21世紀の道徳

21世紀の道徳

役職に就き「何事もなく穏便に」といった発想は、もはやマイナスの代名詞で在り、利己的な保身へ偏した社会悪という性質で特定される。衝突や軋轢へ過度に神経質な受動的体質と見做され、なんら自己の尺度が弱く、ビジョンの形成や保有の弱い場当たり的な振る舞いや回避的反応には、ポジションで与えられる権限の行使を取らない力の未利用という過不足を起こし、この不均衡に対する問題の特定を強調する時代認識に在る。

一昔前の消極的な姿勢による安定概念はもはや成り立たず、理念とビジョンと展開方式の持続的活動に在って健康体が維持されると見るのが適当な概念に在り、減点評価型から加点型に在るのが常識となり、批難や衝突に確たる自己の論理を示し、説得できる不動の理念形成が在って適切な配置が作られる。安定はおろか成長や繁栄等には到底及ばず、根源からの強い理念が形成されて、力の適正な行使が叶えられる。

怠け癖が保守的な発想で回り、過剰ストックがフローの良質性を阻害する不均衡に及ぶ因果で映り、向上心や好奇心が途絶え生命力の脆弱なエネルギーしか生み出さず、少々のイレギュラーに過敏反応を起こし、前進的な創造軌道の細い事では、付加価値が生まれない。
これを予防するのに、対立や衝突は常であるというサイクルを所与と持つ秩序形成が要り、「謙虚、寛容、対立、自制、循環」という有機性サイクルが表される。どっちつかずのいい所どりという拝金主義には人格が確認されず、この姿勢や態度にこそ根源的な病理が映り社会関係の歪みを増進される。和という概念の取り違いと見られる事象が散見され、保身や過度な自己愛が他利を作らず、都合のよい和の概念を適用される事に醜態的な感覚が浮かびます。

偽善感覚は醜さの象徴であり、良質な感受性の劣りから、エネルギーの現れ方に不健全な発想や向きが生まれ、過剰なストックや過保護な環境が、これらの性格を創り上げる。盗みや詐欺への厳しい対応を粛々と取れないひ弱なリーダーには、ポジションと力の行使のアンバランスとなり、責任放棄の役不足は機会損失や資源の有効利用に至らない無能力という判定が生まれる。

生滅概念と実際的な感覚の鈍感さは、間接的な二次三次の被害を齎す認識を強め、質実の取れた均衡への圧力を高める作用が必然と思います。この検証作用の強化が、文化という領域による健全性への営みであり、マイナスは除外しプラスを伸張させる自然本能と現れ、この感度を落とさない事が感受性の堅持となり、良質な機能が作りあげられる。社会的に重要な配置が特定され、そこでの実質的な役割を明瞭化しその到達点を鮮明に測定するシステムの厳格な様式が作られ適正均衡の概念が実現する。

堂々とした文化という旗印が掲げられ、歪んだエネルギーを削減し、健康なエネルギーを増産する観点からの施策が根源価値を表し、表層の事物を正しく計りだす感性の推進が長期の規則性と備えられる。本書の各種ビジョンから、病的な姿は鮮明に浮かび上がり適正な識別の判断を速められる事でしょう。こうした感受性の形成が21世紀の道徳の確立と見做される。わけのわからない理屈を並べれば、一発アウトの時代が進行している。

1)精神的軋轢への免疫低下現象

1)精神的軋轢への免疫低下現象

リアルな感覚と離れて、小手先の手法が多用される感性の進行が現代社会の問題になり、生身の生命的な接触と遠のき、道具に依存した人格の衰えが、安易な対人関係を創り上げる。目の前にして出来ない事を、裏でこそこそやる感受性の歪みが病的性質を深め陰湿なエネルギーの流れを作り出す。この精神的な面のひ弱な体質に不快が現れ、それへの対処や予防の施策を生み、健康な心身を創り上げる事が根源からの人間改造の焦点に定まります。

直接の衝突への免疫が落ち、間接的な手法を用いるアナログ面の衰退が問題を複雑化させる。率直な感受性を表さずに表裏の激しい二重人格が生まれ対人面の病気を作り出す。お金への執着がフローの良好性と離れ、人との距離が広がり、本音を見せずに見えない所で姑息な手法を用いる事に人格の欠陥が見受けられる。このような観点を問題とする事があらゆる不快事象の根におかれて抜本的な軌道修正への施策を投じる事が好循環への本格軌道を齎せる。

文化論という長期の良好な価値基盤を侵食する部分と捉えられ、健康像を標準に歪んだ性質の特定をとり、発生の原因を多角的に分析し、発想や行為の修正に繋げる研究と活動領域を形成する事に関心が生まれます。

広い観点で言えば、軍事的衝突から情報戦という手法に進む事へ焦点が及び、この性格は人間の歪みの程度を更に増進させ悪性のスパイラルを深められる。長期的根本性の観点から浮かぶ異常な性質であり、大きな問題認識を持つのが健全な感性による事象の取り上げ方と感じます。この認識に及ばず制御不能な体質と浸透して自覚も弱く、狂った感性への不快を持たない所まで相当深く入り込んだ現代の病と浮かび上がります。

人口化された利便性に慣れた体質が精神的な感覚を狂わす負の側面に真摯な対峙を持ち、人間側の健全な意思の形成を意識した良質化策を創る活動として文化論という着眼点が生まれます。この基盤研究へ一定の理解を遂げて事の本質を掴み、健全な軌道へ制御させる活動が必要に思います。一部の層に、物理依存型の対人形成について、病気の自覚のない所まで進行しているという認識に及びます。「理性的な対話を」等としばしば言われるもののより深刻なのは、この二重人格という根本的な性質の歪みに映ります。

2)主体性確立の基礎

犯罪者のまま平気で過ごせる感覚が根源的な精神の弱まりで在り道徳の欠落した慢性的な症状に見受けられる。損害や迷惑をかけたら、そのこと自体に対する真正面からの反応を見せるのが健康な人々の姿であり、これを欠いて思い込みの激しい代償案を取る事はまともな態度ではなく、ここに傲慢で真摯に事柄に向き合えない体質が伺える。

偏狭な感性が固まりミクロの健全な心身を壊すと、こうした姿が現れ物事から逃げる癖が常態化する。物性への依存症が甚だしくこの傾向が強まる事には良質な文化基盤を破壊し小手先の貧弱な感性へと下落させる。これが根本の改善になり逃げる事無く人間の再生を取れるかの岐路にあるのが現代の転換期における課題であり自主内発的な道徳心の回復が産業や経済、政治行政の好循環の源泉と位置づけられる。躾の誤りはその上に作られる発想や創造に及んで歪みの連鎖を生み長期基盤となる良質な伝統文化を壊す事のない歩みに価値の重心をとるのが自由で躍動的な原理創造型社会の進行には欠かせない感受性の在り方と描き出されます。観念体系を作り出す事で独立という状態を得られるかの頭脳寄りの発想や物理性に偏して単純に操作できるという発想に陥っては歪んだ人格が形成され普遍尺度と適用の態度に実体が現れ感受性と感覚と頭脳の有機的な健全性が捉まえられる。こうした性格が「無限性を下にした平等感覚から真摯な対象との対峙を取られ公平公正な均衡感覚を作りだされる健全な人々の感性」であり一部の歪みが好循環を停滞させる。要路となる立場に同様の感性が備えられ共通基盤が固まり日本という国や世界が小僧から大人になれるかの瀬戸際に映ります。国内におきましてはNHKをはじめとした大手マスコミの一部、民主党や自民党等の政治家の一部、情報通信業者や流通業者の一部、旧態的大手企業の一部、地方や中央の行政職員の一部、風任せの大衆の一部等々の感性に極端に偏った子供体質が浮かびます。力と責任の均衡を根源の原理として然るべきマクロシステムが作られて局所や中局、大局の良好な調和に及ぶ。力に縋る事無く過不足の適正を粛々と求める事がいつの時代にも課題になり理性的な仕組みを創造して実態的な高次化への軌道を整えるのが文化活動の作用と備えられる。犯罪者が頓珍漢な肩書を付けられては、社会の弊害と思います。

文化論と議論の進行方法

文化論と議論の進行方法

1-1議題

例示「カジノ」が問題取り上げられている。

1-2論理の筋道

供給者と需要者と両者を含む生活者という視点を持って分析し、其々に見る直接と間接の正負の作用を思い浮かべ、重要管理点を絞り込むなどして点数を付け、一覧表に纏めて全体の輪郭が浮かび上がる。この総合図面から、進める、進めない、条件付きで進める、という大きな方向性を出す事が理性的な創造行為に思われます。

一般的認識化 個別意見
カジノの定義
供給者の認識
需要者の認識
生活者の認識

1-3論理構成

論理構成法には、帰納型と演繹型に大別される。前者が身近な感覚面からのアプローチ、後者が観念枠を設けて、その範囲での事柄を生みだすアプローチ。

1-3-1帰納型

1)ますは、個別積み上げ的見解を思い浮かぶだけ無作為に意見を述べ、

2)それに対して、カテゴリーとしていくつかの纏まりを作る。

3)その纏まり間の論理を編成する。因果の実感形成。

4)どこに重みがあるかは、動機と方法、結果という動態構造によって性格づけされる。

5)動態構造が世界観に成る。

1-3-2演繹型

この逆のアプローチが、人間像という概念で制約をかけ、その範囲の創造事物を作るという流れであり、演繹型の論理構成になる。

文化論という全人格的な立場は、供給と需要を総合した全体観を作り出す。

人間像の形成方法に、本書のような型式が参考材料とされる。

本書の人間像は、正負を併せ持つ人間と捉え負をなるべく少なく正を増進させる軌道に理想動態像が掲げられる。負の部分はなくなる事はなく正は負を伴う。

1-4創造活動

一般的見解として、創造行為は、他利を提供して自利を得るという型式に、社会性と技術の良好な関係が生まれる。

1-4-1利用者

この事から金融投機や博打の性格は、利殖にあり、社会性を弱める作用に在り、

消費利用者が、定常的な財の獲得を意図して生計を立てるという事では、人間性が破壊される。言うまでもなく、たまの息抜きという遊びという行為の性格が抑えられる事が消費利用者にとっての原則とされる。

1-4-2供給者

供給側に於いても、事業の性格はこうした利用者像を前提にして、適正利益を叶える事が理念にされて、健全な事業の性格が備えられる。それに相応しい各種の施策を考案するのが適正であり、自主規制として設けるか、公機関による規制による監督下に置かれるか、

1-4-3生活者

生活者という立場は、この直接的な事業からの間接的な影響を想定して、規制等を考える事になる。

1-4-4主導者

人間の腐りの自覚の弱さがしばしば見られる。無自覚の犯罪という対人上の感受性の劣化事象を表し、これが生産上の性格や社会システムの性格に反映され社会秩序となる。価値観が、即効性の高い事象によって金銭の入手に連なる事を尺度にした行動原理となり節操のない姿と現れる。所属するグループの指導者の性格が反映される。

こうしたアウトラインの中で、最良な理念とビジョンと展開方式を描き出すのが適正な活動とされる。言い換えるとこれが人間像の創造的側面を表し、制約となって良好な創造活動が導出される。

道徳の意味

2)道徳の意味

解りづらい文章は読むのに労する。進行の結果を議事録などに残され、広くその話を伝達する事は、直接の参加者以外から気づかない意見を徴集する効用に意義があり、議事進行内容を端的に解り易く示す事が出来るかによって付加価値の増産の程度が変わる。役所から出される文書は回りくど過ぎてやたらと長くどこにポイントがあるのかを読み解くに労を要し、この意味で付加価値を生みだす創造事物としての付加価値が低いという印象を受けます。つまり生産性が弱く、基軸となる結論と過程を鮮明に示す事がまず第一におかれて枝葉となる詳細を補足する示し方が弱いと中心焦点が捉えづらく考えが良く伝わらない。

  1. 端的に、○○と思う 2)なぜなら、△△だから。

この因果を明確に示す事が、一行目にあらねばならない。

この集約表現で事が足りれば後は進めればいいだけであり、余計な部分は要らない。根本と基幹と枝葉という有機体という構造で置き換えられる。

2)動機や欲望、1)叶える方法、3)実感規定の特定、という3つの要所で全体を示し、インプットと変換過程とアウトプットのシステムで纏められる。例えば→

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/049/siryo/1352638.htmのような文章は見ていて疲れる。

生産性の悪い典型に思えます。日本文化の精神性が脆弱であると、表現が供給者の気ままな型式で表され見る側への配慮が弱く、利益を提供して利益を得られるという基本式と離れた感性と伝わる。市場原理のような需給構造に晒されないと緊張感が生まれず、だらだらした表現を平気で出される。集約や要約力の性能が対話の快適性に及び、個々の発言をそのまま列挙する事と、それらを纏められる力が前進性を強め問題の解決へと作用する。

道徳心が弱いとは、問題を感じる感受性の弱まりやビジョンの創造力という面の欲望の弱さを表し、自己寄りの保身へ偏した維持型の発想に回った規則性で留まる。

感覚寄りの体験と感受性を経る工程と離れると道徳心が弱まって、問題事象の把握や解決へのエネルギーが弱まり、価値を生みだす活動性が下がり生産性の劣った姿が現れる。道徳の本質的な意味や意義はこのように捉えられるべきと思います。この概念が体に染みつかずに、頭だけの一過性の理解で留まり創る意識が高まらない。民間の需給構造に身を置く経験が要りその過程を省くと道徳が体内化せず価値が生まれない。道徳は全身を持って伝わり論理のみで理解されるような性質とは異なるというのが多くの人々の認識に思われます。以上の事から論理と道徳は一体として生まれ真なる調和が響き渡る。

真なる調和への道

1)真なる調和への道

外界への共生感情を持ちそこに良好なプラスの事象を齎せたいという発想や志向が自然に湧くのが健康な心身を備えた人々の反応であり、これがいつの間にか逆向きになり、なにも提供せずに外界から奪う発想を強められる。この割合が高まる程に自然な調和感と異なる力んだ物性での強要や支配管理型の思索を深められる。

人や自然の喜ぶ姿に快適を抱くという気持ちの軌道が常態され、その感受性を自然に感じ取れる同質の健康体との良好な循環関係が生まれる。この焦点が好循環を作る起点に成り良質な気流を増進される根源の因果に映し出されます。つまり、自身の中に光があり外側の光を見たい、作りたい、という自然な欲望が湧きその気持ちが外界から察知されて、外界からの自然な気流が生まれ滞りのない過不足の少ない相互調和が生み出される。これがどこかで歪むと適正調和が現れず、外界への光の提供とは異質の光を奪う欲望の強い感受性が正常な軌道の停滞や弊害を齎せる。このマイナスの感受性を作らない事や取り除く事へと人々の善意や良心が注がれプラス型の気流を増進したいとする根源の本能が備わりこれを正義や平和といった観念で表される。「他利を作り自利に回る」流れ方と適当な釣り合い感覚を抱く事の出来る感性の形成や持続性が健康な人間性という姿で認識され自然に備わる快適感と現れる。

こうした歪みを連鎖させずにどこかで止める作用が備わり負の循環を深めずに、正のスパイラルの強い堅持があって、外界で生まれる光を望む感受性が残り、光を奪う感受性に染まらない良質なエネルギーが持続する。

このような因果が根本的な心理作用となり表層的な感覚や創造事物に現れ生産活動の実態が認識される。根っこの感受性とそこから湧く理念と、望む人との対話関係という技術と市場がイメージされ、それに到達する方法が二次三次と作られる。健康な心身を備えた同質的な感性によって感じ取られる現象となり人間の感性があらゆる事象の認識や創造の下に配される。光を見たい、生命の躍動感に快適を抱く理由の付かない本能の存続が人間の遺伝子と内蔵して持続するような施策を投じる事が何よりも重要な創造であり、価値の源泉が確信されて迷いの少ない発想や行為が生み出される。どこか過剰な強欲性や物性型の感性が進行する中に在っては局所の歪みが各所に伝播して慢性的な負の感受性が進行する。これを招かない欲望が生まれ正常な適正感覚を表す論理への探究が進められ文字や記号、映像、生産事物等で表現し強調する創造が生まれマイナス性への対処や予防とプラス性の増進へとエネルギーが注がれる。「共生感情→信義誠実→健康なビジョン→方法と検証→持続的循環活動」という途絶える事のない不動の動態ビジョンが人々の意思と固まり普遍の原理と描かれ、真理という言葉を感じます。

2)不動の感受性-有機性サイクル

不動の動態ビジョンの具体性を表す文脈を取り上げます。

感覚と感受性を経て、実感を作り、知識と積み上がり、それが別の対象に活かされ、新たな感覚と感受性を発見し、知が更新される循環に在って、有機的な外界との適正な調和感覚が備わり、このフローの状態から離れるほどに、歪みや奢りが現れ、創る体質にない奪う感性が進行する。

詐欺や盗みを常態した発想に陥り、その自覚の弱い異質性が深まり、対象との真摯な姿勢と離れ歪んだ精神性が作られる。相互対話性を持つ需給構造に在って、要望や期待とそれへ応えるエネルギーの循環を定式と備えて、一方的な固定概念に偏しない態度に及び、飛び越えた発想や異常な行為が抑制される。

これが、市場原理におけるプラス型の作用を指し、一方でマイナス性の側面が浮かび上がる。力の保有や利用に対して、効果と影響を計り、それに等しい責任感覚が付いてこないと暴走的な力の運用が進み、万人的共通価値と規定した下限の制約さえも超える行為が現れる。力に振り回され自己制御の不能な物的感性が進行し理性を見失った感度が現れる。これらの不調和を、感覚と感受性の程良く回った健康な心身を備える人間から測定して、快不快の程度が現れ、標準と乖離との構造で把握され、健康な振る舞いへの方法が提起される。健康な心身を可視化するのに、論理図面が描かれる。その図面と実際の適用も、見える化し、これらの事実に対する万人からの感性が示され、3者間の緊張ある感性の触れ合いを取り、真理探究の持続性が生まれて、歪みや堕落に陥らない、オープンな感性の健康な軌道が叶えられる。このようなミクロ原理が根に成ってミドルやマクロのシステムが構成され、システムの大きさの適正が常時測定されて、重層的な各面の健全性への継続的な改善を進め縦横構造の管理が取られて、フローと構造の良質性に及ばせる事が生命体の存続と成長に欠かせない。

現代社会の負の焦点

現代社会の負の焦点

歴史と論理という焦点で人々の創造活動が捉えられる。適度な人的連なりを踏まえた論理形成が、頭脳と感覚との適当な有機性を表し共通感受性を備えた社会性が生まれる。論理ばかりに偏することなく、人的連なりとの適正を容れた調和形成に、健全な心身を備えた創造活動が生まれ、物理力に偏した感覚の過剰による急速な進行には適度な調整を果たす事が要り、真理や普遍性の探究軌道が備えられて、根源からの価値への志向が持続し、現況の客観性を掴む構造が生まれ主客の適正調和への道が堅持される。

長く同一の仕事を何代にも渡って継続する中で代替わりの場面を迎える。祖父から父へ子や孫へと移り代わる際に、継続される考えと異なる部分が生まれる。顧客や同業者に対して安定していた部分が変容しそれが馴染むまでの移行期間が現れる。この部分で既成の方式とのズレが多々生まれ大小の軋轢に遭遇する。良好な引き継ぎ作業が取られて既成型と新設的面とを整理し、理解を経ながら円滑な繋ぎが作られる。特にこの代替わりが肉親となると緊張感が弱まる面とよく知る間柄という面からの影響が生まれる。

歴史的人的繋がりに自然な感覚が備わり個別オーダー的なフィツト感が生まれ、一律適用型の処理とは異なる人的密着が作られ、そこに快適感を抱く場合と、曖昧性が多々生まれ適度な緊張形成を取れる自律型の制御感覚が出来て程よい関係が作られる。一律型の対応は限定性を明瞭化させ、誰彼問わず尺度と適用の単純方式が高まりそこに公平という感覚を抱き快適を持つか、個別性を排する所に違和感を生むかの反応が現れる。

広く見ると現代の規格量産方式や法による秩序は一律性を高め、均等単純化した対応がトレンドに成り、この感覚に快適感を抱くと共に味気なさという情緒面の不足感が生まれる。後者の側にニーズが起こる面と、経済の成熟期からコスト圧縮への圧力が働き、両面を感じながら調整が生まれる。

こうした現象は、歴史性と人口性、人的連なりと論理適用、情緒面と物理面、心情的と機械的等々の対置概念で示され、両要素の調和や適正感を探し基準感覚が生み出される。

法律家の人口的論理構成の感覚や、科学技術の合理性の供給により、個別オーダー的感性は、単純化、規格化され、無機質性が強まりを見せる。この感度が行き過ぎて、頭脳的作業による感性が広がり、感覚や感受性を根にする対象との交わりを弱める作用が生まれ、個人化の促進や物的欲望の充足という軌道が現れる。潔癖性や、神経質、過敏反応、単純化、人口性等々のキーワードで示され、物理感性による方程式という機械的関係性が進行して平等感覚の崩れが生まれる。一律的な単純型枠の価値が固まり、多様な感受性が萎み、物的序列の感度を増し、盗みや詐欺に歯止めをかけられない自制力の劣った人間が多産される。寛容性の少なさ、許容範囲の縮小、利己性の高まり等々の感度が生まれる。

これに豊かさを感じる面と、異常さを抱く面とが併存し、その割合から、志向や生産、制度の形成へ影響し体質という捉え方で総合される。このような人間の変容状態が映り異同感覚が現れるものでしょう。教育や秩序形成の間違え感覚に及び、根源の捉え方から正常軌道を創るような発想や施策が生まれます。

マイナス性を表す一面が、知識の質も、感覚や感受性を経ながら作り上げる事よりも、頭から入り感覚化されない断片的な状態での知を保有され言行の分断状態が生まれる。有機性の弱い体質と現れ、妙にプライドや利己性を求める我儘感性の強まりに子供のような精神構造が現れ、下限の制約等へも箍が効かず、正当的な論理を作る所に、基礎感覚の壊れた異常な人間性が映ります。こうした下限の崩れには根源的な歪みと捉えた社会的な対処や予防の施策を取り、行き過ぎた物性への矯正が要るように思われます。

マスコミ、政治家、IT系、教育界、法曹界等々の領域に比較的この性格が顕著に映り、地方の経済振興を関係づけ、都市型生活者と地方の感覚差を埋めるような施策を取るか等々を、文化の観点を添えて、根本的な人間性を鑑みた良質化への思索を及ばせ、感受性の厚みを取る発想から血の通った良好性へと及ぶように思います。民主党やNHK、公明党、自民党のぼちゃん系、インターネット事業者、旧態的感性の強い大手企業、地方の田舎議員と役所職員等々の一部という社会システム全般に渡りマイナス的な印象が生まれる根本的な体質の劣化と映り、日本文化の良質な自律性の高い調和形成の感覚を崩される物性の野放図な進行には根源的な対峙をとり水準の下落を留める事が不快現象の本質的な改善策と思います。

文化政策の観点

現代の物的感性の進行は買い手市場の圧力を増し、初めから過剰な忠誠を求める態度に現れる。人々の信頼形成は感覚的行為の繰り返しによる感受性により相互の信用が形成される。直接的な関わりのない段階に於いて言葉ばかりでの信用などは生まれる事はなく、個々の意思と行為の交換によって相互の異同感覚が確認され、その調整に於いて実際的な感覚と感受性を実感する事になる。そこで余りにも、違った感性と確認されると違う道を歩むか、法に照らして争うか、泣き寝入りするか、粘りよく機会を待つか等々の反応が生まれる。理念やビジョンと掲げる事と、過去の歩み方の経緯を見て、概ねの感受性が推察されるものの、実際的な交流において自身で検証が取られる。文字情報に過信はせずに相手方への過剰な期待を膨らませずに、協働生産過程において相互にエネルギーを投じるスタンスに在って、過不足の及ばない長期の生産関係が生み出される。

単純物性型の産業経済の型式から使用者側の力が増進し、限定性の強いパーツとしての機能が高まり相互成長の発想から短期利用という扱いへ進行し、入り口での限定作用と実現の要件が並べられるか、ビジョンの鮮明性が弱いまま、二次三次に加工された規格を安易に用いる手法が取られる。

こうした労働環境等も予測して、マクロの観点から相応しい制御を作る役割が望まれ、それを含んだビジョンを作り過度な物性型の産業に陥らない中長期の発想を持つのが、高次の理性を備えた成長策に思われます。特定の民間事業者によって大枠的長期のグランドビジョンを描くには限界があり、公共的立場からの健全な感受性を想定した実現策が少なからず必要になりマクロ政策の意義が与えられる。

数字ばかりの作業に陥り人間の感受性の変容という点への思索が弱いと、即効型の発想に偏して社会関係の歪な構造や人間の物性が増進し劣った判断を招かれる。ミクロの感覚的な焦点への作り込みへの発想が及ばないマクロ政策には程度の劣悪な事態を生み後戻りの困難な姿を招かれる。

このような問題提起に文化という根源からの発想が示されて、熟慮を重ねたマクロ計画の策定に及び、健全な軌道を保った需給相互からの適正な施策が作られる。根源の感受性を根にして物理面と情緒面との良質性を叶える産業経済、政治行政が設計されて一定の統制を持つ事で健全な社会が生まれる。教育文化芸術と産業と政治との有機的な循環を持った中で仕組みが叶えられるものと想定されます。

権力志向に陥った政治家や人格の歪んだ財界人や学者、法律家やマスコミがポジションに縋りつき、健全な感受性に寄る発想を歪めると、中長期の原理探求やビジョン形成に及ばず、利己的立ち振る舞いによった判断を取られ社会を衰退に導かれる。視野偏狭に陥って利己的な発想から小さなマイナス対処へ時間をかける事は大罪に相当し、健康な精神に基づく原理の探究にある事が必然と置かれる。

こうした全体概念の上に実際の事象を乗せて正負の評価を生み最良の選択へと繋げる強いリーダーシップを求めているのが健康な市民の声になり文化政策と描かれます。

原理創造における基本概念の整理

 

本書に於けます基本用語や概念の認識を示します。

1-1基本式

事象を認識するには、感覚による実感、観点という抽象原理、時空という3つのポイントが備えられる。

1-2直接感覚

熱いや寒いという皮膚感覚、目視による感覚、音声による聴覚、匂いに寄る嗅覚、味を感じる味覚、

1-3一過性と反復性

一過性で捉えた事について、諸条件と刺激と反応にみる同質的な現象の繰り返しという反復する状態が確認され規則性の発見とされる。

1-4原理と応用

規則性が原理という呼び方に成り、原理という概念が観点と備わり、その先入観を仮説として、別の対象を選定して、そこでの条件と刺激と反応を確認し、仮説との異同が検証されて新たな認識が生まれる。

1-5原理と原理の因果関係

更に、一つの規則性と別の規則性との相関に見る規則性という対象の捉え方が生まれ、原理間の因果が掴みだされ、対象範囲の広がる事象の認識が取られ、そこに新たな原理の発見が生まれる。

1-6効用と弊害

このように一過性の直接的感覚から、反復性の直接的感覚、原理の確定と応用的利用、原理間の因果の発見等々の認識行為が取られて知が蓄積される。概念が溜まる程に予測性が増え、高精度の予測と働く場合と誤った認識を生む弊害になる場合とが生まれる。

1-7積み上げ方式

以上が観測的スタンスによる対象との関わり方を指し、既成型の規則性を下にした同質的な原理の認識を作るアプローチとなる。

1-8非連続性方式

この方式とは少々異質なものが、既成型の知の認識の有無は別にしてあまり見た事もないような刺激と反応の型式を持ち、原理を作るような動き方がありこの程度から斬新性、新奇性という性格の事象が生まれる。

1-9価値志向型ビジョン

以上のような事象の認識過程を経ながら良好な感覚や感情を見つけ、その価値の表現や価値の実現を志向する表現が創り出されこの型式に文化論等の対象範囲の広さや深さを持つ世界観や思想が位置づけられ、全体統制や創造の起点に成る原理という性格の型式が生まれる。

1-10反応がないのは実態関係を作る意思がない事を表し、反応が生まれる主体との関係が進められる。リスクを取らずにリターンを求める関係は発展せず時間の浪費であり創造の弊害という負の存在と特定され、この体質が文化論における真摯な対象との対峙を避ける悪性を持つ事実上の犯罪者と見做される。

健全な世界観

健康な世界観

憲法の専門研究者という立場にはありませんが、一般的な生産者として、概括的にこの観念体系を眺めると、なるほどと思わせる部分が多々生まれます。

主権在民という根本の精神を明示される所に、人間社会の良質性に向けた肝が備わり、人々の共通的な欲望と固まってきた事を、文字で明瞭化させ、法による強制力を持たせて堅持する仕組みという概括的な把握に及びます。

この観念体系は、日常の感覚や感受性を通した生産活動を体験すると、その中で様々な衝突が現れ、それを解決する思索を重ねて実施すると、憲法のような観念体系が思い浮かび、各人なりの協働生産の円滑化策として、体系が創り上げられる事に思われます。この感覚と頭脳と感受性をもって創り上げられる過程によって、宙に浮いて用いない観念図面という事態に至らず、自己の内在化した行動原理として作用する。頭脳による吸収は、この感覚面や感受性を経ずに省略する事から、人間側の知肉となった生きた図面に及ばず、頭脳と感覚の分離した不健全な状態と現れる。

自身の経験から創り上げられた体系を下に、憲法を眺めると、なる程良く出来ているという感じも浮かびますが、しかし、一目で入るような全体有機性を感じ取れるように、A4用紙一枚で纏めるような工夫が見られない所に、実際の動態感覚と離れ、どこか死んだような断片性の感覚が現れる。

人々の活動過程に照らした大枠のフレーム観をとり、個別各論の重みづけを与えて、全体からの臨場感が備わり、生命観を抱く観念となり、主客の調和性が高まる事に思われます。本書で描き出されました活動観念といった一巡性を持つ生産的な過程についての観念を、前段に設け、日常的な規則性を下にして、各種原則の重層性を配置する事が、なじみの良い表現に行き渡り、理想と現況と方法という実現への行為性が強まる観念と活動との一体的な感覚が創り出される。

方法を生みだすのは、理念への共感力からなり、人々の自然な感受性をよく表す描写の仕方で理念が示される事によって、同一的軌道をもつ方法へと展開され、人間を創り上げる道が浮かび上がる。共通的な欲望という範疇の事をフォーマルな形式として明瞭化され、まったくの共通ばかりにない個別性を認め尊重する枠組みを持ち、共通性の中でも変容しづらい長期性の事を根本という観念でとり、欲望の総体とする抽象原理があらゆる生産の前段におかれて、個々人と社会との良好な調和感覚の実感に及ぶように思います。

個々人の世界観の無限性が尊重され、共通的な価値を抽出し、個と共通の良好な関係性を意図した活きた体系への持続的更新が成されて、身近な肌感覚へと浸透する。やりもしないような、或いは用いられないような体系には意義が弱く、観念と感覚の整合によって主客の実感に及び、そこに感受性という生き物の性格が確認され、生命の宿る共通価値を感じる事になる。

個々人が感覚工程を省いて観念ばかりの入力によると、この程度差が開き不調和が広がったまま歪んだ運用や使わない規定が多産され、運用者の自己都合に偏した作り方が生まれる。専門家の為の体系に行く事無く、万人の身近な生きた生命観に届く事が重んじられて観念表現に付加価値が現れる。自己体系が作られ、その一部に共通体系が配されるという全体観の描き方に健全な心身を備えた世界観が作られると思います。どこか法律という枠組みを世界の全体とするかの所に、世間一般の常識感覚と離れた事象が生み出され、個別と共通と根本という観念フレームを持ち、人間世界に対する自然環境という世界の上に、教育文化芸術、産業経済金融、政治行政司法という3つの主要素で社会観を抱き、そこから個別事象へ対する適当な評価感覚が生まれて、重要な事柄への序列感覚の健全性へと連なるように思います。この感性の厚みが揃うほどに、自主内発的、自己制御性の倫理道徳を備えた躍動的な自由の創造が生まれるように描き出されます。人間のエゴが強まり、自然の存在をどこかに忘れたかのようなバランスの崩し方に、異常さが抱かれます。このような基盤面の形成に文化論という領域が生まれて、根本的な構えを作る事によって良好な感性を備えた専門領域の在り方が生み出されると思います。