表現と内外認識

字は人を表す。字に限らず多くの表現は、表現者の心境を表し、どういう善悪像や美醜像を保有しているか、それに近づけるようなイメージで描き出される。同時に、他者の感性も少なからず想定して、強い印象や親近感や敵対感を意図する等、何がしかの未来形成的操作が含まれる。自身と他者の感性をどのような割合で構成し、表に示すか等々の焦点を持ち、内面を予測するなどして、外観から多くの生きた面を想像し実際の表現者との交流から、予測と実態との乖離や一致を窺い知る事でしょう。

基本形となる型式をどこに於き、それと外した冒険心等が現れ平準感と許容性の範囲が作られる。どこまで基準から崩すか、あまりに崩し過ぎては他者との接点が生み出されずそれを想定した勢いや強弱、繊細性等々を作る事になる。こうした表現一般における同一的な原理が見受けられ、表現者の人となりを掴む事に及び、外観と内面を合わせて知る事が、良好な人間形成に重要な視点と浮かび上がります。どんな志向性に在るか、どんな快不快感覚を持たれるか、どんな歩みを果たされてこられたか等々の過去と現在と未来の抱き方を伺い、自身の側を同様に掴み自他を見る自身という重層の認識構造が生まれて、客観的に主客を現象化して、思う事への施策が投じられる。

感覚的な所を冷静に頭脳的に整理した示し方に及び、これらを意識的か無意識のうちに身につけられ、対象との適当な関係を作り出す現場的な嗅覚が発達する。真摯な対象との対峙を重ね、よく伺い知ろうと対象との交流を果たされてこの面が育ち、外観からいくつもの内面性への予測が現れ、見え方や見える多少さとなり、同一の事柄においても人によって感じられる差が生まれ、それが事実認識の異同に現れる。現場感覚や感受性を重ねて観念的なフレームを作る事が実際性を良く表す事に連なり、ベースは感覚や感受性にある事が確認される。

これが育つ過程と次第に衰える過程が生まれ、鈍感な物的単純性の短変数に及ぶと、傲慢さや怠慢な態度と外界から映し出され、良質な調和形成の感度を崩した思考や行為になる事からも、感覚と感受性を用いた習慣の持続を成して、ミクロ的な感性が維持されて、健康な表現が生み出される。様々な個人差があり一様には示しきれないものの、基本に対して崩す幅があまりに離れない程度の制御感覚が創り上げられる。
人間の複雑で多様な感受性が機械的感度の進行から、内面の精神も単純化に及び、その感性で複雑な人間を察知できなくなり、この感覚差が広がって無意識のうちに深い溝を作り良好な調和形成と離れて単純な衝突が多産し、道具に頼った発想の体質が作られる。有限の生命というアナログ感と、リアルな感覚と離れるデジタル感とが併存し、あまりに後者の割合が増えると可笑しな精神性が生まれ、予測もつかない、思いもよらない崩し方への危惧が生まれる。

アート的、アナログ的な感受性の発育と持続を生む習慣や慣習、生産形態、需給構造がこうした面から取り上げられ表現特性の意義が生まれる。同じような人間に見えて実際は多彩な違いの認識が弱まり、見え方が貧困化する事には良い傾向に映らず、どこか可笑しな軌道と感じられる所に正常さの実感が生まれる。ストレスとは心理面と身体面との乖離した症状になり必ずしもマイナス的な事象とは限らず、健全な感性を基盤にして現れる自然反応とも伺えます。権力という人口的力と長く関わる事は異質性を深められ、期限を設ける等の工夫が必要に思います。力を利己的な面へ用いられ行政組織と同質化し、新鮮な感性を与えない事や、健康な立ち振る舞いが出来ないようでは役割に疑問が浮かぶ。こうした面からの教訓を活かす制度を進めるのが自然に思われます。

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