健康な感受性から映る歪的事象

健康な感受性から映る歪的事象

政治屋やマスコミ同士のエゴの衝突で、空間秩序を乱すかの事は本末転倒であり、良質な尺度から個別事象の性格を捉え、事象発生者への適正な評価が積み上がり人々に記憶され、適当な所で賢明な態度が示される。

多くの人は、秩序変容の過渡期に膿を出し、良質な基準へと更新される中局的なプラス型の動きと見て右往左往のない各自の生産へと意識を傾注する事であると思われます。変に、どうでもよい良いような事を、大きく取り上げ力んだ感じ方に映るのが、正常な生産に在る人々からの感性であり、政治行政マスコミといった領域の刷新が進んで、落ち着いた環境に正常化すると経済面へのマイナス影響が減少し、良質な政治経済の循環が生まれる。

文化的な感性を備えた人々からは、物事の取捨選択の適正さが生まれる。短期から中長期というフレームの中で、個々の事象の重みがつけられ、良質と阻害性の事象を区分けされ、

個々人の利益を中心焦点に於いた生産へのエネルギーが常態する。

間接性の政策については、適度なウォッチをとり、エゴのぶつかりのような事は、バラエティーと区分して、バランス感覚の優れた状況認識を取られる。しかしあまり公金を用いて、遊んでるように映るとマイナスの心象が進み、「いい加減にしろ」いうような声も高まるのかもしれません。

どうでもよいような事象を取り上げる人々の感性に疑念が深まり、距離が遠のき良質なメディアや政治家へ関心が移行して淘汰が進む事でしょう。自分で自分の首を絞めているという客観的な認識が取られず、私的感受性の単純な衝突には、見ていてなんら得る事がなく、喜劇として各人の人間性を映し取るくらいに捉えられる。ただ、あまりも高いチケットに成らないような制御感覚を持ち、役者への注文を付ける事も要るのかもしれません。更に、これらの周りでちょろちょろ動き稼ぎにされる評論家といった心象も生まれるかもしれません。あまり文化的な面へのマイナスにならないような節度を持った振る舞いを、良識を備えられる人々は望まれるかに思います。選挙等で、これらの判断を冷静に取られる事でしょう。ちなみに、私の台本には書いてありません。

創造者像

4)創造者像

マインドとしては、強い立場には競争心を燃やし打ち負かしたいという野性の本能を少なからず抱き、既成の原理を超える原理創造の軌道に在る事がパワーの源泉となり、技術への純粋な探究心と合わせて人への意識も加わり上昇発想に在るのが緊張の糸を切らさずに回る動態と描かれます。このマインドが弱まると保守的な構えに陥り輝きが淀んでマイナスの発想に陥り、そこに過度な力みが現れ負のスパイラルを増進させる。

原理追求の姿勢が原理に対して謙虚な態度と成り、この評価感覚に真摯な対峙を持つ事が基準に対して自他を客観的に映し外界との真なる調和の軌道と現れる。技術力は社会の顕在的潜在的な要望に向けて発せられ、この筋道を直接の基軸にエネルギーの大半を投じる事が基本となり、外野と思われる発想の強い所からの刺激は、視界から外し真っ直ぐな前進をとり、良質な快適や不快と直面し課題を超え続ける中で、深さや広がりへの思索が及び因果の実感が増減し纏まった世界観が形成される。個別事象の積み重ねと所々の節目での集約と更新を持ち質の上昇と量の増加という抽象表現で活動が表されます。

纏まった世界観に文化観念が作られ、個々人の歩みからのオリジナルな部分と、上述のような歩みを重ねて出来る健全な人々に共通する部分が生まれ、根源的な原理と備わり同質的な感受性の厚みが生まれる。それが文化という変容しづらい根源価値となり、それと思われる感性を明示的に表し、価値への感覚が強まって良質な軌道の連鎖や加速、そして、継承と及び、文化の永続性へと生き続ける。

歴史家による記述と共に、理論家という性格の創造者が生まれ、良好な軌道に連なるであろう集約表現を構成し、万人に見えるように表して、異同感覚等の検証を取りながら、更に精度の良い理論へと書きうつし、未来を映すビジョンが作られる。総枠的な理論形成に対して、経済や産業、政治や行政、教育、或いは特定生産事物等の限定的、独特の観点を設け、領域の概念形成という活動が進み、総合的な哲学と専門的な分野の見識が合わさり、人間と技術が絡み合った感覚的な質感を持つ思想が生み出される。

各人にこのような歴史家と理論家と実務家という性格が含まれて創造者という総称がつけられ人間の生産的な側面が抽出されます。

たまにおべんちゃらを見せ相手の態度を伺い、相手がどういう調和感覚を持っているかを確認し腹の内を探り、次第に変容してゆく態度を感じながら、ここだという所で調和の新基軸が取られる。下に見えた時こそ下に構え、そっと欲求を提示するとスッーと通る事でしょう。但し、根っからの地主のボンボン体質は手の施しようがない。