自由の健全な創造
言論を封じる発想はやましい事の認識があって、まともにやったら勝てないという想定から、姑息な方法を考える負け犬根性を表す事であり、犯罪と規定される事を超えた行為に及べば非社会的な存在という認識を持つのが適当に思われます。この論理の根底には平等思想が置かれ、法の下の平等と展開され、法で予め犯罪を規定し万人に課せられるという解釈で平等の実感が表される。法を犯したという物的証拠や証言によって違法かを示し、それについての信憑性を計り純粋な事実の特定が生まれる。ここに、特定の利害から純粋事実を捻じ曲げ、認知をしないという行為が生まれる。こうした行為への賛否が分かれ、物的制裁への恐れや利益に成らないと見做して積極的な関与を控える判断の自由が置かれる。
こうした想定の中で最も悪性なのが、事実上の犯罪者とそれを利用する依存関係にある者であり、この性格を生まないような予めの施策を設ける事への賛否という観点が生まれ少なくともこの論理に反対する者とは共生感情が生まれず、恐らく多くの人は肯定的な意思を表明されると思われます。
マイナス性の感情が生まれ、それを予防する為の施策と資源の負担に一定の理解が現れ、理に叶った予防策についての意見が出され、それを取りまとめて有効な施策を限りある資源の中で展開する過程が生まれる。
下限の不快行為の特定と生まれる因果関係と有効な施策と、必要資源や可能な資源の算定という思考が取られる。この論理に水準の概念が当てられ、実感の細かさの程度と必要なコストとの兼ね合いから実際的な水準を設定して無限の中での限定が取られる。下限の不快行為と積極的なプラス策に対する区切りと相関の因果の持ち方の共通性を考える面が生まれる。厳密な追求をすると、このような筋道が浮かび、異常者を生まない総合施策として纏められる。成長過程からの個別環境に起因して、個々人のパーソナリティーが作られ、どこまでそれを平準化させるか等の範囲をどこまで着手するか、求める要求水準の程度差が生まれる。こうした向きのマイナス性への施策にあまり熱を投じたいという人々は少数にも思われますが、少なからずこんな観点も含んだ良好化策も根本的な改良には必要に思います。そうした上で、自己制御力や適正均衡感覚という人間の基礎的な感性が作られ、物性への偏りを制御する発想が生まれ、欲望や力の追求に対する共生感情が作られて心身の健康な人間が作られ、そのミクロ的感覚が法や制度の構築理念に成り共通基盤の性格や実態に反映される。
各空間における諸条件の相違から歴史の相違が生まれ同一性の範囲と個別との丁寧な作り込みが進められ大きな衝突を予防しながら積極的協働性へと運ぶ軌道が生み出される。
言論の自由を声高に叫ぶ事も一つの方法に思いますが、より健康な創造としてはこうした観点への深まりと各種領域との協業によって、問題に対峙して改善を掴む歩みに適正感覚が現れる。一過性の宣伝的な創造策と見做されない為には、原因分析や改善への論理が生まれる事に、熱の投じ方や健全な感受性の所在が確認され健康な活動と認識される。放漫な自由の追求には良質な力が集まらず、原因の特定に対する納得感や実効性への思索の深まりや広がりの体系形成力から、資源負担への理解や信頼、共感に及び、実のある健全な自由を掴む道が描かれます。