美感のあれこれ

 

美術や芸術という概念も、既成型の枠組みで固定化される必要はなく、自由に中身を感じ作る事が出来る。絵画や音楽、舞台演出、映画等々という世界ばかりになく、平等感覚の実現といった括りで、それに資する事は美術や芸術であるという規定があっても良く、何に美感を見るのか、快適感を抱くのか、その質や量や耐久性という観点で、自然に思い浮かぶ場面を想定する等、広く自由に概念と感覚を編成するのが、発見や創造の醍醐味であり、この焦点の当て方や作り方に、感受性の多様性が現れる。

一過性のショービジネスという華やかな世界観にあこがれ、美を感じるという感性が在る一方で、より耐久的、持続的な継続性を持つ型式という特性で見るのが文化という観念であり、この点が美術や芸術の既成概念に対しての相違の認識が作られます。

文化概念は、長期的反復の規則性として人々の自然反応に近い身近な型式であり、美や芸術という感じ方というより、空気のような無くてはならない真の価値という性格で捉えられる。その根源に、平等感覚があって各種事象が映し出され、快不快の感覚を抱き是正をしたい、向上させたいという反応が作られる。この理由の付かない自然反応が、ある意味で人間の最も美しい源泉の美を表し、美や芸術の概念が適合される。この角度で見る美が本来的なアートであり、健全な美の追求という描き方が生まれる。

どんな規定であっても自由であるという無限性の下に、各種の個性が尊重される事は言うまでもなく、本書の文化論における美感には、特別の一過性的なフレームに視線が行くよりも、日常性や長期性、実際感覚の性格で作られる美感となり、どこでも行われている一般生産的型式の中に美を感じる或いは創られる感性と描かれます。

どちらかというと一過性の外形美に行くほど、モラルの弱い政治家、マスコミみたいな性質が現れ、盗みを平気でやらかす馬鹿が生まれるのでしょう。目障りであり、これに不快が現れ、本書のような文化思想が作られます。

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