環境と人間
都市には、道路や鉄道が整備され、マンションや商業施設、オフィス施設となる高層ビル等が建設され、そこに入ると人間がやたらと小さい存在に感じられると同時に、その環境に適した型枠を自ら描き出し、それに沿った振る舞いを作られる。いつの間にかモデル像が描き出されて、上下左右の快適感覚が備わり、感性や発想、思考や行為へと連鎖し規則性が作られる。外界と主体との間で見る均衡感覚という焦点が生まれ、外界から大きな影響を受ける感性と外界へ大きな影響を与える感性か、同程度の作用を持つ均衡か等々の感性の相違が生まれる。
都市型の人間は都市施設から受ける影響が大きく人間を小さくさせる。地方型の環境は自然の中で包まれ人口化されていない環境との直接的対峙に在り感受性が溢れ、せせこましい発想から開放され人間自体に輝きが見られる。きっちりした規格を求める感性と発想の柔軟な既成型の知に縛られない感性とが、環境により影響されるか、感性が環境を作り出す。このような焦点を持ち、どんな欲望が生じるか、備えたいかを持って人間と環境を制御する思索が生まれる。
都市空間という面や道具の開発といったハードの面が、欲望や精神というソフトとの相互関係を持ち、人との関係形成の感度を創り上げ物性と理性の状態が現れる。言葉の作り方や用い方等に反映され、精緻さや機械的論理や情緒的表現等の感度に現れ需要の性格に及び生産の傾向というトレンドが生まれる。以上のように物性の感度はクリエィティブな創造性を萎ませ、情緒性は機械的論理を弱める関係性にも見受けられます。人間と空間、人口と自然、道具の特性等々の関係性を浮かび上がらせ人間と自然、人と人、個人と社会、使用者と労働者、行政と民間、高齢者と労働者層の良好な関係を創り上げる基本的視座が表される。
こうした概括観に対してどんな欲望からどこに焦点を定め、どのように持って行きたいかという人々の創造性が起こり方法が提起される。文化論の発想は大きな視野の中での部分という捉え方や、根源的な焦点に絞った普遍的・不変的な原理を表し大きな軌道の良好性へ関心が進み、全体安定性や健全な躍動性へのビジョンが作られ、感受性と感覚と頭脳の健全な健康体を基準にした応用の想像が生み出される。即効性の感度に健康体を標準にした一定の制御性を齎す作用が現れるかに思います。これらは平等感覚といった基礎的感受性に比重を持ち、その根源的な人間の性質を崩さない志向性が備わり出現する創造活動と言えるのかもしれません。都市環境に振り回されて人間側が弱まり、科学技術を用いるというよりも、科学技術に扱われる因果に及ぶ程、この基礎的感受性が脆弱になり異質な感性が進行して外界への力んだ姿と現れる。作ったものから作られる関係性を生み、主客転倒に及ばない調整感覚が人間の基礎的感受性に堅持されて適正調和が叶えられる。
積極的創造策と根源的感覚や感受性との相関を計り良好性を生むのに、利益と原理の概念から最良性が求められる所に、健康な心身という基礎的感受性による作用が現れる。物性や理性のいずれか一面の性格が進行する領域に見る正の面に、負の批評を与えて正の特性を弱めるよりも伸ばす感性にあって、全体としての次元が底上げされるビジョンを持つのが、寛容性と躍動性の概念から導出される。しかし、この根っこには基礎的感受性の所在が備わり良質な伸びと映し出され検証期間を経ながら調整作用が加えられる。これは、共生の概念から導出される。共生の概念が下地に備わり信義誠実な態度による自立と協調の良好な世界を意図した文化論と纏められます。こうした各種概念の解釈の差は、個々人の成長過程が基礎に成り、その一部として都市と地方の環境の差が起因し感度の相違を生むように映ります。これらの事が美性という概念で総合されます。今日的には、インターネットの世界が加速し時短感覚を促進する。リアルな感受性や世界観を小さく萎ませ感性の貧弱化に及ぶという負の面が浮かびます。