文化政策の観点

現代の物的感性の進行は買い手市場の圧力を増し、初めから過剰な忠誠を求める態度に現れる。人々の信頼形成は感覚的行為の繰り返しによる感受性により相互の信用が形成される。直接的な関わりのない段階に於いて言葉ばかりでの信用などは生まれる事はなく、個々の意思と行為の交換によって相互の異同感覚が確認され、その調整に於いて実際的な感覚と感受性を実感する事になる。そこで余りにも、違った感性と確認されると違う道を歩むか、法に照らして争うか、泣き寝入りするか、粘りよく機会を待つか等々の反応が生まれる。理念やビジョンと掲げる事と、過去の歩み方の経緯を見て、概ねの感受性が推察されるものの、実際的な交流において自身で検証が取られる。文字情報に過信はせずに相手方への過剰な期待を膨らませずに、協働生産過程において相互にエネルギーを投じるスタンスに在って、過不足の及ばない長期の生産関係が生み出される。

単純物性型の産業経済の型式から使用者側の力が増進し、限定性の強いパーツとしての機能が高まり相互成長の発想から短期利用という扱いへ進行し、入り口での限定作用と実現の要件が並べられるか、ビジョンの鮮明性が弱いまま、二次三次に加工された規格を安易に用いる手法が取られる。

こうした労働環境等も予測して、マクロの観点から相応しい制御を作る役割が望まれ、それを含んだビジョンを作り過度な物性型の産業に陥らない中長期の発想を持つのが、高次の理性を備えた成長策に思われます。特定の民間事業者によって大枠的長期のグランドビジョンを描くには限界があり、公共的立場からの健全な感受性を想定した実現策が少なからず必要になりマクロ政策の意義が与えられる。

数字ばかりの作業に陥り人間の感受性の変容という点への思索が弱いと、即効型の発想に偏して社会関係の歪な構造や人間の物性が増進し劣った判断を招かれる。ミクロの感覚的な焦点への作り込みへの発想が及ばないマクロ政策には程度の劣悪な事態を生み後戻りの困難な姿を招かれる。

このような問題提起に文化という根源からの発想が示されて、熟慮を重ねたマクロ計画の策定に及び、健全な軌道を保った需給相互からの適正な施策が作られる。根源の感受性を根にして物理面と情緒面との良質性を叶える産業経済、政治行政が設計されて一定の統制を持つ事で健全な社会が生まれる。教育文化芸術と産業と政治との有機的な循環を持った中で仕組みが叶えられるものと想定されます。

権力志向に陥った政治家や人格の歪んだ財界人や学者、法律家やマスコミがポジションに縋りつき、健全な感受性に寄る発想を歪めると、中長期の原理探求やビジョン形成に及ばず、利己的立ち振る舞いによった判断を取られ社会を衰退に導かれる。視野偏狭に陥って利己的な発想から小さなマイナス対処へ時間をかける事は大罪に相当し、健康な精神に基づく原理の探究にある事が必然と置かれる。

こうした全体概念の上に実際の事象を乗せて正負の評価を生み最良の選択へと繋げる強いリーダーシップを求めているのが健康な市民の声になり文化政策と描かれます。

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