予防を高める作用が求められる。根源的な価値とは万人的な感性を表し、一部の異質性を生じさせない為に長い時をかけて創り上げられた体内的な感覚であり、それを文字として明瞭化する事で共通的な認識を固めさせる。異常者にも解るように平準感性を明らかにして、二次三次的な付属要素を加える事無く、所与の基盤に対する直接の適用を取り人間の基盤が維持される。小学生並みの知性があれば誰でも当たり前に感じ取られるように、根源価値の認識が作られて付属的な事柄へ依存して、基準の適用を歪めない事が価値を重んじた理性の作り方に成り、物性の感度が進行してこれを歪める正当性の示し方は許される事はない。勘違いをせずに当たり前の道理を貫くのが人間の条件でありこれを固めるのが適当なのでしょう。一部の異常者の道理を進行させる事無く、歴史の重みを当たり前に持続させられて一人前と見做される。子供のような大人を増加させない事がインフラの一番の役割のはずが、逆のような事では目も当てられず常識を通せない子供とはまともな関係が進む事は無い。教育の失敗から出来そこないの大人が社会の要路に就くようでは、根源的な改革が求められるのでしょう。
このような性格に対して、ゴミやクズなどという表現が生まれる事には、そんなに違和感は生まれず、少なからずこうした映し方を取られる人もおられる事かもしれません。原理や尺度となる論理を示して実際事象を適用するという過程を踏むのが理性的な表現と成り、論理基盤を持たずに、荒っぽい表現を行うと理由や根拠が脆弱と映り、外界への不快性を与えられる。酷い表現かどうかは原理の内容や保有と適用の有無で判断され真価が付けられる。表面ばかりを整え内実が薄汚れているとなればこのほうが批難され実態を炙り出し真実を明瞭化させる事が重要に思われます。醜い者に光を照らす事無く炙りだすのが適当な用法でありあらゆる物事の源泉は美感に置かれこの感じ方がエネルギーに転化し人間や文化の中軸を創り上げる。生産者として或いは人間として最も優れた性質はこの自然本能的な美性と言えるのでしょう。