21世紀の道徳

21世紀の道徳

役職に就き「何事もなく穏便に」といった発想は、もはやマイナスの代名詞で在り、利己的な保身へ偏した社会悪という性質で特定される。衝突や軋轢へ過度に神経質な受動的体質と見做され、なんら自己の尺度が弱く、ビジョンの形成や保有の弱い場当たり的な振る舞いや回避的反応には、ポジションで与えられる権限の行使を取らない力の未利用という過不足を起こし、この不均衡に対する問題の特定を強調する時代認識に在る。

一昔前の消極的な姿勢による安定概念はもはや成り立たず、理念とビジョンと展開方式の持続的活動に在って健康体が維持されると見るのが適当な概念に在り、減点評価型から加点型に在るのが常識となり、批難や衝突に確たる自己の論理を示し、説得できる不動の理念形成が在って適切な配置が作られる。安定はおろか成長や繁栄等には到底及ばず、根源からの強い理念が形成されて、力の適正な行使が叶えられる。

怠け癖が保守的な発想で回り、過剰ストックがフローの良質性を阻害する不均衡に及ぶ因果で映り、向上心や好奇心が途絶え生命力の脆弱なエネルギーしか生み出さず、少々のイレギュラーに過敏反応を起こし、前進的な創造軌道の細い事では、付加価値が生まれない。
これを予防するのに、対立や衝突は常であるというサイクルを所与と持つ秩序形成が要り、「謙虚、寛容、対立、自制、循環」という有機性サイクルが表される。どっちつかずのいい所どりという拝金主義には人格が確認されず、この姿勢や態度にこそ根源的な病理が映り社会関係の歪みを増進される。和という概念の取り違いと見られる事象が散見され、保身や過度な自己愛が他利を作らず、都合のよい和の概念を適用される事に醜態的な感覚が浮かびます。

偽善感覚は醜さの象徴であり、良質な感受性の劣りから、エネルギーの現れ方に不健全な発想や向きが生まれ、過剰なストックや過保護な環境が、これらの性格を創り上げる。盗みや詐欺への厳しい対応を粛々と取れないひ弱なリーダーには、ポジションと力の行使のアンバランスとなり、責任放棄の役不足は機会損失や資源の有効利用に至らない無能力という判定が生まれる。

生滅概念と実際的な感覚の鈍感さは、間接的な二次三次の被害を齎す認識を強め、質実の取れた均衡への圧力を高める作用が必然と思います。この検証作用の強化が、文化という領域による健全性への営みであり、マイナスは除外しプラスを伸張させる自然本能と現れ、この感度を落とさない事が感受性の堅持となり、良質な機能が作りあげられる。社会的に重要な配置が特定され、そこでの実質的な役割を明瞭化しその到達点を鮮明に測定するシステムの厳格な様式が作られ適正均衡の概念が実現する。

堂々とした文化という旗印が掲げられ、歪んだエネルギーを削減し、健康なエネルギーを増産する観点からの施策が根源価値を表し、表層の事物を正しく計りだす感性の推進が長期の規則性と備えられる。本書の各種ビジョンから、病的な姿は鮮明に浮かび上がり適正な識別の判断を速められる事でしょう。こうした感受性の形成が21世紀の道徳の確立と見做される。わけのわからない理屈を並べれば、一発アウトの時代が進行している。

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