表現一般と文化創造

表現一般と文化創造

文字や映像に表す事は、感覚の見える化や欲望を示す事に成り、個別的な事象の積み重ねから規則性が浮かび上がり、そこに対象や主体の性格が認識される。個別からの集約によって本質というような変容しづらい中核的な要素が抽出され、物事への序列感覚や価値観の体系が見てとれる。

短期周期と中期や長期周期、空間範囲の広狭、実感に及ぶ程度という質感といった点に寄り、動作の認識区分をとり、無限的な事を限定して対象の現象化に及び、特定的な認識が表される。更に過去に生じた事か、未来に生じさせるべき事かの区分が生まれる。
過去からの学びと未来の志向性を持ち、長期周期で広い観点での規則性の表現を試みる事に文化という観念を取るのが本書の規定方法に成ります。

この表現から、認識や共感が強まると、個々の事象の捉え方や作り方に、反映されるという想定が生まれ、これを望む人に在っては、根源的な欲望と充足という創造事物への性格が与えられ、文化観念も多くの生産事物と同様に、ニーズと技術という構造に配される活動と規定される。有形であれ、無形であれ、何がしかの効用の実感が生まれれば、そこには意義が備わり、技術と社会性を帯びた活動の認識が生まれます。

観念表現が感覚事象を生み、それが観念と知覚されるサイクルの中で、感受性が起こり、欲望と充足の循環で感受性が検証され人間側を知る事になる。そしてどう在りたいかの欲望が描かれ、それに向けた感覚や観念が作られる。
こうした認識の下に、人々の潜在的顕在的な欲望を推察しながら自身の欲望充足へと繋げたいとする相互的な循環の性格を持つのが、執筆活動の意図する事であり人間生活上の理に叶った行為と思います。

こうした活動から生まれる表現を盗む行為は、人道に反し、道徳心の欠如した人間性と捉えられるのが自然になり、それへの適当な反応を作るのが文化活動の一部と浮かび上がります。人間の程度を下落させない基礎を弁えた感受性を備えさせる事が現代社会の優先度の高い施策に思います。程度の悪い文化に成らぬよう、確かな根源価値が確認され、更に上昇できるようにと、
多くの人は望まれる事でしょう。

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