恒常的良質な循環図

学びのエネルギーは、「どうなっているのだろう」から始まる。それを知る為のフレームが、根本に成り、感覚的な吸収と観念への変換で表し、他者へ説明して、「なるほど」という付加価値を生み、「有り難う」と感謝され、その気持ちの良い感受性が、更に動力に成り、物事への探究心や創造力へとインプットされる。

1)エネルギー:どうなっているの
2)根本:感覚と観念フレーム
3)枝葉や実:原理構成と説明
4)外部からの感謝というエネルギー:なるほど有り難う
5)入口のエネルギーへ:探究心や創造力

この循環が、対人的な他利と自己の好奇心を結ぶ好循環となり、学びや研究、創造力の深まりと対人上の良好性の基本的な仕組みに在り、学生という時期から、少なからず生産の基礎を養い、創造の提供というアウトプットが意識された学習プログラムを作りだす事が、やる気や好奇心、楽しさを持続させる鍵になる。この延長が、社会人における仕事であり、生産の質量が広がり、分業による協働性によって、大きな感謝を受けて研究開発を持続し、生存の基礎的サイクルが作られる。

ただインプットするだけで、アウトプットの機会が机上のみであると、アウトプットに対する成果や感謝、報酬という部分の実感が少なく、どうなっているのかを調べ、それを解り易く表現し、聞く側からの評価を得る仕組みに在って、物事を深く、解り易く、表す力が作られる。

そして、基礎原理を下にして、在る欲望が生まれ、欲望を充足する為に基礎原理を応用して、物事を作りだし、欲望の充足の実感を経る事で、実際的な実現力を重ね、自己への自信や向上心が高まり、この鍛錬の中で、人からのプラスマイナスの感情などの成功や失敗を経験し技術力と共に不動的な行動規範が作られ、人格の備わる技術の用い方が生まれる。根源的な感受性が固まり、善悪や美醜の観念が生まれて、その上に技術の向上が進行して、健全な人間の軌道が備えられる。

極端な保護によるフラットな需給関係に無いと、この真摯な対話から逸れて、自己への甘い評価が進み、外界への利益を提供せずに奪う発想が強まり、歪んだ人格が作られる。技術を磨かずに、内向きで保守的な方向に視線やエネルギーが回り犯罪に着手され、外界との良好な対話を持たない感性が慢性化する。

このような図面を予め、伝達する事もいくらか有用性が生まれ、人間の長期的な普遍性として纏められる。文化図面という根源的且つ変わりづらい人々の規則性を解り易く表す意義が生まれるかに思います。

根本的認識フレーム-有機性概念

本書における有機体の概念は、厳格な専門分野で形成される内容規定ではなく、身近な所で感じられる樹木などの形態を用いて、生き物の様相を捉えるものであり、この構造と動態を、人間や創造事物に適用して、認識や創造を生みだすものに成ります。静態的な構成要素としては、根元があり、幹があり、枝葉が在りこれらの要素間にエネルギーが循環する動態で動静構造が描き出されます。
内部:根本、幹、枝葉、エネルギーの循環、
外部:外部要素と因果、エネルギーの吸収と提供、
例えば、樹木という立ち位置から見ると、太陽や風、雨、土、他の生物、という外部要素が確認され、内部と外部の要素の特定と関係性を掴み、基本的な規則性が認識され一つの原理が描き出される。その算式を下にして、どの要素の質量の変化や、要素間の関係変化、エネルギーの質量変化という着目点を抑えて、意図する欲望に対する操作が加えられ、予見と結果の検証により、実際が捉えられる。

このような基本的なフレームを背景に備えて、各種の変数や、その質量、関係性という概念の中身を様々な物事に適用して全体を掴むという方式を採用します。こうした全体観が、誰もが身近に感じられるような型式にも思われます。これを観念形成にも適用し、「文化」という概念の内部構成要素と、外部の要素と関係性を組み上げる事で、一つの有機的な概念が創り出され、持続的な循環性を備える永続的な生命感を宿した概念が作られる。人間が外界から何がしかの感覚を受け、或いは提供する中で、その感覚を観念という言葉等に置き換えて、頭脳的な整理を取って、知覚する作業を行う上では、主体側の構造と同様の構造で、外界の感覚を観念へ変換する事が、最も実感の高まる方式で在り、「有機体」という概念を鍵にして構成する事が適正に思えます。「外界→感覚→観念→主客の一致、欲望と認識と創造の適正調和」という算式で纏められます。

このような概念を基礎にして、動静、過程と結果、インプットと変換工程とアウトプット等の概念を用います。言わば、感覚を観念に置き換える基礎的仕組みとなり、生き物である人間を基礎にした外界との適正調和策という方法論と性格づけられます。時間や空間の大きな対象を把握するにも、この作法を適用して根本や幹や枝葉やエネルギーという全体構成に各種の事象を当て嵌めて全体観を作りだし規則性を捉え意図する欲望と制御の創造が生み出される。

現代の消費社会はこの有機性や循環性の概念が弱まり、善意ある創造や制御とは異なる発想や欲望、対象との分断的な創造性の進行が顕著であり、或いは使えなくなったらすぐに取り換える発想が高まり、断片的で無機質な感性が進行しており感受性や生命感の弱りに及んでいる。創造事物や概念形成にもこの事が反映され、全体の形成や循環の持続的な仕組みと離れた支離滅裂な論理や行為、創造が生み出され、犯罪の自覚のない慢性化とも言える事象も散見され人格の定まらない外部環境の影響が現れる。こうした点への改善や予防にも、有機性概念を持って良好な関係形成への根源概念を人間の支柱と固める事が有用に思います。

健康概念と経済観念の融合

パイの配分の不均衡という状態や、パイを持続的に増やす為の基本的仕組みという焦点が、中長期の構造改革と長期的な人間像の正常化策に成り、一つの提言という性格に在るのが本書の文化論と成ります。

おいしいお菓子というパイの定義には、おいしいと感じる人間側の味覚とお菓子自体の産出によってパイが創り出される。つまり、供給力のみでパイは規定せれず需要の起こり方を含んでパイの概念が生まれる。供給能力は質の上に量を作り在る需要に応えて需給構造が生まれ、一定の所で頭打ちになる。新規の提案か需要自体の開発が無ければ、パイは拡大せず成長は止まる。この両面を睨んだ成長過程に質の変容と量の提供による持続可能な成長概念が成り立ち、創造事物と人間とが成長する事を想定した開発概念を標準にとって産業経済の発展概念が創り出される。

人間の感受性に不動性を置くならば、それを基準に感覚を作るか、或いは感覚の変容が進み感受性も連動する事を含んで、感受性への欲望と感覚の欲望が生まれる流れと、供給側の新規開発での提案から感覚的な新規性や感受性の発見という欲望が作られる流れが生まれる。どの欲望に比重を持ちたいかいによって流れや割合が変わり需給構造が現れる。

文化論における健康像は物性と情緒性の欲望を求め、前者は在る所で逓増し、情緒的な欲望の面に限りない願望が想定され、情緒的味わいへ応える創造性にパイの拡大の可能性が生み出される。これをお金で買う事も少なからず入ると共に、単純利害を超えた根源的な面から生まれる情緒性が備わり、これらの欲望に価値の重心が取られ幸福感を抱くと想定されます。

直接の経済的な測定の外に置かれ明瞭な需給構造の認識に及びづらい欲望と充足に成り、パイの概念と適用の見えづらいパイが作られ、これも合わせて全体と計りパイの拡大概念が当てられる。配分の偏りを修正する事はこの見えづらいパイの拡大になり、力と責任の平等へと修復させる事が情緒性の健康を齎し生物物理面の長寿へ連なる想定が描かれます。この因果に一定の実感を置くものであれば、見えやすい単純物理性の欲望を抑える事に価値が生まれパイの広がりと解される。

幸福感情の抱き方という面から、それを多く味わえる事にパイの拡大概念をとり、単純な経済概念を超える充足の算式を描く所に人間の成長が表される。過不足に対して自主内発的に修正を取る事が出来るか、物性的な欲望への一面に対して、人との公平な関係から現れる良好な感受性を持ちたいとする欲望に価値を抱くかどうかに係り、これらの割合感覚が生み出される。欲望と力の行使に対する責任感覚に相当し、責任感覚という義務感よりも、進んで望む対人の良好性から均衡を作り生まれる欲望の最大化という図式で示される。

物性型の一面的成長概念の強まりは、このようなパイの概念が現れず、情緒的な面を含んだ欲望の充足に健康な人間像が描き出され、産業経済と文化の成長と描く事に創造事物と人間の同時並行的な成長の実感が生まれる。世界観が偏狭化して、物性の欲望を慌てて追いかけ回す感度が深まり、人間関係の公平性から抱かれる欲望の萎んだ世界が作られると、明瞭な知覚の取れるパイの概念で固まり、それを答えとした方法を発案し感性の多彩性を衰退させ味わえる欲望の質が縮小する。このような世界観も少なからず浮かべる所に適正を置くのが健康にも思います。

思想創出の背景-基礎と専門

専門バカというような感じに映る人も時々出くわします。大衆を小馬鹿にして、どの程度の効用を齎せたかのはっきりしない業績で、中途半端な生かし切れていない知識があるという事に優越感を抱き、自己の客観評価を欠いている専門職という姿には、違和感や不快感が生まれます。

こうした状態に、根源性の欠如という言葉が当てられ、自己の説明能力の不足や効用の客観測定を持たずに、外界を下等な性格と評される性質に、分業化の進展や頭脳寄りの体質への負の側面が現れ、根源的な普遍尺度による重層の認識を取り、自身の専門性や実力を適正に計り、外界への過剰な責めを生まない適正感覚を作るのが、文化論の意図する作用とも考えられます。専門への深まりと共に、日常的生活者としての感性が痩せ細り、局所の感性へ偏したバランス感覚の崩れには、健全な外界との交わりを常とする人々からは異質な姿と現れ、妙な優越性や感違いのプロ意識といった認識が高まります。感覚的な工程を経て作りだす知識と離れた二次情報の保有に偏し、それを標準にして実際工程に身を投じず、知ったような振る舞いを見せ、物事を作りだすエネルギーの脆弱さにはどこか違和感が強く現れ専門バカと言いたくなるような人も少なくないかに思われます。こうした主体性に適正な評価を下し、大衆を小馬鹿にするような思い上がった感覚への修正を取るには、心身の健全な人間像を描きそれを標準にして自他の適正認識を生みだす事が欠かせない正常化策に思います。

知識は使って効用の実感に至って真価の実感が生まれ、ただ保有しているだけだは意味を成さない。力の健全な用い方に真価が計られ、欲望と力と、そして責任が付いて回り、健康な人格という測定が生まれる。他利を意図せず、自利に偏した歪んだ精神性は力の用い方や適正な自己評価から離れ発想や行為の異質性という認識が生まれる。このような根源的な秩序をベースにして、健全な秩序の軌道を固め良質な世界の持続が叶えられると思います。専門性と根源性の確かな在り方と言い換えられ、根っこの腐りに陥らない人間の成長軌道が堅持されて、技術と社会性の良質な絡み合いが創り出される。

思想の背景-文化の全体観

法治という限定の中で世界を捉えるには、部分性の感覚を否めず、より人間の心身に即した世界を抱く事が偏狭性に陥らない良質な感性を表す。無限性という概念を上位に備え、そこからある観点を取りだし、感覚と感受性の可視化を生み、観念で規定され、共通的な足並みを揃えて、欲望の実現を図ろうという活動が生まれる。個々人の感覚や感受性の共通化は、そこに参加する人々が多くなるほどに、抽象的な観念へと及んで、感覚との多彩な因果の組み方が現れる。この構造を抑えて、共通化の無理のない範囲を意図して、創り上げる事が質実の合った共通欲望と充足の取り組みとなる。

法による統治等という言葉が度々用いられ、金科玉条のごときに謳われる事に対して、上述のような仕組みの理解が乏しいと、中身の弱い付加価値の少ない活動に至り、実態的な欲望と充足の作用が生まれない。
法の運用者の都合のよい解釈が進んで、共通利益とは異なる局所の利益と充足の為に、法が作られ運用される事態や事実と感じられる事象も少なくなく、出発点は、共通観念化する意図や動機という面に在り、これと離れた運用に至っていないかの監視や検証を定常的にシステムと備えて、緊張ある運用が叶い、慢性化や緩みから、利己的な欲望へと偏した扱いに及んで、法を作られる意義と遠ざかる事態が進行する。

頭脳的操作への比重が高まる毎に、多くの人々と同様の実際感覚や、実際の感受性と異質の頭脳と感覚と感受性の在り方が生まれて、解釈の異なりに連なり、権力等の力を背景に推し進められ、当初の意図する効用とはかけ離れた実態を作りだす。こうした推察や予測に対して、実態の検証に深く切り込むような事があって健全な運用が果たされる。基準と運用における裁量の幅や深さについて、当事者の適正さと他者からの適正さとを計り、共通利益の実現に及ばせる事があって法による統治の健全な姿が現れる。

プロ意識の歪んだ進行が深まり、堂々とした正当な姿を見せられず身勝手な利益の追求に陥り、そのズレが慢性的に重なって健全な軌道とかけ離れ、取り返しのつかない感覚や感受性が作られて更に正当化させる為に物理性による強要や乱用と陥る事のない自律性を備える習慣に文化というシステムが備えられ、欲望と力と責任の均衡を標準とした制御性をもつ主体性の確立に健全な心身の所在が確認される。個別的な欲望に対して一定の制約を望み共通化する事自体も同様の趣旨を持ち、物性の保有や利用に対して、健康な感受性が根本に備わって、正負の作用を計りにかけて正の増進を導出する為の根本的な論理として本書のような思想体系が現れます。

恐らく多くの人の肌感覚と備わる感性と思われます。それを如何に感覚に近い観念で表現するかという製作方針の下に纏めました。良好な伝統文化を可視化して失う事のない不動の価値と持続する事や広くお知らせする事に付加価値があると思います。

根本思想の再構築

欲望と方法、価値と事実という二項対置概念が人間の根幹的中枢の要素となり、この在り方があらゆる問題における根本の焦点になり、その良質性を向上させるのが本書の文化論における主題に備えられます。
欲望や価値は、個別的内面の事であり、人が強要するようなものではないといった尤もらしい言い方も一理ありますが、実際上は、ここに確かな観念を入力する事によって、人間社会の基礎が創り上げられる。自信を持って示しきれない自己の歩みに後ろめたさが多い大人の逃げた言い訳とも取られかねず、少なくとも「こうだ」という型式を表す事が責任ある人間の行いに思います。

過去の歴史の積み重ねから大小の成功や失敗を重ね、その教訓を活かす事や、それを反映する中で未来創造型の秩序を切り開く為の土台のしっかりした基礎力が良質な応用を生み、一過性の創造に終わらない中長期の規則性へと昇華させる動源と成り得る。

こうした趣旨の下に、創り上げられた観念体系が『日本文化原論Ⅱ』であり、価値の良質性と共に、それを叶える基本動作の型式を提起し、自己実現に向けた背骨を固めるプログラムとして纏められました。これを広く訴求して、実践の中に取り入れられる事が確かな創造に及び、感覚と観念の循環の中で知肉化された基本反応と組みこまれて人間の根源的な感受性が創り上げられる。

専門分化した今日の感性には、どこか基軸となる柱の脆弱感が各所に現れ、部分性の利益に偏した全体観を描き出され、根本的な価値の弱まった発想や行為と映し出される事も少なくなく、こうした事からも良質な根本の再構築という視点を持って健全な全体観が描きだされ、部分の性格への適正が現れ、健康な心身の状態を定常化する動態が作られる。以上を集約すると、1)健全な発想や欲望の在り方、2)基礎的動作の充実、という2つの観点により構成される思想体系に成ります。

文化の実感と異同の尊重

見解の異同にも二つのパターンがあり、論理的筋道や精度の良質な表現が一定程度見られる中での異同感覚には学びの機会が生まれる。一方で概念形成が粗雑で意味不明な異同感覚には不快感が生まれる。前者には真摯な事象との対峙という感性が伺え、丁寧な感覚の概念化を持ち、誠実な姿勢の中での異同感には肯定的な対話が交わり、後者のガサツな思慮の浅い中での虫食い的な性根の悪さは力みやエゴが先行した表現と映り、誠実さの歪んだ性質が明瞭に写し取られる。

文化基盤の良質性は前者の姿勢を持った誠実な態度を備えて表現力の適切性と浮かび上がり心もちの良質性と表現能力の高さに現れる。教科書に書かれた学者が創り出した抽象概念をそのまま用いるような事では対話に成らず、自身の歩みの中でインプットされた観念を感覚的に紐解いて再構成する過程を経ない言葉には意思が見られず、頭脳に偏した病的体質とも映り、健康な対人形成過程を通らずにただ二次的知識を詰め込み小手先で用いるような感性には誠実な対話が生まれない。

学生の机上レベルの対話ならまだしも、社会人という生産的な立場に於いては観念の自己化を果たさずには活きた人格が浮かび上がらず地に足のつく会話の絡みが生まれず不良な性質という印象が生み出される。個別性と共通性という個々の尊重が生まれるのは、上述のような誠実な態度と表現能力の良質性という下地が整い理に叶った異同感覚への理解が生まれて違いの尊重という態度が生まれる。

歪んだ精神性や表現技術の劣ったものは、この意味の異同が成り立たず不快感が現れる。対象との真摯な対峙という構えが常態しない所から現れる表現はどこか粗雑感や奢りが漂い意見の異なりという以前に表現自体の程度の悪さとなり異同への理解や肯定的な発見という捉え方に及ばない。思慮の弱いまま抽象概念を粗雑に用い意味不明な表現に及ぶ事は誠実な感性とは映し出されず、感覚工程や感受性を通して創り上げられる概念とは大凡異なる知ったようなふりをした小手先感や、底の浅さが明瞭に目に付き人格の程度と把握される。

健全な歩みから生み出される概念はこうした性格の表現には至らず、自身の誠実な感受性を表す気持ちの通った生命感が入りそれへの誠実な受け取りと反応を表す絡み合った対話が生まれ異同についての良好な尊重が生まれる。こうした違いがポイントに成りその根には文化の性質が備わり外界との良質な構えを持った規則性により相違と現れる。以上のような点から根源の同質性を創り上げる意義や効用が示されます。盗みや詐欺はこれ以前の論外であり交わりにすら及ばず文化以前の躾の悪さや感覚の壊れを指し土俵にも上がらないと見るのが健全な人々の感性に思われます。

文化力

3)文化力

真なる調和への道という世界観のより具体的な表現を以下に取り上げます。あれもこれもと要求ばかりが並べられ、それに対するリターンが謳われず、まるで奴隷のような扱いをされる企業の採用担当者や事業管理責任者や、主張を謳われる呼びかけ人という姿が少なくない。このような外界との接し方に、人と人との関係形成のポイントが浮かび上がり、そこに文化という人間像が抽出される。健全な感受性を根にした創造活動を常態軌道に持つ文化に在っては、表現を発する側に、欲望の充足行為という自覚が取られて、欲望と同時に責任感が表現の中に含まれる。「何をしたい。そのご協力を賜りたい。引いては、何がしかのリターンを提供する。」という外界との公平な態度が示され、一方向性の強要や利用、支配や強圧という姿とは異にする平等の精神が反映される。生産や経済行為において製品サービスの質の形成よりも、コスト圧縮的な焦点に偏する傾向からはこの一方向性の対話が強まり生産者の質自体が下落する。

買い手や売り手優位という市場環境に関わらず、不動的な感受性を備えた関係形成の作法が生まれて、肥満に寄らない健康な人格を有する主体性という実感が現れる。ここに文化の質や働きが関わり、自律性と他律性、物性と理性の在り方、共生的な志向性と、分断的利用型の志向性、一次原理創造型のゼロベースの感性と、既成型の創造を下にした二次加工の階層分け等々の観点が浮かび、中長期の規則性という変容しづらい人々の体質が把握され、文化の質の異同が掴みだされる。同時にこの側面が主導的な創造力の違いに反映され、提案力や発信力の差となり、主体性の性質と知覚される。外界との公平な姿勢をとる平等感覚の浸透の程度が、過剰な物性への依存に寄らない堂々とした原理創造型のスタイルに及び、筋肉質な体質を持続した健康な心身を下にする高い創造性を生みだすエネルギーへと転化する。良質な創造の源泉は、この平等意識の強さに在り、そこから生み出されるパワーにこそ、人間の感受性を土台にした創造原理が固まり、単純物理性へ偏した行動原理に陥らない純粋原理の創出力と現れる。このような創造の型枠に、持続可能な成長という軌道が生まれ、標準尺度に固める事が、永続性への可能性を広げ、外界からの影響よりも、人間自体の無限の能力を向上させる原理に及び、外界への真摯な対峙から、見えない物事の可視化が促進され、外界の制御力が高まり人間側の生身の力を増強させる。

物性原理に優位な制度の構築は、この生身の人間力を向上させる機会を妨げ、物理型の感性を深めた関係形成が進行し、発見や創造の世界を弱める事になり、従って、不動にすべき焦点は、平等感覚を起点にする健全な感受性に在り、この持続から良質な発想や姿勢や態度が生み出される根源原理と位置づけられる。これに、文化力という物差しが作られて、これを高める事こそが、正しい人間の成長に及び、多彩で健康で豊かな創造世界が促進される。人間の生身の輝きが放たれ真に強い骨太の世界へと昇華し続ける道が描き出される。作りだす物事にこれらの精神観念が含まれて、物に操られる弊害の予防を含んだ相互上昇の創造性が発揮される。この性格の創造事物に文化という性格が内在し、健全な軌道上に備わる自然と物と人と人との調和が果たされる。政治行政という領域に於いても、一方向的に政策を伝達するような事ではなく、「何をしたい。するには○○が必要だ。やれば××が手に入る」という相互創造の型式で健康な対話が生まれる。強固な経済や政治の持続的発展には、平等感覚の浸透と堅持された自律的文化基盤が根に備えられて、健康な感受性の反映された創造に及ぶ。原理創造が先んじそれに資する金や情報、権力と配され、「権限があるからではなく創造があるから」と序列化される。

信用なくして表現なし

誤解を恐れず言うならば、観念や観点という概念は、欲望とも言い換えられ、人間が対象からの感覚を経て、生物物理的欲望や情緒的欲望を抱き、それを叶える為に記号表現を作り、自他との共通認識から協働生産へと深めるという活動過程で捉えられる。つまり、表現は、他者へ対しての共通的な願望を作り、効用とコストと実施工程や体制という詳細を示して、その実現可能性についての信憑性によって、合意を取り付ける行為と示される。

根本的な欲望概念の不変性や普遍性と、それを叶える観点の分化により、特定領域という概念が作られて、その概念の内包が詰められ、更に概念を感覚的に実感できるように、要素と要素関係に分化して体系が示される。この願望となる観念に対する、感覚的なありのままの実感で現況が捉えられ、観念と感覚との誤差を掴みだし、一致に向けた方法論が発案される。

観念という願望が効用に成り、効用を叶える方法に、資源や体制、手順という工程が描かれ、それへの信憑性が高まると、負担への理解に漕ぎ着けられ、同一的願望の共感と実施の活動が回りだす。
以上は、頭脳寄りの表現作法であり所謂理詰め的な創造アプローチという性格に成る。感覚的な積み上げから、個々の行為への実績が重なり信憑性が強まって、そこから生まれる表現へ耳が傾けられるという過程が、実態的な協働生産行為の標準にも伺えます。

幻滅的な行為を働けば、いくら観念図面に魅力が在っても、信頼性に及ばず協働生産に至らない。不信行為は負の連鎖と広がり深まり、言論への疑念に及び、一度大きな信頼感を落とせば、回復には個々の信頼行為を重ねて実績を積む事なしには、表現に耳は傾けられず、交わりにも及ばず信頼は程遠い。

大きな欲望という重責を担う事への確かな事実を、特定の私的利益の追求から歪めるような行為を生み、多くの利益を蔑にするような主体には、誤った力の行使で在る事を知らしめ、物性を健全に用いる健康な感受性の所在が根本的な動源とされる。長期的な人間像として、この面の良質性を崩すような事は、大きな欠陥を持つ主体性という認識が作られる。こうした事からも、普遍的な原理には欲望と力への責任感覚に比重が置かれこの不足には自然と修復への反応を作る事が欠かせない原理と描かれる。

人間の根源的な破壊には神経質な対応を持ち信頼性という基盤の下落を防ぐ作用が欠かせない。倫理や道徳の崩壊は単純物性での原理を加速させ平等思想という普遍の願望を痛めつけられる。信頼性の原理が健全に備わって良心に従った行為の連鎖という正の循環を持続させる事が情緒性の願望となりその充足には大きな価値が備えられる。

分化と統合と根源

「政治には興味がない」等といった事がしばしば聞かれる。しかしこの政治という言葉の意味する捉え方が、国家や自治体という形式上の統治という限定で用いられる事もなく、より根源的には人との関係が生まれる所に理に叶った在り方を求められ、この意味が政治という言葉の本質に取られて、少なからず政治的な関心が備えられる。技術ばかりに関心を寄せて好きな事に打ち込むだけで持続的生産活動には及ばず、作った事物を誰かが利用して糧が得られ、需給構造を意識されない技術の開発はほぼあり得ない。需要者への便益を提供して対価を得るという範囲を含んだ活動が少なからず必要になり、人との良好な関係性へ関心が生まれる。このいずれか一方へ偏する事から不調和が生まれ健康な人間像と離れた性格が映し出される。技術へ偏り人との対話が作れないと技術は生かされず、人との対話ばかりで中身がないと付加価値が生まれず、長い需給に及ばない。生産部門と営業部門、固有技術と管理技術、経済活動と政治活動といった両輪的な対置概念にも当て嵌められて、各所における相互の良質性へと探求が進められる。

この根源的概念には、物理性と理性といった焦点が備わり、人間像という概念で描き出され、認識行為や倫理道徳等の分野からの成果が基盤的な下地として備えられ各層で応用される。つまり、基盤原理の確かな体得が社会生活上の根本に成り、各所での応用の効いた発想や行為に及ぶ重要性が確認される。政治というような抽象概念も本質を掴みだして、型どおりの概念に固まる事無く、原理を掴み多方面への応用を柔軟に導く事へと連なり、基盤のしっかりした観念形成から多様な展開へのビジョンが現れる。
規則性から領域が生まれ、そこに規則性の中心的な観点が設けられ、領域の本質的な真価を浮かび上がらせ、それに適する名称を充て、広く一般認識化される過程で現れる。その概念が創られて本質と離れた用いられ方等へと及び、一つの概念が多彩な解釈を生み意思疎通の弱まりに連なる。各人各様の分散的広がりの流れに対して、ルーツを顧みて本質要素を掴んだ変遷を辿る事によって、細分化の進行による線の細い根本の脆弱化に対して基盤観念を作りだし本質を抑えた分化や機能の性格が付けられる。

物性型の進行から理性面を崩し確かな価値観が弱まって迷走し、精神的な不安定に陥り、負のスパイラルと回る姿も見受けられ、根本に立ち返り変容しづらい真価を掴んだ歩みへ修復する分化と統合の循環を持つのが、健全な感受性を下にした制御反応と現れる。こうした領域に文化概念の本質が備わり普遍的な原理を表す活動が生まれる。

左寄りや自由主義、機能性への偏り、科学志向といった近代からのトレンドに、人間側の軸足を形成する欲望が高まり、根源的な価値を抑えた機能や力の活用が今日的な時代認識に映し出され、左的感性からの修正が取られ質の上昇する型式を作る時期に捉えられます。質の固まりから量が重なり質の更新という永続的循環においては、根源の性格を掴む作業が欠かせない焦点に備えられる。根源を見失い犯罪に着手され物性による力んだ負のスパイラルに陥り混乱を深められる事のない自律的な人間像が固まり良質な歩みが作られる。錯乱した姿はこうした観念を身つけられている人々からは明瞭に映し出される。内面の心理は誤魔化しきれずそれを伏せようと更に負の深まりに及ぶ前に正道への修復を取る事が適正に思います。技術と人間の両面を掴みきれない未成熟な指導者が備わると先が見越せず哀れな末路を齎せる。感覚工程を省いた観念過多の体質からは対象の真実へと近づく事無く、思い込みによる安易な行為を取られて実際の異なりに慌てふためいて失敗を招かれる。物性依存の肥満な感性が対象との真摯な対峙を疎かにさせ、ボタンの掛け違いが広がり取り返しのつかない対立を作られる。健康な心身の持続が普遍的な原理と導かれる。