動静と調和の原理

和や平和という根源的な価値概念についての実際的動態から実感される文脈を示す事が、人々の理念と工程の設計図に及び、同一的なビジョンとなりリズム感や波長といった細かな部分に渡る快適性へと連なるように思います。その試みを以下に示します。

あらゆる生産には需給構造が備わり供給者が主導して形を提案し、需要側の反応を見ながら中長期の定型的な型式へと意図される。形を提案するのに初動の理念が備わり、理念と型式との展開を需給相互で如何なる実感を持つかの対話が生まれる。理念という人間の感受性には一定の不動性が生まれて、それを表現する型式の細かな解釈や感じ方が変容する。こうした論理構造が保守思想の根幹を成し、人間平等という精神に基づく多段的・多角的な実感の創造活動が生み出される。
人々の活動は「事実、理念、ビジョン1、ビジョン2、…」という構造で抽象化され、需給相互による提供と対価という構図から次第に関与の程度が深まり、同一的提供者という感性が進み、対価の支払いという感覚から、領域の創造者という意識に進み、資源の投資や、意見を表す態度に及び、顧客から、投資家、運営者という関与度の変容が生まれ、領域における主体性の異なりと現れる。
これを抽象的概念で表すと、動的調和の変容過程と言い換えられ、熱の投じ方に比例した貢献度が生まれそれに相応しい報酬が得られる。報酬は金銭ばかりでなく、過程で得られる充実度や生き甲斐という感覚も実感に含まれて対象との釣り合い感覚が生み出される。

これが主客重層の認識構造を持つ自己と対象との客観認識を作り、調和という関係形成の捉え方を表し、快適と不快を得ながらこの方式に従った意識や熱が生まれて快適調和感覚への行為が作られる。これを別の言い方では、積み上げ的な人間形成過程となり、この過程から各種の概念が生み出され、良好な釣り合いを付ける原理の細分化が取られる。「○○をするには、××が必要」というような共通規定が創り上げられ領域の秩序体系となり、それに従う事が領域における理想的人間像と描き出される。

こうした過程からの分析による観念形成によって、各種概念の意味する本質の理解に及ぶという過去形成過程側の焦点と、他領域からの衝突や学びや発見からの概念の更新という創造性を持ち、過去と未来を繋ぐ現在の概念と秩序が生まれ、不動的な理念を下にした建設的な向上軌道をもった活動に及ぶ。領域の感覚的な特性と理念の浮かび方に特徴が現れ、領域の全体観が掴みだされる。あまりに実感と離れるような観念を無理につなげようとすると、顔がぼやけ、統制が効かずに、他領域からの存在感を失うと共に、内部の求心性が弱まる事からも、ある程度の枠の中での改良を取る歩みに価値の持続性が生まれる。

これに下限的制約と積極的創造策と、間の因果関係という構造を付加して、より良好な持続的向上への普遍則が備えられて盤石な創造体制が醸成される。

以上のように、理念と機能という概念形成の意義や意図が示され、維持と変化や静と動、滅と生の認識が揃えられて、安定的かつ躍動的な調和が見出され、両者の対立を良好に解決する調和の原理と規定されます。
スポーツ等の領域もこの原理の中に配置され、健全な文化を根にする創造活動に及び、あらゆる生産の基本則として本書の文化体系は根源的な価値体系を提供し、良好な人間の普遍的な原理と備えられるべき型式で在ると思います。

自由の健全な創造

自由の健全な創造

言論を封じる発想はやましい事の認識があって、まともにやったら勝てないという想定から、姑息な方法を考える負け犬根性を表す事であり、犯罪と規定される事を超えた行為に及べば非社会的な存在という認識を持つのが適当に思われます。この論理の根底には平等思想が置かれ、法の下の平等と展開され、法で予め犯罪を規定し万人に課せられるという解釈で平等の実感が表される。法を犯したという物的証拠や証言によって違法かを示し、それについての信憑性を計り純粋な事実の特定が生まれる。ここに、特定の利害から純粋事実を捻じ曲げ、認知をしないという行為が生まれる。こうした行為への賛否が分かれ、物的制裁への恐れや利益に成らないと見做して積極的な関与を控える判断の自由が置かれる。

こうした想定の中で最も悪性なのが、事実上の犯罪者とそれを利用する依存関係にある者であり、この性格を生まないような予めの施策を設ける事への賛否という観点が生まれ少なくともこの論理に反対する者とは共生感情が生まれず、恐らく多くの人は肯定的な意思を表明されると思われます。

マイナス性の感情が生まれ、それを予防する為の施策と資源の負担に一定の理解が現れ、理に叶った予防策についての意見が出され、それを取りまとめて有効な施策を限りある資源の中で展開する過程が生まれる。

下限の不快行為の特定と生まれる因果関係と有効な施策と、必要資源や可能な資源の算定という思考が取られる。この論理に水準の概念が当てられ、実感の細かさの程度と必要なコストとの兼ね合いから実際的な水準を設定して無限の中での限定が取られる。下限の不快行為と積極的なプラス策に対する区切りと相関の因果の持ち方の共通性を考える面が生まれる。厳密な追求をすると、このような筋道が浮かび、異常者を生まない総合施策として纏められる。成長過程からの個別環境に起因して、個々人のパーソナリティーが作られ、どこまでそれを平準化させるか等の範囲をどこまで着手するか、求める要求水準の程度差が生まれる。こうした向きのマイナス性への施策にあまり熱を投じたいという人々は少数にも思われますが、少なからずこんな観点も含んだ良好化策も根本的な改良には必要に思います。そうした上で、自己制御力や適正均衡感覚という人間の基礎的な感性が作られ、物性への偏りを制御する発想が生まれ、欲望や力の追求に対する共生感情が作られて心身の健康な人間が作られ、そのミクロ的感覚が法や制度の構築理念に成り共通基盤の性格や実態に反映される。

各空間における諸条件の相違から歴史の相違が生まれ同一性の範囲と個別との丁寧な作り込みが進められ大きな衝突を予防しながら積極的協働性へと運ぶ軌道が生み出される。

言論の自由を声高に叫ぶ事も一つの方法に思いますが、より健康な創造としてはこうした観点への深まりと各種領域との協業によって、問題に対峙して改善を掴む歩みに適正感覚が現れる。一過性の宣伝的な創造策と見做されない為には、原因分析や改善への論理が生まれる事に、熱の投じ方や健全な感受性の所在が確認され健康な活動と認識される。放漫な自由の追求には良質な力が集まらず、原因の特定に対する納得感や実効性への思索の深まりや広がりの体系形成力から、資源負担への理解や信頼、共感に及び、実のある健全な自由を掴む道が描かれます。

発言者とプラットフォーム形成の総則

発言者とプラットフォーム形成の総則

問題の取り上げ方に論者の世界観が現れる。どんな根を持ち、そこから伸びる基本的な論理の傾向則と、その結果の志向性というビジョンが映し出されます。

ビジョンに対して、どんな事象を取り上げるか、それについて阻害性かプラス性の事象という性格がつけられ、改善案等を示す事に及んで、個別事象の重みづけがつけられる。

取るに足らない事象を取り上げると、其の発言者自体のビジョンや世界観に疑問符が付き、どんな生産者の自己認識を持たれているのか、社会的に望まれる働きと乖離の実感が生まれ、有益性の弱い生産者の認識に及び印象が形成される。

こうした大枠の思考回路や行為の全体系が、文化体系に照らすと鮮明化され、下限的制約と積極策と間の因果関係という構造の中で、個別の創造や表現が配置されて、どんな性格の主体性かを認識するに及ぶ。取るに足らない事か、或いは、その取り上げる理由と目的の因果の作り方に、多様な感性を伺う事に成り感性の異同が現れる。この論理構造で特に人々に響くような表現が生まれると、そこに力が生まれ、言葉に活きた動力が生まれ、気持ちの連鎖と広がる。取り上げた焦点や論理の組み方にプラス性の付加価値か、マイナス的な負の作用が生まれる。

この発言者への視点と同時に、発言者を取り上げるプラットフォームを開設される人々の感性がフィルターに成り、どんな世界観やビジョンを志向されているか、予めの基準を示す事が現代的な作法となり、その程度がまちまちで、インフラという力を保有される事への質が計られる。このような焦点が、社会の動態性を見る中心に備わり、基準と制御とその質に、文化水準という個々人の平等思想の反映や、ビジョンの志向性とエネルギーの投じ方が浮かび、この健全性が常に問題におかれて、良質な血流の速度を規定し成長や発見の質が現れる。

インフラが腐れば、これらの作用が歪んで可笑しな体質に及び、心身の不健全な感性を広げられる事からも情報流通の要には高い要望や期待が寄せられ、且つ参入障壁の基準についても、時代感覚に即した改定を取り、固定化による陳腐化を予防して常に新鮮な流れの維持を意図するオープンな環境が望まれる。

今日、各種のニュースで取り上げられる事の多くは、以上のような観点の適正感覚を問う事柄であり、個々の論者の意見が活発に生まれて、それらの集積と抽象化で、原理が更新され基盤の刷新へと徐々に変容する。このような動きに、歪んだ発想からの作為を取る事は許されず、マイナス性の存在として大衆に知らしめる事が少なからず要り、根源的な感受性を下落させずに健康状態が維持される。インフラの質が個々の創造に反映される事からも基盤への信頼性があらゆる創造の礎とされる。以上のような長期性のビジョンが強調されて、歪みへの対処や予防に連なる事に思います。

根本的な下限の制約を軽視した物性依存の力の用い方には、大きな社会問題と取り上げて、基盤や軌道の下落が予防される。自然律として粛々と回す事を阻む感性の崩れが根本的な焦点となり、この因果関係を多角的な面から考察や改善案を提起するのが本書の特徴となります。

盗人や人格の歪んだ者の発言を載せるようなインフラの信用は、一挙に破たんすることでしょう。肩書きや金など関係なく、悪性を広めない事が重要な規定に備えられ、インフラのクオリティーが生まれることでしょう。

5)主要な論点

5)主要な論点

人間を完全な生き物と描く事自体に無理があり、正負を併せ持つ存在とする事がある意味に於いて健全な自己認識を表し、あまりに美化しすぎる事にも不健全な感覚が生まれます。そうした中に於いて下限的な不快行為の類型は永年の月日を経て固められた制約におかれ、これは少なからず超えずに、各自の志向性を実現される世界観が無理のない共通ビジョンという認識を持ちます。

ここから少し踏み込んだ体系が下限と積極策との間に準絶対則という相互を視野に含んだ感性が備えられて、長い目で見る安定作用が生み出され、間の因果の取り方には多様な実感を認められる。その異同について丁寧な進行を見出す事が大きな衝突を回避し、各自の尊重と共生を叶える事と考えられます。以上が、本書の主要な論点になり、この程度で最終的に絞り込まれます。恐らく多くの人との共通的な感受性と表されるように思われます。

下限を超えた事には、謙虚に謝罪するのが人道であり、この理屈に合わない人々とは積極的な交わりに及ぶ事はないと見るのが、万人的な不動の感受性に備えられる事でしょう。現代の物理性の異常な依存と思える一部の人々はこれさえも狂い偏狭な価値が深まり尋常な姿とは思えず行き過ぎた人間性の欠落と見られ、これに対しては適正なインフラが作用して一定の人間性を制御させる事が不可欠に思います。積極策と下限との因果には丁寧な多様性が現れ公平公正な過程を経ながら自然形成的か事前準備型の進行が生まれて一定の時を経ながら効用や影響の検証をとり最良の判断を創り上げる事と思います。

少々感覚的な物性が強まり人間の根幹を揺るがす感性の進行には健全な対処を持ち、強制的に縛る作用が少なからず要るように思います。そして、より上位の次元を見た過不足の少ないシステム設計を大所高所から改良し、局所と中局と大局との良質な因果を組み上げ、大きな観点からの有機体の最良性に繋げる事が想定され、理念とビジョンとして表現されます。

文化の王道

文化の王道

名をとるか、実を取るか等という事がしばしば言われる。前者は、名誉や面子という恥のない振る舞いに価値を抱き、行動や判断の基準にされる姿を指し、美感という模範的なビジョンを備えてそれに適合させる制御本能となり、後者は、お金の入手に拘り、少々みっともない振る舞いに至っても、実を取ればよいとする基準を優先させる行動の原理という解釈が現れます。

確かにこうした区分で事象の性格を映し出す事にも実感が生まれ、因果関係の違いを捉える事に及びます。しかし文化という統合的長期性の発想に立てば、両者を区分させる事には筋道の歪みと映し出され、名と実は不可分の整合在る論理として配されて、真価を付ける事に快適感が生まれます。

横綱相撲といった横綱らしい技の在り方等が人々のイメージには備えられ、がっぷり四つに組んだ堂々とした取り組みにより相手を打ち負かす事が、一種の美感になり、横綱が蹴手繰りや猫だまし等を用いて勝利しても、みっともなく、価値は半減し、そこまでしてポジションを死守しようとする根性が、相撲自体の面白さを下落させて、領域の活力や存続自体を危ぶませる。長い目で見ると、美感に合った振る舞いが、実に繋がるという例として描かれます。

こうした焦点が、産業経済や政治行政にも当て嵌められ、純粋性の高い美感という面の維持に根源の価値が浮かび、目先の実へと偏った発想が、領域自体の信用を失墜させ、衰退への道へと進行させる。利便性や機能という即効性の高さへ安直に飛びつく事へのマイナス面として指摘される。

物理性という剛力性に、しなやかな柔軟性とが合わさって、人間のアナログ的情緒性とデジタル的な物理力との適当な調和感覚が生まれ、そこに本能的な美の実感が現れ、両面のハーモナイズした描写に深い感慨が示され、長い快適性と及んで、文化や文明という所与的な型式へと内蔵される。

こうした長い感受性が萎む事への問題認識を取る事が、良好な価値を維持する事に連なり、

感受性の衰退化現象に待ったをかけ、豊富な創造力を湧きださせると共に、寛容性の幅が持続し、窮屈で神経質な感度を和らげ、片面に寄った体質の予防に及ぶ。

以上の点が美感への拘りを抱く事の意義と成り、感覚への過剰な進行を制御させる為には、このような発想や論理を常設的な秩序と固められ、各種の創造行為を繰り広げる事が不変の原理と描かれます。供給型と需要者側とに、この感性が内蔵されて、需給構造という市場が創り上げられる。生活者感覚とも言う立場での重層認識を持った人間像で表され、文化論からの各種ビジョンとなり表現されます。

恥の文化という面がより強調させて、正常な健康状態を下にした軌道が太まり、横綱の振る舞いが増加する。肩書と振る舞い方のアンバランスをしばしば感じます。日本文化の根幹を揺らがせる事のない名実揃った歩み方に、真なる響きが持続する。ごっつぁんです。よりも、どすこい、どすこいというイメージでしょうか。世界的なトレンドと築く施策として本書の流通に至りました。

このような焦点が、人権擁護問題等への間接的な関わりか、或いは根源的な関わりに配され、直接的な対処策と共に進行させて実効性を生みだすように思われます。法律という厳密的、硬い形式による対立的な改善と合わせて、文化的な表現による美感の喚起から軌道の良好性へと及ぶという想像が浮かびます。直接的な指摘には抵抗感が強まり、間接的な発想の転換というアプローチが自主内発型の変化へと連なるかに思います。同質的な志向性を持つ各種の縦割り型の領域区分を縦横的に融合させ、力の集約へと作用させる全体図面の創造によって効力を高めるのが、今日的な課題と映ります。

3)感受性の持続とは

3)感受性の持続とは

一度逃げると逃げ癖が強まり、真っ直ぐな歩みを取れない発想で慢性化される。対象との真摯な対峙を外して、横道に逸れそれを正当化される負け犬根性が染みつき、これと見られると、もはや並列に無く下等な存在という認識が生まれ、この概念が固まり釣り合い感覚が作られる。対等という対象には見る事が出来ず、まともな向き合い方から外れた下等な存在となり扱うのが自然な感覚に思われます。

盗みや詐欺という下劣な行為に及んだ人間は真っ直ぐな軌道から脱線した弱い精神の持ち主と見做され、この強い印象が作られて信用を回復するには相応の時間が必要になる。

どんな人でも失敗する事があり、それについて逃げずに真摯な態度を表すのが、道から外れない信用の糸を繋げる。これを逃げると信用は切れ、人間の弱さを実感する事になり、そのだらしなさに緊張感は途切れて、本質的な性格を掴む事に成る。修羅場といった場面で、こうした人間の本性が現れ、人間力の程度が計りだされる。

本書で掲げました下限と準絶対則と積極策という構造の明瞭化は、この事を鮮明に観念化し、原理探求型の真理の道を貫く志向性を強め、二次三次の付録的要素を度外視し、純粋な原理の創造と適用を高め、根源からの人間性を叙述に掴みあげる事に成り、社会的な地位や知名度、所得の大小などという事は本質から外れ、素の人間力を計りだす尺度が生まれる。言論でいくら立派な事を並べても修羅場で逃げてはすべてがご破算になり信用を喪失する。ここに根源からの価値が示され真価を付ける感性が強まりを見せる。

調和の原理は、真摯な対象との対峙を固める不動則であり、表層的な事柄よりも質を追求する価値の上昇を意図するものであり、人間力を純粋尺度で計りそれに相応しい釣り合いを付け真なる響きを求める世界観を表す。この感性が逃げる発想から次第に劣化して誤魔化しの連続を生み、そうした発想や体質が深まり感受性の劣った人間へと堕落する。つまらない人間という認識が強まり視界から外れて、同質感性の人々の間で質の向上へと真摯な対象との対峙が繰り広げられ、切磋琢磨の快適を追求する領域が残る。それを最後まで貫いて大きな山頂に登りつめ真理を掴む事に及ぶ。原理探求への快適感が最重視される歩みに人間の最も輝く姿が現れ、物理欲に偏するほどにこの輝きを失い、誤魔化しの歩みへと入り込む。

最上の欲望と充足は、正直な感性と真摯な対象との対峙の持続性から感じ続けられ、物理性への依存型の向きからはこの快適感が喪失する。失敗をして謝罪するのは相手に向けてすると同時に、自身に向けて行われ、その誤魔化しのない自身の姿が自信に陰りを落とさず再起の道を持続させ、原理探求力の途絶えない力強さと生き続け真理の歩みが継続する。自己による絶対性の自己評価を成すのが後悔の少ない生き方に成り健全な自由を掴む事になる。日本文化原論の世界観と表されます。

健全な自由主義と適用

健全な自由主義と適用

基準と制御という物事を動かす基本的な方法と、水準の良質性という焦点が絞り込まれて、公平公正な運用が行われる。基準とする規定が、二次三次的な加工により創り出され、感覚的なゼロベースによる一次的な基準と離れる。過去事象の抽象集約から理論体系が作られ二次三次の原理が生まれ、そこからの発想を下にして個別を呼び掛け適用させる作業が生まれる。

原理は人々の感受性となる動機から、それを叶える方法の体系と固まり、それに忠実な適用を取る事が求められる。しかし実際は運用者の利益という私情が入り込み原理と適用の客観性を弱められる。この点が次第に慢性化して適正な基準の運用とかけ離れて、原理の意図する結果が生み出されない。或いは、原理自体が陳腐化して、形骸化したまま人的裁量で気ままな判断を取られ、私的利益を追求する結果、大きな利益を損ねる現象が生まれる。この2点が、基準と運用におけるマイナス事象と推察され、原理と運用者と第三者的な客観性を内蔵する仕組みが緊張感の持続に及び、適正な感受性の維持された運用を叶えられる。

慢性化された堕落状態に陥っては修復する事は容易でなく、程度を落とさないメリハリ感を持ち、的確な判断を後延ばしにされる事無く、健全な感受性に基づいた判定が望まれ、大きな影響に在る程にこの責任感覚が比例して、冷淡に振る舞えなければ大きな利益を損ない、この覚悟のない者を責任ある配置におけば甚大な被害へと拡散される。お友達感覚の弊害が生まれ原理探求型の感度が落ちて各人の私情が進み公の利益を損ない、自己生産規定の自覚の弱い姿となって多大な迷惑を与えられる。

大きな欲望を求める事に対して、責任感覚を持続させる事の出来る自己制御性の高い性格に在って大きな利益の実現が叶い、この性格は感覚的な積み上げ体験を経て血肉化された観念が備わり、感覚と観念の健全な適用を取る体質が作られる。原理の精神と離れて楽な方に逃げる判断が運用を歪め、保身型の流れで回り、器と人間の乖離という客観認識を取らずに自己正当化する発想がしばしば現れる。

机上の学問に偏重して単純な評価で判断を生み、人間の芯を創り上げる体験を軽視されるとこのような事態を広げられ力と責任の不均衡が拡大する。

健康な規則性は、感覚と観念を対人との交流から程良く回し、需給関係の緊張に在って、自他との適正調和を作る習慣により創り出される。規制による保護や特殊技術の保有から、一方向の力が強まると健全な感性が崩れて下限の善悪という制約にも鈍感になり適正なギブアンドテークの感覚も狂い、物性に依存した体質が固まり、暴走への歯止めがないとそのまま慢性化して大きな損失を齎せる。

基準を常に純粋な心持から上昇させる建設的なエネルギーを生みだし続けるには過剰なストックが弊害に成り制御可能な感性を下落させ、力の利用から力の依存となって良好な運用から離れ、利益を生まず利益を奪う主体性が生まれる。これらの改革には新鮮な感度を持つ主体によって違いを明らかにさせ、強い健康な感受性に基づく向上心による基準の更新によって体質改善への加速に及び、犯罪感覚への適正な感度を形成する事が初動に成り、制御感覚の健全な水準に在って、積極的な創造策へも良質な動機による強い論理が現れる。

抜け道や、小手先の発想が常態的な感性に染まった状態を戻す事は容易でなく、基準とする感性から適正な強弱による対処が少なからず要るのでしょう。大きな力を望むのであれば等しい責任が課せられる。この原理が持続的な健全性に不可欠となり、文化体系の柱に備えられ有機体の正常な動きと描き出されます。

下限の犯罪は一発アウトで在り、更生期間を持たせて工程を省略した分を課すことで適正な感受性が作られる。欲望に等しい対処が生滅不可分の原理を重んじた運用になって平等思想の実現と解されます。

誤魔化しは一切通じず他人を欺いても自身の事は自身が最もよく解り、その姿は鮮明に外界から察知され違和感の強い力んだ姿を見せられる。健全な感受性を堅持されてきた人々との相違は明瞭に現れ、社会の自然律として回る事で、ミクロの健康な感度からマクロの変革に及ぶかで、有機体の良質性へと進行する。大きな力の所から変える手順が適当なのでしょう。以上が健全な自由主義という原理に基づくマイナス面の改善策になり、これと同時にプラスが前面に現れると予測されます。

インフラの本質的な役割は適正な主体性概念を持って、身体の歪みを常に補正させる事であり、この基盤の堅持にエネルギーが投じられて前進面やプラス創造の弊害を取り除くという範囲が実際的な比重の高い役割に映ります。こうした人間像を描き出す事自体が積極的創造策の範疇になり文化活動からのアウトプットと配されます。

犯罪者は間違っても表には出てこられないでしょう。みっともなくて。

無自覚の犯罪

あれもこれもと安請け合いする事の罪悪感覚を抱かない所に、正常な感性を崩した姿が映ります。自身の技術と目的が絞り込まれず、過剰に広く浅く首を突っ込み、何がしかの口をはさんで実効力への拘りが及ばない事が、過剰な力と責任感覚のアンバランスという認識になり、管理志向型の規則性に多々見受けられる。

特定の課題解決型の動きや、立脚する中心的な観点が弱く、ここから効力や実施力といった効用を果たすエネルギーの集中を見せずに、いいとこ取りを意図するかの発想の不健全な搾取志向ともいう行為には、利己的体質を露わに見せる。

こうした行為や規則性が一部の政治やマスコミ、評論家の感性となり、モラルの脆弱な悪性の秩序を広められる。程良い検証の機会を受ける構造にあって、適当な仕事の範囲を限定して、過剰な安請け合いのような首の突っ込み方を抑制して、領域を絞った効果への拘りを果たす筋肉質な行為に在って、健全な精神と身体の動きに成り、適当な感受性を持つ主体性と映し出される。

システムと人間の調和や、権限と責任の均衡、感覚と観念の適正等々の観点による健康像の実感という表現が、文化という観点からの適正調和を表す実感規定と掲げられて、

上述のようなあれもこれもという過剰な安請け合いに制御がかかり、共生感情を示す事になる。自意識過剰や自己陶酔型の感性が、自己生産技術の意識を曖昧にし、効果を上げる責任感覚が離れ、自己を見失った利権への過剰関与型の行為と現れる。

これが別の言い方をすると盗みや詐欺という行為に近く、頭と体の分断した不健全な感受性と表される。この姿が意外に多く見受けられ、どこか健全な歩みを外した客観性を崩された姿と知覚され、日常的な観点から浮かぶ不調和を感じる焦点と上がります。

原論先行型の社会秩序が、薄く浅い一過性の創造を進行させ、核となる自己生産技術の形成を弱め、あれもこれもとつまみ食いする評論家やマスコミ、政治家という人々を生む傾向には、良質な感受性を崩される下に成り、独自の主体性を追求し尊重する秩序の在り方に健康な成長軌道が現れる。

当方の文化活動という立脚点からは、こうした焦点が目につき、ミクロ的事象からマクロのシステム改良への契機となり正常な姿への是正へ進行させる事に働くと思います。

過剰な管理発想が進む世界には、健康な感受性と離れた感覚が増進され、フラットな感性を壊した無自覚の犯罪が現れる。盗みや詐欺という行為の自覚の及ばない可笑しな感性にストップをかけ、根源的な層からの共生や自立の観念を持ち、物事の悪性を把握する感受性を作るのに本書の文化論が有効に思えます。

多重層世界の認識

多重層世界の認識

客観認識とは「創造事物とそれへの対価の適正」であり、この過不足の少ない状態が独立的主体性に成り、創り出す事物の価値についての算定式をどんな論理で描くかに、創造者としての人間性が現れる。自身が考える創造事物の直接と間接的効用と影響を表し、他者がそれについてどのような因果の実感を取るか、そして、創造活動への適正な対価がどの辺りにあるか、この二つの側面から客観認識が生まれる。

感覚的な効用と影響から、二次三次的な因果関係がどう在るかという積み上げ的なアプローチと、過去の歴史と未来の志向性を含んだビジョンの形成に対して、創造事物がどのように作用するかといった観念的なアプローチという二つの面に寄って客観認識を描き出す事になる。

いつどこで、誰に対して、「何を」「どのように」提供するか。その効用は「○○」であり、影響は「××」である。この創造に対する対価は「△△」が適当である。その根拠は「◎◎」であるから。この論理についての率直な他者からの評価が、購買行為による妥当性の合意で示される。購買行為の自由選択環境度の状態について、当該事物の購入に対して純粋に良い悪いを計りだす環境にあるか。供給的な利害を排した需要者としての純粋な事物の評価と購買が描かれる。

ここに不正な盗みや直接関係ない供給的な利害から、創造事物に歪んだ尺度を加える事のない公平公正な態度が在って適正な付加価値と対価の算定に及ぶという見方を持つか。

直接関係の弱い間接性の因果を含めて、付加価値と対価を測定するか等々の立場上からの利害や、ポリシーの取り方の相違や、中長期性のビジョンの有無が、創造事物への多用な価値算定に現れる。物的な感性を含めずに、純粋な感性による評価を与える秩序にする事が、原理追求型の創造社会に至り、各人の独自尺度から創造事物を計り、相対比較よりも絶対性の測定に及ぶ事が健全な市場原理の形成になる。それには、各人がビジョンを持ち、理想と現況と方法という構図が描き出され、その全体構想にたいして、各種の創造事物を配する事によって絶対性の付加価値測定と価格の導出に及ぶ。感覚的比較に対して観念的なビジョンの有無がこの相違を生む。

長期性の文化ビジョンと、個別特定性の高い需給構造のビジョンといった重層の構造が生まれ、普遍性の高い人間性を想定して、そこから反映される個別特定ビジョンという図式を持つ事が人間性を備えた創造性となる。

個別特定性の立場による物理的な暴走に及ばない為の共通的ビジョンを間に入れて、長期ビジョンと個別ビジョンとの具体的な調整を果たす作用が生まれる。偏ったビジョンによる心身の健康性の阻害に及ばぬよう、健康な感受性という面を不動に添えて個別を制御するのが適当に思います。この面が間接性の付加価値と対価の制御作用に当たり、純粋な長期ビジョンに基づく、健全な精神からの操作を成して、個別への一定理解や正当性が示される。

長期原理に基づかない共通利益の執行者利益の追求からは、個別への納得性が生まれず、普遍原理を下にした公平公正な運用が欠かせない。共通利益の執行者が、長期ビジョンを持たずに個別生産者と同列的な中期ビジョンで運用すると個別性との軋轢が多産され、競合的な状態を招かれる。政治が経済と競合する事を回避するには、長期性のビジョンが在って、それを下にした中立性を確保して、個別との適正な距離感が創り出され、個別と共通と根本の健全な軌道が叶えられる。根本面のビジョンがない所には、健全な安定と繁栄の軌道は持続せず、詐欺や盗み、物的力の制御が生まれず、世界を破壊に導かれる。文化による付加価値算定と適正対価という図式が根本に備わって、大枠のフレームを作り、その中での各種個別の付加価値と対価を生みだす事が、客観性という真理の導出と描き出される。経済領域を主たる活動にされる人々の客観性と、政治や文化という領域における客観性は多重層関係による捉え方の相違がうまれ、この理解が弱いと単純物理性の客観性で支配的になり偏狭な感受性の人間世界が進行する。こうした世界観が本書で言う光を指し良質な感受性を備えた創造の導出が意図されます。

未来の光

未来の光

熱い寒い、痛いや程良い等の生理的感覚と人が現す喜ぶや哀しいという心理的な感受性が備わりそれらが動源になって、エネルギーが湧きたち思考を巡らせ方法を作りそれを試してどのような感受性が現れるかを実感し、思いやエネルギー、思考や方法へと微調整が生まれ、再度、プラス型の感受性が生まれるように挑戦が繰り広げられる。

人へ提供する前段に自身で試してどんな感受性が生まれるかの実感を持ちそれを仮説として他者へも提供し同じような感受性が生まれるか、異同を掴み良好な作用へと探求が進められる。感じた事と、新たな感じ方や、感じる事が出来なくなった事等という感受性の変容が生まれその因果を探る事も自身や他者を奥深く知り人間自体を作る事へ及ぶ。

外界の動きを感じ取るのは主体自体に他ならず、自身の変容に視線が取られて外界を知る事になり主客の一致や不可分の関係で表され根源的な物事を捉える視座が生まれる。

外界を把握する作業は主体側の性質から現象となり実感や事実等の観念が適用される。つまり感覚を受け観念記号に変換し記号を通して対話が作られ異同感覚を把握し感覚の増減等を意図した協働が生まれる。個別から共通へ及んで、持続的な向上が意図されて様々な軋轢や衝突を経て変容しづらい型式に至り、それが文化といった根源的な価値と及び人間の叡智と認識される。このような過程により産出されたのが文化集約体系であり、生滅や快不快という感覚的な反応から人との感受性が現れ、プラス型の理念が湧きビジョンが創造され思考や行為という活動の展開を繰り返し、様々な実感を抱き微調整を取りながら洗練された不動的な型式となり、そこに価値を抱き、人に進めたいという欲望が生まれる。

文章で表されて人との対話により気づきや異同の感覚が生まれてプラスの感受性が上昇すればこれらの表現に一定の付加価値が広がる事に思われます。

一方向の創造にはなく相互による最良の創造事物を生みだし同じ時を生きた証として後世へ少しでも良質な作用を繋げ持続的な人間の叡智が積み上がる大きな局面で捉えた活動が文化の歩みと言えるのかもしれません。

他利を意図した大きな欲望と実現による自身の満足感を意図する創造領域になり、当該体系は現代を生きる多くの人の関わりと想いによる結晶として描き出されました。

未来の光を備える事が、現代の闇を掴む感受性を起こし、光へ向けたエネルギーへと転化する。この基本反応の変わらない持続性に人間力の源泉が現れる。

その醜さの原因は、光の乏しさと言えるのでしょう。

平成26年10月12日