1)健康な人格像

「ある程度自律心を備えた主体性」とは、自己生産領域の意義という認識が作られる状態を指し、領域の体系から自己が縛られ、観念と感覚との一体的な整合に及び、人と観念の有機性を持つ状態で表される。その不動性から人格という顔が現れ外界からの識別に及び特色が生まれる。確たる尺度による自己制御が果たされて、他律性に寄らない自己原理からの公平公正な適用が取られて普遍性を有する主体という実感が生まれる。

この個別的性格と共に、他者との共通的な尺度を併せ持ち共生と自立の構造が生まれ、社会的観点からの役割を備えた自我が創り上げられ長期の規則性に及んで文化人という性質が醸し出される。利己的欲望からの排他的な構えを凛とする姿等という解釈を取られる事も見受けられますが本来的な人格という言葉が指し示す内容が含まれず、社会的生産上の意義や体系の確立を持って凛とした姿が映し出され、利他を提供する技術を有する独自性に主体性という言葉が当てられる。

物理性に偏した感性は単純な金額の量や形式的権限の大きさ等を尺度に特性を取られ、技術や原理の内実から計りだす作法と乖離した感性へと陥り、マス広告などでやたらと知名度ばかりを訴求し技術面の独自性が映し出されない。規格量産や規模の訴求へ偏する傾向には人格の画一性に及んで顔の見えない主体性が増加する。そこから自己を律する尺度の形成力が弱まり、他律性や物理性の感度が深まって単純原理で支配的な状態が生まれ、物理力からの指示命令を自己尺度から吟味する事なく意思の弱いまま歯車となり、倫理道徳観の備わらない機械性が生まれる。

その感度に慣れてなんら疑う事無くモラルの欠いた行為に着手され、ただ物的生計の維持の為の創造力へと回転し容易な方に流され感受性の貧困な人間性と成り現れる。確たる体系を築き上げる事無く台本に従い物的原理への依存という姿に及び、これが進行すると金で何でもやる者という認識が作られ、自律の働かない不信者と特定される。下限のモラルと自己生産体系という二つの尺度が作られ自己を制御する主体性が固まり人間という性質の実感が生まれる。同時に自己の鍛練を止める事無く向上心を切らさない謙虚さと寛容さを持つ活動によって技術を錆びつかせず、妙な壁を作り優位性を保つ発想とは異なる健康な向上心の維持されたオープンで豊かな感受性が現れ、対象との良質な調和軌道という文化の道が描かれます。

道徳心を欠いた金や力の用い方という力と責任感覚の不均衡から、物性に偏した秩序を進行させ人間崩壊という状態を招かれる。こうした事を鑑みて力を与えて良い人物像の要件規定や各種ビジョンを描き出し、物性と理性の良質な在り方を持続的に探求し制御する活動が要り、欲望と充足の健康な形をベースにした各種創造への反映に意義が現れ、このような性格に文化という言葉を適用させ広く普及させる事が重要に思います。

1)人と人との長期則

1)人と人との長期則

概ね誠実な心持を取り各々の人格を尊重して、要望や対応、共通の欲望と充足という接点を見出し、互いの利益を追求するのが互恵的関係等と呼ばれる。

この中で、意図せずに誤った言葉の行き違いによる不快感がしばしば生まれる事については、よく話を詰め再修正を行い解釈の幅を揃えるなどして正常な軌道に戻す事が行われる。対象との分断による制御的な発想よりも、相互協調的志向を流れとする健全な協働前進行為となる。

行為による失望感情は、盗みや騙しを常態的発想にされる体質に在り、解釈を揃えて良好な協働生産を志向する発想が弱く、分断感覚のまま相手方から奪う態度が強い性格の持ち主であり、対象との共生感情を根にして信義誠実な態度による創造性にない一方向の支配略奪志向と現れる。

対象との関わり方という根本的な部分での相違があり、利他から利己という調和性が弱く、所与的に悪意性を持つ事や、優越志向が強く自己の概念で固執した序列形成で固まり、対象からの発見や学びの姿勢を持たない姿と映ります。

ここから、適当なギブアンドテークを取らずに、盗みや詐欺という手法に及ぶ。この体質には、標準的な健康な感性からの自然反応を見せ、相手方の態度が治るまでは関わりを避ける事が適当に思います。

積極的に関係を作れる状態に無く、過失への反省や謝罪、賠償という当たり前のけじめを蔑にせずに、メリハリをつけた関係が適当に思われます。健康な基盤となる感性が弱いものとは建設的な関係形成は困難であり人間の普遍的な道理を弁える事なしには良質な持続性には及ばない。

無理に物扱いで利用するという発想も、健全な心身を歪める原因に成り、ある程度自律心を備えた主体性に在って平等感覚が生み出され人間の正常な姿と実感される。

はじめから特権感覚が強く優位な身構えを見せるといった人々にもしばしば遭遇し、これも一種の病に見受けられる。以上のような事から文化という人と人との関わりにおける長期則を考え、そことズレた感性には然るべき反応を見せ、程度を落とさない歩みが必然に思います。

1)文化の中枢

正と負と因果関係-秩序形成の型式

個別と共通と根本

1)大きな力を保有する或いは用いるに際してはその分の負担を成して平等思想の実現という解釈に及びます。

2)そして、共通的な利益は単体で無く効率的に達成させる発想に及び、その範囲と受益には、負担の大小にかかわらず均等に提供されると見るか、負担の大きさに応じて受益が生まれるという見解で分かれる。つまり1)を道理と見るか、その具体的感覚の相違が、2)での見解を分け共通利益と充足に対する考え方や皮膚感覚が現れる。

個別 共通 根本
得る:力の形成 負担と受益 生滅不可分
得る事が出来た

得る事は失う事を作る。責任意識へ反映

負担した分利益を取る。負担の大小に関わらず利益は一律 皆様のおかげ

自身の努力の賜物

大きな力を保有できたのは、皆様のおかげですと見るか、自身の努力の賜物だという意識が強いか、この実感が責任範囲や程度の意識に反映される。多くは両要素の割合感覚として生まれる事に思います。この客観的な実感を表し自他との適正感覚をどの辺りで見るかに調和の妥当性が現れる。

積極的創造事物の評価

創造開発した創造事物と、その効用については、相対的な評価構造で計るか、人間の生命と直結する部分に重みを取った優先順位を設け、評価の序列を組むか等から効用の測定尺度が作られる。更に、開発に及ぶ道筋での負担によって、成果事物を配分するという観点が備わる。これらから、客観的な論理が組まれて力の保有や利用と負担への妥当な程度の実感が生まれる。

絶対性の原理 生命への関わりから優先序列を付ける。
相対的評価 欲望に序列はなく、生命の関わりを原理としない

創造と効用と測定の妥当性についての見解の異同が根に成って、人々の調和形成に影響し快適と不快の感覚が生まれ衝突と調整の過程が現れる。

因果関係

これが身近に実感される調和と不協和であり、この自然感性の背後に備わる根源的思想フレームが長期的な普遍則として因果応報等の型式で抽象化され表現される。生と滅に対する実感の取り方に個人差が生まれ調和の妥当性を作るかに過去の因果の取り方や未来の目指されるビジョンとそこへの因果の組み方が影響しこれらの規律や秩序の型式が社会生活の志向性なり一般認識化される過程が現れる。

因果関係
マイナス

要素

プラスとマイナスの相関 プラス

要素

実感の取り方

感覚と感受性

人間形成過程の相違

成長過程、家庭環境

歴史認識、過去と未来ビジョン等

人間像

どんな因果の実感を見るかに、人間の感覚や感受性が現れ、その姿が人間像として抽象集約され、その像への共感が事象を作り出す原理と作用する。以上のように、正と負と因果関係が人間を映す原理となり人間を作る原理と作用する。ここに快適や不快という平準感覚との誤差が現れ人々の反応が生まれる。このような文化原理とも言う方程式が浮かび上がり、良好な社会生活へ寄与させる為の営みと表現されます。犯罪を働いて、そのままで済む事はなく、必ず同じ程度の犯罪を受けるのが、因果応報となり良質な社会の循環が生み出される。誤魔化しきれる事はないと思います。他人が手を加えるまでもなく自滅される事でしょう。

正と負と因果関係-秩序形成の型式

正と負と因果関係-秩序形成の型式

1)大きな力を保有する或いは用いるに際してはその分の負担を成して平等思想の実現という解釈に及びます。

2)そして、共通的な利益は単体で無く効率的に達成させる発想に及び、その範囲と受益には、負担の大小にかかわらず均等に提供されると見るか、負担の大きさに応じて受益が生まれるという見解で分かれる。

つまり、1)を道理と見るか、その具体的感覚の相違が、2)での見解を分け、共通利益と充足に対する考え方や皮膚感覚が現れる。

大きな力を保有できたのは、皆様のおかげですと見るか、自身の努力の賜物だという意識が強いか、この実感が責任の範囲や程度の意識に反映される。多くは、両要素の割合感覚として生まれる事に思います。この客観的な実感を表し、自他との適正感覚をどの辺りで見るかに調和の妥当性が現れる。

創造開発した創造事物と、その効用については、相対的な評価構造で計るか、人間の生命と直結する部分に重みを取った優先順位を設け、評価の序列を組むか等から効用の測定尺度が作られる。更に、開発に及ぶ道筋での負担によって、成果事物を配分するという観点が備わる。これらから、客観的な論理が組まれて力の保有や利用と負担への妥当な程度の実感が生まれる。

創造と効用と測定の妥当性についての見解の異同が根に成って、人々の調和形成に影響し快適と不快の感覚が生まれ衝突と調整の過程が現れる。これが身近に実感される調和と不協和であり、この自然感性の背後に備わる根源的思想フレームが長期的な普遍則として因果応報等の型式で抽象化され表現される。

生と滅に対する実感の取り方に個人差が生まれ、どのような調和の妥当性を作るかに、過去の歴史の因果の取り方や、未来の目指されるビジョンとそこへの因果の組み方が影響し、これらの規律や秩序の型式が社会生活の志向性と備えられ一般認識化される過程が現れる。

どんな因果の実感を見るかに、人間の感覚や感受性が現れ、その姿が人間像として抽象集約され、その像への共感が事象を作り出す原理と作用する。

以上のように、正と負と因果関係が人間を映す原理となり、人間を作る原理と作用する。ここに快適や不快という平準感覚との誤差が現れ人々の反応が生まれる。このような文化原理とも言う方程式が浮かび上がり、良好な社会生活へ寄与させる為の営みと表現されます。

犯罪を働いて、そのままで済む事はなく、必ず同じ程度の犯罪を受けるのが、因果応報となり良質な社会の循環が生み出される。誤魔化しきれる事はないと思います。

思考の根源的な枠組み

思考の根源的な枠組み

人権概念は日常的な善悪の感覚で言えば、「盗みや詐欺、傷害」という行為が浮かび、これを与えない、受けないといった感覚が常時内蔵され、特定の目的と協働関係という込み入った点を刷り合わせ、欲望と充足を達するのが常識という皮膚感覚に備わる。誰から特別に教えられるよりも自然に備わる感性に思います。

辞書などで改めて見てみると以下のような記載があり、盗みや詐欺、傷害という行為を一段抽象化して集約される権利側の積極的な表し方で示される。少し実際感覚とは離れた表現であり通常の生産活動の過程に即した並びを持って表現する事がより実感に届く表し方に思います。

それが消極的な制約と準絶対則と積極的な創造策という3区分であり、1)で下限則を取り、3)は相対性の事柄と位置づけられ、2)で両者の実感を探り出し、1)に繋がるかもしれないというマイナス面への考慮を持ちながら、プラス性の創造を遂げるという構造で描かれます。

市場と技術という構造を中心に利害関係者が現れ、1)の下限面を一律に備え、3)で両者が感じるプラスの創造が展開される。この直接対話が基礎に成り、そこに行政等の間接性の立場から当事者の良好な関係に資するであろう制約が作られる面と、直接的な関与として制約を課す面が付加される。

この経済と政治の二段構造に対して、根本的な人間性の観点から制約や権利として人間像が描かれ、前二者の関係に持続的良好性への道筋を提案されるのが人権概念に感じられます。民と民、民と公、における関係形成の指針となって、個別事象に反映されて健康な心身を備えた活動の持続性が想定される。

つまり、人権概念だけが個別的な生産関係と離れた抽象原理として掲げられても実感に到達しづらく、個別具体的な事象に即して解釈される所に抽象概念と適用の実感が現れ、納得感や深みある知恵と感じられるような見解を示す事がこの領域の専門家を計る評価尺度に思えます。

抽象原理へ偏した研究へ向かい、個別具体的なケースに当たって当事者への良好性を引き出す経験が弱いと、実効性ある付加価値の産出が認められず、学者や専門家の独り善がりの研究へ陥り、社会性と乖離したプライドが作られてミクロの健康な感受性と離れそれが逆の作用で回り社会への悪影響を齎せる。却って、研究者のエゴによる人権概念が当事者の良質性を阻害し外界との不調和の原因に陥らない為の適度感覚を磨く工程がより良い実効性を備えた人権概念を作り感覚と観念の整合性を持った働きに及ぶ。人々の良質性への施策という広い枠組みを備えて、そこへの一手法として人権概念の創造と適用とする全体観が備わって真に有効な手法が導出され、法律という抽象一般概念へ偏することなく多用な感受性や表現力といった人間心理全般からの良好化策という広角的な構えから個別的な応用や効用が上昇する。この大枠的なフレームとなるのが本書の文化思想体系とも言い換えられ、根源的な人間の理性的な感受性に即した消極と積極に対する因果関係の多様性を探求する構造が示され、人々の多彩な感受性を学ぶ持続的なスタンスに及び良質な概念形成を探し続ける道が示される。

人間が人間として当然に持っている権利。

人間が人間として当然もっている基本的な権利。近代初頭では、国家権力によっても制限されえない思想の自由信教の自由などの自由権を意味したが、20世紀になって、自由権を現実に保障するための参政権を、さらに国民がその生活を保障される生存権などの社会権をも含めていう場合が多い。日本国憲法は、侵すことのできない永久の権利としてこれを保障している。人権。基本権。(デジタル大辞泉より)

1)文化理念と導出の因果

1)文化理念と導出の因果

判断という行為も、その熱の投じ方は様々であり、ちょっとした簡単な事から、ある程度の期間を想定した目的と協働作業や、より一体性を齎せる事等、様々な程度感覚が生まれる。需給構造で言えば、お金を支払う事が決定的な意思表示であり、あれこれ買うそぶりを見せながら、結局は買わないとなると、そこでは何ら意思を表明した事に成らない。これが一次事象の中における行為を表す代表的な側面に成り、この大小の決断によって物事の進捗感が生み出される。

これらの前提に、真摯な対象との対峙を表す姿として、超えてはならない一線を少なくとも守る人格の所在と表され、「盗みをしない事」が外界との初動となり、対象への尊重と協調を志向する態度と認識される。最低下限の作法が整い、各自の主張や表現が繰り広げられ、共通と個別の感覚が生まれ、共通部分に対して深まった意識が進行すると、その実現への行為が生み出される。それが、上述で示したような意思表示であり、これに至って第三者的な構えから当事者性の性格に移り目的と実施の協働生産という関わりの進化に及ぶ。この行為に及ばないものは実質上の行為はなく、なんら付加価値を作り出す過程が弱く、あれこれ虫食い的に恣意的態度を見せて自身の熱を投じられない。情報ばかりを無駄に流し行為に入らない者は生産的でなく、これを「詐欺」と言えるのかもしれません。

騙しの手口となる典型であり、期待ばかりを膨らませるような演出をとり、身を投じない一部のマスコミや政治のような構造にある生産形式の特性等から現れる。これを許すような過保護な規制等は撤廃する事が最低下限の条件になり、健全な相互的な需給構造を作る事が真摯な対象との対峙を叶え、欲望と充足の正しい評価構造を備えた平等思想の実現と言い換えられます。

影響力の大きさに相応しい責任意識が弱いと力を利己的な回し方で用い、下限のモラルも醸成されずに、一方的な要望や支配意識を進めて良好な対話や行為を作り出す環境を阻害する。盗みや詐欺を常態する規則性が深まり人間の劣った姿を増進させる。こうした事から、基準を堂々と掲げ、それに忠実な態度が信用の形成に至り、これによって健康な対話や行為を遂げる態度と認識される。この均等感覚の健全性をつくる事が、文化の観点からは必須の施策と現れ、構造上の歪みを解消する事が真摯な対象との対峙を促進し健康な協働生産への熱を高める事や健全な社会関係の維持や促進に連なる。

物理力の保有や利用の質量に応じた責任感覚が付いてこないと、不健全な感性が増進されて、それを自然律で浄化する仕組みに無ければ悪性は留まり、持続的成長軌道を阻害する。この偏ったシステムに陥らない為の健康な感受性の維持と、その反映される創造活動に在って良質な発想や体質が生まれ、信義誠実な態度と無限の可能性と最大調和性の気流が増進する。このような人間の動態面の良質性に対する意識が劣ると、短期性の物的反応で支配的になり、ストックの過剰性による弊害という原因で特定されます。

下限の不快事象を発生させない為には、力と責任の均衡を求める感覚が必要になり、この過不足を是正する常態的なシステムに在って、健康な感受性を備えた積極的な創造策へと意識が集中し、後ろ向きな性格に及ばない他利から自利への循環系が固められる。付加価値を生みだす基本構造に及び、人間性の上昇と産業経済の良質な成長を同居させた活動の普遍的な原理と纏められる。少々粗雑ではありますが、以上のような因果認識を主として、力と責任の均衡と無限性と最大調和という平等と循環の理念が導出され各種ビジョンが描かれます。

根源的快適性の実現策

根源的快適性の実現策

共通と個別と根源を表す文脈として、以下のような焦点が浮かびます。法律よりの基準による平等状態の実感と、感覚側で見る平等の実感という相違が現れるようにも思われます。多くの人々の活動は、特定技術と市場という需給構造を備え、そこで顧客や従業員、協力企業や株主、地域住民という利害関係者の間で、提供と対価や権利と義務の内容が作られ、その行使という中で基準と適用の適正で平等という感覚が生み出される。各人の個別多様な動態関係における時間の範囲の長い想定と、細かな因果関係といった実際の状態がベースに成る。

これに対して、抽象的な一般則という単純性の尺度から部分的な範囲を区切って、第三者的な利害と離れた立場から法律の観点を適用するのが、法律と運用の過程として浮かび上がる。多くの事実関係から一部分を区切って事実と特定し、それに対する法律の適用という限定的、静態性の構造を作り平等性を計るという行為が生まれる。

当事者間において問題が生まれ、両者の納得感が導出できずに、第三者の知恵を借りる事に成り、解決の手法として法律という型式を取り入れて、個別性の問題に秩序を取る事になる。法律自体も本を正せば、在る問題事象とその集積から、必要に応じて生み出された解決への型枠で在り、形式上は多くの人の民意に触れて作りだされる方法論であり、対処的な性格から予防的な指針と作用し、個別事象を制御する性格へと用いられる。

こうした実感の限定に対して、良好な関係形成を想定する実感の広がりもった世界観を創造するのが文化思想等の活動とも言い表わされ、永年の時を経ながら創り出された人々との良好化策や未来型の発想によるビジョンを描きだす前進性の観念図が創り出され、フォーマルに決まった基準の適用と、非公式な基準による適用とで種別される。

当事者本人の許しなく盗みを働く事は犯罪であり、根源的な不快感が生まれ、犯罪者は犯罪者としての扱いをするのが適当であり、フォーマルな犯罪者認定か、実際の性質の悪性という認識での犯罪体質を持つ主体かという区分の下、快適な性質を備える人々との関係形成に及ぶのが事実上の社会関係に成り、盗み体質などのマイナス性の発想や行為を生みだす者と関わりを持ちたいかどうか、個々人による選択の自由が置かれる。

短期性の損得を先行せずに原理比重の発想という感覚的な自然律として同質的な性格が集まり良質な快適性を意図した活動が生み出される。この側面が根源且つ個別性の各人の嗜好性や志向性であり、法律云々よりも文化という根源的な面から見る人間像と描き出され、望む人間を作る行為へと進行する。どんな感受性に快適を見るか、どんな人間を好むか、どんな社会システムを望むか、どんな経済観や国家観を理想とするか等々へと発展し、その快適性を抱く創造図面と実際の認識から方法となる行為が生み出される。ミクロの感性とマクロの図面との整合性に快適感が生まれ、言行の大きく外れない姿に根源的な快適感を抱かれるのが健康な心身を持つ主体性の実感に及びます。

物性原理が進行して自然な快適感を押し殺す事にならない環境整備によって、良質な人間世界が持続し、これを意図した施策が文化論の創造や実現となり平等思想の堅持された世界に映ります。

はじめに

はじめに

欲望と充足という構造に於いて、平等な運営に快適感が抱かれる。この二面に重要なポイントが備わり、持続的安定と成長の軌道を確保するという長期性の課題が現れる。

欲望と充足には協働生産関係が生まれ、そこでは、基準の作成と適用を忠実に行う事が平等の反映に成り、感覚的な物理性に寄らない公平な平等思想に価値を持った感受性が示され、ここに、長期の普遍的な安定と繁栄の基盤が備えられる。この図式が土台に成り、道具や方法はこれを前提にして用いられる事が望まれる。つまり、平等という感性が先んじて、欲望と充足という構図の中で、各種のツールが開発されるという全体の構図に、健全な人間社会の状態と発展軌道が備えられ、健全な心身の堅持された世界が生み出される。

無題

つまり、序列としては、1)平等意識が先端に成り、その反映に2)基準の策定と適用という手法が取られ、更に、3)有効な手法の開発という3つの要点を持ち、欲望と充足を果たす事が長期性の安定と繁栄の筋道と描かれる。これを良質に叶える為に文化論という観念体系が描き出され、人類の持続的な歩みが意図されます。

現在の国際環境における財の取引に用いられるコミュニケーションツールとして、英語が公用語と備わり、これを流暢に使いこなす事が望まれる。一つの基準となり、その適用を行う上での要件となる。しかし、この前段には平等思想という人間尊重の価値が上流に配されなければ、良質な人間社会の持続的軌道を欠いた世界が現れる。

根本には、この精神が置かれ共生感情があり、信義誠実な対話が生まれ、躍動的な創造が展開されて、無限性と最大調和性の軌道が創り上げられる。ただの物的豊かさという感覚性の欲望を先んじると、道具やツールの開発に歪みが生まれ、人間の根源的な性格を劣化させる。

文化論で掲げられる各種のビジョンが備えられ、これを基準にして方法を編み出し、用いるという流れを強める事が、良質な感受性を備えた人間の歩みと映ります。

現況は現況として正しく掴み、しかし、理想の図面を無くしては、誤った世界観が進行し、取り返しのつかない人間性が深まると予測され、理想と現況の間に、理想に向けた方法を作る事が欠かせず、それに評価を与えるような社会の価値形成が重要に思います。

物事を深みある層から考え、そこから全体観と全体観へ向けた論理を描き、行為と実践する事に良識を定め、そこに真価を与える評価構造を共有する事が肝要に思います。

歪んだ精神からの道具の悪用や開発に陥らない基軸の太い秩序体系が欠かせず、現況の感覚性に偏した感受性の備わらない力の原理を進行させる事には、誤った軌道へと逸れた人間が生まれる。過去の歴史の叡智を活かした未来ビジョン形成と、健全な方法の導出に在って、無限性の良質化と調和の最大性への歩みが増強する。以上のように、根本の良質な感性が土台に成り、健康な論理が作られて、道を外さない健康な軌道が叶えられる。

盗みが在る所に信義誠実な精神は宿らず、平等思想を欠いた創造には大きな調和への歩みは生まれない。ここを外して、小手先手法を用いる事のない根と幹と枝葉の健全な有機体を創り上げるのが正道に思います。

どこか安直な感性が進み、対象との真摯な対峙を取れない物的感性の進行する現代の空気には、病んだ精神性の姿が映り美性の劣化や精神面のひ弱さと抱かれ、気持ちの悪い不快感が生まれます。

2)共通利益基盤の性格

2)共通利益基盤の性格

物理性を持って盗みを働くものは、行政が制裁を加えるようでなくては平等思想は成り立たず、政治行政に唯一期待される最重要課題であり、このインフラだけはせめてしっかり担う事が期待される。ここが弱く他の施策を投じる等は供給者利益を先んじる姿であり存在意義は弱く、絶対下限のインフラの強固な基盤が人々の共通利益でありそれへの施策を投じる事が望まれる。

不快性事象:盗みや詐欺、傷害、致死、自然災害、突発的な火災等の事故、

この下限的不快事象と発生原因の特定と対策というアプローチがインフラ基盤の直接的な観点に成り、間接性の因果を想定して有効な対処策を投じるのが相応しい。これらの実感規定をどのように取られているかと感度に、共通利益の主導者としての個性が現れる。

因果

事象類型

直接

対処策

直接

原因

間接

原因

根源

原因

1)盗み
2)詐欺
3)傷害、致死
4)自然災害
5)突発的な事故

過大な期待はせずに、下限事象への確固とした基盤の形成に役割を絞った運営が望まれる。特定の民間事業を保護する行為には、厳密な正当性が備わって許される行為であり、どこか領域への役割が曖昧になり、供給者利益が膨張するかの事象に箍をはめる事が不可欠に思われます。

運営者自体が悪性の下に成ることは、まったくもって本末転倒であり、あらゆる正当性の基盤を失う。そうした事態には躊躇のない対処を取るのが領域の存在意義を落とさない行為であり、不信の高まりに及んで、関心や期待からあきらめに及ぶ。優先度の高い存在意義となる部分への過失は致命的な関係の断絶を招く。この認識が適当に思います。

1)文化の性格と意義

1)文化の性格と意義

文化の中心課題は、永年の人類の歩みから形成された平等という価値とその実現に在り、この観念と展開の図式に多様性が生まれる。

価値形成の過程という面で見れば、人々が関係を持つきっかけは、協働生産行為に在り、衣食住の充足についての効率的生産と安定需給を意図して、全体の目的を達する為に各人の個性とを適合させ、システムと工程を形成し、システム上の重要点の序列から比例的な分配が行われる。欲望の特定、全体のシステム、各種工程、重要工程、配分の割合、という論理に平等思想が反映される。この仕組みの形成における透明公正性が確保されて、物事を決定する上での納得性を高めるという側面での平等思想が展開される。この焦点に、直接的な社会関係の平等観点が生まれて、適正を作る事が望まれる。

欲望と充足の仕組みという基軸の動態が浮かび上がり、これについて、丁寧な精緻的な論理が組まれて、各人の個性と全体との調和を作る事に、中心的な関心が注がれる。

本書の「文化ビジョンや社会ビジョン、ミクロビジョン」といった各種の世界観は、こうした平等観念を実現する上での手法という性格で位置づけられ、如何に人々の納得感を高める良好な社会生活に繋げるかという問いから現れるビジョンの提案として産出されました。一人ひとりの個性を如何に活かせるか、そして全体での個性が最大化するか、これが生命の最大的な躍動への道に成り、個人と社会という中での快適性を持続的に成長させる上での創造策となり、平等思想の実現と描き出されます。

このような論理に人間の基幹焦点が備わり、各種生産の性格がこの全体図面に対して性格づけられ、どこに重みを加えるべきかの指針として作用する。文化図面という性格は、最大分母の観点からの全体統合的な表現に力点が置かれ、人間生活の長期的な価値とその実現への創造にエネルギーが注がれます。

創造活動の幅や深さが進行し、部分性の論理が多々出現する事に対して、変容しづらい基幹道の所在を明瞭化させ、良好な交通整理を遂げて、部分と全体の制御感覚を生みだし各種の衝突や矛盾を良好に解決する為の道筋が示される。

こうした役割が少なからず備わって、安定と繁栄の持続的軌道が確保され、不幸の最少と幸福の最大という課題への方法が探求される。この領域を主たる関心として、専門的に従事させる事が、万人的な要求として生まれる事に思われます。これが、個別や共通の欲望に対して、根源的な欲望と充足の領域という性格で捉えられ、纏まった思想が作られ、その展開という向きで、根源的な思想に対して、個別と共通の領域が絞り込まれ共通の目的が限定されてその範囲における個々のデータの抽出と収集整理、施策の展開といった工程が備わり、全体と個別の最良性への活動が生まれる。

平等感覚を欠いた人は、一方的な要望ばかりを強められる。自らが行うべき与えられた力に対しての責任の行使について、客観的な認識を取らずに外界への要望を向けられる事への不快感が人々の根源的な不快事象と現れ、これを正すのには、根源的な文化図面が尺度に成って自他を映す鏡に作用する事に思います。

以上のような文化の性格と意義が備わり、この観点を外す事無く思索が投じられて、人々への有用な提案が示されるものと思います。